浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

信ずる者は救われるか

2013-06-30 21:37:54 | 日記
 歴史をもっともっと勉強すべきだと思う。人々が、政府や国家権力にだまされた歴史をしっかりと学ぶべきだ。

政府は、いつも庶民のための政治を行っているわけではない。国民から集めた税金を、庶民の生活がよくなるようにつかっているのかどうか。

 最近でも、こういう事実が報道された(『中日新聞』)


興予算 中部電に20億円流用   2013年6月28日 夕刊

 政府が二〇一一年度に計上した復興予算のうち、約二十億円が東日本大震災の復興とは直接関係のない中部電力の支援に使われていたことが分かった。茂木敏充経済産業相は二十八日の記者会見で「予算の執行状況を調査し一部の執行を見合わせる方向で早急に結論を出したい」と、支援打ち切りを検討する考えを明らかにした。

 この事業は、一一年度第三次補正予算に計上された「火力発電運転円滑化対策費補助金」(九十億円)と「温排水利用施設整備等対策交付金」(十億円)。これらの財源には所得税などの復興増税が含まれている。

 火力発電補助金は、原発停止に伴い代わりとなる火力発電用の燃料を購入する電力会社が金融機関などから新たな借り入れをした際に、利子を国が肩代わりする制度。一一年五月に国の要請で浜岡原発(静岡県)を停止した中部電に対し、一一~一二年度で計約十六億五千万円が支払われた。

 温排水交付金は浜岡原発の停止で、静岡県の養殖施設に発電所からの温排水が届かなくなり、事業を続けるために新しいボイラーの設置費用や重油代などを国が補助する仕組みで、約三億五千万円が支出された。このうち三億円が中部電に渡っている。

 これらの事業のために予算支出した計百億円は、社団法人や静岡県が管理する「基金」に積まれていた。国はまだ使われていないとみられる約八十億円の返還を求める考え。

 ただ既に支出されたものについて、茂木氏は「(制度上)返還してもらうことは難しい」との見解を示した。


 「復興予算」というのは、いうまでもなく東日本大震災の復興のために組まれた予算である。同時に、消費税の増税の理由にもなったものだ。ところが、「復興予算」という名目で、財務省が税務署(もちろん被災地ではない)を立て替える経費に充当したり、沖縄県の道路建設事業につかわれたりと、「復興」とは関係のないところに多額の金銭、つまり税金が投入されている。

 こういう政府がいうことを、素直に信じることはできないのではないか。

 ところが、多くの人々は、政府がいうこと、つまりマスメディアが批判をせずに報道していることであるが、それをすっと信じてしまうのだ。たとえば、竹島は日本の領土かと尋ねると、大方の人は日本の領土だと答える。ではその根拠は?と尋ねると答えられないか、あるいは日本政府が言ってるから・・・となる。

 「復興予算」で嘘をついている、あるいはだましている、その政府の言うことを素直に信じてよいのかとボクは思う。対外関係、とくにアジア地域がからむと、日本人は思考停止に陥るようなのだ。

 民主主義という社会は、人々が自立して、いろいろなことを自ら判断(もちろんきちんとした根拠に基づいて)していくことが求められる場なのだ。何の検証もしないで、政府が言うことだからということで信じてしまうなら、それは民主主義社会ではない。

 ボクは、多くの人々に、民主主義社会とはどういう社会であるべきなのかを考えて欲しいと思う。
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頑張るべき時

2013-06-29 06:59:41 | 日記
 昨日某中学校を訪問した。その中学校には、知的障害や発達障害の子どもが通学していた。驚いたのは、その子どもたちには母子家庭が多かったことだ。

 実は、ボクも幼いときに父を亡くし、母子家庭で育った。しかし母が教員免許をもっていたので、一応収入があったことから大学にまで進学できた。運が良かったのだろう。もしそうでなければ、つまり非正規労働など不安定な収入であったなら、大学への進学は難しかっただろう。

 現在の経済労働状態では、安定的な経済生活を維持するのは並大抵の努力では追いつかない。派遣労働が製造業にまで解禁された小泉自民党政権の頃から、不安定な就労者は増えこそすれ減ることはない。

