浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【映画】韓国映画「サニー 永遠の仲間たち」

2020-01-22 22:41:48 | 映画
 毎日映画コンクールで、「新聞記者」が日本映画優秀賞を獲得、また女優主演賞がシム・ウンギョンであった。シム・ウンギョンは、韓国版「のだめカンタービレ」でも主演をし、また「サニー 永遠の仲間たち」でもほぼ主役であった。

 この「サニー 永遠の仲間たち」は、アマゾン・プライムでみることができる。女子高校生の不良集団(?)だった人々が、歳をとってから再会するというストーリーだが、なかなか感動的である。内容は女性向きかもしれないが、男性が見ても感動する。

 高校生の頃は人生のその先に何があるかわからない、不安や希望を持って、その時期を面白おかしく生きる。しかしその時期は、あっという間に過ぎてしまい、その後はそれぞれが様々な選択を重ねながらみずからの人生をつくっていく。

 しかしあるとき、ふと高校時代、青春の時期を振り返るときがある。ああ、青春は輝いていたなあ、今は輝いていない、とか、失恋の経験やけんかなどの思い出がふと出てくる。

 仲間の一人が癌を発症し余命幾ばくもないという診断が下されたことをきっかけに、高校時代の仲間たちを探し出す。仲間はそれぞれの道を歩むが、高校時代の結束は心の中に燃え続けていた。仲間は、長い間離れていたが、仲間は永遠の絆でつながれていた。

 最後の場面が素晴らしい。あり得ない話ではあるが、仲間が復活し、同時に人生が開けていく。

 見る価値は十分にある。
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【本】安田浩一『愛国という名の亡国』(集英社新書)

2020-01-22 14:59:42 | 
 読みやすい本である。ネットなどでさらっと情報を読んで、あまり詳細なことを知らなかったことがここではきちんと書かれている。

 まず第一章、「愛国という亡国」は、右翼とネトウヨのことが書かれている。右翼とネトウヨは今ではほとんど同じような存在になっているが、そうではない右翼もいる。沖縄で反基地の運動に関わっている右翼もいる。右翼であれば、それが本当の右翼と言えるだろうが、ほとんどの右翼は安倍晋三やネトウヨと共同歩調をとっている。
 そのなかに森友学園の籠池泰典もいた。今では、安倍晋三に裏切られ棄てられたことから、反安倍政権の先頭に立っているが、しかし森友学園を経営していたときの籠池の行動はまさにネトウヨと同じであった。籠池がどれほど過去のみずからの行動を自己批判しているかどうかわからないので、安易に判断は出来ないが、そういう過去があったことをふまえていかなければならないと思う。しかし右翼やネトウヨというのは、切るときは素早く、かつ徹底的であることが、この森友事件で知った。

 第二章は、「移民を拒む移民国家」である。すでに日本ではたくさんの外国人が働き生活している。にもかかわらず、日本政府は公式には「移民」を認めていない。外国人労働力なしには日本経済は立ち行かなくなっているにもかかわらず、である。一方では実習生という名の低賃金で働き必ず出身国に帰国させるという外国人労働者の存在がある。彼らに対しては、日本政府はまったく庇護する気配はない。使い捨て労働者としてのみ使っていこうという野蛮な雇用者と足並みを揃えて見て見ぬふりである。長野県川上村の事例が記されている。また帰国を迫られたタイ人母子のことも記されている。日本の入管の非人間性があぶりだされる。

 第三章は、「デマと愛国。沖縄編」。アベ政権の政治と歩調を合わせるネトウヨや右翼は、沖縄への差別を平然と行う。その事例が記されている。東京都知事の小池百合子の沖縄蔑視も書かれている。小池も、ネトウヨをつながるところがある。

 第四章は、「時のなかの生」。ジャーナリストの本田靖春のことが記されている。私も本田の本はほとんど読んでいるが、ジャーナリストとしての本田の人間性の一部が記されている。笹川陽平、池口恵観、二人の人物について書かれたことについてはまったく知らないことであったのでとても参考になった。

 第五章は、「ヘイトの現在地」。ヘイトスピーチは、強力なカウンターの力によって表面にでてくる者は減ったが、まだまだのさばっている。彼らのヘイトスピーチをはじめて知ったときの驚愕を忘れられない。よくもこんなひどいことを平気で、大声で、それも公の場で語れるなあと思った。ネットに書き込まれている同じことが街頭で叫ばれているのだ。私には、とても信じられないことである。なぜそんなことができるのか。その背景にあるのは、アベ政権そのものがヘイトスピーチの仲間だからではないか。アベ政権=ネトウヨ=ヘイトスピーチ集団。

 地方に住む者に、東京を中心にどういうことが起きているのかを知る良い本である。多くの人に読んでもらいたい。
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コンビニ

2020-01-22 10:04:37 | 社会
 コンビニはほとんど利用しない。唯一利用するのは、コピーである。図書館から借りだした本で、重要であると判断したところをコピーして保存するためだ。ミニストップのコピー代が1枚5円なので重宝している。それ以外には利用しない。

 そうした私は、コンビニが作られては消えていくという「現象」から、経営者の苦難を思うだけである。コンビニ業界が過酷であり、本部だけが儲かるという構造は、ずっと前から報じられていた。にもかかわらずコンビニ店主となってみずからの生活を破壊する人が後を絶たない。
 経営者のことを思うと、24時間営業なんて必要ないと思う。煌々と明かりをつけているなんて、電気の無駄遣いだと思うし、深夜働く人の大変さを思うと、24時間営業なんかはやくやめればよい。

 さて『世界』2月号には、前号に引き続き斎藤貴男による「コンビニ絶望経営」がある。

 本部から契約を取り消された大阪の店主・松本実敏さんのこのことばが重い。

 日本のコンビニの歴史は、社会を狂わせ、人間を駄目にする歴史でもありました。

 として、店のトイレの使用、駐車場の長時間停車、店のゴミ箱に家庭ゴミなどを捨てる、店の前で人々がたむろする・・・・・をあげる。

 「コンビニの人間には何をしても許されると思い込んでいる消費者が多すぎる」

 本部が「お客様第一主義」を店に強いてきた結果が、客のわがままし放題なのであった。

 問題を多数抱えたコンビニが、実は国家的保護に支えられて発展してきたことを、この文を読んで初めて知った。「中小小売商業振興法」がそれである。全国各地にあった個人商店、今ではほとんど消えかかっているが、国家はそうした個人商店がきわめて非効率であると認識し、それらを潰し、コンビニのような「効率的」な店舗の拡大を図ったのだ。

 斎藤はこう書く。

コンビニは国家に庇護され、大いに優遇されて今日の繁栄に至ったのである。結果は、はたして生業としての零細な店はことごとく淘汰された一方で、加盟店に対するFC本部の「優越的地位の濫用」が当たり前になった。

 私は小規模な個人商店が消されていった背景には、もうひとつ、規制が緩いままに出店がなされていった大店の進出があると思う。ほとんどの都市の中心商店街はシャッター通りと化し郊外のショッピングセンターに人が集まるという構造が、国家の庇護により推進されていったのである。

 中小や弱者が蹴散らされていくという社会。こうした社会を、私たちは望んでいるのだろうか。

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