浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

歴史は記憶され続ける

2024-11-03 21:37:31 | 近現代史

 第二次大戦前、スターリンのソビエト連邦とヒトラーのドイツは、ポーランドを分割してみずからの支配下に置いた。そして

 「1939年9月から41年6月にかけて、ドイツとソ連は合わせて推計20万人ものポーランド人を殺害し、およそ100万人を強制追放した。」(247頁)

 ソ連もドイツも、ポーランド人を殺したが、その殺人行為には正当性はまったくなかった。みずからの支配に都合がよくなるように、「意図的にポーランド社会の上層部を抹殺して従順な大衆だけを残そうとした」のである。

 『ブラッドランド』のブラッドとは、bloodである。血、である。無数の血が流された。その血を流させたのは、ソ連でありドイツであった。『ブラッドランド』を読み進めているのだが、ソ連のスターリンが極悪人であることは当然であるが、その命令を受けて積極的にポーランド人その他を殺しまくった輩がいる。

 官僚制は、今の役所でもそうだが、上からの命令を素直に実行することが役人の仕事となる。役人は、すべきではないことであっても、命令があれば実行する。そうした輩によって、官僚組織は運営されている。

 スターリンが処刑する計画数を呈示する、すると官僚はそれを上回る数の人間を処刑する。そうした事例がたくさん記されている。

 中東欧で起きていた事態の詳細を、わたしは知らなかった。中東欧の諸民族の動きは、虐殺の歴史を背負っていたことを知った。それはまた、今後も背負い続けるだろう。ドイツとソ連による虐殺は、20世紀の出来事だから、虐殺された人びととつながる人びとは、決して忘れていない。

 この本『ブラッドランド』上巻を、まもなく読み終える。

 次々に登場する悲惨な現場に読者は立ち会うことになる。悲惨な現場をへて今がある。中東欧の動きは、過去の悲惨な現場抜きには、理解し得ないことがよくわかった。

 

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アベ政権が壊したこと

2024-11-03 08:46:15 | メディア

 アベ政権が壊したことはあまりに多い。それに抵抗してこなかったメディア。だからテレビ離れがとまらない。TBSも同罪。

「メディアが選挙期間中にもっと報道すれば、投票率も違う」放送時間は20年で半減…選挙報道とテレビの役割を検証【報道特集】

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『ブラッドランド』を読む

2024-11-02 19:57:16 | 

 今日は雨。畑にも行けず、本を読んだり昼寝などをして過ごした。

 本は、図書館から借りてきた『ブラッドランド』上である。その第1章は、スターリン体制下のウクライナ農民の餓死事件である。スターリンの政治により、約330万人が亡くなった。

 1930年代前半の時期、ウクライナから種蒔き用のものまで、ほとんどの食糧を挑発して、その結果、330万人のウクライナ農民が餓死した。

 この事件について知ってはいたが、その詳細は知らなかった。スターリンとその取り巻き、そしてソ連共産党の組織がそれを行った。読んでいて、あまりのことにただ驚くばかりであった。

 ウクライナは、ソ連邦の傘下にあったが、のち、ソ連の崩壊後に独立した。こんなひどいことをされたウクライナの人びとが、ロシアの影響から離脱したいと考えるのは当然だと思った。現在のロシアのトップは、ソ連共産党のメンバーであったプーチンである。

 過ぎ去った歴史は、時に呼び戻される。ウクライナとロシアとの戦争は、ロシア帝国時代からの歴史を引きずっている。とりわけ、スターリン体制下に起きたこの事件は、ウクライナの人びとの心にかならずしまわれているはずである。

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ヨーロッパの暴力性

2024-11-01 21:56:49 | 国際

『中学生から知りたいパレスチナのこと』(ミシマ社)を図書館に返した。同時に、『ブラッドランド』上(筑摩書房)と『暗黒の大陸』(未来社)を借りてきた。いずれも『中学生から知りたいパレスチナのこと』のなかで言及されていた本である。

 今、『ブラッドランド』の「まえがき」を読み、バルト三国、ポーランド、ウクライナ、ポーランドの、黒海からバルト海にかけての地域では、スターリンとヒトラーによって、政治的な殺人が行われ、1400万人が殺されたと書かれている。

 『中学生から知りたいパレスチナのこと』のなかで、なぜ『ブラッドランド』に言及されていたのかというと、その地域からイスラエルに移住してきたユダヤ人が最も多いということで、イスラエルのパレスチナ人に対するジェノサイドの背景にその地域に起きた諸々のことが影響しているのではないかということであった。

 わたしは先に、『ナチズム前夜』(集英社新書)を読みはじめているが、ドイツの帝政が崩壊しワイマール共和国が誕生するそのなかで、ドイツ国内で政治的暴力が頻繁に振るわれていた、ことを知った。

