浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

沖縄の怒り

2017-12-31 20:41:27 | その他
 『琉球新報』の今日の社説。沖縄の怒りが記されている。しかし本土はノーテンキに、大晦日を迎えている。


<社説>’17回顧 基地被害 政府は住民保護を放棄

2017年12月31日 06:01


 2017年の沖縄は基地被害で明け、基地被害で暮れたと多くの県民は思っているはずだ。それほど訓練、飛行の強行、事件、事故が繰り返し起きた1年だった。

 米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設は4月、政府が護岸工事に着手した。12月にはN5護岸が長さ273メートルに達し、ほぼ完成した。新たにK4護岸建設の砕石投下も始まった。

 現場の環境破壊が著しい。7月に絶滅の恐れのある希少サンゴ14群体が見つかったが、沖縄防衛局の県への報告では13群体が死滅した。

 琉球新報社が9月に実施した世論調査では80・2%が県内移設に反対だった。「辺野古ノー」の圧倒的多数の民意を踏みにじり、環境を破壊しながら建設を強行することなど許されるはずがない。

 訓練強行も目に余るものがあった。嘉手納基地と津堅島訓練場水域では、米軍のパラシュート降下訓練が地元の反対を押し切って繰り返された。この訓練は以前、読谷補助飛行場で実施されていた。1996年の日米特別行動委員会(SACO)で、伊江島に移転することで合意したはずだ。しかし米軍は勝手に訓練場所を拡大している。やりたい放題ではないか。

 昨年12月に名護市安部沿岸に墜落した普天間飛行場所属の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイは、今年も事故や緊急着陸などを繰り返した。8月には普天間所属機がオーストラリア沖で墜落し乗員3人が死亡した。緊急着陸は6月に伊江島補助飛行場と奄美空港、8月に大分空港と相次いだ。欠陥機としか言いようがない。しかしオスプレイはすぐに飛行を再開し、現在も沖縄上空を飛び続けている。

 危険なのはオスプレイだけではない。普天間所属のCH53E大型ヘリの事故も相次いだ。10月、東村高江の牧草地に不時着し、炎上大破した。米軍は一方的に事故機を解体し、周辺の土壌と共に現場から持ち去った。航空危険行為等処罰違反容疑の捜査対象の当事者が公衆の面前で堂々と証拠隠滅を図った。これで法治国家といえるのか。

 CH53は12月に入って、上空から次々と部品を落下させた。宜野湾市の緑ヶ丘保育園の屋根にプラスチック製の筒が落ち、普天間第二小学校の運動場に窓を落下させた。いずれも近くに園児と児童がいた。大切な子どもたちの命が重大な危険にさらされた。

 ところが政府は事故を引き合いに、辺野古移設の加速化を繰り返し主張している。萩生田光一幹事長代行は「だからこそ早く移設しなければいけないという問題も一つあると思う」と明言した。

 言語道断だ。危険除去を主張するなら、普天間飛行場の即時閉鎖しかない。辺野古移設を正当化するため、住民を危険にさらした事故を利用するのはもってのほかだ。住民保護を放棄した政府に「国難突破」を言う資格などない。
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【本】鴻上尚史『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(講談社現代新書)

2017-12-31 14:35:18 | その他
 今年最後に読んだ本である。Amazonは私が購入した本の傾向を分析して、この本を紹介してきた。すぐに注文し、昨日届いた。読み始めて一気に読み進めた。よい本だ。

 佐々木友次さんという人がいた。北海道出身だ。子どもの頃から空に憧れ、仙台にあった逓信省航空局地方航空機乗員養成所に入り、パーロットとなる。しかしパイロットになったときは戦時下であった。彼は、特攻隊へ。陸軍の最初の特攻隊である万朶隊のメンバーとなる。隊長は、岩本益臣大尉。岩本隊は、技倆に優れた者を集めた。最初の特攻隊であるから、失敗は許されない。

