浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

韓国から

2014-01-31 21:07:43 | 日記
 韓国・ソウルに生む知人から、高麗博物館・東京で、以下のような展示会がある、という連絡をいただいた。 

http://www.40net.jp/~kourai/11%20kikakutenn/14.01%20sigaten.pdf

 今ネットをみると。たとえば浜松でノロウィルスの食中毒が小学校などで起きたが、その原因は韓国から来たウィルスだとか、書き込みをしている本人はいったいまじめに考えてこういうことを書いているのかとその人格を疑ってしまうが、古代から日本は朝鮮半島に住む人々と密接な関係を築いていた。

 日本の文化のほとんどは、古代、朝鮮半島から伝来したものであるし、またたくさんの渡来人が日本列島にきて住み着いた。ボクたちの先祖をたどっていけば、必ずや朝鮮系の人につながっていくことだろう。

 今、国家間の外交が麻痺している。こういうときこそ、民間人が民間外交で隣人としての「絆」をつくりだしていきたいと思う。

 ボクも、この展示会に足を運ぼうと思う。

http://www.40net.jp/~kourai/
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『朝日新聞』から『東京新聞』へ

2014-01-31 20:58:49 | メディア
 関東地方に住む知人たちは、以前は『朝日新聞』を購読していた。しかし今、『朝日新聞』を購読しているのは皆無だ。

 その理由は何か。それをもと『朝日新聞』の柴田鉄治氏が明らかにしている。

http://www.magazine9.jp/article/shibata/10450/
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読んでしまう・・・

2014-01-30 21:52:28 | 日記
 今日は雨。クリエイティヴではない仕事がひとつあり、それをやっと仕上げた後、井上ひさしの台本を読み始めた。昨日は「泣き虫なまいき石川啄木」だけだったが、今日は「きらめく星座」、「キネマの天地」。
 
 前者は、1940年、戦時下の東京浅草が舞台。戦時下の日本のあり方を、きっちりと撃つ。しかし、ハッピーエンドではない。なぜなら、まだまだ戦争は終わらないからだ。登場人物は、長崎へ、「満州」へと別れ別れに散っていく。

 「キネマの天地」は、1935年。しかし、社会状況には触れずに、ある種の推理仕立てのストーリー。そのストーリー、ありきたりのものではなく、これが犯人ではないかと思うと、次から次へとどんでん返し。さすが井上ひさし。これを書いている頃も、井上ひさしは家庭内のもめ事で苦しんでいたそうな。そういうときには、社会問題は書けないのか。

 井上ひさしの台本は、面白い。

 町田の住人推薦の本、井上章一『伊勢神宮』(講談社)到着(アマゾンで古本を購入)。読み始めたが、なかなか饒舌な文体。

 
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「にぎやかな過疎」

2014-01-30 10:27:51 | 日記
 NNNドキュメンタリー「にぎやかな過疎」の録画をみた。過疎の町・石川県羽咋市菅池地区は外部から移住者の受け入れをすすめることにした。その結果、大阪から一人の若者が来た。有機農業をしたいというのだ。

 それから7年間、テレビ金沢は、この青年とムラの住人たちを追い続けた。長い取材であった。7年間、しかしその青年は十分な収入を得ていない。それでも、住人たちの支えと若者の真剣な努力で、日々は過ぎている。若者の収入も少しずつ増えてはいるが・・・・・

 折しも、東京では知事選が行われている。東京には、地方から次々と若者が集まる。東京には何でもあるから・・・。東京のほうが生きていけるから・・。東京しか就職先がないから・・・。いろいろな理由で若者は東京に集まっていく。

 東京は人口が多いから、もちろん高齢者も多い。しかし若者がたくさんいるから、それは目に付かない。しかし地方都市や過疎地域にいくと、日本は高齢者だらけであることがわかる。若者を育てた地方には高齢者が残され、働く人、若者が少ないから、税収入も減っていく。地方の自治体は高齢者を抱え、今までのやりかたでは立ちゆかなくなっている。

 若者は東京で働き、都民税を納める。東京は豊かな税収入で栄えていく。地方は疲弊していく。

 地方では、高齢者が農業をおこない、ただでさえ低くなっている食糧自給率を下から支え続けている。しかしこの高齢者が農業から離れたとき、いったい日本はどうなるのか。

 過疎は進み、農地は荒れ果て、食料は輸入に頼るしかなくなる。未来は透けて見えている。しかし、政府は抜本的な対策をたてるわけではない。なるようになれ、といっているようなのだ。

