浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】立花隆『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』(文藝春秋)

2024-01-16 06:17:33 | 美術

 2004年に出版された本である。この年、静岡県立美術館で香月泰男の展覧会が開催され、私も見に行った。そのときの強烈な印象を理解しようとして購入したのがこの本である。そのときも読んで、書庫にしまってあった。今年、某所で「戦争と画家」をテーマとして歴史講座を行うことにした。そこでは、香月泰男と浜田知明の二人を主に取り上げようと思い、その一環でこの本を再読した。

 香月の絵で有名なのは、「シベリア・シリーズ」である。香月は「満洲」に動員され、敗戦によりシベリアに抑留され、強烈な寒気のなか過酷な労働を強制された。そのため、戦友の多くが命を落とした。

 その体験が脳裡から離れることはなく、彼はそれを絵にしていった。下絵は具象的ではあるが、完成した絵は抽象化され、普遍化された。

 その絵をみつめる人に、それらの絵は「難解」なものとなった。そこで香月は、それぞれの絵に文をつけた。

 たとえば「〈私の〉地球」という絵。そこにはこう書かれている。

周囲の山の彼方に五つの方位がある。ホロンバイル、シベリヤ、インパール、ガダルカナル、そしてサンフランシスコ。いままわしい戦争にまつわる地名に囲まれた山陰の小さな町。生家があり、今も絵を描き続けている「三隅」。それが私の地球である。

 これだけではわかりにくい。彼が「私のシベリヤ」に書いたものを紹介しよう。

私たちをガダルカナルにシベリヤに追いやり、殺しあうことを命じ、死ぬことを命じた連中が、サンフランシスコにいって、悪うございましたと頭を下げてきた。もちろん講和全権団がそのまま戦争指導者だったというわけではない。しかし私には、人こそ変れ同じような連中に思える。指導者という者を一切信用しない。人間が人間に対して殺し合いを命じるような組織の上に立つ人間を断じて認めない。戦争を認める人間を私は許さない。

講和条約が結ばれたこと自体に文句をつけるつもりはない。しかし、私はなんとも割り切れない気持ちを覚える。すると我々の戦いは間違いだったのか。間違いだったことに命を賭けさせられたのか。指導者の誤りによって我々が死の苦しみを受け、今度は別の指導者が現れて、いちはやくあれは間違いでしたと謝りにいく。この仕組みが納得できない。どこか私の知らないところで講和が決められ、私の知らない指導者という人たちがそれを結びにいく。いつのまにか私が戦場に引きずり出されていったのと同じような気がする。この仕組みがつづく限り、いつ同じことが起こらないと保証できよう。

 香月の絵には、戦争批判がある。みずからのシベリア体験、戦場体験をもとにした戦争批判が、こめられている。

 香月の絵、とりわけシベリヤ・シリーズは、今だからこそ、見つめる価値がある。そう思うから、私も香月泰男の絵をとりあげる。

 

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この映画は見たいな

2022-03-29 22:00:13 | 美術

見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界

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フェルメール「真珠の首飾りの少女」

2021-01-31 19:40:28 | 美術

 フェルメールの「真珠の首飾りの少女」、ものすごく詳細に見つめることができる

 

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望月桂の図録

2020-11-04 20:54:37 | 美術

 今日は冬の冷たい風が吹いていた。午後3時頃畑に立ったが、体を動かしても汗が出ない。12月の気温ではないかと思った。

 さて長野の八十二文化財団から『民衆美術運動の唱導者 望月桂展』が届いた。ずっと前に行われた展覧会の図録である。

 先に紹介した『公の時代』に、望月桂に注目が集まっているとありきちんと知っておく必要を感じて購入した。日本の有名な画家は画集が出ているが、望月桂のものは一般図書として販売されてはいない

 東京美術学校出身の望月は大杉らと交遊しつつ(大杉と一緒に『漫文漫画』を出している)、美術を民衆のものにしようと活動した。「大正期」のそうした動きは、その後につぶされていくが、望月らの躍動を知っておくべきだと思うのだ。

 というのも、『公の時代』にもあったように、「大正期」はその後の昭和前期の全体主義により窒息させられるが、現代も同じ方向に動いているような気がしているので(「あいちトリエンナーレ2019」を見よ)、よけいにその時期の躍動を知りたくなったのだ。

 躍動は、狂信的国家主義者の簑田胸喜らの激しい攻撃によって開始され、それが国家権力による暴力を導き出すことによって、息の根を止められた。現在も同じような状況があるように思う。

 図録には、庶民を描いた絵があった。庶民は日々を生きていく。日常を生きていくことが目的の人生だ。

 だが、それだけでよいのか。そこに何かが入り込まなければならない。

 アメリカ大統領選の動向を気にしながら、望月桂の絵を見ている。

 

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表現と継承

2020-10-29 21:44:07 | 美術

 自分自身を表現する手段として、私は文字しか持っていない。しかし表現の手段はいろいろある。音楽は言うまでもない。このブログで韓国の民衆美術を紹介してきたが、美術もその手段である。

 しかし美術という場合、それは絵画であり、また彫刻や版画である。だがそういうものに包含されない表現もある。『美術手帖』から送られてくる情報に、それを発見した。

それは、

原爆落下中心地に立ち上がる被爆者の「声」。松久保修平評 竹田信平 「声紋源場」プロジェクト

である。

長崎の原爆投下地点に、被爆者が語った被爆体験の声紋を「描き」、そしてその声を聞く。

文字ではなく声紋。声紋ではもちろん何が言われているかはわからない。だが声紋を見る人びとは、おそらく被爆体験を想像するだろう。

そして実際に、その被爆体験を声で聞く。被爆という事実が、重なって、そこにいる人びとをとらえる。

被爆体験の継承、その手段は固定的ではなく、自由に開かれている。どう継承していくか、表現の手段は、きっともっとあるはずだ。

 

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