 現在のヨーロッパをみると想像できないが、実はヨーロッパは、暴力が吹き荒れる地帯でもあったのではないかと思う。

 昔図書館で西欧の拷問具の図解本を見たことがあるが、その残酷さは、日本のそれをはるかに凌駕すると思ったことがある。こうまでして人間が他の人間を肉体的に苦しめるということが、なぜできるのか。振り返って見れば、十字軍やヨーロッパでの「魔女狩り」、さらに非ヨーロッパ地域への侵入に際して行われた非白人に対して行われた無数の虐殺。

 ヨーロッパの歴史は、常に、暴力性を帯同しているのではないか。そのヨーロッパ人が移住してつくったアメリカ合州国も、それは同様だろう。

 わたしたちの社会的・歴史的認識には、西欧中心主義的なものが入り込んでいるが、サイードが『オリエンタリズム』で指摘したことを、もう一度考えてみる必要があるだろう。

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郵便事業のサービス低下

2024-11-01 19:23:04 | 社会

 あの小泉純一郎は、まったく日本の社会を悪化させた張本人である。

 郵便事業のサービス悪化は進むばかりである。今週月曜日に郵便局に投函した郵便物が、今日届いた。浜松から所沢までこんなに時間がかかるようになった。また郵送料が大幅に値上げされ、郵便事業の使い勝手は悪化するばかりである。

 派遣労働を自由化し、働く人の正社員を減らし、働く人の賃金低下を決定的にしたのが、小泉純一郎内閣であった。

 小泉純一郎がやった「郵政選挙」にメディアが協力し、その結果選挙民ものせられて、統一教会党=自民党をたくさん当選させた。

 最近、ネット上で郵便事業のサービス劣化を指摘する声が多いが、あの「郵政選挙」で自由民主党に投票した人は、猛省すべきだ。投票活動が、自分たちの生活環境に多大な影響を及ぼすことを知るべきである。

 しかし、郵政事業をもとに戻すことはできないのだろうか。またJRも国有鉄道に戻すことはできないのだろうか。

 新自由主義政策により、あきらかにわたしたちの生活は悪化している。消費税も新自由主義政策の一環である。

 いずれにしても、このように国民生活を悪化させた自民党・公明党政権は許せない。

 

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SUZUKI知事?

2024-10-31 19:33:56 | 政治

 SUZUKI康友静岡県知事が統一教会党=自民党の裏金議員、西村康稔、萩生田光一の応援に行ったことが報道されて、SUZUKI知事が静岡県の連合や国民民主党などから「批判」された。

 わたしから見れば、SUZUKI康友知事は、もと民主党の議員ではあるが、ほんとうは自民党から出馬したかったのではないか。選挙区には自民党の議員がいたから、やむなく民主党ででたのではないかと思う。

 それに彼が浜松市長選の時、統一教会党=自民党の菅義偉が応援に来ていた。さらに、SUZUKI康友は、SUZUKI丸抱えの政治家である。SUZUKIの言うがままの行政をひたすらやっていただけの人である。

 彼が、何をしようと、それらはすべて想定内である。

 彼はあの松下政経塾出身である。そこを出た政治家には、問題ある者が多い。

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袴田事件 だれに責任があるのか

2024-10-31 19:33:56 | 社会

死刑囚の手紙

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【本】中国新聞「決別 金権政治」取材班『ばらまき 選挙と裏金』(集英社文庫)

2024-10-30 20:16:39 | 社会

 フダ(票)をとるために必要なのはタマ(金)だという。フダをたくさんとるためには、タマを用意してばらまかなければならない、というのが、統一教会党=自民党の選挙戦術である。

 だから、自民党は、あらゆるところからカネをとってくる。政党交付金だけではなく、パーティー収入、企業などからの献金。そして官房機密費も投下される。カネ、カネ・・・・

 中国新聞社は、河井克行、案里夫妻による金権選挙を契機にして、政治とカネの問題を粘り強く取材をつづけ、数々のスクープを放った。その経緯が、本書には詳しく書かれている。まさにジャーナリズム精神にあふれた本である。政権中枢から多額のカネが用意され、河井夫妻はそのカネを地方議員にばらまいた。その実態を詳しく調査し、新聞紙面で報じた。

 この中国新聞社の追及が、今回の衆議院議員選挙での自民党議員の落選につながっているかもしれない。それほど力強い取材であった。

 ただ問題は、中国新聞社の追及は、メディアスクラムをつくりだせなかった。中国新聞の取材班は、スクープを放つと同時に、他紙が後追いで書いてくれると思っていたようだが、しかしそれはなかった。高知新聞のように、地方紙でのってきた社はあるけれども、全国紙はのってこなかった。全国紙のジャーナリズム精神はすでに枯渇してるから仕方ないかも知れない。