 この大阪から移住者した若者のように、個人的な努力に依存しようとしている。

 ボクも農作物をつくっているが、スーパーなどであまりにも安い農産物をみると、がっくりすることがある。農薬を使わず、たい肥や鶏糞などの肥料をつかう(これも購入する)、そういう農作物を育てるためには、毎日畑に行って虫を捕ったり面倒をみていかなければならない。農作物には、それを育てた人の、最低賃金以下の労賃が投入されているのである。

 農業をしている人たちが、安心して農業で生きていくことができるように、公的な支えがもっともっとあって良いと思う。

 ボクが農作物をつくっている隣の畑では、本格的に有機農業をしている夫婦がいる。脱サラではないかと思うのだが、ほんとうに必死にやっている。肥料も化学肥料をつかわず、どこからか落ち葉をもってきて、畑に敷き詰めている。しかし、まだまだ思うような収入が得られていないようだ。

 片手間で農業をしているのではない人々に、もっと温かい支えを、と思う。

 東京などの都会を支えているのは、地方なのだ。

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NHKというメディア

2014-01-30 08:29:28 | メディア
 NHK会長が、NHKは政府の政策と矛盾するようなことはしない、というような発言をして、批判されたのはほんのちょっと前。その批判を意に介することなく、NHKは突き進む。新しい会長の意向を汲もうと、その方向に舵取りをはじめた。

 それ以前から、多くの人が、NHKの7時と9時のニュースはひどいというが、それ以上のことが起こった。もうNHKは、この一点でもって言論機関としての役割は終わったといってもよいだろう。「公共放送」から「公共」がばっさりと落ちてしまった。視聴者は受信料を「納めて」、政府の宣伝活動をさせてあげているようなものだ。

 さてその事件。『東京新聞』が報じている。

NHK、脱原発論に難色 「都知事選中はやめて」
2014年1月30日 07時00分

 NHKラジオ第一放送で三十日朝に放送する番組で、中北徹東洋大教授(62)が「経済学の視点からリスクをゼロにできるのは原発を止めること」などとコメントする予定だったことにNHK側が難色を示し、中北教授が出演を拒否したことが二十九日、分かった。NHK側は中北教授に「東京都知事選の最中は、原発問題はやめてほしい」と求めたという。

 この番組は平日午前五時から八時までの「ラジオあさいちばん」で、中北教授は「ビジネス展望」のコーナーでコメントする予定だった。

 中北教授の予定原稿はNHK側に二十九日午後に提出。原稿では「安全確保の対策や保険の費用など、原発再稼働コストの世界的上昇や損害が巨額になること、事前に積み上げるべき廃炉費用が、電力会社の貸借対照表に計上されていないこと」を指摘。「廃炉費用が将来の国民が負担する、見えない大きな費用になる可能性がある」として、「即時脱原発か穏やかに原発依存を減らしていくのか」との費用の選択になると総括している。

 中北教授によると、NHKの担当ディレクターは「絶対にやめてほしい」と言い、中北教授は「趣旨を変えることはできない」などと拒否したという。

 中北教授は外務省を経て研究者となり、第一次安倍政権で「アジア・ゲートウェイ戦略会議」の座長代理を務めた。NHKでは「ビジネス展望」だけでなく、二〇一二年三月二十一日の「視点・論点」(総合テレビ)で「電力料金 引き上げの前に改革を」と論じたこともある。

 中北教授は「特定の立場に立っていない内容だ。NHKの対応が誠実でなく、問題意識が感じられない」として、約二十年間出演してきた「ビジネス展望」をこの日から降板することを明らかにした。

◆詳細は答え控える

<NHK広報局の話> 中北さんに番組に出演していただけなかったのは事実です。詳細は番組制作の過程に関わることなのでお答えを控えます。

【解説】公平公正 裏切る行為

 中北徹東洋大教授のNHK降板問題で、中北教授はNHK側に「都知事選期間中は原発の話はやめてほしい」と迫られたという。再稼働を進める安倍晋三政権の意向をくんで放送内容を変えようとした可能性は否定できない。

 選挙期間中であっても、報道の自由は保障されている。中北教授は予定原稿で「現状では原発稼働がゼロでもアベノミクスが成果を上げている。原発ゼロでも経済成長が実現できることを実証した」「経済学の観点から、巨大事故が起きた際の損害額のリスクをゼロにできるのは、原発を止めることだ」と指摘した。

 NHK側が問題視した中北教授の原稿は、都知事選で特定の候補者を支援する内容でもないし、特定の立場を擁護してもいない。

 NHKの籾井(もみい)勝人新会長は就任会見で「国際放送で日本政府の意向を伝える」としている。原発再稼働を強く打ち出している安倍政権の意向を忖度(そんたく)し、中北教授のコメントは不適切だと判断したとも推測できる。