 岩本隊は、フィリピンに飛んだ。時は1944年の秋であった。しかし、すでに日本軍は米軍の攻勢により、勢力範囲を急速に縮めていた頃であった。フィリピンの空も、米軍機が飛び、すでに日本の制空権は失われつつあった。航空戦力のあり方をまったく知らない第四航空軍の司令官・富永恭次司令官は、ルソンに到着した特攻隊に会いたいと言ってきた。富永はそのときネグロス島にいた。岩本大尉は呼ばれてネグロスへ飛んだが、大尉の搭乗機は、すでに特攻機に改造され、銃座もない特殊な構造をもっていた。挨拶を終えて帰還。しかし11月4日、再び富永から、ルソン・マニラに来るようにという連絡があり、岩本大尉らはマニラに向かったが、途中でグラマンに襲われ墜落。万朶隊は岩本大尉ほか将校パイロットをすべて失ったのである。呼び出した理由は、特攻隊の出撃前に宴会をしたいという富永の要請であった。

この富永という人物、有名である。その後フィリピンが危険になったとき、勝手に台湾に逃亡した卑怯な軍人であった。1960年まで生きた。

 さて佐々木友次さんは本書の主人公であるが、彼は特攻として出撃しても、死ぬことはなかった。岩本大尉は、特攻機から爆弾を投下できるようにしたことから、佐々木は特攻命令を受けても、爆弾を投下して帰ってきたし、また無理をして無駄な死を死ぬことをしなかった。それは岩本大尉の心情と軌を一にする。佐々木は、9度飛び立って、9度とも帰ってきた。帰ってくると、「おまえはなんで死んでこなかった」と罵詈雑言を浴びたが、それでも彼は帰ってきた。そして生きのびて2016年、札幌の病院で亡くなった。1923年生まれであるから、93才であった。

 佐々木さんは、上官による死の強制に対して、「お言葉を返すようですが、死ぬばかりが脳ではなく、ヨリ多く敵に損害を与えるのが任務だと思います」、「私は必中攻撃でも死ななくてもいいと思います。その代わり、死ぬまで何度でも行って、爆弾を命中させます」と抗弁していたそうだ。

 鴻上は、佐々木さんの生涯を追うと共に、特攻隊について鋭い考察を加えている。

 特攻攻撃は、実はまったくナンセンスな戦術であった。その詳細を書くのはたいへんなのでここでは記さないが、鴻上はこう記している。

 リアリズムを語らず、精神を語ることが日本人は好きなのでしょうか。現実を見ず、観念に生きる民族なのでしょうか。

 現実の戦争での効果はほとんどなかったにもかかわらず、日本軍はそれを強行し、若者たちにそれを強制した。その若者たちのなかには、海軍兵学校や陸軍士官学校卒業者はほとんどいない。軍人の教育を受けなかった若者たちにのみ強いられた強制的な「自死」であった。

 『神風特別攻撃隊』という特攻隊を美化する本を書いたふたりのもと将校のひとり中島は、戦時下「文句を言うんじゃない、特攻の目的は戦禍にあるんじゃない。死ぬことにあるんだ」と語っていたそうだが、戦後は、特攻隊はほとんど志願であった、美しい死であった、というようなことを書いた。自ら(海軍)を免責するために書いたというしかない。

 1945年に終わった戦争をどうとらえるか、その回答の一部は本書に記されている。そしてその戦争を担った人びとは、戦後の体制に、実は大きな影響を与えているのだ。

 佐々木さんのお墓には、こういう碑文が刻まれている。

 哀調の切々たる望郷の念と
 片道切符を携え散っていった
 特攻という名の戦友たち 
 機関兵である私は今日まで
 命の尊さを噛みしめ
 亡き精霊と共に悲惨なまでの
 戦争を語りつぐ
 平和よ永遠なれ


 平和よ、永遠なれ、そういう日本であり続けるようにしたいと思う。

 本書は、とてもよい本だ。

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She Broke Japan’s Silence on Rape

2017-12-30 20:59:00 | その他
 伊藤詩織さんのことが New YorkTimes に掲載されている。

 She Broke Japan’s Silence on Rape
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知っておかなければならないこと

