浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

まっとうな主張

2013-10-31 14:52:16 | 読書
 むかし、むかし、『朝日新聞』には、まっとうな記者がたくさんいた。柴田鉄治さんもその一人。ジャーナリストとして、批判精神をもって臨んでいた。

 下記のサイトで、健筆をふるっている。

http://www.magazine9.jp/article/shibata/9161/

 消費税増税について。柴田氏が指摘するように、消費税増税に賛成しておいて、みずからだけ軽減税率を求めるという新聞業界の倫理を、ボクも疑う。新聞業界の幹部諸氏(高収入である!!)には、社会的弱者などは視野に入っていないのだろうが、これはあまりに勝手な主張だ。

 今の、新聞業界の幹部には、まっとうな考えをもった人がきわめて少ないと言うことだ。

 権力の翼賛機関としてのメディア。とくにNHK。安倍首相の仲間が経営委員になるようだ。どのような変化が起きるか。いやNHKのニュースは、もうすでに安倍化してたっけ。
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高齢者福祉

2013-10-31 14:29:24 | 読書
 今日浜松東区役所高齢者福祉課を訪れた。民生委員としての訪問だ。

 今年八月おくさんが亡くなり、一人暮らしとなった老人世帯について問い合わせるためだ。この家庭はお二人とも65歳以上であるから、当然市当局から高齢者世帯として連絡があるはずなのになかったので、その理由をきくためだ。すると、娘さんが、住民票上同居していることになっているとのこと。

 民生委員が見守りの対象としているのは、高齢者世帯、高齢者の一人暮らしである。そういう世帯になったときには、市から連絡がある。

 ところが、高齢者の一人暮らしだとされている世帯を訪問すると、実際には娘家族と同居している例がなかなかある。住民票上、別世帯となっているのだ。

 たとえ高齢であっても、子どもと生活している場合は、見守り対象にはならない。しかし、そういう世帯でもかなりたいへんな状況となっている世帯がある。

 だからボクは、65歳以上の、いや70歳以上でもよい、すべての老人をリストアップして民生委員の見守り対象として設定し、民生委員が個々の世帯を訪問して実状を把握していくことが必要だと思っている。民生委員がたいへんになるが、行政はそもそも最初から個々の老人の状況を把握しようなんて考えてもいないのだから、そうしてもいいのではないかと思うのだ。

 このことを今日も、窓口に出た吏員に話した。吏員は、そうなると厖大な数になるだろうし、そもそも高齢者世帯を把握したいと市役所にリストの提供を求めてきたのは民生委員の側であって、市ではないというようなことを言った。つまり市は、実状を把握する意思は皆無であるということだ。

 ボクは以前、電話で担当の吏員と話したことがあるが、そのとき感じたのは、市当局は高齢者福祉をきちんとやっていこうという気持ちはさらさらないということだった。そして今日もそれを感じた。

 高齢者福祉課という課があっても、まったくやる気がない。だからこそ、民生委員にやらせる、民生委員を自らの手足として使っていこうという傾向が強いことを、ボクは肌で感じてきた。まさに奴隷である。社会福祉協議会の奴隷であり、また行政の奴隷である。

 11月でボクは民生委員をやめるけれども、民生委員になる人の善意を利用している今のありかたに、ボクは怒りを覚えている。
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【本】『本田靖春集 私戦 私のなかの朝鮮人』(旬報社)

2013-10-30 20:36:15 | 読書
 この「私のなかの朝鮮人」は手に入らないので、この本を借りた。浜松市図書館はこの本を持っていない。静岡市立図書館の本を、浜松市図書館経由で借りたものだ。

 「私戦」は、金嬉老事件を真正面からとりあげたもので、金嬉老事件を考える場合、この本は必ず読まなければならない。そしてもちろんボクは『私戦』は持っている。

 だから、この本で読んだのは、「私のなかの朝鮮人」である。これは、本田はソウル市で生まれているから、朝鮮人には特別の思いがあり、その朝鮮(人)との関わりを、綴ったものだ。『我、拗ね者・・』と重複するところがあるが、新しい事実も書かれている。とくに印象に残ったのは、本田が少年だったとき、もちろんそれはソウル周辺のことであるが、本田少年が兄とソウル郊外へフナ釣りに行ったとき、彼らを朝鮮の子どもたちがずっとあとをつけて、「挑発」されるというところがあった。