 もうひとつ、取材班は、「政治は「国民を映す鏡」と言われるように、国の主権者である有権者の姿勢も問われている」とし、「一票を投じよう」と訴えかける。その通りである。

 しかし利権にまみれた政治をかえるためには、もっともっと多くの人が投票に参加することと、タマに対して強くならなければならないと思う。マイナ保険証に関して、2万ポイントを欲しいからと、人びとが役所に殺到する姿をみて、わたしは「こりゃぁ、ダメだ」と失望したが、タマをぶらさげられると権力者の言うことをきいてしまうというあり方はなくしていかなければならない。タマはアメであるが、アメのあとにはムチが出てくることを知るべきだ。

 ともかく、こうしたジャーナリズム精神に満ちた本は、もっと読まれるべきである。

 

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「戦争と画家」という歴史講座

2024-10-30 09:01:51 | 近現代史

 三回にわたる歴史講座「戦争と画家」の三回目のレジメを作成しおわった。

 第一回目は、浜松出身の画家・中村宏が戦争画を描き始めた。自らが戦時下、浜松で幼少期を生きた時に起きた、B29による空襲、米艦載機による銃撃、そして遠州灘沖から行われた艦砲射撃を描いたものだ。若い頃から批判的精神をもった中村は、しかし戦争を描くことはなかった。ではなぜ彼は描き始めたのか。ロシア・ウクライナ戦争、イスラエルによるパレスチナへのジェノサイド、そして沖縄における自衛隊の基地増設など、国家が戦争を準備していることに危機感を持ったのではないかと、わたしは思っている。

 この回では、藤田嗣治、向井潤吉らの「作戦記録画」を紹介し、どのような気持ちでそれらを描いたかを話した。そして通常は彼らがどういう絵を描いていたかを並べ、戦後、そのような絵を描いたことをどう振り返ったかを語った。他方、「作戦記録画」に協力しなかった画家も紹介した。

 第二回目は、召集され、中国で従軍した浜田知明、満洲に行きその後シベリアに抑留された香月泰男、この二人の絵を紹介した。この二人は、軍隊や戦争に対して鋭い批判を持ち、それらを作品に遺している。

 第三日目は、「無言館」に関わる画学生についてである。遺された絵は多くはないが、そこには絵を描きたい、描き続けたい、生きて絵を描きたいという思いがこめられている。しかし彼らは戦死、ないし戦病死した。彼らの短かった人生をふり返り、戦争の非情さを話すことにした。

 戦死した画学生のなかで、山口県出身の久保克彦は、東京美術学校卒業までに、ほぼ自分の絵を完成させた。おそらく、召集されたら死ぬしかないという気持ちから、自分の短い人生の中で、学んだこと、考えたことをすべて絵に込めたのではないかと思う。逸材であったと思う。

 戦没した画学生のなかで、『きけわだつみのこえ』に手記やデッサンが載せられている者が二人いた。一人は静岡県出身の佐藤孝である。書庫から『きけわだつみのこえ』をとりだして、あらためて読み進めた。

 学徒動員、特攻作戦など、批判的知性をもった教養あふれる若者たちを、あえて戦死させようとした作戦であったのではないかと思うようになった。

 講座が終わったら、それぞれについて考えたことを紹介するつもりである。

 

 

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「パレスチナのこと」

2024-10-29 19:42:45 | 

 ミシマ社の『中学生から知りたいパレスチナのこと』は、新たな歴史認識に誘う良書である。以前にも紹介したが、パレスチナ問題を考えるにあたって、この本はもっとも本質的なことを記していると思う。記されていることに、立ち止まって考えるという体験は、本を読んでいてあまりないが、本書は様々な気づきを与えてくれた。

 引用された埴谷雄高のことば。

「敵は制度、味方はすべての人間、そして認識力は味方の中の味方、これが絶えざる死の顔の蔭に隠れて私達ののあいだに、長く見つけられなかった今日の標語である。」(『幻視のなかの政治』未来社)

 敵は、すべての人間のなかに区別をつくりだし、差別して分断していく。その手段として、いろいろな制度を生みだす。国境もその一つだ。また言説も、「敵」がつくりだすものならば、それは制度に他ならない。つくられた制度は、さらに区別する力を強化し、それを差別化し、分断を強めていく。

 イスラエルに移民として入植してきたユダヤ人の多くは、中・東欧からが多いという。その地域は、「流血地帯」(blood land)といわれるそうだ。

 わたしは今、『ナチズム前夜 ワイマル共和国と政治的暴力』(原田昌博、集英社、2024年)を読んでいるが、ワイマル共和国時代、ドイツ国内では、同国民を殺傷する暴力事件が頻繁に起きていたことを知って驚いたが、そのドイツの東側の地域は「流血地帯」と呼ばれ、まさに多くの血が流されていた。他人の血を流すことに何の痛みも感じない、そうしたことに慣れたユダヤ人が、シオニストとなってイスラエルを建国し、担ってきたのである。