2017-12-30 20:45:55 | その他
 『東京新聞』の「私説・論説室」から。

 これはきちんと知っておかなければならないことである。


生活脅かす迎撃基地

2017年12月18日

 防衛省は弾道ミサイルを迎撃するイージス・アショアの導入を検討している。イージス護衛艦の迎撃システムをそっくり活用するが、問題は周囲にだれもいない海ではなく、人々が生活する地上に置くことだ。


 イージス護衛艦は人体に影響のある強力なレーダー波を出すことから航海中、乗員は甲板に出ることを許されていない。


 同様に強いレーダー波を出すXバンドレーダーが置かれた京都府京丹後市の米軍経ケ岬通信所の場合、航空機の計器類を狂わせるおそれがあり、半径六キロ、高さ六キロの半円柱状の空域を飛行制限空域としている。


 京都府医療課によると、レーダーの運用が始まった二〇一四年十二月から今月までに救急患者の搬送に使われるドクターヘリが基地周辺を飛行するためレーダー波の停波を要請したのは九回あった。電話やファクスで停波を依頼し、基地から回答があってはじめて飛行が認められる。


 米国で試験用のイージス・アショアが置かれているのはハワイ州の西端にあるカウアイ島だ。広大な米軍施設の中に置かれ、人的、物的被害は想定しがたい。


 防衛省はイージス・アショアの候補地を東北地方や中国地方の自衛隊施設とする方向だが、周囲に飛行制限空域が設けられる可能性は高い。迎撃ミサイル基地は人々の日常生活と無縁ではないのだ。 (半田滋)
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りんごとみかん

2017-12-30 19:58:20 | その他
 わが家では、りんごとミカンを箱で買う。遠州地方は昔からミカンの産地。子どもの頃から、みかんはいつも箱の中に入っていた。今東京などにいる子どもたちも、ミカンは箱から出して食べるものだと思っているらしく、ミカンの時期になると送ってくれと連絡が入る。

 今年はすでに2回送っている。しかし、今年は異変が・・・・

 というのは、ミカンが異常に高い。2回目は、知り合いを通して三ヶ日のミカンの生産農家から直送してもらったので、10㎏4500円だった(送料別)。しかし、店頭で見ると8000円くらいで売っていた。聞くところによると、今年は不作だから、という。

 今日、信州からりんごが届いた。これも今年2回目である。中川村の生産農家から買っているのだが、こちらは15㎏4500円(但し、家庭用。送料別)である。

 りんごは体によいといわれ、それ以来ずっとその農園から送ってもらっている。

 こんなにミカンが高価なら、箱買いを考えなければならない。

 ミカンは、この地方では冬の季節の庶民の果物であった。そういう時代もなくなっていくのだろうか。

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【本】高杉一郎『シベリアに眠る日本人』(岩波書店)

2017-12-30 13:46:17 | その他
 高杉一郎のシベリア訪問記である。みずからが抑留され、強制労働を強いられた現場をさぐる旅である。

 高杉は、みずからを強制労働に駆り立てたスターリン(体制)については、まったくの憎悪を示す。当然である。しかし、ロシア人、そこらにいるロシア人を悪く言うことはない。

 もちろん、ロシア人にもずるがしこやつもいれば意地の悪いやつもいるが、一般的に言って、あんなにあけっぴろげで、率直で、見せかけやつくろいのない裸のままの魂をぶつけてくる、心のあたたかい民族がほかにあろうとは思えない。(9)

 関東軍兵士などが、戦後ソ連によってシベリアで強制労働をさせられた。しかし、日本の政治は、抑留者がいることを知っていながら、何もしようとしなかった。だから高杉は、「棄民」ということばをつかう。

 日本という国家は、平気で自国の民を棄てる。満州移民、特攻隊兵士、普通の兵士(多くは栄養失調などで亡くなった)などがその例で存、戦後でもハンセン病者や水俣病患者、そしてフクシマ。

