浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

ウクライナのこと

2014-03-31 23:37:21 | 社会
 日本のメディアは、今もひたすらネオナチを利用するアメリカの立場に立った報道を繰り広げている。少しは勉強したらどうかと思うのだが、報道する側の人々の視野が狭いというか、きちんと動きを追っていないというか、国際的に活躍しているジャーナリストの言説に学ばないというか、いずれにしてもダメとしか言いようがない。

 そこで、以下に、ウクライナ問題について正確に報道しているジャーナリストの文を紹介する。

 http://tanakaryusaku.jp/2014/03/0009051

http://blogs.yahoo.co.jp/bunbaba530/68791394.html

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-c8d7.html

 勉強しないメディア関係者は、ジャーナリストとは言えない。
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【本】『現代思想』4月号は読むべきだ! 

2014-03-31 20:03:55 | 読書
 今日、7冊本が届いた。そのうちの一冊が『現代思想』4月号だ。

 読みはじめると、きわめて内容が濃い、そういう論文や座談会がいっぱいつまっている。
田舎でフツーの生活をしていると見えないもの、それが次々と提示されてくる。

 最初に読んだのが、杉田真衣「28になってしまいました」である。東京の「最低位校」の公立普通科高校を10年前に卒業したふたりの子ども(女性)の「その後」を追ったものである。その「子ども」も、現在28歳だ。いったいどう生きてきたのか、生きさせられてきたのか。

 卒業後、彼女たちは非正規の労働を転々とする。

 最近『週刊金曜日』(3・28号)の「竹信三恵子の経済私考」を読んだ。そのなかに、こういう記述があった。

 学力の高い男子は都会へ出ていき、残された男子は地元で低賃金の肉体系の仕事に従事する。一方、低学歴で容姿に恵まれた女子の多くは風俗産業に向かう。

 それに呼応するかのように、28歳になった彼女たちは、キャバクラにつとめている。それ以外の非正規労働にもつくが、いずれも低賃金であるため、キャバクラのような風俗産業と低賃金の非正規労働を行ったり来たり、あるいはかけもちで働いている。

 先日みたNHKの「クローズアップ現代」では、シングルマザーの最後に行き着くところは、託児所つきのフーゾク産業で、それが彼女たちの最後のセイフティネットだと報じていた。

 ボクはまだまだ、ほんとうの「現実」を知らないと思った。昨日、水俣病患者の緒方正人さんの「本来、責任とは痛みの共有だと思うんです」を引用した。ボクは、歴史を学ぶものとして、今ボクが生きている現実に「責任」がある、と以前書いたことがある。「責任」が「痛みの共有」であるなら、ボクはまだ共有していない。「現実」を知らないからだ。「現実」をもっともっと知ろうと思う。

 『現代思想』今月号の特集は「ブラック化する教育」である。教員になりたいといっているM君、この本は読んだほうがよい。教育の「現実」が赤裸々に記されている。この「現実」を前に、君はやはり教員となるのはやめようと思うのか、それともその「現実」に主体的に関わろうとするのか。ボクは、その回答を示すことができない。君が判断することだ。しかし「現実」は知っておいたほうがよいと思う。
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「自治」が消える

2014-03-31 08:43:43 | 社会
 むかし、むかし全国の大学には、学生による「自治会」というものがあった。各クラス(選択する語学により分けられたもの)から自治委員が選出され、それを構成メンバーとする自治委員会総会がいわば立法機関で、自治会の正副委員長、書記長は直接選挙で選ばれ、彼らが自治会の執行委員会を構成し、いわば行政機関となる。

 学内の問題への関わりはもとよりであるが、当時の自治会は政治に対するアクションが多かったような気がする。学内には立て看板(タテカン)が置かれ、いつも騒然としていた。しかしそれが学生生活であり、学生の熱気をつくりだしていた。

 サークル活動も盛んで、いろいろな研究団体が雨後の竹の子のようにあり、ボクも「裁判問題研究会」に属していた。語学とゼミ以外の大学の講義は最初だけ出席し、聴く価値があるかどうかを判断した。価値があると判断された講義は積極的にでたが、それ以外はほとんど聴いていない。サークルでの勉強こそが重要であった。