 植民地支配下、朝鮮半島には日本人が、家族とともにたくさん住んでいた。しかし本田の文を読むと、住んでいただけで、朝鮮という日本とは別の所に住んでいたわけではなく、朝鮮のなかの日本に住んでいただけ、という感じがする。つまり、日本人、朝鮮人間に交流がまったくないのだ。その関係は、子どもの社会のなかでも、植民地支配をする日本人と、支配される朝鮮人との関係しかなく、人間同士の交流が見られない。だからこそ、本田は「彼らが私たち日本人を憎んでいることは、身に沁みてわかった」と書くのだ。

 それは大人たちも実感していたはずだ。だが、戦後、朝鮮半島に住んでいた日本人から、そうした話しは聞いたことがない。おそらく、彼らには、朝鮮人は見えなかったのだ。本土に住む日本人が、みずからの周辺に生きていた朝鮮人を知ってはいても、「見ていなかった」ように。

 その光景は今も続いている。日本人は、「見ない」のである。関心の外、というか、あえて「関心の外」に置いているのだ。

 ボクも、在日朝鮮人との関わりについて、かつて『統一評論』という雑誌に書いたことがある。そこにも記したことを書いておこう。
 中学校時代、仲良くしていた友人がいた。最近はあってはいないが、今もつきあいがある。
 つきあい始めた頃、ボクは彼が「在日」であることを知らなかった。彼は「通名」でいたからだ。しかし、ボクの母は知っていた。あるとき、母は、「○○くんは朝鮮人だよ」と教えてくれた。ボクは、周辺の人々が皆、彼が朝鮮人であることを知っていることがわかった。しかしそれはふつうに語られることではなく、内緒話のように語られていたのだ。
 だがボクは、それによって影響されることなく、ふつうにつきあってきた。
 長じて、ボクが「在日」についての歴史研究をしていることを、彼は知った。だが彼は、今もボクに自らが「在日」であることを語ってはいない。

 「在日」であるということは、今でも、日本社会では、公然と語られることではないのだ。

 話しはずれたが、本田の「私のなかの朝鮮人」は、朝鮮人との様々な関わりを通して、自らの心の中に巣くう「朝鮮」を凝視したことが書かれている。

 ボクは、日本人一人一人が、自らの心の奥に潜んでいる「朝鮮」を凝視すべきだと思う。

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あと一回

2013-10-30 19:01:56 | 日記
 東区の歴史というテーマで、毎週異なる内容を話しているが、今日が9回目。あと一回で終わる。やっと解放される。今まで研究したことを話すのなら楽だが、そうではなく、一週間でとにかく新しい内容を準備しなければならないので、ボクにとってとてもきつい仕事である。

 今日のテーマは、「報国隊と近代日本国家」である。

1,報国隊とは?
2.国学とは。
3.遠州国学
4.遠州報国隊
5.報国隊のその後
6.国学のその後

 こういう内容で、ほぼ2時間話し続けた。このテーマについて、浜松中央図書館の郷土資料室で多くの資料をコピーし、いくつかの文献を読んだ。ただ、時間不足で、ずっと前に購入してあった岩波書店の『日本思想大系』のうち、テーマに関連する『国学運動の思想』などをじっくりと読めなかったことだ。

 単行本で読んだ本は、以下の通り。

安丸良夫『近代天皇像の形成』(岩波現代文庫)
子安宣邦『国家と祭祀』(青土社)
西郷信綱『国学の批判』(未来社)

 2時間話した後、拍手があったし、「よかったよ」などという声をかけられた。一回の講師料が7000円。税金を引いたら6000円くらいだ。聴講されたTさんからは、「7000円」じゃあかわいそうだといわれた。

 近代日本の抑圧機構である近代天皇制国家の淵源、その問題点、そして「つくられた伝統」などについて、6の「国学のその後」で話すことができたから、ボクも満足である。

 次は、「東区と戦争」。
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民間企業って、すごい!!

2013-10-29 22:41:12 | メディア
 『読売新聞』の記事。

 儲けのためなら、消費者をだますことなんか、朝飯前だ。民間企業に任せれば、効率的な経営をしてくれるからっていうことで、自治体がおこなってきた事業を民間企業にやらせているが、民間企業って本当に信用できるの?