 こういう日本は、もういい加減に替えたいと思う。

 図書館で借りた本。


 
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久しぶりによい文

2017-12-30 13:37:24 | その他
 『朝日新聞』の「天声人語」は、むかしその文といい、内容といい、うなるようなものがあった。最近は、書いている人が何を書こうとしているのかパトスがないものがほとんどであったが、今日のはよかった。

  「君たち、何があっても、戦争だけはしてはいけない」。多くの大臣を経験した故・宮沢喜一さんが折にふれ、部下の役人たちに語っていた言葉である。20年ほど前に耳にした時には、ぴんと来なかった。平和を当たり前だと思っていたからだろう。いまは違う▼起きるはずがないと思っても、戦争は起きる。宮沢さんは、そう言いたかったのだろう。言葉の重みを感じるのは、この1年、戦争の2文字がちらつくようになったからだ。北朝鮮が核とミサイルの開発を進め、挑発を続けている▼現在の危機は、長い年月の結果である。不幸なのは「小さなロケットマン」などと挑発し返すような人物が、米国大統領だということだ。外交を担う国務省幹部の任命も遅れ、機能の低下が危ぶまれている▼先月の紙面で、元米国防長官ウィリアム・ペリーさんがもどかしそうに語っていた。「私が驚くのは、実に多くの人が戦争がもたらす甚大な結果に目を向けていないことです」。もしも核戦争になれば、韓国は朝鮮戦争の10倍、日本も第2次大戦並みの犠牲者が出るかもしれない。だからもっと真剣に外交を、との訴えである▼「国難」なる言葉で北朝鮮を前面に出した選挙があった。不可解なのは、万が一の時、人間の肉体がどれだけ破壊される危険があるのか、被害想定すら政府が示さないことだ。どこかひとごとのような奇妙な危機意識が広がっている▼間違っても核戦争が起きることなく、来年の年末を迎えたい。切にそう願う。


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【本】中野利子『父 中野好夫のこと』(岩波書店)

2017-12-30 13:34:50 | その他
 中野好夫なんて知らない人が多いだろう。英文学者である。シェイクスピアの翻訳は、最近は白水社版の小田島雄志訳が有名だが、それまでは福田恒存や中野好夫のものがあった。東京大学の教授であったが、家族の多い中野は東大の給料では喰っていけないと退職し、その後は文筆業で生きた。

 そのほかに中野好夫は、『蘆花徳富健次郎』の評伝なども書いている。明治生まれの知識人である。

 私が若い頃、中野好夫は、自民党の政治路線に対抗して、社会党・共産党をはじめ、労働組合や様々な市民団体を糾合して「統一戦線」の維持に力を尽くしていた。しかし政党というのは融通が利かない組織で、いつの時代でもそうだが、自党優先、独善主義でなかなかうまくいかない。しかしそれでも、吉野源三郎とともに、両党の間に入り。「統一」、いまでいうなら「野党共闘」を模索していた。

 中野は、戦後は平和主義者として一貫していたが、戦前はそうではなかった。彼は自らこう記している。

 12月8日以後は国民の義務としての限りは戦争に協力しました。欺されたのではない。進んでしたのであります。私は古い人間であり、私の中にある明治以来の教育の潜在的根強さには、私自身半ばは嫌悪をもって、今でも最もよく知り、また驚いているものです。

 戦時下、中野はアメリカの伝単(ビラ)などを研究していた。アメリカが日本に落とした伝単は、「大本営発表では日本軍は勝利につぐ勝利を続けているのに、連日のこの空襲をあなたたちはどう思いますか?おかしいとは思えませんか?」と、日本人の理性に訴えかける内容のものであった。しかし、日本軍の米兵向けは、男女抱擁の絵などもっぱらアメリカ兵の官能をあおり、厭戦気分をつくりだそうとするものだった。

 中野はこう書いている。

 人前で平気で抱擁し合うことに違和感を持たない米兵にこのような伝単は無意味であったし、また自分の頭でものを考える習慣を持たない日本人に理性に働きかける内容のものは無意味であった、と。

