事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

大瀧詠一 Writing & Talking PART1 スピーチ・バルーン

2016-04-05 | 音楽

大瀧詠一 スピーチバルーン

「ロング・バケイション」を久しぶりに聴いて、つくづくとすばらしいアルバムだと感じ入った。大瀧詠一が亡くなってもう二年以上たつ。弁当箱なみに分厚い「大瀧詠一Writing & Talking」という、彼のインタビューやエッセイをこれでもかとつめこんだマニアックな本が出たので(こういうことをするのはどこの出版社かと思ったら、白夜書房でした。さすがやの)読みこむ。

ああ、やっぱり知らないことっていっぱいあったんだ。ちょっと紹介します。

大瀧のブレイク(と言えるかはちょっと微妙だけれど)は、もはや伝説となっているバンド、はっぴいえんどによるものだ。現在は高名な存在だから(なにしろメンバーが大瀧、細野晴臣、鈴木茂、松本隆である)さぞや売れたと思われるだろうがそんなことは全然なかった。わたしがリアルタイムで聴いたのは「さよならアメリカさよならニッポン」だけだったし、「風をあつめて」を知ったのは矢野顕子のカバーによって。

はっぴいえんど以前について大瀧はこう語っている。

高3の頃には少しギターが弾けるようになって、曲をつくりはじめた。で、68年に「スピーチ・バルーン」の原曲が出来た。それが最初に曲らしい曲だったね。

……スピーチ・バルーンが処女作だったとは(笑)。

それで遊んでる時に布谷文夫に会うんだよね。布谷はその頃、専修大学行ってた。クレージー(キャッツ)好きの中学時代の友達も東京に来てて、彼の友達も専修で、バンドを作ってるってわけ。そしたらヴォーカルだって入ってきたのが布谷だった。

布谷が(エキス)トラでやっていたジャガーズの弟バンドに新しいギターが入ってきた。それが高校生の竹田和夫だった。それがだんだんブルース・クリエイションになっていく。その頃、ブルース・クリエイション向けに1曲だけ曲をつくった。

 ……つながってるなあ。ここで布谷経由でクリエイションの竹田和夫まで。専修大学出身者としてはうれしゅうございますよ。以下次号

コメント
この記事をはてなブックマークに追加