 イスラエルの果てしない暴力をみつめるということは、欧米の歴史をひもとくことにならざるを得ない、ということになる。

 ユダヤ教徒であるとしてのみあったユダヤ人、しかしそのユダヤ教徒を「中東に由来するセム人」だとして、ユダヤ教徒を単なる宗教的な存在としてではなく、「人種」として区別し差別するという動きが、近代になって生まれた。シオニストのユダヤ人は、それを利用し、みずからをセム人として措定し、だから私達はパレスチナに祖国を持つ権利があると主張し、イスラエルという国家をつくった。

 人種概念を創造したのは、欧米である。そしてイスラエルは、「入植者植民地主義」国家で、植民地主義も欧米原産であり、さらに「優生思想」もである。まさにナチズムの思想は、西欧由来のものであった。

 それらをイスラエルという国家がまとめ、パレスチナ人を攻撃し殺戮している。

 イスラエルの問題は、欧米近代史のなかから生まれてきた。パレスチナ問題を考えるということは、西欧近代史をさかのぼることになる。

 きわめて知的刺激にあふれた本である。この本は、図書館から借りてきたが、返却して購入するつもりである。

 

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選挙結果

2024-10-29 07:32:55 | 政治

 衆議院議員選挙が終わった。悪政をこれでもか、これでもかと続けてきた統一教会党=自民党、創価学会党=公明党のカルト政党の議席が大幅に減ったことは。大変うれしく思う。統一教会との癒着があれほど糾弾されたにもかかわらず、統一教会ベッタリの輩がまたもや当選したことに、わたしは驚く。

 統一教会は、霊感商法や信者への高額献金を強いて多額のカネを韓国の教団本部に送金してきた。文鮮明、韓鶴子を最高権威者として、信者はかれらにひれ伏すという教義である。統一教会は、岸信介、安倍晋三、萩生田某らをつかい、日本の政治に介入していた。そして「家庭」が大切だとして家庭を壊し、家父長的な教義を強いてきた。

 そしてそのような統一教会とは本来なら対立するはずの日本会議(かれらもある種のカルトである)は、統一教会と手を組み、日本の政治を右へと引っ張ってきた。

 そのような勢力の介入を許さないためには、選挙民が選挙に行くことが大切であるのに、今回の選挙でも、投票に行く者は少なかった。残念なことだ。

 ネットで、れいわ新選組の福岡の候補者である奥田ふみよが、日本の学校では主権者教育がなされていない、政治的教養が育てられていないと演説していたが、その通りである。学校では、あたかも日本政府がアメリカに隷属しているように、子どもたちをその日本政府に隷属するような教育を行っている。教科書検定の実態、道徳教育などをみれば明らかである。また文科省の教員統制政策(教員の序列化など)も、強化されている(だから教員のなり手が減っているのだ)。

 若者たちが投票に行かない。主権者としての意識が育てられていないのである。わたしが投票したところでも、若者はひとりもいなかった。

 さて、選挙民は、カルト政党の議員に投票しなかったということは評価したい。しかし政治はそれでよいわけではない。どのような政策が行われるかである。自民党・公明党政権は、今までと同じような悪政を続けることは困難となることだろう。しかし、だからといって、30年以上にもわたる低迷する国民の経済生活(それは貧困化に代表される)を改善することは難しい。立憲民主党に多くの票が集まったが、わたしはれいわ新選組代表の山本太郎さんがいうように、立憲民主党にはほとんど期待することはない。立憲民主党の幹部は、自由民主党から流れてきた者、自由民主党から立候補しても不思議ではない人士がたくさんいるからだ。外交、防衛政策は自民党・公明党政権と、ほとんど変わらないだろうし・・・・

 小選挙区制が実施される前の選挙は、熱気があった。しかし小選挙区制が導入されてから、選挙は面白くなくなった。小選挙区制の導入は、選挙民の政治への関心を低下させたのではないかと思う。その点で、小沢一郎の罪は重い。

 わたしは、選挙には行くけれども、気分は沈んでいる。政治がよくなるという感触を得られないからである。新聞は選挙結果を大きく報じている。カルト政党の自民党や公明党の議席は減ったが、わたしのこころは沈んだままである。

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「蝉丸と逆髪」(4)

2024-10-27 13:36:47 | 演劇

 ここで記しておこう。精神的疾患をもった天皇はいた。967年に即位した、醍醐天皇の孫、冷泉天皇である。即位の前から精神的疾患があったことは、「皇太子始めて心を悩む。尋常にあらず。」(『日本紀略』)に記されているとおりである。したがって、精神的疾患があると皇位に即けないということはなかった。これに対応して、治癒を求めて様々な祈祷が行われたことは言うまでもない。