 なるほど、その通りである。

 この本にこういう箇所があった。

 詩人の金子光晴は、軍隊に息子を行かせないようにすべく、応接間に閉じ込めて松葉でいぶし、肺にカゲをつくり入営審査を不合格にして息子の命を守ったそうだ。

 すばらしい父親である。

 中野は、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』の翻訳を行った。哲学者・古在由重、中野の追悼文で、中野が「政治の世界での人間の私欲や権勢欲や陰謀などは現代と古代ローマでもあまりかわりませんなあ」と語っていたことを記す。いつの時代も、同じような人間がいる。

 リンカーンの「人民の、人民による、人民のための」の意味は、民主政治の客体と主体と目的を述べているのであって、「人民の」は「人民を治める、統治する」という意であって、「民主政治は、まず正しく治められる知恵と技術をもった人民が存在しないところでは、とうてい実現されるものではない」と中野は指摘する。「真に治められることを知る人民にしてはじめて、真に自治することができるのだ」。

 本書は、娘の目から見た父・中野好夫の実像である。ほのぼのとした、父に対する愛情がこめられている文である。中野好夫という人物を等身大で知ることができた。

 でも、中野好夫は、今の人はほとんど知らないだろう。過去、立派な人がたくさんいたのだ。

コメント (2)
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委員という人たち

2017-12-29 08:37:05 | その他
 何ごとについても、委員に選出されたということで、その人は大勢に順応する人だと評価されたということだ。後からいろいろ言っても、その委員会の場で言うべきことをきちんと言ったかどうかが問題なのだ。

 不当であることは周知の事実。多くの国民が強い疑念を持っていたのだ。そうしたことを背景にして、加計学園の獣医学部設置はおかしいと、なぜ言わなかったのか。

 こういう『毎日新聞』記事をみても、この委員には不信感しか持てないな。


<大学設置審>「加計、新設条件満たさず」 複数委員が認識

12/29(金) 7:00配信  毎日新聞

<大学設置審>「加計、新設条件満たさず」 複数委員が認識


来春の新設が決まった加計学園の岡山理科大獣医学部=愛媛県今治市いこいの丘で、松倉展人撮影


 加計(かけ)学園の獣医学部新設計画について、文部科学省の大学設置・学校法人審議会(設置審)の専門委員会で審査に携わった複数の委員が毎日新聞の取材に応じ、「獣医学部新設の前提となる4条件を満たしていない」との認識を示した。設置審の答申を受け、文科相は11月に認可したが、1人は「本来なら来年度も再度審査すべきだった。時間切れになった」と語り、来春開学の日程が優先されたことを示唆した。

 文科省は27日、今年度の設置審の議事要旨を公開した。加計学園に関する記述は17行しかない上、獣医学の専門家が実質的な審査をした専門委員会(14人)の議事要旨は「自由闊達(かったつ)な意見交換を妨げる」などを理由に非公開とされた。

 政府は2015年、特区制度での獣医学部新設について「獣医師が新たに対応すべき具体的な需要がある」「既存の大学・学部では対応が困難」など4条件がそろった場合に検討すると閣議決定。今年1月に加計学園が事業者に選ばれ、計画が4条件を満たしているのを前提に設置審で審査された。

 設置審は教育課程や設備が大学設置基準に適合しているかを判断し、4条件は審査の対象外だが、委員の一人は「最初から4条件を満たしていないと思った。『他大学にできないことをする』というが、このカリキュラムでできるのかとの疑問があった。募集する学生数(140人)も多い」と話した。

 設置審は翌年春の開学に間に合うための通常の認可期限となる8月末、加計学園の計画について判断を保留し、修正を求めた。この委員は、修正後の計画も「熟度が高くなかった」とし、「時間切れで認可になってしまった。本来なら来春に再度、審査すべきだと思った」と話した。

 別の委員は加計学園の計画について「(学部が新設される四国での)需要をきちんと説明していない。これまで50年以上も認めていなかった新設を認めるのだから、公明正大にやるべきだ」と指摘。認可答申の結論については「審査意見に対して学園側が計画を修正した以上、認めざるを得なかった」と語った。他のある委員は「修正した計画を学園が履行できるのか、最後まで確証がなかった」と振り返った。【水戸健一、伊澤拓也】
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対米隷属国家・日本