3811円ステーキ膳に牛脂注入肉…JR系の店
2013年10月29日(火)20:35

 JR四国の子会社「徳島ターミナルビル」は29日、運営する「ホテルクレメント徳島」(徳島市)の和食レストランで昨年11月から提供していた「和風ステーキ膳」(3811円)に牛脂を注入した肉を使っていたと発表した。

 同ホテルは、虚偽表示が問題化した阪急阪神ホテルズ(大阪市)のチェーンホテルでもあり、今月23日に自主調査を行ったところ問題が発覚。同日までに1229食を提供しており、返金する。

 28日に消費者庁へ問い合わせると、景品表示法に抵触する恐れがあると指摘されたという。
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秘密保護法に関して

2013-10-29 22:37:39 | メディア
 秘密保護法が、おそらく制定されてしまう。それにつき、森達也氏が鋭い指摘をしている。メディアと国民の現状を撃ちながら、しかしある種の絶望を語る。

http://diamond.jp/articles/-/43483
 
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だって、日本は自分から言ってくれるもの

2013-10-29 21:23:27 | 読書
 スパイ国家アメリカがメルケル独首相らの電話を盗聴していたことがわかった、ヨーロッパは大騒ぎだ。しかしなぜか日本は落ち着いたもの。

 そしたら次の記事。

日本、米傍受対象に含まれず 独誌が拠点80都市名
2013年10月29日 20時38分

 【ベルリン共同】ドイツ週刊誌シュピーゲル(電子版)は29日までに、米情報機関が大使館などの在外公館から通信や通話を傍受している80以上の都市名を報道、その中に日本の都市は含まれていなかった。事実なら、日本が米国の重点的な監視対象から外れている可能性がある。

 シュピーゲルは、メルケル首相に対する盗聴疑惑を取り上げたニュース動画をホームページに掲載。この中で「スペシャル・コレクション・サービス」と呼ばれる組織が、各国にある米大使館などでの通信傍受を担っていると指摘し、拠点都市の一覧を報じた。


 日本は盗聴する必要なんてまったくない。だって、官僚が自分から話しに来てくれるから。もと首相の鳩山由紀夫が関係した普天間基地の移転問題で、辺野古移転に執着する官僚たちが鳩山の考えを潰すために、米大使などに話した内容が明らかになったのは、そんなに昔のことではない。

 日本政府は、アメリカ政府の、アメリカ政府による、アメリカ政府ための政府なのだから、盗聴なんて必要ないんだ!!

 
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2013-10-29 16:22:27 | 日記
 昨日畑を耕していたら、蛙が飛び出てきた。蛙はもう冬眠を始めていたようだ。たしかに、日中を除き、朝夕寒さを感じるようになってきた。

 蛙といえば、我が家の入口には、蛙の置物がある。全部で6匹である。「6かえる」=「迎える」という意味で、置いてある。当初は、何の意図もなく蛙を置いていたのだが、誰かから置くなら6匹にせよといわれたのでそうしている。

 先日近所の子どもたちがボール遊びをしていてその一つを割ってしまった。弁償をという申し入れを断り、「迎える」ということで6匹にしている関係から、何としてでももう1匹探さなければならないと思い、通販でポルトガル製の蛙を購入した。蛙はどこの国のものでも、蛙である。

 さて蛙というと、もう亡くなられた林竹二という学者がいた。林さんは教育学者でもあり、大学の教員でありながら、小中高で、「人間とは何か」という授業をされ、その記録が出版されていた。

 その授業内容はとても深く、人間の本質について考えさせるすばらしいテキストであった。その最初のところに、「蛙の子は蛙」ということばがあるが、「人間の子は人間」といえるかどうか、という問いがあった。「蛙の子」であるオタマジャクシは、放っておいても必ず生きていれば蛙になるが、しかし人間は人間のかたちこそ維持されはするが、放っておかれては人間にはなれない。人間は、愛情を持った人間たちの環境がなければ人間にはならない、人間はみずからそうした環境から学びながら成長していくのだ、という内容だったと思う。

 身近な題材から、深い深い哲学的なテーマに発展させていく林さんの授業には、ほんとうに感服した。

 今、そうした授業が行われているのだろうか。そうした授業をつくるためには、厖大な資料の準備と、深い深い思考がなければならない。

 明日、ボクの歴史講座がある。そうした内容を話すことができるだろうか。明日のテーマは、遠州報国隊である。そのために、たくさんの時間を投入した。結果は明日出る。

 ああそれにしても、他の本が読みたい!!
 