 ちなみに、清涼殿で殺人事件を起こした天皇もいた。陽成天皇である。

 三景について書いていくことにしよう。

 荷車を引いた「逆髪」と「蝉丸」が逢う場面である。

 「蝉丸」は、自らが目が見えない原因を、「前世の因縁」に求める。それに対して「逆髪」は、「前世の因縁などない。あるのは現世の事情だけだ」と断言する。そして「連中はお前を捨てたい。そのための理由が欲しい。それが皇室典範。御仏の教え。前世の因縁」と断じる。しかし「蝉丸」は、そうした言葉を理解できない。「逆髪」は「蝉丸」を「木偶の坊」という。「望まれたとおりの言葉をしゃべり、動き、食べ、泣き、眠る」、そういう他者に動かされる者は「木偶の坊」だとする。そして「逆髪」は、理解できない「蝉丸」を置いて去ろうとするのだが、そこに清貫が現れる。

 清貫は、「蝉丸」を都に連れて行こうというのだ。清貫は醍醐天皇を「捨てて」、「蝉丸」を新しい天皇にたてようとしているのである。「謀反」にほかならない。

 「逆髪」は、「さっき捨ててもう拾いに来るのは新しい使い道がみつかった証拠」だと断言する。「蝉丸」と清貫、「逆髪」を交えての会話が続く。「逆髪」の指摘にもかかわらず、「蝉丸」は清貫と都に帰ろうとする。「逆髪」は、都に帰ろうとする「蝉丸」に、都へ行けば父・醍醐と殺しあうことになると告げる。そのような会話をへ、結局「蝉丸」は残ることに決める。清貫は、「なりたくなくてもなるのが天皇家に生まれた者の務め」だと固執するのだが、「蝉丸」「逆髪」ともに、「あんな家に生まれたくなかった」という。

 そして「逆髪」は、「あの家にあるのは我慢我慢我慢。自由はとんでもなく悪いものにされて腹の底に押し込められる。ところがうっぷん払いの好き放題は許されて、自由と不自由が逆さま。楽しいと楽しくないが逆さま。うれしいとうれしくないが逆さま。髪の毛は逆立っていないのに心は逆立って澱み、渦を巻いて出口がない。この逆髪のこころに清い水が流れるのとは大違い、鼻をつままないではいられないドブ水が流れを失って澱んでいる。逆さまのあべこべ。あの家にはこの逢坂山にいくらでもある自由がない。」と語る。

 すでに「逆髪」は、天皇家にない自由を得ている。その自由がもっとも大切なものであることを知っている。しかし「蝉丸」はその入り口にたどりついたところだ。

 天皇家、天皇制にくっついているということは、すなわち自由を持てないということだ。清貫は天皇制にくっつくことにより公卿となった。しかしそこと離れてしまうと、清貫も逢坂山で自由を知ることになる。

 「蝉丸」は問う、「その荷車には何を」と。「逆髪」は「逢坂山を乗せておる」と応える。またさらに「京の都もこの上に」という。逢坂山は自由で「無縁」の地である。逢坂山は京の都の近くにある。「逆髪」は、清貫も滑り落ちて逢坂山、自由な地にやってくることになろうと予想する。

 「蝉丸」は、京の都に還ることを拒み、自由の場に留まる。

 くるみざわは、つまるところ、天皇制とくっついている限り、自由はないのだということ、そのことを、観る者に、声高ではなく、この劇を通して感得してもらいたいと思ったのではないか。わたしは、そう解釈した。

(おわり)

 

 

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「蝉丸と逆髪」(3)

2024-10-27 10:22:09 | 演劇

 台本は、官僚組織の本質を穿つことも目的としているのではないか。官僚(役人)は、上からの理不尽な求めに対して、己を虚しくしてそれに従う。おそらくそれ以外の身の処し方はないのだろう。理不尽な求めに良心の呵責を覚える官僚(役人)は、その職に留まることはできない。なかには、もと文部事務次官の前川喜平氏のように、「面従腹背」で官僚の最高位にまで就くような人もいるが、それは希有なことである。わたしは、「面従腹背」は無理である。

 さて二景に入る。

 清貫は、「蝉丸」を乗せてきた荷車を引く。その荷車を「こんなボロ車」だとして蹴り飛ばし、「蝉丸」の服を茂みに投げ入れる。そこへ「誰だ」という声が。ここに、「蝉丸」の姉である「逆髪」が登場する。これは、原作にはない光景である。

 清貫は隠れる。「逆髪」は、子どもたちの笑い声を聞き、原作に沿った台詞を語る。もちろん原作通りではない。異なる台詞は、のちに掲げる。「逆髪」はこういう。わたしが肝(きも)だと思う部分である。