 原発政策の是非にかかわらず受信料を払って、政府広報ではない公平公正な報道や番組を期待している国民・視聴者の信頼を裏切る行為と言えるのではないか。 (中村信也)

(東京新聞)

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本当に差別をなくすために

2014-01-29 22:40:16 | 日記
 静岡県出身の方が、ドイツで、差別をなくすために、もっとも効果的なことを試みている。こういう社会的実験は素晴らしい。

 『東京新聞』の記事。
  
 
私を殴った人へ 一緒に働きませんか 邦人男性が広告「人種差別変えたい」

2014年1月29日 夕刊

 【ベルリン=宮本隆彦】私を殴った人へ、私と一緒に働きませんか-。ベルリンの街角で見知らぬ男から人種偏見の暴力を受けた日本人男性が、一風変わった広告を現場近くの地下鉄駅に出した。「憎しみに憎しみを返しても仕方ない。何か建設的なことをしたかった」。憎しみを捨て、人種の偏見を乗り越えたい。

 男性は、十四年前からこの町で暮らすソフト開発者の山内斉(ひとし)さん(43)。静岡県富士市で小中高校時代を過ごし、東北大に進学。二〇〇〇年に渡独し、現在は独企業で働いている。

 昨年九月の深夜、職場近くのバス停で三十~四十歳の白人の男にからまれ、右目を殴られた。男はドイツ語や英語で「中国人か日本人か韓国人か知らないが、おまえらが大嫌いだ」などと叫んでいた。眼鏡は割れ、目の周りが腫れたが、視力に異常はなかった。

 日独の友人は「運が悪かった」と慰めてくれた。でも山内さんには「男が再び誰かに暴行するのを止めたい」との思いが強く残った。男の憎しみをなくすには「一緒に働くのが一番良い」とも考えた。

 頭に浮かんだのは自身が携わる子ども向けの算数教材の翻訳ボランティア。米国の英語教材をドイツ語に訳す仕事なら、襲撃時に両方の言葉を口にした男に手伝ってもらえると考えた。

 広告はベルリンの繁華街クーダムの地下鉄駅ホームの床に二カ月間掲示された。「親愛なる襲撃者へ あなたの憎しみを止めるため、子ども用教材の翻訳の仕事を提供します」。そんな内容のドイツ語と連絡先を載せ、右目に眼帯をした事件直後の自分の写真も添えた。

 もし男が名乗り出て、翻訳を手伝ってくれるなら報酬も払うつもりだ。

 これまでに翻訳ボランティアの希望者が二人現れたが、男本人からの連絡はまだない。それでも「彼は広告を見たんじゃないかな」と連絡を待ち続けている。「自分の力で暴力や人種差別をなくせるとは思わないが、一人の気持ちなら変えられるかもしれない」
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石川啄木

2014-01-29 17:26:53 | 読書
 先日あのNHKで放映された「足尾から来た女」をみた。すべてフィクションであるそうだが、そこに石川啄木がでていた。

 暇になったら読もうということで、ボクは『石川啄木全集』(筑摩書房)を買ってある。まだ読んでいないので、そのきっかけをつくろうと、井上ひさしの戯曲「泣き虫なまいき石川啄木」(『井上ひさし全芝居』その四 所収)を読んだ。

 しかし井上作品にみられる時代(現代)との格闘が見られない。なぜだろうと思って解説を読むと、この作品を書いている頃、井上ひさし氏には家庭的な重大問題が生じていたとのこと。その重大問題の内容が、作品の内容に投影されていた。

 時代との格闘に挑戦する精神的ゆとりがなかったのだろう。

 しかしこの作品を読み、啄木の日記を読もうという気持ちになった。明日書庫に行って持ってこよう。なお『井上ひさし全芝居』その四は、図書館から借りたもの。なかに「きらめく星座」なども収載されているので、暇を見つけて読み進めるつもりだ。
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国粋主義?

2014-01-29 17:16:24 | 政治
  デジタル大辞泉では、「国粋主義」を「自国の歴史・政治・文化などが他国よりもすぐれているとして、それを守り発展させようとする主張・立場。」と説明している。

 『東京新聞』の下記の記事を読んでいたら、、現代日本の為政者は「国粋主義」かしら、と思ってしまった。その記事。
 
35カ所もの「世界」連発

2014年1月29日

 久しぶりに舌鋒(ぜっぽう)鋭いご高説を賜りたく同志社大の浜矩子(のりこ)教授の都内の講演に出かけた。

 「経済活動とは人間による人間のための営みだ。人間への配慮がかけらもないアベノミクスは経済政策に値しないのである」「安倍政権の本質は『富国強兵』だ。秘密保護法から憲法改正という『強兵』を支えるための『富国』策がアベノミクスだ」「強い日本を取り戻す、とか、ボクちゃんが世界一という思想は他国に脅威を与え、グローバル化の中で孤立するだけだ」…“浜節”がさく裂した。