 
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夕顔

2013-10-28 07:47:49 | 日記
 台風の後、夕顔の葉がなくなっていたことに気がついてはいたが、隣家の方に言われるまで知らなかった。

 隣家にも夕顔の苗をあげてあったから、隣家の庭にも、夕方から夕顔の花が咲き始め、夜の闇に白く浮き出ていた。もちろん我が家の庭にも、毎年夕顔が花をつける。

 夕顔は、自己を主張せず、たとえば月明かりにその白さを預けているかのように、夜の間じっと咲き続けている。「誰にも見られなくてもいいの、ただ私はどこからかやってくる光をそっと受けて、みずからの存在を確認しているの・・」

 夕顔は、みずからを女性として語るしかない。といっても、幻想のなかの女性である。

 その夕顔に、見るも醜くグロテスクな緑の虫がつき、花も葉も食べ尽くそうとしていた。隣家の方が、その青虫の存在を教えてくれた。

 ボクは割り箸で、彼らをつかんだ。しかし彼らは必死に夕顔にくっつき、放されまいと抵抗する。ボクは力をいれて彼らを次々につかみあげ、道に放り投げる。彼らは、すぐにおきあがりいずこかへ去ろうとする。隣家の方は、そうはさせじと彼らをビニール袋に入れる。

 ビニール袋の中で暴れる彼ら。彼らの死は近い。

 我が家の夕顔も、隣家の夕顔も、葉を食べ尽くされ、冷たい風に佇む。

 だが今朝、夕顔は新たな葉を生み出していた。本当の寒さが到来するまで、夕顔は白い花をつけ続けることだろう。

 夜の闇に、そっと白く浮かび上がる夕顔。
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寒への対応

2013-10-28 06:43:27 | 日記
 昨日、茣蓙と絨毯とを交換した。台風の後、秋はいよいよ深まる。昨日も畑に出たが、遠州の西風はすでに吹きつけ、寒さを感じながらの作業だった。

 一昨日は大雨のため、畑に入ると足がずぼっと土の中に埋まるほど、土が水を含んでいたが、昨日は掘り起こしなどの作業はできた。

 昨日の作業は、苺の苗床をつくるというものだ。肥料がたくさん必要だというので、掘り起こした後、箱の中に入れておいた化成肥料などを取り出したが、これがなんと水が入っていた。いったいどこから入り込んだのか。

 最近は日没が早いので、作業時間は短い。

 昨日、少しだけ畑を借りている近隣の方と話した。農作業は、ストレス解消になるという。やはりその人も、「無心」というようなことを話されていた。作業中は、夢中になっている、それがいいのだという。

 ボクも、作業中は、無心である。なんらかの目的(たとえば芋を掘り出す)だけのために、鍬を振るう。そのとき、何も考えていない。

 また身体を動かすので、運動不足の解消にもなる。

 日本人は、4世代ほど前は、ほとんどが農業との関わりを持っていた。しかし今はほんとうに少ない。農業との関わりをなくすということは、本当は日本人にとってたいへんなことなんではないかと思った。

 というのも、次の歴史講座で話す「遠州報国隊」を調べていて、遠州の神官たちの討幕軍への従軍の契機が、支配層への「成り上がり」願望だったのではないかと思ったからだ。

 ボクは、大地から自らを引き離していった支配層の退廃を思う。参加した神官たちは、「主水」、「出雲(守)」など武士階級の名を使っていた。

 大地に根ざした思想でないと、人は退廃する、そう思った。

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微少な力

2013-10-27 07:36:56 | 日記
 今日の空は、青い。一面の青い空には、雲が一つもなく、青だけが拡がる。だが、今見ている空は住宅地のそれだ。

 こういう青空の朝は、どこか海辺で見たい。どこまでも広がる青い、青い空は、それだけでボク自身の存在を小さな、小さな存在だと気づかせてくれる。

 大自然のなかで、ひとりひとりの人間の存在は、取りに足らない小さな存在である。だが、その人間は、自らを表現する存在である。

 人間が生きていくということは、自らを表現しながら生きているということなのだと思う。その表現の手段は様々だ。話すことはもちろん、身振りや手振りさえも、それは自らを表現することに他ならない。

 そこで、表現について考える。

 oxford現代英英辞典によるartの説明は、以下のように「考えや感情を表現するための想像力の使用」である。その際に、依存するのは瞬間的に湧き出す想像力の連鎖であって、そこに何らかのintentionはない。
art=the use of the imagination to express ideas or feelings.