 「(私が笑っているのは)世の中の逆さまを笑っておるのだ。いや、逆さまなしではやっていけない世の中が、逆さまなしでやっているかのような顔をしているのがおかしくて。」

 「花の種は地下に根を伸ばし、地上に芽を出し花を咲かせて天に向かう。夜の月は天で輝きを放ち、池の水面を潜ってその底に沈む。花も月も地中水中と天をめぐり両方にある。どちらか一つを捨てるわけにはいかん。世の中には正も逆もない。」

 この個所について、台本に次の台詞がかぶさる。その台詞は、

「よく似た境遇だから助け合えばいいのに逆さまに争っているだけ。逆さまでないものはどこにもない。それをそのまま見ればいいものを人はどちらかを逆さまとし、どちらかを逆さまでないと見てしまう。そのまま目に映すことができない。」

「お前達は私を笑い、私もお前達を笑う。ただ笑があるだけでこの逆髪とお前たちはひとつ。区別はいらん。」

 であるが、台本は、支配権力の支配方式、分裂させ対立させて支配するという方式を指摘する。「現代」に対する批判である。

 そして「逆髪」は、「蝉丸」の衣と「蝉丸」を乗せてきた荷車を見出す。そして清貫をも思い出す。清貫によって、「逆髪」も同じような荷車で、「縛り付けられて」連れてこられたのだ。このあとは、「逆髪」と清貫の対話が続く。原本にはない設定である。台本では、この場面に改作の意図をこめているように思える。

 「逆髪」はおのれを捨てた清貫を責める。しかし清貫は、捨てたのは醍醐天皇だと答える。捨てた理由は、御所内で「逆髪」が「とんでもないこと」「思うがまま」を口に出していたことで、「それがいかん」ことであったというのだ。「逆髪」は、御所では自由に喋ることができず、逢坂山では自由に喋ることができる、それがおかしいのだと指摘する。そのような「区別」の存在こそがあるべきではないと。清貫は、「逆髪」を「けだものめ」という。子どもを荷車にくくりつけて捨てるのは「けだもの」だと「逆髪」はいう。そして「人間とけだものはひとつ。区別をつけるのはどちらか一方を隠すため、ふたつがひとつに重なったとき、清貫の」正体があばかれる、と「逆髪」はいう。

 そのあと、天皇の「幻」をめぐる会話がある。もちろん清貫は「幻じゃない」というが、「逆髪」は「天皇などというものは」、「幻」であると思っている。

 天皇は、日本というくに、そこに住む人びとの「幻想」を基盤にしている、とわたしも思う。「幻想」に立脚した天皇という存在、そうであることを知りながら支配層は、天皇を利用する価値があるとみて、「幻想」をあたかも実体があるかのように振る舞い、また弘布宣伝する。支配層の一員たる官僚は、「幻想」によってつくりあげられた天皇を権威の源泉であるかのように位置づけ、その権威を背景にして動く。しかしそうするのは、おのれの地位、名誉、財産が第一の目的であって、心から天皇を尊崇しているのではない。

 そうした官僚としての清貫の本質が、「逆髪」との会話により、逢坂山で暴露されていく。

 そして「逆髪」はこう語る。

「天皇は天皇を愛しておる。ただそれだけ。なのに民は愛されたいから天皇が愛してくれていると思いこむ。天皇はその弱みにつけ込んで天皇家を守るために民を愛しているふりをする。お前もその民の一人。まんまとだまされて。わかるか清貫」

 これも天皇制の一側面だ。ここでも、天皇の存在は「幻想」によって成りたっていることを示唆する。天皇と民との間には、天皇と官僚との間、官僚と民との間に「愛」がないのと同様に、「愛」は実在しないのだ。

 また「物狂いを捨て、目の見えぬ者を捨て、残る天皇家に何の意味がある」と、「逆髪」は清貫に問う。清貫は去って行く。

 そして「逆髪」は「蝉丸」を求めて、荷車を引いていく。

 そこで「逆髪」は、重い言葉を語る。

「私が伝えたいのは、この逢坂山でよかったという思い。衣はいらぬ。何もかも逆さま。そして逆さまでないこの世を求めて人は狂う。」

 「逆さでないこの世」とは、おそらく区別(差別)なき、自由なこの世であろう。そこは、網野善彦が『無縁・公界・楽』で説いたアジールなのだろう。

(この項続く)

 

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「蝉丸と逆髪」(2)

2024-10-26 22:57:39 | 演劇

 能の「蝉丸」を、くるみざわしんが改作して「蝉丸と逆髪」を書いた。わたしの手元にあるのは、活字だけの台本である。声や音が不可欠である演劇空間を体験していないわたしにとって、この劇を論じるのは、冒険であり、また難しいと言わざるをえない。