 なるほど安倍晋三首相の二十四日の施政方針演説を読むと、出るわ出るわ。「世界最先端の…」「世界に冠たる…」「世界最高の…」と三十三ページの原稿中に「世界」が三十五カ所、その半分が世界一を目指す意味である。

 グローバル経済は一見すると弱肉強食のようだが、実は違う。国境を越えて部品の供給や水平分業といった相互依存で成り立つ「共生社会」である。そこに覇権主義的な思想は異端だ。経済成長さえすれば、すべてが解決するような単純な発想が怖い。働く人を犠牲にして、一体何を取り戻そうというのか。

 昨年の株高は外国人投資家の過去最高の買い越しが演出した。株バブル政策を見抜き、「ひと儲(もう)けさせてもらう」狙いが明らかだ。首相は「バイ・マイ・アベノミクス(買いですよ)」と必死だが、市場の「バイバイ・アベノミクス」の宣告も遠くない? (久原穏)


 ボクも、切り抜いておいた安倍首相の「施政方針演説」を読んでみた。ずいぶん威勢のいい内容だと思った。確かに、「世界一」志向が強いと思った。同時に「やれば、できる」という文言も各所で見た。安倍首相、「やる気」でいる、と思った。国会に於ける安定多数を背景に、批判をものともせずにやっていくぞという決意を感じた。

 日本の戦後史の中でも、たいへんな歴史的転換点だと思う。「やろうとしても、できなかった」という感想を残して、安倍首相には退陣していただけるようにしていきたいと思う。

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貧困

2014-01-28 22:52:03 | 日記
 ボクが『子どもの貧困 Ⅱ』(岩波新書)を購入したと書いたら、貧困問題に関する本についての照会があった。もちろんこの著者・阿部彩がかつて出した『子どもの貧困』(岩波新書)は、良い本であった。このブログでも紹介した記憶がある。

 「子どもの貧困」を考える際、子どもの貧困を取り巻く状況というのを考えるべきだと思う。

 子どもの貧困は、その子どもの親の貧困、つまり大人の貧困があるということ、ではその大人はなぜ貧困に陥ったのかを考えると、そこに貧困の連鎖があることに気づく。つまり社会全体の問題としての貧困問題が現れてくる。

 ただ日本の社会では、貧困は表に出てくることはなかった。高度経済成長により、しばらく社会の表面から貧困問題は見えなくなっていた。もちろんなかったわけではないが、社会問題となるような「量」はなかったといってよいだろう。

 では、今なぜかくも「貧困」がクローズアップされるのかというと、貧困に苦しむ人々の「量」が増え、それに伴い日本社会の「質」も変わってきたからだ。いや「量」の増加と「質」の変化とは、同時的であったように思う。

 その背景にあるのは、新自由主義にもとづく経済政策の展開である。ボクは決してこの人の名、ミルトン・フリードマンを忘れるなと言い続けたが、「現在の貧困」をつくりだした新自由主義とはいかなるものかを知るためには、デヴィッド・ハーヴェイの『新自由主義』(作品社)をまず読むべきだ。そしてポール・クルーグマンの『格差はつくられた』(早川書房)など。

 貧困の現状を知ることは必要だが、その貧困をつくりだしたものがなんであるのかを知っていないと、どうしたらよいのかはわからない。しかしそれでも、『子どもの貧困 Ⅱ』は、副題に「解決策を考える」とあるが、具体的な処方箋をつくることは、簡単にはできない。

 ボクたちは政治権力を掌握しているわけではないし、たとえ掌握していても、簡単に解決できるとは思わない。

 なぜか。そこにそれぞれの生き方があるからだ。

 食料品を買うストアに行く途中に、パチンコ店がある。そこの駐車場は、いつもいっぱいだ。ボクはそれを文化的貧困だと思うが(ボクは宝くじ以外の賭け事はしない)、そういうところにカネを費消する人がたくさんいるようなのだ。それぞれがもつカネをどう使うかは、個人の自由である。それによって貧困に陥るのも、自由ではある。

 某弁護士から、「パチンコ売春」ということばを聞いたことがある。パチンコでカネを使い果たした女性が、パチンコで遊ぶカネを得るために売春するというのだ。パチンコによる貧困、という問題もあるのだ。

 社会を改良していくことは、とてもとてもエネルギーがいる。学び、考え、行動し・・・・それでも、社会は少ししか変わらないだろう。だが、その少しの改良を求めて、人間は努力してきたのだ。時に、その積み上げてきた努力を一瞬のうちに消しさることがあったとしても。

