浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

日本社会党・社会民主党の旗を降ろすのか?

2020-01-16 14:15:09 | 政治
(「日本社会党・社会民主党の旗を降ろすのか?」というテーマで、社民党系の機関紙に寄せた文である。社民党中央は、解党にむけて走っているようだ。社民党中央も、どうやら腐臭を放っているような気がする。)

日本社会党

日本社会党が結党されたのは、1945年11月、敗戦直後である。戦前の無産政党・労働運動・農民運動関係者によって設立された日本社会党は、問題を抱えながらも一定の議員数を確保し、労働運動のナショナルセンターであった総評とともに、社会党・総評ブロックとして「護憲」の旗を掲げ、労働者や国民の生活擁護に大きな役割を果たしてきた。名称を日本社会党から社会民主党に変更したとは言え、社会民主党は、そうした歴史に誇りを持つべきである。

日本社会党のつまずき

しかし現在、社会民主党の政治勢力はその歴史を振り返ると、あまりにも弱小となってしまった。私はその原因を、お人好しの社会党指導部が支配層の戦略を読めなかったこと、同時にそれを可能にした主体性の欠如に求める。
最近亡くなった中曽根康弘は、1987年に国鉄分割民営化を実現した。後に中曽根は、その目的が労働運動の中核であった国鉄労働組合をつぶし、さらにそれにより総評を解体し、日本社会党を潰滅させることであったと語っている。つまり支配層は、日本社会党の潰滅を企んでいたのである。
 それに対して日本社会党はどう対応したか。私は2017年11月のここにこう記した。

日本社会党は、細川護煕政権(1993・8~1994・4)の与党となった。その時、日本社会党の議席数は70。細川政権は、「小選挙区制比例代表並立制」という選挙制度を導入しようとした。前号に記したように、小選挙区制は民主主義を踏みにじる泥靴であった。その選挙制度に、日本社会党は賛成した。社会党の議席は、中選挙区制であるが故に確保できていたのに・・。小選挙区制に賛成するということは、みずからの足元を掘り崩すものであった。その通りに、次の総選挙(1996・10)で社会民主党は15議席に後退した。1991年に出版された『小沢一郎探検』(朝日新聞社)には、「社会党をぶっ壊さなきゃならない。それには小選挙区制という制度を、ほかにいい知恵があればほかでもいいんだけど、やらなきゃいかん」という小沢一郎の発言が紹介されている。驚くべきことに、小沢の意図を、日本社会党みずからが実現してあげたのだ。
そして、1996年1月、日本社会党は社会民主党となった。原彬久はこの改称について、「この党名変更は、党の心機一転、さらなる躍進のシグナルではなく、半世紀に及ぶ党史への晩鐘となった。事実、日本社会党はこのときすでに昔日の面影を遠くに残し、党名変更に合わせるかのようにその歴史的役割を終えようとしていた」(『戦後史のなかの日本社会党』中公新書、2000年)と書いている。まったく同感である。


 ここに記したように、支配層は中曽根内閣以降、日本社会党を潰滅させる施策を展開sしてきた。その一環でもある小選挙区制の導入に賛成した日本社会党指導部は、まさに支配層の企み通りに行動したことを示している。「愚行」というしかない。
しかし社民党は、現在もしぶとく残っている。

県内における社会党

社会民主党静岡県連合には、静岡県内の日本社会党・総評ブロックの活動の資料がたくさん残っている。それらをもとに、現在、「社会運動史」の編さん事業が進んでいる。
 静岡県内の様々な運動は、社会党や県評などを主要な担い手として展開してきた。警職法反対闘争、60年安保闘争、原水禁運動、浜岡原発反対運動、沼津・三島・清水町における石油化学コンビナート反対運動、富士市における公害をめぐる住民運動、浜松市における反基地闘争等々。そして県議会に社会党議員が多数いた頃には、県の実状を分析して政策を提起するという活動も行っている。静岡県でも、日本社会党はたいへん大きな役割を果たしてきた。

立憲民主党の要請
  「党報しずおか」287号が送られてきた。それには全国連合常任幹事会の討議資料「立憲民主党・枝野代表からの「よびかけ」について」という文書も添付されていた。社民党指導部は、枝野代表の要請を受けいれる方向であるようだ(「Ⅳ 常任幹事会の考え方」)。
 しかし、と私は思う。まず第1に、立憲民主党や国民民主党は、離合集散を繰り返してきた議員政党である。各地域に地盤を持っているわけではない。歴史もない。国民民主党は、原発推進の労働組合に支えられている。第2に、ここでも、日本社会党指導部の主体性のなさが現れていると私は思う。枝野代表の呼びかけがなかったら、こういう動きは起きなかったはずだ。
 私は、先に引用した支部報の末尾にこう記した。

  1990年代、日本社会党の原点を忘れ去り、小選挙区制に賛成し、村山政権時代には「日米安保堅持」を言明した自滅への歴史。今の社民党の活動内容をみるとき、これは見直すべき歴史ではないのか。しかし、それもせずに社会民主党はあり続ける。あたかも消え去るのを待っているかのように。社民党中央は、社会民主党の旗を掲げて地道に活動している地方の活動家に申し訳ないと思わないのか。このままでよいと思っているのか。

 社民党指導部は、過去の間違った選択の総括もせず、また現在の社民党の窮状を主体的に打開する道を示さず、他党の代表の呼びかけにみずからの「解党」を考えているようだ。

 立憲民主党が合併しようとしている国民民主党は、旧民進党から引き継いだ100億円ともいわれる政治資金を保有しているという。国民民主党の支持率は、社民党とほぼ同じ。しかし国民民主党にはカネがある。社民党にはない。そうなると、社民党は立憲民主党に「併合」されるという事態になりかねない。社民党指導部の主体性のなさは、社民党それ自体を最終的に消す、というというところまできているようだ。
 『サンデー毎日』のコラムを書いている牧太郎は、こう記している(同誌、2019年4月28日号、「平成とは――「カネと数」の小沢一郎が「革新」を潰した!」)。

「理念」を捨て大同団結? 結構だが「理念」を捨てて一緒になれる「価値」とは何だろう?