 それでもあえて、この台本について書いていこうと思う(以下、台本と記す場合は、くるみざわの改作をさす)。

 まず、一景はウソで始まる。藤原清貫(ふじわらのきよつら)は、醍醐天皇の廷臣であり、落雷事件で亡くなるまで昇進を重ねた公卿である。能の「蝉丸」でも、清貫が「蝉丸」を逢坂山に連れて行くのだが、清貫はそこまで悪人として描かれてはいない。そこまで、と記したのは、台本では、「蝉丸」を、大坂浪速の四天王寺に連れて行くとウソを言って連れ出している。四天王寺では「目の病を治す祈祷師が集まるお祭り」があるからというのである。

 四天王寺にそのような祭りがあったのかを、友人に四天王寺関係者がいたので問い合わせたら、そういうことは聞いたことがないということだった。四天王寺と「目の病を治す」ということなら、能の「弱法師」(よろぼし)に盲目の乞食がでてくるので、謡曲をたくさん読んできたというくるみざわは、それにヒントを得たのかもしれない。

 いずれにしても、清貫はウソを言って「蝉丸」を連れ出しているのである。

 しかし「蝉丸」は、西に向かっているのではなく、東に向かっていることを察知する。そして逢坂山に到着する。清貫は荷車から降ろす。その際、清貫は「降りろ」と命じ、荷車を「蹴る」。このことばと行為に、すでに醍醐天皇の第三皇子である「蝉丸」への敬意はない。

 台本では、清貫は、典型的な官僚として描かれている。権威や権力を有する者には、本心からではなく、やむなく追従するが、そうする必要がなくなった際には、即座にそうした態度を捨てる。おのれの地位や出世が第一なのであって、天皇や皇子に対しても、それに関わる場合にのみ追従し、敬意を表すのである。

 清貫は、「蝉丸」を「捨てる」のは、醍醐天皇の命令であることを伝える。これは能の「蝉丸」でも同じである。「蝉丸」は、「なぜだ」と問う。ここで、清貫は、皇室典範の第3条を示す。「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。」が、現行の皇室典範の条文である。1889年の旧皇室典範では、第9条である。「皇嗣精神若ハ身体ノ不治ノ重患アリ又ハ重大ノ事故アルトキハ皇族会議及枢密顧問ニ諮詢シ前数条ニ依リ継承ノ順序ヲ換フルコトヲ得」がそれである。もちろん能の「蝉丸」にはない。

 醍醐天皇が「延喜の治」を行うのは10世紀である。その時代に、現行の皇室典範を登場させるのだ。わたしには驚きであった。シュールレアリスムの方法でもある。「ものをその日常の環境から切り離して、別の環境の中に入れる」(高階秀爾)、現行の皇室典範を10世紀に登場させたのである。きちんと皇室会議の議をへて、「蝉丸」を「捨てる」ことが正式に決まったというわけである。

 そして能の「蝉丸」と同じように、台本でも、頭を丸め「出家」させる。つまり「乞食坊主」にする。清貫は、「蝉丸」の服を脱がせて蓑を着せ、笠と杖を「蝉丸」に与える。

 この場面で、台本には、能の「蝉丸」にはないことが書かれている。清貫は「蝉丸」の、「物狂い」となった姉を、清貫がこの逢坂山に捨てたことを語る。そこでの清貫の台詞。

 「物狂いとはいえ天皇の娘です。寺に預けたりしたらよからぬ連中に利用され父上に御迷惑をかけないとも限らない。道に置き、乞食に落とすしか。」

 ここには、清貫と天皇との関係に関する認識が記されている。つまり、利用する対象としての皇族。操作される存在としての天皇家。

 そしてさらに、清貫のほんとうの心が語られる。これこそ官僚的精神の真実なのだろう。

「頭を丸め道に残されてしまえばもはや天皇家の人間ではありません。清貫と呼ばれても答える筋合いはもう(ない)」

「この清貫は蝉丸さまが天皇の実子ゆえにお世話して差し上げただけのこと、すべて天皇の御命令に従っただけでございます。」

「・・・・今までどれほどこの清貫、御所の者どもに迷惑をかけたか、それを当たり前にしてありがたいとも思わず、喜んで世話をしてくれていると思い込んだ。その自分を見つめ直すところから」

 「この逢坂山で修行に励みなされ。生まれてから今日までどれほどわがままに振る舞い、まわりに迷惑をかけ、それを知らずにあぐらをかいてきたか。ひとつひとつ点検してこころを作り直さないといけませんぞ」

「苦労しますな、生まれが高すぎると。」

「天皇になってはならぬ者が天皇に戻ろうとしたら謀反ですぞ。なれば今度こそ。その命は(なくなる)。」

 そして清貫は去っていく。

 わたしは天皇家の面々がどのような生活をしているのか知らない。現在でも天皇家の世話をしている多くの人々がいるのだろうが、どのような心構えで接しているのだろうか。想像すらしたことはない。また現実の生活の中で、皇族はまわりにいる者たちに「迷惑をかけ」ているのだろう。