 「貧困」問題を考えるということは、社会構造や社会のあり方、経済政策、法律や制度、人間の生き方などを総合的に考えていくことなのだ。それはまさに、自分自身の生き方を考えることでもある。

 自分自身の生を、社会の貧困を減じることに役立つようにしたい、そういう人が増えていけば、社会は変わっていくと思う。

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【本】井上智勝『吉田神道の四百年』(講談社)

2014-01-28 13:31:32 | 読書
 いろいろなことを学ばせてもらった。学ばせてもらったこと。

 吉田神道(唯一神道)とはどのような神道であるのか。
 神社への位階付与はどのようになされるのか。
 吉田神道が地域の神職とどのように結びついていたのか。
 吉田神道がどのように勢力を広げていったのか。
 吉田神道に対する勢力はどのようなものがあったか。
 一村一社などの神社統合は、近世でも行われていた。

 これらのことが、京都弁や名古屋弁をとりまぜた引用で、たいへんわかりやすく書かれていた。

 幕末期、遠州地方では吉田神道との連携により、神職のヨコのつながりができていったが、その吉田神道がどのように地域と結びついていたのかがよくわからなかったが、この本でなるほど、と思った。ただし、この遠州地域の神職と吉田神道とが具体的にどういう関係をもっていたかはまだ調べてみないとわからない。理解の入口に立ったということだ。

 一般的に、寺院の研究はあんがいあるのだが、神社についての研究はあまりないので、とても参考になった。

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The New York times におけるNHK会長

2014-01-28 11:13:32 | メディア
 以下にニューヨ-クタイムズが、NHK会長の発言をどのよう伝えたか、全文を載せさせていただく。こういうかたちで、世界にながされているということを、井の中の蛙の日本人は知るべきだ。


Japan Official Under Fire for Saying Public Broadcaster Won’t Criticize Government
By MARTIN FACKLERJAN. 27, 2014

TOKYO — The head of Japan’s influential public broadcaster drew sharp criticism(鋭い批判を浴びた) on Sunday for saying that the broadcaster would refrain from criticizing(批評を避ける)
the right-leaning government(右寄りの政権) on such delicate issues as visits to a
controversial(意見の分かれる) shrine honoring war dead. He also said his nation should not be singled out(特別に扱われる) for forcing women into sexual servitude(性的隷属) during World War II.

The newly appointed chairman of the public broadcaster, NHK, Katsuto Momii, made the comments
during his inaugural news conference(就任の記者会見) on Saturday.

Other members of the news media in Japan quickly complained that NHK, widely
seen as the nation’s most influential news broadcaster, appeared to be under political pressure
to adhere to(忠実に守る) the government’s nationalist line on wartime and other issues.


Mr. Momii, a former corporate executive, was selected chairman last month by a 12-member board of governors, four of whom were named last year by the government of Prime Minister Shinzo Abe.

While the publicly funded NHK is nominally independent from the government,members of its
governing board are named by the government and approved by Parliament.

Many liberals fear that Mr. Abe will try to drive Japan to the right as he
tried to do during his first term as prime minister. His government has begun to slowly make
some moves in that direction, including a proposal that textbooks be rejected if they do not
teach patriotism in a way officials deem(判断する) proper. Mr. Abe also recently visited a Tokyo shrine that pays homage(敬意) to the country’s war dead, including war criminals — angering the Chinese and South Koreans who say such visits signal a lack of repentance for Japan’s wartime atrocities.


Mr. Momii also drew criticism from the South Korean news media for his comments about the women
forced to work in wartime brothels(売春施設); many of the women were Korean. Many South Koreans say these so-called comfort women should be compensated as victims of imperial Japan’s
brutal early 20th-century colonization of the Korean Peninsula.

Some members of the Abe government say that the women were no more than common prostitutes, a
view disputed by many historians.

On Saturday, Mr. Momii said that “all nations” ran military brothels during the war, and
questioned South Korean demands that Japan compensate surviving comfort women, most of them now
in their 80s and 90s.

“It is puzzling for Koreans to say that Japan was the only nation that forcibly took them,”
Mr. Momii said. “Give us money, compensate us, they say. But this was all resolved by the
Japan-Korea peace treaty. Why are they reviving this issue? Isn’t it strange?”

Mr. Momii was referring to the 1965 treaty that normalized relations between the two nations,
when the Japanese government says it resolved all issues of compensation related to the war.
Many South Koreans say the comfort women were not covered by the treaty because their existence
was not known until more recently.


Mr. Momii also said that it was ”only natural” for NHK to follow the Japanese government
position in international broadcasts on issues such as maritime territorial disputes with China
over islands in the East China Sea that both countries claim.