 母子家庭のお母さんたちは、家庭生活を経済的に成り立たせるために必死に生きているのだろうと思う。そうした状況の時、もっとも大変な生活をしている人々のための政策は後退(生活保護費の減額など)し、憲法を変えたり、自衛隊を国防軍にして海外派兵を推進しようという人たちの、政界での声が増大している。今度の参議院議員選挙では、もっと増える可能性がある。

 「戦後」とよばれる現代の、もっとも厳しい時期が到来するだろうとボクは考えている。ボクは、日本の過去の戦争をずっと研究してきた。戦争を始める者は戦争の修羅場には立ち会わない、いつも安全なところにいる。生死を分ける前線にいるのは、いつも庶民だ。

 ボクは日本が再び戦争をする国家になって欲しくないと、強く強く思う。戦争をする国にならないように、自らの力を出し切っていきたいと思う。

 今日から講演のために一泊二日、家をあける。したがって、自民党憲法草案についての検討は、中断する。

 いくつかの記事を掲げるので読んで欲しい。

http://mainichi.jp/feature/news/20130627dde012040002000c3.html

http://www.kenpou-media.jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=42

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/87524

 アメリカの「ジャパン・ハンドラー」たちも、安倍政権への肩入れし、軍需品などを日本に買わせて儲けようとしているようだ。アメリカの野望をもっと知るべきである。


 
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まっとうな思考

2013-06-28 13:31:33 | 日記
 今日の『東京新聞』のコラム。

<俺は殺されることが 嫌ひだから 人殺しに反対する、従つて戦争に反対する、自分の殺されることの 好きな人間、自分の愛するものゝ 殺されることのすきな人間、かゝる人間のみ戦争を 讃美(さんび)することが出来る>

▼白樺派の作家、武者小路実篤の詩「戦争はよくない」の一節だ。自分は殺されたくない。愛する人が殺されるのを見たくもない。夫や子を戦場には行かせたくない。そんな思いこそは、戦争を防ぎ、不幸にして起きた戦争を終結させる最大の力だ

▼米軍の無人機のパイロットたちを送り出す妻が、夫の戦死を案ずることはないだろう。無人機が飛ぶのは米国から一万キロも離れた戦場の上空だが、操縦は本土の基地で行う。仕事を終えたら、テレビの連続ドラマに間に合うようにマイホームに帰る

▼そんな戦争の新しい形を支えているのが人工知能だ。『ロボット兵士の戦争』(P・シンガー著)によれば、米国内で人工知能研究に費やされる資金のうち、八割は米軍が提供しているという

▼自ら敵を探し、仕留める。当然ながら、何の疲労も葛藤も感じないまま。そんなロボットの開発は凍結すべきだとの勧告が
国連に出された。勧告は「ロボット兵器に殺人を許すことは、命の重みを軽んじかねない」と指摘する

▼<殺されることが嫌ひ>という感情こそは、ロボット開発に必要な「安全回路」だろう。



 こういう文は読んでいて安心できる。まったくまっとうな感情であり、思考である。これを「極左」というなら、「極左」こそまっとうだということである。
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自民党憲法草案(その14)

2013-06-28 12:48:38 | 日記
 さて各部大臣によって構成される内閣であるが、自民党憲法草案には大きな特徴がある。それは、内閣総理大臣の権限を強くしていることだ。

 『Q&A』には、次のような記述がある。

現行憲法では、行政権は、内閣総理大臣その他の国務大臣で組織する「内閣」に属するとされています。内閣総理大臣は、内閣の首長であり、国務大臣の任免権などを持っていますが、そのリーダーシップをより発揮できるよう、今回の草案では、内閣総理大臣が、内閣(閣議)に諮らないでも、自分一人で決定できる「専権事項」を、以下のとおり、3 つ設けました。
(1)行政各部の指揮監督・総合調整権
(2)国防軍の最高指揮権
(3)衆議院の解散の決定権
(1)行政各部の指揮監督・総合調整権
現行憲法及び内閣法では、内閣総理大臣は、全て閣議にかけた方針に基づかなければ行政各部を指揮監督できないことになっていますが、今回の草案では、内閣総理大臣が単独で(閣議にかけなくても)、行政各部の指揮監督、総合調整ができると規定したところです。
(2)国防軍の最高指揮権
72 条3 項で、「内閣総理大臣は、最高指揮官として、国防軍を統括する」と規定しました。内閣総理大臣が国防軍の最高指揮官であることは9 条の2 第1 項にも規定しましたが、内閣総理大臣の職務としてこの条でも再整理したものです。内閣総理大臣は最高指揮官ですから、国防軍を動かす最終的な決定権は、防衛大臣ではなく、内閣総理大臣にあります。また、法律に特別の規定がない場合には、閣議にかけないで国防軍を指揮することができます。
(3)衆議院の解散の決定権
54 条1 項で、「衆議院の解散は、内閣総理大臣が決定する」と規定しました。かつて、解散を決定する閣議において閣僚が反対する場合に、その閣僚を罷免するという事例があったので、解散の決定は、閣議にかけず、内閣総理大臣が単独で決定できるようにしたものです。