2017-12-29 08:22:53 | その他
 日本の国家財政は、米軍のためには無尽蔵である。今日の『中日新聞』記事。

「無人」の米軍根岸住宅地区 日本側が計100億円超負担 

2017/12/29 朝刊

 二〇〇四年に日本側への返還が合意されながら手続きが進んでいない横浜市の在日米軍住宅施設を巡り、ほぼ無人となった一五年以降も、日本側が施設区域の民有地の借り上げ費用など年間約二十億円を負担し続けていることが、防衛省への取材で分かった。地元関係者らからは、税金の無駄遣いだとして早期返還を求める声が上がる。

 施設は米軍人とその家族向けの「根岸住宅地区」で、横浜市の中、南、磯子の三区にまたがり、面積は東京ドーム九個分にあたる約四十三ヘクタール。周辺は閑静な住宅地で地元は長年、返還を求めてきた。

 〇四年十月の日米合同委員会で、米軍施設「池子住宅地区」(横浜市金沢区、神奈川県逗子市)に新たな住宅を建設するのと引き換えに日本側への返還が決定。その後、建物の老朽化もあり一五年十二月には、居住していた米軍人らは施設外の民間住宅に移るなどして全世帯が退去。現在も警備要員らを除きほぼ無人となっている。

 ただ、移設先の池子地区の周辺住民は開発による緑地環境の悪化などを懸念し、建設に難色を示している。このため根岸地区の返還手続きは停滞している。防衛省は毎年、池子地区の新住宅建設の前提となる環境影響評価(アセスメント)費用を予算計上し、一八年度予算案にも一億三千四百万円を盛り込んだが、着手のめどは立っていない。

 日本政府はこの間、米軍への施設提供を日本側の義務とした日米安全保障条約と日米地位協定に基づき、根岸地区内の36%を占める民有地の借り上げ費や崖地保全費用を負担し続けてきた。周辺地価などを参考に一六年度実績で約二十一億円かかり、米軍が退去した一五年度からの三年間では約六十億円を支出。今後も同程度の金額が必要となる見込みだ。池子地区への移設に今すぐ着手したとしても完成までには最低二年以上を要するため、支出は百億円を超えることになる。

 根岸地区の地元自治体の関係者は「多額の費用がかかっており、無駄遣いだ。池子地区と切り離して先行返還を考えるべきではないか」と訴える。跡地利用を検討している横浜市基地対策課の担当者も「米軍施設は必要がなくなれば返還するのが原則。国は実態を踏まえ、米側と協議するなどしかるべき対応をとってほしい」と話す。

 防衛省地方調整課は「日米の政府間合意は重い。早期の池子地区の住宅完成を目指したい」としている。


 <米軍根岸住宅地区> 1947年に米軍が接収し、米海軍軍人ら約400世帯が入居していた。国有地が64%、民有地が36%。日米両政府は2004年10月、池子住宅地区に700戸の住宅を建設することを条件に返還に合意。14年に池子地区の整備戸数を171戸に修正したが、移設が進まず、根岸地区の返還も動きが止まっている。日米安全保障条約と日米地位協定に基づき、米軍への施設提供は日本側の義務とされ、返還は米側の合意が必要。
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『愛媛新聞』コラム

2017-12-28 21:03:33 | その他

ごく少数派

2017年12月28日(木)(愛媛新聞)

 いわれなき誹謗(ひぼう)中傷に胸が痛む。米軍ヘリの窓が落ちた沖縄県宜野湾市の普天間第二小学校に「学校をどかすのが筋」「自作自演だろう」などの抗議電話が30件以上もあった▲

 ヘリの部品とみられる物体が屋根に落ちた保育園も同様。「基地で暮らしているんだから文句を言うな」。苦難の歴史を強いられてきた県民を、さらにおとしめる「弱い者いじめ」▲

 普天間飛行場はもともと、学校や住宅があった土地を米軍が接収して建設、約8800人いた住民は周辺に移住させられた。学校は一時移転計画が浮上したが、跡地を米軍に提供することが条件。基地拡大に反対する住民に配慮して断念した▲