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NHK

2014-01-27 22:31:30 | メディア
 安倍政権が送り込んだNHKの会長。『朝日新聞』が記者会見の全文を載せているが、「公共放送」といわれるNHKのトップとしては、不用意な発言に終始し、人格識見ともトップとしてはまったくふさわしくないということがよくわかった。

 この発言に対し、菅官房長官は「問題ない」といい、橋下大阪市長も「正論」だと言明している。国際感覚も、NHKがメディア機関であるという認識も持ち合わせていない人々が、トップにいるという恥ずかしさ。

 これに対する意見がすでに社説などに記されている。

 『琉球新報』社説。

 NHK会長発言 公共放送担う適格性疑う

   2014年1月27日

 公共放送のトップとしての適格性を疑わせる不用意な発言が相次いだ。政治的公平性や独立性の観点から看過できない。

 NHKの籾井(もみい)勝人会長は就任会見で「尖閣や竹島という領土問題は、明確に日本の立場を主張するのは当然のことだ」、特定秘密保護法について「通ったので言ってもしょうがないんじゃないか」と持論を展開した。

 従軍慰安婦問題でも「どこの国にもあった。今のモラルでは悪い」と述べた上で、個人的見解として「韓国が、日本だけが強制連行したと言っているから話がややこしい」と韓国を批判した。

 一連の発言は、タカ派色を鮮明にする安倍政権の主義主張の代弁と見まがうほどだ。時の政権に無批判に同調するかのような言動は報道機関トップの在り方として疑問だ。歴史認識については中国や韓国はじめ国際社会の反発を招いて外交問題にも発展しかねない。

 確認したいが、NHKは政府が運営する「国営放送」ではなく、政府から独立した「公共放送」だ。NHKの設置は放送法に基づくが、国営放送に堕することがないよう、政府からの独立性を保つための諸規定がある。基本的に税金でなく視聴者からの受信料で運営されるのも、報道機関として最も重要な独立性を保つためだ。

 籾井氏は「政府が右と言っているものを、われわれが左と言うわけにはいかない」と述べ、外国人向け国際放送で領土問題を取り上げる考えを示した。昨年10月の自民党の領土に関する特命委員会では「NHKの国際放送を活用すべきだ」との議論があったが、その思惑に呼応するものだ。

 秘密保護法については、日本新聞協会や日本民間放送連盟など報道機関だけでなく多くの団体が、国民の「知る権利」の侵害を懸念し抗議声明などを発表している。「政府が必要だという説明だから様子を見るしかない」との籾井氏の発言は報道機関トップとしての見識を著しく欠き公共放送の信頼をも傷付ける。

 当初から籾井氏の会長就任は「首相官邸の意向」とささやかれたが、就任会見で政権に近い人物であることははっきりした。

 ジャーナリズムの役割には権力の監視もあるが、籾井氏にその任務を全うする見識と覚悟があるのか甚だ疑問だ。中立性や独立性が求められる公共放送トップの職責の重さを自覚すべきだ。


 『信濃毎日新聞』社説。

NHK新会長 公共放送の行方が心配

01月27日(月)

 NHKはこれから大丈夫か、と感じた人が多いのではないか。

 新会長の籾井勝人氏が記者会見した。内容はNHKの先行きを心配させるものだった。

 尖閣や竹島の領土問題について「明確に日本の立場を主張するのは当然のことだ」と述べた。

 日本の立場を内外に伝えるのはいいとしても、政府の言い分を一方的に報じるだけではメディアの役目は果たせない。対立をあおり解決を難しくするだけだ。

 中国や韓国の主張も過不足なく日本国民に伝えてこそ打開の環境は整う。NHKが政府の宣伝機関になってはいけない。

 「通った(法律が成立した)ので、言ってもしょうがないんじゃないか」。これは特定秘密保護法についての発言だ。

 法律は成立し公布されたが、施行はこれからだ。橋本龍太郎内閣のときの財政構造改革法など、公布された法律が施行されないで廃止された例はある。野党は秘密法廃止法案を今の国会に出すことにしている。国会の外では反対運動が続いている。

 この状態での「しょうがない」発言は政府方針の追認になる。中立、公正と言えない。

 世界に波紋を広げそうな発言もあった。従軍慰安婦についてドイツとフランスの国名を挙げながら「どこの国にもあった」と述べている。関連してオランダの売春街にも触れた。

 従軍慰安婦はいま、米国への韓国少女像の設置などをめぐり国際問題になっている。発言は火に油を注ぐようなものだ。

 籾井会長は「日韓基本条約で全部解決している」とも述べている。この発言も不適切だ。日本の謝罪と補償を求める人が今もいることを無視している。

 NHKは受信料で支えられる公共放送だ。国営放送とは違う。国民、視聴者に奉仕するのが第一の役割だ。憲法が放送などメディアに「報道の自由」を認めているのも、国民の「表現の自由」を保障するためである。