 現行憲法は、「行政権は、内閣に属する」(65条)となっている。ところが、自民党憲法草案では、65条で、「行政権は、この憲法に特別の定めのある場合を除き、内閣に属する。」とし、傍線部分がつけ加えられているのである。

 その「特別の定め」とは、第72条。

第七十二条 内閣総理大臣は、行政各部を指揮監督し、その総合調整を行う。
    2 内閣総理大臣は、内閣を代表して、議案を国会に提出し、並びに一般国務及び外交関係について国会に報告する。
    3 内閣総理大臣は、最高指揮官として、国防軍を統括する。


 果たしてどのようなことから、「専権事項」を考え出したのか。現行の行政権は、「内閣」に属する、つまり閣議で話し合って決定していくという手続きであるが、それが本当に不要なのか。「行政各部を指揮監督し、その総合調整を行う」という、どのようなことを示しているか判然としない概念で提示されているが、それが一人歩きしたときに、独裁的な政治を生み出すおそれはないだろうか。

 国防軍に関しては後の総合的に論じるつもりである。
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自民党憲法草案(その13)

2013-06-28 12:29:01 | 日記
 さて次は統治機構について考えていこう。
 
 まず第66条。自民党憲法草案は、こうなっている。

第六十六条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長である内閣総理大臣及びその他の国務大臣で構成する。
    
     2 内閣総理大臣及び全ての国務大臣は、現役の軍人であってはならない。
     
     3 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負う。


 現行憲法は、以下の通りである。

六十六条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
   ② 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない
   ③ 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。


 ほとんど同じであるが、下線部が異なる。実はこれは重要な違いである。「文民」とは、「軍人でなく、職業軍人の経歴を持たない人」をいう。

 自民党は、「現役の軍人」でなければ、退役軍人ならよいというわけだ。

 振り返ると、森本敏という防衛大臣がいたが、彼は防衛大学校卒業後、航空自衛隊に入った経歴があり、もと職業軍人であった。純粋な「文民」ではない。この問題については、水嶋朝穂氏(早大教授)の解説に委ねておこう。

http://www.asaho.com/jpn/bkno/2012/0618.html

 すでに職業軍人であった者が大臣に就任している。自民党は、今後もそうした者を防衛大臣に起用する心構えなのだろう。しかし、平和主義をうたった現行憲法からは、疑義がある。
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自民党憲法草案(その12)

2013-06-28 07:00:43 | 日記
 公務員の労働基本権について、自民党はどうしても認めたくないようなのだ。これも、世界の動向とは背馳する。

 第二十八条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、保障する。

2 公務員については、全体の奉仕者であることに鑑み、法律の定めるところにより、前項に規定する権利の全部又は一部を制限することができる。この場合においては、公務員の勤労条件を改善するため、必要な措置が講じられなければならない。


 この第2項は、現行憲法のままである。第2項が新設である。

 この28条が存在していても、公務員の労働基本権は戦後ずっと侵害されてきた。様々なりくつをこねて、公務員労働者の権利は奪われてきたのである。

 そのかわり、人事院(地方自治体では、人事委員会)が設置され、給料等の労働条件についてはその勧告に基づいて決められてきた。

 世界の趨勢は、公務員にも労働基本権が保障されている。


http://www.gyoukaku.go.jp/senmon/dai8/siryou13.pdf

 自民党は、公務員は従順でなければならないと考えているようだ。いや公務員だけではなく、国民が政府(国家)に逆らわないようにしたいと思っているのだ。この憲法草案がその証拠である。