 今は、沖縄の県民総所得に占める基地関連収入は5%にすぎない。わざわざ学校に電話をかけ、無知と偏見をさらけ出す人たち。自分が逆の立場なら、という想像力は全く働かないようだ▲

 冷たい仕打ちは安倍政権も同じ。普天間飛行場移設を巡って対立する知事への「腹いせ」だろうか。来年度の国の沖縄振興予算を2年連続で減額した。昨年の沖縄担当相は機動隊員による「土人」発言を問題視もしなかった▲

 インターネットのブログなどが批判の書き込みであふれる「炎上」。1%足らずのごく少数の人が繰り返し書き込んでいるのが原因とする調査結果がある。沖縄への中傷もごく一部に違いない。ただ政府の姿勢が彼らを後押ししているとしたら、理不尽で悲しすぎる。
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【本】高杉一郎『わたしのスターリン体験』(岩波書店)

2017-12-28 20:21:35 | その他
 この本を読んで、高杉のスターリン体験は、シベリア抑留だけではないことがわかった。彼は、マルクス主義の洗礼を受けていた。だから、当然ではあるがソビエト連邦への関心を持ち続けていた。ある意味で、ソ連の実態を知る前は、社会主義というものを肯定的にとらえていたようだ。

 しかし、1930年代、ソ連の内実がさまざまなかたちで伝えられることにより、ソ連に対して大きな疑念をもちはじめた。彼は、エスペラントだけでなく、英語、仏語、独語をマスターしていたから、外国語文献を通して、より明確にソ連の内状を知ることができた。すでに高杉はスターリン体制の姿の一部を、知っていたのだ。

 レーニンなどと共に、ロシア革命を遂行した仲間にトロツキーという人物がいた。スターリンは、最終的に彼を暗殺するのであるが、そのトロツキーとつなげることでたくさんの指導者を殺した(処刑した)。

 ソ連国内にいる指導者が、トロツキーと関係したとして、まったくでっちあげの「事実」をつくりあげ、殺していった。それも裁判までして。だが、裁判といえば、多くの人間がそれに携わる。その多くの人間が、まったくの虚構にもとづいて裁判を行い、死刑の判決を下す。裁判で提示された「事実」はまったく架空の話であった。

 なぜそんなことが可能になるのか。

 しかしそうした疑問をもってもしかたがない。我が日本でも、それと同じようなことは大日本帝国の時代も、そして現在でもふつうに起きている。権力者に媚びへつらうために、権力者が喜ぶようなことを、ウソでもつくっていく。

 独裁体制は,独裁者がひとりでつくりあげるのではなく、その周辺にいる者たちが独裁者を独裁者に仕立てていく。どこの国でも同じだし、いつでも同じ。

 権威主義的な人間、力ありそうに見える者にへつらう輩はいっぱいいる。

 私がマルクス主義の文献を読み始めた頃、まだ社会主義の祖国ソ連という認識があった。だからソ連を擁護する発言もしていたことがある。左翼の文献では、私が若い頃も、ソ連など社会主義国といわれている国々については肯定的な説明がなされていた。若くして亡くなった金沢史男さんは、「僕の頃は、もうそういう感じはなくなっていた」と言っていたが、すでにスターリン独裁が行われていた1930年代に、驚くべき「粛清」や多くの人を「収容所(ラーゲリ)」に送ることがふつうに行われていた。それがなぜ一般的な認識になっていなかったのか。

 ソ連史をもういちど学ばなければならないと思った。
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ワンセグとテレビ

2017-12-28 08:10:45 | その他
 これは『朝日新聞』記事の一部。

NHK受信料、ワンセグ携帯も対象 東京地裁判決   2017年12月27日17時45分

 ワンセグ機能付きの携帯電話を持つだけでNHKが受信契約を義務づけるのは不当だとして、東京都葛飾区議の男性(50)がNHKに契約の無効確認などを求めた訴訟の判決が27日、東京地裁であった。鈴木正紀裁判長は「ワンセグ機能付き携帯電話を持っていれば、契約を結ばなければならない」と述べ、請求を棄却した。男性は控訴する方針。