 ボクは、現在における表現は、designでなければならないと思う。designには、planという含意がある。パフォーマンスとしての表現ではなく、intentionをもった表現が求められているのではないかと思う。

 生きることは常に何らかの表現をしていくことなのであるが、そこにできるだけのintentionをこめていくこと、それなしに現在の閉塞状態を崩していくことはできないのではないか。

 表現活動に、現在の閉塞状態の一部でも崩す可能性をもったものを含意させていくこと、これが必要なのではないか。

 表現は、自己への表現であることもあるが、多くは他者に対するものである。したがって、表現は社会へ向け開放されていく。そこに、自らのintentionを忍ばせる。

 今という時代は、ものすごくミクロの地点から出発せざるを得ないのではないかと思う。人間の属性でもある表現活動さえも。

 微少な力を積み重ねていくこと。


 

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2013-10-26 21:30:05 | 日記
 「○○の秋」といわれる秋。そこには、読書とか芸術とかが入る。

 読書は、いつものことだ。芸術だって、『芸術新潮』をとってるから、少なくとも美術についての知識はある。

 今月の『芸術新潮』だが、いつもまず読むのは、辻惟雄の「奇想の発見」。辻の『奇想の系譜』、『奇想の図譜』(いずれもちくま学芸文庫)以来、辻のファンになった。辻の人生のデタラメなところが好きなのである。

 ボクの人生も少々デタラメだから、デタラメな人間に共感を覚えるのだ。

 さて今月号の特集は、「利休と名碗」である。これには関心に欠ける。だから周辺を読んでいたら、なんと次号は大英博物館で行われた春画の展覧会だそうだ。

 高校の日本史教科書には、浮世絵のことは記されているが、春画はない。これをボクはおかしいと思ってきた。日本文化の粋なところなのに、こういう文化を隠すのはよくないのだ。イギリスの大英博物館で堂々とやっているのに、日本で展覧会が行われたという話しは聞かない。春画の本も、堂々と置かれているわけではない。

 法政大学の江戸文化の研究者・田中優子は、そうした本を上梓している。当然のことだ。江戸文化から春画を除くわけにはいかないのだ。

 さて、それにひきつけてもう一つ。イギリスの画家にターナーがいる。東京都美術館で現在その展覧会が開催されている。ターナーと言えば、風景画である。その風景画を人々は見るわけだが、『芸術新潮』今月号に「ターナーの秘画」がある。何とターナーが、春画でもないがそれに類した絵を描いているのだ。驚きである。さらに驚きなのは、ターナーの絵をたくさん持っているロンドンのテイト美術館のホームページで、館蔵の美術作品を公開しているのだ。ターナーの絵も、たくさん公開されていた(ちゃんと確認)。この「ターナーの秘画」に掲載されているのもあった。ただしターナーの作品、たくさん所蔵されているので、検索欄に
Turner female figuresと入れないと、その絵に辿りつかない。念のため。

 東京都美術館のターナー展には、行くつもりはないが、『ターナー:生涯と芸術』(講談社)を書いたジャック・リンぜーは、「ターナーの描く情景には明確な性的シンボルがある」と記している。ターナーの風景画を見ながら、それを発見するのもいいかもしれない。

 芸術の秋、行きたいのは「東京オペラシティアートギャラリー」。「五線譜に描いた夢ー日本近代音楽の150年」である。
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みのもんたは好きではないが・・・

2013-10-26 19:27:59 | 読書
 みのもんたが朝のニュースワイドショウに出演しなくなる。ボクはテレビは見ないから、ボク自身にとっては無関係。

 だけど、こういう意見もある。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20131026-00029240/
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みーんなお友だち

2013-10-26 10:02:21 | 読書
 安倍政権は、みずからの妄想に基づく政策実現のために、閣僚や有識者会議のメンバー、さらにNHKの委員までも、すべてお友だちで固めようとしている。

 まさに独裁者としての取り組みだ。これは『日本経済新聞』の記事。これでNHKは、政権に都合のよい情報を垂れ流すだけではなく、良質な番組もつくれなくなるだろう。


国会同意人事案、安倍カラー鮮明 NHK経営委員に百田氏ら
2013/10/25 18:52 記事保存

 政府は25日、国会同意が必要な12機関29人の人事案を衆参両院に提示した。NHK経営委員には、作家の百田尚樹氏、哲学者の長谷川三千子氏、日本たばこ産業顧問の本田勝彦氏らを充てた。いずれも安倍晋三首相に近い有識者で、安倍カラーが鮮明になった。