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自民党憲法草案(その10)

2013-06-28 06:44:19 | 日記
 自民党憲法草案は、第25条の3として、「在外国民の保護」を新設した。

 第二十五条の三 国は、国外において緊急事態が生じたときは、在外国民の保護に努めなければならない。


 しかし「在外国民保護」は、近代日本の歴史を振り返ると、それを口実に軍隊を派遣し、侵略の発端になったことがしばしばある。1932年の「上海事変」などがその例であるし、さらにさかのぼれば1928年の「山東出兵」もそうではなかったか。

 ボクはこの条項に軍事的な匂いを感じてしまうのである。

 と同時に、国家は自国民を保護するのは当たり前なのであり、あえてこういう条項を掲げる必要はないのである。

 自民党政権は、イラクで日本人ジャーナリストらが現地で「ゲリラ」に拉致されたとき、「自己責任」の大合唱をマスメディアと共に行い、積極的な対応をしなかったし、ひとりの日本人旅行者が拉致されたときも「自己責任」の論理により救出のためのいっさいの行動をとらなかった。

 ボクは昔あるジャーナリストから、海外で何らかの事件に遭遇したときは日本大使館に逃げ込むのではなく、ヨーロッパの国の大使館に逃げ込めといわれたことがある。日本大使館は在留法人保護には積極的ではないことを、ある実例をもとに助言されたのだ。

 そういう自民党がなぜ新設したか。やはり軍事的な意思を感じるのだ。
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メディア批判

2013-06-27 20:49:36 | 日記
 ボクは、メディアの不甲斐なさをしばしば指摘しているが、一向に軌道修正されない。マスメディアは「権力の翼賛機関」としての位置に満足しているのだろう。

 メディア批判は、『世界』連載の神保太郎氏の「メディア批評」がよいが、マガジン9の柴田鉄治氏の「メディア時評」もよい。

 ここにそのアドレスを貼り付けておく。

http://www.magazine9.jp/shibata/130626/

 マスメディアは、「報道しない」、「報道はしても批判しない」というかたちで、権力を支えている。「批判精神」がなければジャーナリズムとはいえず、単なる政府の広報機関でしかないのである。
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自民党憲法草案(その10)

2013-06-27 11:02:12 | 日記
 この自民党憲法草案に、「新しい人権」を新たに書き加えたと、自らを礼賛している。

 『Q&A』は、こう書いている。

日本国憲法改正草案では、「新しい人権」(国家の保障責務の形で規定されているものを含む。)については、次のようなものを規定しています。
(1)個人情報の不当取得の禁止等(19 条の2)
いわゆるプライバシー権の保障に資するため、個人情報の不当取得等を禁止しました。
(2)国政上の行為に関する国による国民への説明の責務(21 条の2)
国の情報を、適切に、分かりやすく国民に説明しなければならないという責務を国に負わせ、国民の「知る権利」の保障に資することとしました。
(3)環境保全の責務(25 条の2)
国は、国民と協力して、環境の保全に努めなければならないこととしました。
(4)犯罪被害者等への配慮(25 条の4)
国は、犯罪被害者及びその家族の人権及び処遇に配慮しなければならないこととしました。

なお、(2)から(4)までは、国を主語とした人権規定としています。これらの人権は、まだ個人の法律上の権利として主張するには熟していないことから、まず国の側の責務として規定することとしました。


 19条の2は、重大な問題を有するのであとから論じるつもりであるが、それ以外の事項については、国の「責務」、あるいは「配慮」としてあり、「義務」とされているわけではない。逆に、なぜ国民の権利にしないのか、きちんとやるつもりがないからだろうと思う。たとえば、こうすればいいのだ(でも、別に現行の人権規定から、すでに環境権などは権利として確立されているから、あえてこうした条文をつくる意味はないのではないか)。

 国民は、健康的な、より良い環境を享受できる権利を有する。

 国民は、国政上の行為につき、説明を求める権利をもつ。
     

 さて次は第24条である。自民党憲法草案を掲げる。

第二十四条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。
2 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、相続並びに親族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

現行憲法は以下の通り。

第二十四条  婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
 2  配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。