 さて最後の台詞は、三景への伏線となる。これで一景は終わる。

(この項続く)

 

 

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「蝉丸と逆髪」(1)

2024-10-26 09:49:33 | 演劇

  くるみざわしんさんから、演劇の台本を送っていただいた。「蝉丸と逆髪」という今年10月に上演されたものである。この台本を読みながら、この劇こそ実際に観ないとわからないと思った。

 台本はことばだけで綴られている。台詞だけではなく、ト書きも書かれてはいるのだが、しかしこの台本のもとは、能の「蝉丸」である。「蝉丸」を改作してつくられた台本が、この「蝉丸と逆髪」なのである。

 能は、舞台上で演じられはするが、舞台背景は他の演目と変わらない。少しはいくつかの装置が用意はされるが、ふつうにみる演劇のような丁寧な装置は用意されない。能舞台は、橋懸かりとともに一定の構造をもち、そこで演技はなされる。そしてそこでは演者だけではなく、囃子や謡を担当する人びとが座っている。だから、演者の台詞だけでなく、笛や鼓の音もある。それに演者は仮面をつける。

 だから、実際に演じられるその場にいて、観なければならない。若い頃、水道橋の能楽堂で能楽を観たことがあるが、そこには独特の雰囲気があったことを覚えている。

 さて、この台本を理解するために、わたしは「蝉丸」を読んだ。「蝉丸」は、「百人一首」にもある「これやこの 行くも帰るも わかれては 知るも知らぬも あふ坂の関」という歌の作者である。盲目の琵琶奏者で、逢坂の関、山城国と近江国の境界の山に住まいしていたという。

 謡曲「蝉丸」は、「蝉丸」を醍醐天皇の第四皇子とする。生まれつき盲目の「蝉丸」を、醍醐天皇は逢坂山に捨てるように、廷臣の清貫に命じる。「蝉丸」は、父醍醐のこの措置を、「前世の戒行が拙」かったためで、現世で「過去の業障」(ごっしょう、と読む。悪業によって生じた障害)を果たして来世に備えろということだろうと善意に解釈する。清貫は、「蝉丸」の髪をおろし、蓑を着せ、笠と杖を置いて去っていく。宮中でしか生活していなかった「蝉丸」は、「乞食坊主」となったのである。「蝉丸」は琵琶を奏でる。

 そこへそれ以前に捨てられた醍醐の第三皇子、「逆髪」(さかがみ)が登場する。「逆髪」は「狂人」となってさまよっている。琵琶の音を聴き、「蝉丸」のいる「藁屋」に行き、「蝉丸」の声を聞いて弟であることを知る。二人はこの境遇を嘆きしばし語らうが、「逆髪」は去っていく。なお「逆髪」は「翠の髪は空さまに生い上って」撫でつけても下がらないという頭髪であるが故に、「逆髪」という。

 ではこの「蝉丸」の意味はどこにあるのか。非情にも、盲目の「蝉丸」を宮中から追い出し、「乞食坊主」とした皇室への批判?「狂女」である「逆髪」も宮中から出ているが、出されたのかはわからない。「心より 心より狂乱して 辺土遠郷の狂人となつ」たのである。宮中から出た二人の姉弟がみずからの境遇を嘆き悲しみ、そして別れていくその二人がかわすことばと情感の機微を主眼にしたのかもしれない。

 わたしはここに着目した。「逆髪」は、「童部」(子どもたち)に笑われる。それに対して「逆髪」は、その笑うという行為を「逆さま」だという。「花の種は地に埋もって千林の梢に上り 月の影は天にかかって万水の底に沈む 是等をば何れか順と見 逆なりと謂はん」。何が「順」で、何が「逆」なのかは、最初から決まっているわけでもなく、相対的なのであるということを言おうとしたのか。

 画家の香月泰男は、「東洋画と西洋画の違いの一つは、余白にあると思う。東洋画に独特の余白の存在は、カッチリ描き込まれた西洋画のバックとはちがって、なんとも融通無碍なものである。西洋画のバックには一つの解釈しかないが、東洋画の余白は見る人次第で、どうにでもなる。」(『シベリア鎮魂歌』50頁)と語っているが、能にも「余白」があると思う。その「余白」とは、観る者の想像力に依拠する部分というか、それが大きいように思われる。能楽堂という空間、あるいは簡単な装置、謡のことば、そして笛や鼓の音、それら全体は、こうである、という主張をするのではない。観る者がそれぞれに「空白」を埋めていく、そういうものが能にはある。

 この項続く。

 

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