 百田氏は、昨年9月の自民党総裁選直前、首相と雑誌で対談してから親交を深めた。保守派の論客として知られる長谷川氏も古くから首相と交流し、5月には首相公邸で会食した。本田氏は東大生だったころに小学3、4年だった首相の家庭教師を務めた。
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民藝運動と浜松

2013-10-26 09:40:43 | 読書
 以下は、研究会の会報に書いたものである。東区の歴史を調べていく中で判明した事実を記した。浜松が、民藝運動の出発に際して、大きな役割を果たしたこと、そしてその残り火が今も健在であることを、もっと多くの人に知って欲しいと、調査していて思った。

 この事実を『朝日新聞』のK氏に話したところ、自ら取材され、一昨日県版に大きく書いてくれた。すてきな記事であった。今朝、ざざんざ織の平松久子さんからよろこびのお電話をいただいた。ボクはその仲介をしたにすぎないが、こうした文化的な話しは、人口に膾炙しなければならないと思う。



 東京目黒区駒場に日本民藝館がある。1936年に柳宗悦らが設立したものだ。今でも、民藝運動の拠点としての地位を保っている。だがこの日本民藝館の前進である日本民藝美術館が、浜松市にあったことはあまり知られていない。

 民藝運動の創始者・柳宗悦は、1914年浅川伯教の訪問を受け、その際に見せられた李朝白磁に目を奪われた。これを契機にして、柳は庶民生活の中でつかわれている無名の職人たちが手仕事で作った民衆的工芸品を「民藝」として、国内だけでなく世界各地から蒐集を始めた。そして河井寛次郎らと「日本民藝美術館」の設立に動き始めた。1926年のことだ。柳らが作成したその設立趣意書が、浜松の中村精のところにももたらされた。中村は慶応大学を卒業後、遠江商業学校(のち誠心高等女学校)に勤務していた。学生時代にウィリアム・モリス(英国の工芸運動の先駆者)を学んでいた中村は、その趣意書に共鳴し、翌年柳を浜松に招いた。中村宅に、内田六郎(ガラス絵の収集家)、詩人の羽仁春らが集まり、翌日中村は柳を積志村有玉の素封家・高林兵衛(時計や大津絵の収集家)のもとに案内した。高林も柳に共鳴し、さらに中村の兄・平松實も手織りと植物染料による染めの研究を始め(ざざんざ織を創始。平松工房を創設)るなど、浜松での民藝運動が開始された。

 1928年柳らは上野公園で行われた「御大礼記念博覧会」で民藝をひろめようと企画した。協力したのが高林であった。民藝を展示する「民藝館」を建設したのである。大工は積志村の吉田徳十、瓦師は曳馬村の川合梅次郎で、瓦は遠州瓦であった。

 その後、柳は各地で民藝を蒐集し、その都度浜松駅に降り立った。高林のもとに収集品が集まり、陳列場をつくる気運が生まれた。1931年4月18日、高林は自宅に「日本民藝美術館」を開館した。母屋の古材料を使用した平屋建ての建物と長屋門が陳列場となった。「日本民藝美術館」という案内札は、柳が書いた。

 翌32年、柳の甥・柳悦孝(のち女子美術大学学長)、外村吉之介(のち倉敷民藝館館長)が浜松へ来た。外村はクリスチャンで、西ヶ崎の日本メソジスト笠井講義所に、布教だけではなく、柳悦孝と共に手織りを学びにきたのである。外村と悦孝は平松工房で学びながら、旧積志銀行西ヶ崎支店の建物を借りて制作に励んだ。1934年、外村と悦孝は袋井講義所へと移っていった(1945年福井県へ疎開)。

 さて高林の「日本民藝美術館」は、1933年閉館され、陳列品は西ヶ崎の外村のもとに移された。柳との間に精神的な軋轢が生まれたからで、高林はその後民藝運動に関わることなく、遠州病院建設などに邁進していくのであった。

 中村精も、その後慶応大学へと移り、浜松における民藝運動は下火になった。とはいえ、平松が始めた「ざざんざ織」は今でも健在である。

 いずれにしても、日本の民藝運動の歴史が、浜松から始まったことは記録されていかねばならない。

[文献]中村精『民藝と浜松』(私家版、1936年)/鈴木直之『幻の日本民藝美術館』(種月文化集団、1992年)/『平松實―浜松の民藝運動』(浜松市美術館、1989年)/神田健次「機織る伝道者―外村吉之介論」(『神学研究』48号、2000年)ほか。
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