 なぜか、自民党憲法草案では、現行憲法の「婚姻は、両性の合意のみに基いて」から、「のみ」をカットしている。婚姻の成立をそれ以外の要因を含めようというのであろうか。

 草案の第3項、現行憲法の第2項の異同については、その趣旨がわからないので指摘だけにとどめる。

 問題は、憲法草案に家族の規定が盛り込まれていることだ。おそらくこれは、家族の扶養義務を強化しようとしているのだろう。

 憲法を、国家が国民に守らせたい規則を記した、いわば「御触書」にしたいという意向が、ここでも確認できる。
 
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自民党憲法草案(その9)

2013-06-27 10:42:31 | 日記
 次は「表現の自由」についてである。

 まず現行憲法の条文を掲げる。

 第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
     2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。


 さて次は自民党憲法草案の方である。

第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
     2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない
     3 検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない。


 問題は、第2項である。『Q&A』にはこう説明されている。

  公益及び公の秩序を害することを目的とした活動等の規制(21 条2 項)

   オウム真理教に対して破壊活動防止法が適用できなかったことの反省などを踏まえ、公益や公の秩序を害する活動に対しては、表現の自由や結社の自由を認めないこととしました。内心の自由はどこまでも自由ですが、それを社会的に表現する段階になれば、一定の制限を受けるのは当然です。


 「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」というとき、「公益及び公の秩序を害する」を、誰がどういう根拠に基づいて判断するのか、ということがきわめて問題である。こういう抽象的な文言は、警察など公安関係の視点から解釈されることは予想されることであり、そうなるときわめて恣意的なものになっていくだろう。この条文が、体制に批判的な活動や結社を認めないという根拠となることは、ほぼ間違いない。

 自民党関係者は、政府などへの批判などもってのほかであり、公的な機関が言うことを国民は黙って聞いているべきだと考えているからだ。
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自民党憲法草案(その8)

2013-06-27 09:58:11 | 日記
 人権の続きである。

 現行の第18条は以下の通りである。

何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

 内容的には、これで十分なのに、自民党憲法草案ではこう変えたいというのだ。

第十八条 何人も、その意に反すると否とにかかわらず社会的又は経済的関係において身体を拘束されない。
     
   2 何人も、犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。


 2については、現行憲法と同じだから、問題はない。第一項は、問題である。

 まず第1に「その意に反すると否とにかかわらず」という語句の意味が定かでないこと、現行では「いかなる」ということで包括的に「奴隷的拘束」を禁止しているのだが、自民党憲法草案では「社会的又は政治的関係において」という条件付きとなっている。政治的、軍事的関係においては、「身体を拘束」される可能性があるということだ。つまり徴兵制への道をつくろうとしているとしか思えない。

 次は第20条。これが自民党憲法草案の条文である。

第二十条 信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。

   2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

   3 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない


 現行憲法と比較してみよう。

第二十条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない
    2  何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
    3  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。


 まず第1項の比較。現憲法にある「宗教団体」は「政治上の権力を行使してはならない」が消えている。これは公明党・創価学会への配慮か。自民党憲法草案は、少なくとも宗教団体が「政治上の権力を行使する」ことを否定していないということでもある。

 第2項は同じ。第3項が問題である。自民党憲法草案には但し書きがあって、おそらく戦前の国家神道を戦後の今日においても合憲化したいのだろう。この後で検討するつもりであるが、自民党は「自衛隊」ではなく「国防軍」を設置し、「集団的自衛権」のもとに世界各地での軍事行動を展開させようとしている。となると、戦死者がでる可能性があり、そうなると戦前と同様に「靖国神社」へ祀るということになろう。彼らは「靖国神社」への合祀・参拝などを「社会的儀礼又は習俗的行為」として認知させたいのである。

 「戦前」への逆行が、ここにある。
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自民党憲法草案(その7)

2013-06-27 09:29:08 | 日記
 人権に関することを続ける。

第14条は、言うまでもなく「法の下の平等」の規定である。第一項については「障害の有無」ということを挿入したほかは変わりはない。第2項は、現行は「華族その他の貴族の制度は、これを認めない。」であるが、これを草案では「華族その他の貴族の制度は、認めない。」とした。「これを・・」とあるところは修正している。なぜ修正したのか。「翻訳調」であるからということらしい。しかし、自民党関係者が復帰したがっている大日本帝国憲法にも、「第4条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」と、「之ヲ」を使用している。彼らは大日本帝国憲法を参照しなかったのだろうか。