 当時のボクらは、学問研究というのは自らが行うものであるという認識があった。学問は与えられるものではなく、自らが学びとるものだという意識、それが大学の「自治」というものの基盤であったような気がする。

 さてその頃、大学の自治は「教授会の自治」であると非難され、学生も含めた全構成員の自治が主張された。実際、大学の学長(総長)選挙に、学生の意見を取り入れる制度を導入した大学もあった。だがそれはすぐに消え去った。「教授会の自治」はその後も存続していたが、最近はそれも形骸化し、大学の学長周辺の権限が強化されているというのが実態だ。おそらく近いうちに「教授会の自治」も消える。そのあとにくるのは、「上意下達」の大学運営である。「下意」は「上達」しなくなる。

 そして大学は、外の社会と同様の自由競争、弱肉強食の風潮に覆われることであろう。

 なぜこんなことを記すかというと、学生時代の後輩である水島朝穂早稲田大学教授から、彼が公開している「平和憲法のメッセージ 直言」を更新したという知らせがあり、それを読んだら「学生自治会」を
「学生会」という名に変更するという提案が、学生の圧倒的多数の投票で通過した、ということが記されていたのだ。学生は「自治」を捨てても良いという判断をしたのだ。実際自治会規約から「自治」ということばが放逐されているようだ。

http://www.asaho.com/jpn/index.html

 「自治」=self-government 。英英辞典をみると、政治的な概念の他に、self-government は self-control であると記されている。学生は、みずからが管理することより、他者による管理を選択したようだ。高校の「生徒会」程度の「学生会」でよいとしたのだろう。

 地方自治体も、広域合併により「自治」が実質的に機能しなくなり、大学からも「自治」が消えていく。これからは、こうした中間団体がなくなり、人々は中央の国家権力の前に個人として立つことになる。すでに国民背番号制度は成立し、国家権力からひとりひとりに番号がつけられる。その番号により、個人はほぼ完全に国家権力に掌握される。個人の秘密は消え、国家権力の秘密だけが肥大化していく(秘密保護法の成立)。

 「自治」が消える、ということは、本当はとても恐ろしいことなのに。
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「哲学者」

2014-03-30 15:53:43 | 読書
 長谷川三千子という人が、どのような思想を持っているかを知るために、彼女の本を何冊か借りた。『民主主義とは何なのか』(文春新書)、『正義の喪失 反時代的考察』(PHP)。しかし読み通せない。まったく面白くないのだ。文体はねちっこい。いろいろ本は読んでいるようだが、その本をもとにしての彼女の思考は浅薄としかいいようがない。学ぶべきものがない。皆無だ。これは驚くべきことだ。

 この人は「哲学者」だという。東大の哲学科出身。何とあの作家・野上弥生子氏のお孫さんだという。

 それにしても、ひどい。「正義の喪失」という文は、戦争と正義、戦争責任について述べているのだが、こういう問題について何らかの主張をするためには、ある程度の知識が求められる。しかし彼女は、浅い知識で「論じて」いく。つまり本は読んでいるのだが、そのテーマに関する学びが足りない。足りないから浅い。

 次いでボクは『常世の舟を漕ぎて』(世織書房)という本を読んだ。緒方正人という不知火海で魚をとっている漁民だ。彼が語ったことを、辻信一さんがまとめたものだ。

 緒方さんは漁師の家に生まれた。中学校までしか出ていない。だが、彼が語ることば、ことばが、実に深いのだ。緒方さんこそ、「哲学者」であるとボクは思う。

 緒方さんの父は水俣病で亡くなった。緒方さん自身も水俣病だ。家族には胎児性水俣病の甥や姪がいる。

 1953年生まれの彼の人生は波瀾万丈である。家出し、やくざ=右翼団体に関わり、水俣病患者の闘いに先頭になって参加し・・・常に体当たりでぶつかっていく行動派であった。彼はその行動を経て、その後深い深い思索をする。その過程で「狂」的な状況になったこともある。まだ決して年寄りではない彼が、そうした人生を送ってきたなかで紡ぎ出されてきた思想は、強くボクの精神を撃つ。