 公共放送であっても、いや公共放送だからこそ、NHKは政府から一線を画し報道機関として筋を通すべきなのだ。

 会長の選任プロセスにあらためて目が向く。会長を選ぶ権限は経営委員会がもつ。政府は昨秋、委員のうち4人を安倍晋三首相に近い人物に差し替えた。そうやって決まったのが籾井会長である。

 NHKが政府べったりにならないか心配だ。今後の番組作りには厳しい目を注がねばなるまい。


 水島宏明氏の発言。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20140126-00031988/
 
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今日

2014-01-27 19:12:55 | 日記
 今日は、街に行った。久しぶりだ。時々書店を歩いて、どんな本が売られているか、買いたいと思っている本の内容は、買うに値するかなどを点検するためだ。ほぼ月一回足を運ぶ。

 本の多くは今、通販で購入している。アマゾンではなく、honto(もとbk1)を利用している。以前はもちろん書店で購入していたが、その書店が閉業してしまったからだ。書店はほんとうに少なくなった。

 さていろいろな本を見て歩く。『現代思想』をみた。これは特集によって購入する。以前は毎号購読していた。2月号の特集は「キルケゴール」であった。これは読まないな。そのほかもみたが、買う本をチェックして、いずれ通販で注文する予定。

 今日店頭で購入したのは、3冊。井上智勝『吉田神道の400年』(講談社)、岩波新書の『子どもの貧困Ⅱ』(阿部彩)、『比較のなかの改憲論』(辻村みよ子)である。

 まず井上の本を読みはじめたが、これがなかなか面白い。以前遠州報国隊についてしらべたとき、神主たちと吉田神道との関連がよくわからなかった。これを読んで、なるほどと思った。まだ全部読んではいないが、大変わかりやすい筆致で書かれている本である。

 夕方畑に行った。少し暖かい日があったからか、野菜の生長がよい。大きくなったダイコンを一本抜いてきた。今食べられるようになっているのは、小松菜とほうれん草、にんじん。ただにんじんは大きくはない。


 そういえば、『中日新聞』から、リニア新幹線についてのアンケートがあった。その結果が一昨日載せられていたが、リニア新幹線はそもそも必要ないと応えた人が20%強だった。ボクは勿論必要ないと応えたが、その数が20%強だけだったので、がっかりした。

 建設してもずっと赤字のようだ。JR東海は、東海道新幹線で儲けているカネをそこに投入するのだろう。自然を破壊してまで建設すべき事業なのか大いに疑問だ。あの地域は中央構造線が通っているところ。果たして完成するかどうか、もし大きな地震が起きたらどうなるのか。

 ボクはそんなカネがあるなら、新幹線の運賃を安くすべきと書いたら、それが載っていた。寄せられた意見のなかで、ユニークなものと担当記者に判断されたということなのだろう。いずれにしても、リニアは不要だ。

 狭い日本、そんなに急いでどこへ行く。
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「適正水準の専門知識を通じて濾過する」

2014-01-26 21:17:12 | 読書
 東京大学の憲法学者、長谷部恭男について、先日言及した。

 彼は、朝日新聞が発行している『Journalism』2014年1月号に寄稿している。「憲法96条と集団的自衛権 軽はずみな考えで変えてはならない」という、長い題の文である。内容は、日本国憲法を簡単に変えてはならない、という題通りのもので、その立論は明確であり、その論理も概ね首肯できるものだ。

 「現時点での有権者団の判断は、永続する団体としての国民の利益に関する正しい結論と一致するとは限らない」という指摘は、その通りであって、だからこそ簡単に変えられないような仕組みを憲法は持っているのである。

 また、集団的自衛権についても、その「否定は、日本にとって賢明な外交上の保険として機能してきた」と正当な評価を下す。

 これらの論点については、別段問題にする気はしない。

 だが最後に、秘密保護法に関してメディアに難癖をつけているのだ。『朝日新聞』をはじめとしていくつかのメディアが反対の姿勢を維持していたことを批判しているのである。

 その結論部分が、「適正水準の専門知識を通じて濾過する」であって、つまり秘密保護法を批判するなら、「適正水準の専門知識を通じて濾過して」報道せよ、というのである。

 その具体的な反論部分がこれだ。

 特定秘密として何が指定されているのかがわからない、という前提で批判を進めておきながら、たまたま秘密に触れた一般市民が重罰を科される危険がなぜあるのか、(特定秘密であることをそもそも知らないはずなのに、故意の立証が可能なのか)、最高裁の判例の趣旨を敷衍しただけの文言である「著しく不当な[取材]方法に関して、それが曖昧だという批判がどれほどの意味を持つのか、(それとも、正当な取材方法が何かを法律の条文でいちいち規定してもらわないといけないほど、ジャーナリストは子どもなのか、同様の制度を備えたアメリカ合衆国で、例えば9・11テロについて、どこで誰がどのような情報を得てテロを阻止しようとしていたかを克明に記したノンフィクションが多数出版されていることを、どう説明するのか、(日本のジャーナリストにそれほどの実力はないということか)と首を傾げざるを得ない批判論が、毎日繰り返されていた。

