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2008年12月23日に甲府市SNSサイト(>e-こうふ情報ねっと)に書いていた日記です。年越し派遣村はこの後の事ですが、既に二つ続けて書いた記事に関係する事を書いていたので、ここに掲載する事にしました。

2008/12/20 のJ-CASTニュースにこんな記事がありました。働かない中高年リッチ解雇せよ 「正社員」保護しすぎ論が台頭

この記事からリンクされている池田信夫氏のブログ記事を私は読み落としていたのですが、2008-12-21 「世代間戦争」という記事でこの件に言及されて、コメントも多数投稿されていました。

派遣切りとかワーキングプアの問題は年を越して2009年でも大きな問題が継続するでしょう。
いわゆる既得権益を享受している人々への風当たりが強くなったとしても、『自分はそんな権益は受けていない、今の状態は当たり前だ』と思う人々の方が多いのが現役正社員・公務員世代だと思います。仮にこの問題が政策論争になっても現状維持政党の方が総選挙で勝つでしょう。でも諦めちゃいけない。

年齢給(年功序列)という制度がどういう形で表わされるか統計値は知りませんが多分右上がりの曲線が描けるでしょう。
それを職能給(能力給)という形にして、非生産年令の子供達に対しては社会的保障(教育・医療の無料化など)の制度(子供は社会が育てる制度)を構築すれば扶養手当などの余分なシステムは要らなくなります。社会的保障の範疇には子供以外でもそれが必要な人々が入る。命の尊厳を維持する。

そういう制度変更と平行して年齢給を職能給に変更し、その基準線は一定の生活水準を維持する給与としたら、年令に関係無い給与体系が構築され年令を横軸にした給与統計曲線は今の平均的初任給水準以上でほぼ水平化する。
結婚できない、子供が欲しくても所得を考えたら生めないという若い世代の問題は解消する。逆に定年などという愚かな制度も必要無くなる。

所得の差は年令では無く能力に応じたものだとなると、職種によっては若い人の方が高給取りになり(例えばプログラミングが出来る年代)、その時期が終わる頃までに次にステップ(システム全体を構築できる能力)への努力をしない限り加齢と共に所得は生活水準給与まで下がる。生涯学習の本当の意味が見えてくる。

今のシステムを享受している現役正社員・公務員世代に堪えがたい改革が行われることは困難かも知れませんが、世間様のお蔭様で自分が生かされているという仏教的思想はそれなりの場所にいる人ほど考えて欲しいものだと思いたい。ワラジを作る人がいなければ自分は駕篭には乗れないのだと。

日本的雇用体制を変革するとしたら多分公務員の給与体系が変わらねば社会的には浸透しないと思います。2009年にもし政変があれば激動の年になるかも知れません。


以上のような事を書いていたので、「年越し派遣村」が他人事とは思えずにいましたがボランティアとして東京まで出かけることはできませんでした。無事に年を越せた事を一人ささやかに祝っていました。2009年3月末までには8万5千人の解雇者が累積するとの報道もあります。派遣村に関する1月4日の記事で「雇用戦争・・・」というタイトルを付けたのにはそれが頭にありました。以前どこかに書いたのですが、就職する時に恩師から「退職するまでの給料が計算できるようなところに行くな」と言われたのは、今のNTTが電電公社と呼ばれていた時代の事です、私の専攻ではこちらにいく友人も多かったから(^o^) その給与体系は多分公務員と同等だったと思います、だから就職時に退職金まで計算できたらしい・・・

追記-賃金を下げれば失業率は下がる(池田信夫 blog 2009-01-06)という記事が出ています。ここで言及されている小倉秀夫さんのブログ記事は「正社員」を「敵」として祭り上げる言論の流行(2009-01-04)です。この辺のテーマを考えるのは後日にしたいと思います。小倉秀夫さんはネットでの言論のあり方などについてもいろいろ考えさせられる発信が多い方です。
もうひとつ、本文で述べた職能給についても現実は理論とはかなり異なる様相があるようです。ピラミッド型にマッチした給与システムとネットワーク型にマッチしたそれとの違いなど組織の構造にもよるでしょう。頭を柔らかくして考え続けねばならない事が多いと思っています。まずは前例踏襲型、他の事例準拠型から脱却する事でしょうか。



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