 さて問題は第3項である。現行はこうなっている。

 3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

 自民党憲法草案はこうだ。

 3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

 下線部の「特権」についての言及がない。おそらくこれは、戦前の軍隊に存在した金鵄勲章(「武功抜群」の者に与えられた)の復活を企んでいるのではないだろうか。この勲章には年金という「特権」がついていた。自民党は、「特権」つきの勲章制度の「復活」を狙っているのだ。

 そして第15条。自民党諸兄は、拝外主義的なイデオロギーの所有者である。というのも、草案には「公務員の選定を選挙により行う場合は、日本国籍を有する成年者による普通選挙の方法による。」としてあるからだ。近年、地方政治に関しては、外国人にも投票権を与えるという国が増えている。最高裁の判決でも、外国人の地方参政権は「政策」の問題であるとされているにもかかわらず、このような規定を設けるのは、とにかく外国人の参政権は、いかなるレベルでも認めないということなのだろう。

 現行の日本国憲法では、こうなっている。外国人参政権を否定しているわけではない。

公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。

 ボクたちは、この草案を検討することによって、自民党とはいかなる政党なのであるかを知ることができるようだ。

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日本的帝国意識の実状

2013-06-27 06:52:31 | 日記
 尖閣や竹島問題に関してナショナリスティックな対応をする人が多いが、日本の国家主権は、アメリカにより侵されているというのが実態である。

 これは『琉球新報』の記事である。まず読んで欲しい。

民間人同乗も「公務中」 防衛省、米軍人追突で2013年6月26日

 【東京】東京都足立区で5月、米軍の公用トラックが自営業の男性(32)=埼玉県在住=の車に追突し重傷を負わせた事故について、トラックの助手席に民間女性が同乗していたにもかかわらず、防衛省が米軍公用車が事故を起こしたことを理由に日米地位協定上、日本の第1次裁判権が及ばない「公務中の事故」として損害賠償の手続きをしていることが25日、分かった。一方、警視庁は本紙の取材に対し「米軍から『公務外』と報告があった」と述べ、自動車運転過失傷害容疑で米兵を送検する方針を説明。交通事故自体の処理と、損害賠償の手続きで日本側の関係当局が「公務」を使い分ける異例の事態となっている。
 防衛省地方協力局補償課は本紙の取材に対し「本来なら公務外の事故だが、米軍によれば部隊車両の管理に瑕疵(かし)があったので、損害賠償については『公務中の事故』と同等の処理をすることになる」と説明した。
 25日に都内で会見した男性は、賠償金が支払われず、経営する生花販売会社が倒産の危機に面しているとして、同日、防衛省に対して米軍と協議の上で1カ月以内に賠償金を支払うよう求めたことを明らかにした。
 一方、男性によると、事故当時に車に積んでいた販売用の花(仕入れ値約300万円)が損害を受けたが、事故後に賠償について相談した北関東防衛局の担当者は「損害を最小限にして営業を続けてください」と指南したという。男性は「以前のように満足に仕事もできない状態だ」と述べ、同局の対応を疑問視した。
 賠償金の支払いをめぐって25日に面談に応じた防衛省の担当者は「支払いには3カ月から1年ほどかかる」と述べ、早期賠償に否定的な見解を示した。


 警視庁が「公務外」と認定したなら、米軍兵士が損害賠償の責に任じなければならないはずだが、なぜか防衛省は米軍兵士にかわって、税金から賠償金を支出するつもりのようだ。
 
 そして被害者が事故によって塗炭の苦しみを得ているのに、賠償金の支払いは遅いというのである。これでは何の罪もない人を路頭に迷わせることを、米軍と防衛省が一緒になっておこなっているということではないか。

 こういう事実に対して、本来怒りは向けられなければならない。

 しかし日本人は、相手が韓国や中国だと怒りをぶつけるが、米国など西欧だったらあまり問題にしない。この対米隷従、アジア蔑視が日本国民の社会意識として強固に存在している。こうした「日本的帝国意識」を払拭していかなければならない。
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自民党憲法草案(その6)