 全国連合常任幹事会の討議資料には、「党を維持する選択をした場合には、党組織をどのように維持していくのか、具体的な方策と実践が問われる」とある。社民党は、そうした議論を、まずすべきではないか。
 まさに今、社民党の主体性が問われているのだ。
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原発ゼロをめざさない国民民主党

2020-01-16 09:28:18 | 政治
 「民主党」を名のる、自由民主党を除く三つの政党が合流する動きが報じられる。立憲民主党、国民民主党、社会民主党の三つである。私は別に合流しなくても、それぞれの政党が一緒になって行動する、選挙の際も同一選挙区に候補をたてずに話し合って3党のなかから一人だけ立候補させ応援しあう、ということにすればよいのではないかと思う。

 とりわけ国民民主党は、今もって原発容認姿勢をとり続けているから、私としてはとても支持できない。国民民主党を支援する電力関連労組(電力総連)が原発を容認し、推進する立場にあるから、ということなのだろうが、しかし福島原発事故を経てから、原発推進の声は小さくなっている。原発で働いている人は今原発があるからそこで働かざるを得ないが、電力総連自身は原発ゼロをめざしていくという方針はとれないものか。自分たちの利益を優先するのではなく、国民意識や国民の希望をきちんと方針に入れていかないと、電力会社がただでさえ悪徳企業とされているが故に、国民から遊離していかざるを得ないだろう。関西電力のカネまみれ体質、東電の嘘まみれ体質など、電力会社は社会的には問題が多い会社として知れ渡っている。そこで働く労働組合が、そうした体質をもつ企業を盲目的に支持し支えるというあり方は、企業だけではなく、組合にも批判がくることになる。

 連合に加盟している組合は、もともと「御用組合」が多いから、会社の方針にさからうことはしない。そうなるともう組合は労働者の権利を守るものではなく、企業による労働者支配を補助する機関となっている。実際、労働組合の幹部人事は、企業の総務部が行っているという話も聞く。

 そういう労働組合の組合員は、選挙の際に組合からの指示があっても、その指示通りには投票しないだろう。労働組合と政党との連携はもう時代遅れになっていると思う。
 
 こういう記事があった。

 「原発ゼロ基本法案」撤回求める国民民主党、立憲に蹴られ合流も頓挫へ
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ドストエフスキー体験

2020-01-16 08:48:59 | 読書
 大学に入学した年、夏休みは帰省せずにアパートでずっとドストエフスキーを読んで暮らした。高校3年の現代国語の先生が、みずからのドストエフスキー体験を感動的に語った。それを聞いた私は、先生と同じようにすべてを読破しようと、夏アパートにこもった。他人と話をするのは、「豆腐一つ」くらいであった。

 そのとき読んだ本は今も書棚に並んでいる。

 さて『座談会 昭和文学史』を読んでいると、ドストエフスキーのことが何度かでてくる。しかしそれを読むと、私たちが読んだのはドストエフスキーではなくて、翻訳者の米川正夫の文学を読んでいたというのだ。ロシア語ができる小森陽一はこう語る。

 日本では、深刻な小説という印象をもたれていますが、19世紀ロシアでのドストエフスキーの出自は大衆小説にあります。そういう意味では、日本でドストエフスキーに近いのは井上ひさしさんかもしれません。『罪と罰』にも駄洒落がたくさん入って笑えますよ。・・・・・米川さんの訳では、そういうあたりが消えている。みんな社会の矛盾や悲哀を一身に背負った登場人物になっていく。(71~2)

 こう書かれると、私が読んだドストエフスキーは、本物のドストエフスキーではないということになる。私は、ずっと深刻にドストエフスキーを読んだ。人生とはなんぞや、などという青春期にもつ疑問を背景にして、むつかしい顔をして読み進めたのだ。

 今更ロシア語を勉強するなんてことはできもしないから、はてどうしたものか。

 ドストエフスキーやトルストイが翻訳されたのは昭和初期。その頃から、ドストエフスキーの読者は、「社会の矛盾や悲哀」を背負いながら難しい顔をして読んでいたことになる。確かに、ドストエフスキーを読んでいたとき、笑いはなかった。小森陽一は、笑いながら読んだという。

 翻訳物をどう考えるのか、も検討しなければならないことだということになる。
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広島の国会議員

2020-01-16 07:58:31 | 政治
 現在の司法のあり方は、安倍政権の意思が反映されるようになっている。司法の独立は、現在の安倍独裁権力下では、絵に描いた餅である。よほどひどいことをしないと、政権とつながっている人々は罪を問われることはない。

 今日の『毎日新聞』にこういう記事があった。

“雲隠れ”河井夫妻、2カ月半ぶり公の場 「捜査中」理由に詳細語らず

 Ghosnのように逃亡していた議員夫妻は、なぜ今頃でてきたか。それは政権、ならびに司法機関と話がついて、罪を問わないという結論が出たからだろう。

 こういう崩れた日本では、政権とつながる人たちは、罪に問われない。

 IR疑惑でなぜ秋元という自民党議員は逮捕されたかと言えば、相手が中国だからである。それほど日本の司法は独立性を失い、政権のやっていること(カジノ建設=IRがアメリカ企業の誘致)と足並みを揃えていたら逮捕されない。

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