浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】『芥川追想』(岩波文庫)

2020-01-12 12:19:09 | 
 誰でも知っている芥川龍之介。そしていくつかは必ず読んでいるはずの彼の作品。今ボクは、彼の作品を全部読んでみようという無謀な計画を持っている。その無謀さを後押しするために読んだ本がこれである。

 「追想」であるから、当然彼の自死について書き記し、そして生前の芥川の一面に言及する。それぞれが一面を書き綴っているがために、多面的に龍之介を描くことになっている。ふむ、なかなか魅力的な人物だ。

 記された文、それぞれに魅力的である。いつもよりもゆっくりと私は読み進めた。それは読みながらしばし本を置いて反芻したからである。書いている人たちがそれぞれ文に生きている。それぞれ個性的な文の中に芥川を描写し、そこに余韻をもたせている。その余韻がブレーキとなるのだ。

 ボクは読みながら赤線を入れていった。芥川という人間を表することばや文にしるしをつけていった。それは多くは今まで語られてきたものでもあり、そんなに新鮮さは感じなかった。

 だが、中でも知らなかった芥川像を示すものが二つあった。一つは諏訪三郎の「敗戦教官芥川龍之介」である。芥川は、東京帝大卒業後、横須賀にあった海軍機関学校で英語の教官となった。そこで芥川は、教材として敗戦や衰亡を描いた物語を、逐語訳ではなく、大胆な意訳によって説明していったそうだ。いつしか芥川は、敗戦教官といわれるようになったとか。そこでこういうことを語ったという。

 「君達は、勝つことばかり教わって、敗けることを少しも教わらない。ここに日本軍の在り方の大きな欠陥がある。むろん、敗けてはならない。しかし勝つためには、敗ることも考えるべきだ。さらにいうが、戦争というものは、勝った国も敗けた国も、末路においては同じ結果である。多くの国民が悲惨な苦悩をなめさせられる。」

 こういうことを語った芥川は、他の教官が短髪であったのに、あの長髪ですごしていたそうだ。そして学生の「小説は人生にとって必要ですか?」という問いに対して、「それなら君にきくが、小説と戦争とどっちが人生にとって必要です?」と聞き返し、芥川はこう語ったという。

 「戦争が人生にとって必要だと思うなら、これほど愚劣な人生観はない」

 もう一つ。芥川家にはお手伝いさんがいた。芥川家は、しかしお手伝いさんをお手伝い扱いせず、家族の一員として遇していたそうだ。一緒に食事をし、食べるものも同じであった。お手伝いさんのひとりであった森梅子さんはその様子を書いている。

 「私達に対しても決して威張りも、横へいもせず、ほんとに主人と思われないような愛のあるー先生」

 芥川は、この二点だけでも、ボクにとってはきわめて魅力的なのである。だから、彼の作品は、読む価値があると思うのだ。

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