2013-06-26 21:50:58 | 日記
 基本的人権について続ける。

 草案の第13条はこうだ。

第十三条 全て国民は、として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。

 現行憲法は、

第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


 草案では、「個人」(individual)ではなく、「人」として尊重されるとされている。自民党の諸兄は、「個人」という語がお好きでないようだ。おそらく他者と異なった独自の存在たる「個人」を避けたいという思いがあるのだろう。individualは、Oxford辞書では、こうある

 a person considered separately rather than as part of a group

  a person who is original and very different from others


自民党の諸兄は、他者とは異なった独自的な存在である「個人」ではなく、家族とか共同体の部分としての「人」のほうがよいと考えたのだろう。


 ところで、『Q&A』では、権利について総括的にこう記している。

権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました。

 日本の歴史の中で、権利が「徐々に生成」してきたということがどういうことをいうのかよくわからないが、人権を普遍的なものとして位置づけるのではなく、日本的人権ということで考えようとしているようだ。

 他国の人権状況に関し、日本政府も意見するときもあるだろうが、自民党がこういう意見では、人権について何かを言われた国家から、「我が国は○○的人権でやっている」といわれたら、それ以上何も言えないのではないだろうか。人権が普遍的なものであるからこそ、他国の人権状況について抗議したりできるのではないか。

 また『Q&A』では、「公益及び公の秩序」についてこう説明している。

 「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活のことを意味します。個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑を掛けてはいけないのは、当然のことです。そのことをより明示的に規定しただけであり、これにより人権が大きく制約されるものではありません。

 だが、人権を行使するとき、「他人に迷惑を掛け」ることはよくあることだ。たとえば、「表現の自由」の一環であるデモ行進(街頭パレード)をすれば、自動車運転手らに「迷惑を掛け」ることになる。それを「いけない」とすることは、デモ行進が「公益及び公の秩序」を乱すということから禁止されてしまうのではないかと思ってしまう。

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自民党憲法草案(その5)

2013-06-26 12:46:28 | 日記
 今度は基本的人権について書く。

 まず「前文」には、以前にも引用したが、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」とある。

 通常の憲法には、こういう内容は記されない。人権は、国家に対して保障を求めるものだからだ。基本的人権を尊重すべきはまずもって国家なのである。もちろん国民同士が基本的人権を尊重しあうことは大切ではあるが、憲法でそれをうたう必要はないのである。

 まあ自民党の憲法草案にそういっても無駄であろう。というのも、『Q&A』において、「日本にふさわしい憲法改正草案とするため、まず、翻訳口調の言い回しや天賦人権説に基づく規定振りを全面的に見直しました」とあるからだ。「天賦人権説」は「日本にふさわしくない」というわけだ。

 だがしかし、国連の人権規約を含め、諸国家の人権規定は、天賦人権説に立っている。国際連盟脱退80年、ついに日本は再び国際社会から出て行くのだろうか。その決意は、現行憲法第97条を削除したことにもあらわれている。自民党は97条を不要と判断したのである。97条とは、

第九十七条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

まさしく、現行憲法に規定されている人権群は、国境を超えた人類の「多年にわたる自由獲得の努力の成果」なのだが、自民党はそれを認めたくないのであろう。日本には日本らしい人権があるようなのだ。

 さて現行憲法12条は、こうなっている。

第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 これを次のように変えるというのだ。

第12条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。

 こうした変更をみると、自民党の方々は、人権保障について快く思ってはいないのではないかと思えてくる。

 だいたいにして、自由や権利に責任が伴うことは理解できるが、義務は当該権利に対応する他者に属するはずだ。たとえば生存権が国民に保障されているのなら、生存権を保障する義務は国家が負うのである。国民に権利があって、義務は国家にあるのだ。義務と権利が同居することはない。

 そして「公共の福祉」にかえて、「公益及び公の秩序」を人権の制約原理としようというのである。「公共の福祉」という語もそれ自体抽象的ではあるが、これについては長年の憲法解釈・学説の蓄積がある。「公益及び公の秩序」ということばで、どういう制約をしようというのか。おそらく「公共の福祉」よりも、人権を広範囲に制約しようという魂胆なのだろう。


 

 
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