 ボクは、長谷部のこの反論を読んでいて、まずおめでたい人だなあと思った。大日本帝国憲法下、治安維持法を含めて治安立法がたくさんあったが、その運用は法律の条文通りになされていたと思っているのだろうか。そこに拡大解釈はなかったか、法律に基づかない弾圧や抑圧はなされなかったか、そういう事例は無数にある。たとえば政治学者・丸山真男は逮捕されて豚箱に囚われの身となったが、それは適正であったのか。
 長谷部には、そういう歴史の知識がないようだ。

 「著しく不当な取材方法」であるかどうかをまず判断するのは、警察権力であろう。それが裁判になって無罪となったとしても、取材者は莫大な損失をこうむる、そういう想像力はないのだろうか。

 長谷部の憲法学は、国家に対する無原則な信頼が基盤になっているようだ。19世紀の政治家であり思想家であったアクトンは、「権力は腐敗する、専制的権力は徹底的に腐敗する」という重要な格言を残しているが、長谷部は国家権力を信じて疑わないようだ。

 長谷部には、この同じ号に掲載されている、保阪正康や藤田博司の文、そして昨年12月号の特集「国家・報道・自由」に関わる諸論考を読んで欲しいと思う。

 なお、長谷部は、9・11に関するわけのわからないことを記しているが、9・11は、起きてしまっているのだ。紹介されているノンフィクションは、たった一冊。それも英文の本だ。「俺は読んだぞ」とでも言いたげな紹介の仕方。

 しかしボクは、長谷部にこそ、「適正水準の専門知識を通じて濾過する」ことが必要だと思う。
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学問の意味

2014-01-26 12:26:39 | 読書
 『丸山真男回顧談』上(岩波書店)を読み終えた。この本を読むのは2回目。買ったときに読み、そして今回。

 ボクが何らかの研究をするとき、常に「現在」を見据える。「現在」がいかなる課題を持っているかを考え、そして研究テーマを決める。

 今ボクの頭にある主要なテーマの一つは、「国体論的国学」である。これを撃つこと、である。この「国体論的国学」は、戦時期に大きな力をもった政治思想である。丸山真男が『日本政治思想史研究』(東大出版会)も、これと対決すべく研究したものであった。

 丸山は、こう語る。

 いまみたいな時代に学問するということは非常に難しい。そういう時代だということですね。つまり、対決するものがないわけです。時代がそうなっている。一応なんでも言えます。とくに学問的論文ならなんでも言えるでしょう。学問的立場もいろいろあって、支配的な主張といったようなものはあまりない。要するに、ただ対象を研究するというだけになる。とくに社会科学をやるのに非常に難しい時代になっているのではないですか。

 しかし、今は「対決」すべきものはある、とボクは言おう。おそらく丸山も今生きていたら、同じことを言うだろうと思う。ただし、問題なのは、その「対決」すべきものの正体が不明確とでもいおうか、きちんとした形をもっていないということだ。「政治思想」などと呼べる代物を、「対決」すべき相手はもっていないのだ。

 子どもの頃、親に連れられて、怖い映画を見に行ったことがある。それは「液体」的なものが人間を溶かしていくというものだ。今は、その「液体」的なものが、政治的な動きの背景にあるようだ。その「液体」のなかには、理想とか希望といったものは皆無である。そうではなく、憎悪とか不定型な憤怒とか、いらだち、貧しさ、孤立、不満など、現在の世の中に対する否定的な感情、それがある。そうした感情を抱いている者たちと、現政権を構成している人々との間には共鳴板があるようなのだ。

 理性のトンネルをくぐり抜けることなく奔出する情動、それらは今はネットの世界に一応は閉じ込められてはいるが、その堰を取り除こうとする力が働いている。その力とは、「積極的平和主義」であり、「集団的自衛権」である。その先に何があるのか。

 丸山はこうも語る。

 ファッショというのはどこでもそうで、軍部がそうだけれど、厳格な実定法主義の立場からみたら許しがたい勝手なことをやる。あとで、それを法律で正当化するけれども、その時々においては法を破っているわけです。

 ファッショということばが、どうしても浮かび上がってくる。
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