 そのなかに「本来、責任とは痛みの共有だと思うんです」があった。水俣病の責任を、チッソや国、県などに追及していくのだが、そこにあるのは「構造的な責任」であって、そこに現れる人々はたとえ責任をとったとしても、その責任は「痛みを共有する」ものではなく、それはカネとなってしかあらわれてこない。

 緒方さんは、「責任」という問題を徹底的に突き詰めていく。人間存在そのものの責任であり、「人が人を人と思わなくなった時」に、水俣病の責任は発生する、と。

 緒方さんの母は、「イヲばとって、カライモ作って、それを食って生きとれば、それでよかたい」という。若い頃、そのことばに反抗していた緒方さんは、今はこう語る。

 「国家なんてものは切ってうしててよか、あげんとなかったちゃよか、ということです。そんなもんなしに俺たち人間は生きてきたんだし、これからも生きていくんです。生き物として、海や山や草木に向き合って。」
 
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【本】安富歩『ジャパン・イズ・バック』(明石書店)

2014-03-30 08:59:05 | 読書
 さらさらと読める。読んでいて、同感するところ多い。ある種のカタルシスとなる。あまりに現在に失望感をもっているから、こういう本をよむとすっとする。

 この本でなるほどと思ったことの一つ。

 「イッポンをトレモロす」である。安倍首相が先の衆議院選挙時に「ニッポンを取り戻す」と叫んでいたが、よくよく聞くと「イッポンをトレモロす」と聞こえるというのだ。ユーチューブで探して聞いてみたら、その通りだった。ボクは好意的に聞いていたわけだ。

 安富氏は「立場主義」というキーワードで日本の政治社会を読み解こうとするが、いまいちのれない。別に学術書ではないため、論が緻密ではないからだ。

 該博な知識を背景に、すらすらとかいている感じの文体である。だから読みやすい、ということは読み飛ばしてしまうということでもある。

 一方に反知性主義の、安倍首相をトップとする権力を掌握している一部の集団があり、他方に安富氏らの現在のありかたに疑問を持つ、豊かな教養をもった知性主義の人々、そしてその間にいる多数の非知性主義の国民。それが今の日本の状況ではないかと思う。

 いずれにしても、「知」というものが軽視されている時代だ。豊かな教養をもつ人間からは、現在の政治社会はこう見えるのだという、そういう本である。

 この本は図書館から借りた。
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国家戦略特区って何?

2014-03-29 19:32:59 | 政治
 「国家戦略特区」に6地域が選ばれたという記事があった。以下の記事は『東京新聞』であるが、『東京新聞』『中日新聞』の憲法などに関する姿勢は評価できるが、しかし新自由主義経済政策に関しては、他紙とあまり変わらない。この記事の見出しも、「経済政策の試金石に」などと、肯定的になっている。

 しかし、その「特区」きわめて問題が多い。それについては、下記の講演記録を見て欲しい。

https://www.youtube.com/watch?v=CxtOfcK32GM

https://www.youtube.com/watch?v=W-XiWu9AimA

https://www.youtube.com/watch?v=4qWJsb1d9WU

https://www.youtube.com/watch?v=P19gpoVa38U

国家戦略特区に6地域 経済政策の試金石に
2014年3月29日 朝刊

 政府は二十八日、首相官邸で「国家戦略特区諮問会議」(議長・安倍晋三首相)を開き、戦略特区の対象地域に東京や神奈川、千葉県成田市の「東京圏」や、沖縄県など六地域を選んだ。安倍政権の経済政策の中でも、国家戦略特区は成長戦略の柱と位置付けられる。特区の成否は政権の経済運営の試金石ともなる。

 戦略特区のうち、東京圏は「世界から人材や投資を呼び込む国際ビジネス拠点」として、国際競争力のある街づくりや医療体制の構築、歴史的建築物の活用などの事業に取り組む。