 放送法は「受信設備を設置したらNHKと契約しなければならない」と定める。判決は放送法の規定について「条文の『設置』とは、受信機が一定の場所に置かれるだけでなく、使用できる状態の受信機を管理、支配する意味だ」と認定。受信契約は有効と結論づけた。


 日本はすでに三権分立は放棄されたような気がする。安倍政権独裁制だ。NHKが安倍政権の広報機関としての地位を確立してから長い年月が経過する。そのNHKの政府広報を、金を払って見なさい、というのが、昨今の裁判所の決定である。

 その強制は、携帯電話のワンセグ機能にまで及んで来た。携帯電話を買ったらワンセグ機能がついていた、テレビを見ようとして携帯を買ったわけではない。しかしそれでも裁判所は受信料を払えという。まさに強制である。

 こういう強制を、NHKと裁判所を含む政治権力がまさに強制しているのだ。これではもう専制国家と言うしかない。
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「攘夷」

2017-12-27 20:36:41 | その他
 晶文社が1996年に刊行した『鶴見俊輔座談 近代とは何だろうか』を読んでいる。そのなかで、色川大吉、竹内好との座談、「明治維新の精神と構想」を読んだ。

 来年も某所で講座を引きうけている。来年は、安倍政権が「明治150年」ということで、明治の時代を美化し、11月3日の「文化の日」(明治時代の天長節=明治天皇の誕生日)を「明治の日」にしようと画策している。

 講座では、そうした動きに抵抗する内容にしたいと思って読んでいるのだが、この座談はちょうど佐藤栄作内閣が行った「明治百年祭」の頃になされたようで、「明治百年」で維新の精神を復活させたいなら、「攘夷」であり、「攘夷の精神」は、基地闘争だという指摘が鶴見によってなされている。

 明治百年から50年経って、現在も「攘夷」を主張しなければならない。「攘夷」とは、夷を攘(はら)うという意味であるが、それは「自主」ということでもあった。対米隷属は、50年前よりも強化されている。明治維新の精神である「攘夷」を打ち出すことは、現在でも必要なのである。
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司法の現状

2017-12-27 20:35:40 | その他
 今日はとても寒い、冷たい。戸外を粉雪が舞っていた。強い西風は頬を打つ。いちど用があって外出したが、車の窓には粉雪がはりつき、道路には車がいっぱい。これは外出しないほうがよいと思い帰宅。昼頃郵便が届いた。自動車メーカーの宣伝など。なかに『法と民主主義』12月号があった。

 今日はその後外出せず、ずっと活字とにらめっこ。

 『法と民主主義』の特集は、「憲法施行70年・司法はどうあるべきか」である。司法制度研究集会の報告である。

 基調報告は、「司法はどうあるべきかー戦後、戦前、そしていま」というテーマで、内田博文氏の講演内容であった。氏は、最近、岩波新書で『治安維持法と共謀罪』を出したばかりである。この文を読みすぐに注文を出した。
 
 内田氏は、他にも『刑法と戦争』、『治安維持法の教訓』(いずれもみすず書房。高額本である)を刊行するなど、この分野での第一人者である。

 さて、明治期にヨーロッパの法を学んでつくられた日本の近代刑法は、治安維持法などの戦時治安法が覆い尽くし、近代刑事法は戦時刑事法の中に消えていったというのである。

 そして今、戦時治安法制が甦りつつあるというのだ。特定秘密法、安保法制、共謀罪・・・

 現代日本国家は、欧米諸国に比べて犯罪発生率が非常に低いのに、新自由主義的な「自己責任・事故決定」論のもとで「刑罰国家」になりつつあることが指摘されている。

 戦時刑事特別法が、「日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の応急的措置に関する法律」を介して戦後の新刑事訴訟法に継受されているという指摘に、刑事訴訟法を勉強した私は、びっくりした。そういうことを学んだことがない。

 学ばなければならないことが多い。
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