 東京都は同日、地区によって道路上への飲食店出店を認めるなどの追加提案をした。

 東京圏のほかには、「関西圏」(大阪、兵庫、京都)の「再生医療・先端医薬などの医療拠点」、新潟市の「大規模農業の改革拠点」、兵庫県養父市の「中山間地農業の改革拠点」、福岡市の「雇用改革拠点」、沖縄県の「国際観光拠点」の計六地域・政策テーマが選定された。

 安倍首相は会議で「今後二年間で岩盤規制の突破口を開いていく」と強調。新藤義孝総務相は会議後の会見で「地域のやる気や先進的な取り組みをする自治体を選んだ」と選定理由を語った。今回の選定から漏れた自治体についても「中身の詰まった追加提案があれば、第二弾で指定もあり得る」と述べた。
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イヤーな会社

2014-03-29 14:58:54 | 日記
 ワタミという会社、こういうニュースをみると、ホントにイヤ~な会社であることがよくわかる。


http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/249946/
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コピペとモカイ

2014-03-29 00:22:48 | 日記
 「弁護士ドットコム」に以下のような文を発見した。

 小保方さんの問題から、コピペが早稲田大学でひろく行われているのではないかと心配した弁護士が、早稲田大学法学部を取材したようだ。そしたら「モカイ」というものが流行っているようだ。つまり、「模範解答」を略して「モカイ」と呼ぶのだそうだ。モカイを丸暗記して試験に臨むのだという。

 いやはや、なんということか。ボクもここを卒業しているけれども、ボクらの頃はそんなことはなかった。試験シーズンになると、他の学部、とくに文学部生が遊んでいるのを横目でにらみながら、法学部生は分厚い本とひたすら格闘していた。憲法、民法総則、刑事訴訟法、商法・・・・どんな問題がでるかわからないので(ヒントをくれる教員もいたが)、とにかく勉強した。

 ボクは学生時代から、法律を学んではいたが、歴史が好きになりそちらを主に勉強していたから、法律の試験はそれはそれは苦しかった。それでもそれぞれの法分野に関して、一冊ではなく数冊の本を読み比べて試験に臨んでいた。「法哲学」という科目もあったが、試験はレポートだったが、それについてはよく書けたと自分でも思っている。もちろん成績は「優」であった。

 いろいろな法律を一通り学んだが、とくに憲法、労働法、刑事訴訟法、経済法、教育法、社会主義法については面白かった。

 ボクの学生時代に、「モカイ」などという邪道がもしあったら、ボクはおそらく法を知ることはできなかったと思う。この時代の法学部はすべての法を学ばせるシステムであった。おかげで、社会でおきているいろいろな問題を理解することにすごく役立っている。

 何でも自分から学ぶ、考える、ということが大切だ。それが後々生きてくるはずだ。



http://www.bengo4.com/topics/1330/

小保方さん「コピペ論文」で揺れる早稲田大学――法学部に広がる「モカイ文化」とは?

「世紀の大発見」と絶賛されながら、その後、多くの疑問が指摘されている「STAP細胞」論文。筆頭著者である理化学研究所の小保方晴子ユニットリーダーが、論文の画像を切り貼りしていたことや、博士論文で使用した画像を流用していたことなどが判明し、大きな問題になっている。

STAP細胞の研究論文だけでなく、小保方さんが早稲田大学の大学院時代に執筆した博士論文についても、海外の文献を大量にコピーアンドペースト(コピペ)した疑いが指摘されている。その結果、小保方さんに博士号を与えた早稲田大学にも、批判の矛先が向けられる事態となった。

このような現状について、早稲田大学に通う学生たちはどう考えているのか。特に、社会のルールである法律について学んでいる法学部生はどう思っているのだろうか。そう考えて取材したところ、コピペ文化ならぬ「モカイ文化」というものが学生の間に広がっていることがわかった。

●授業のレポートを「コピペ」で済ませることも

「小保方さんのコピペ問題をもって、早稲田の学生がみんな、コピペに走っているとは思わないでほしい」

商社マンを目指すショウタくん(仮名、以下同じ)はこう嘆く。今回の騒動を受け、ネットでは早稲田大学のことを「コピペ大学」と揶揄するカキコミも見られるが、「とんだトバッチリだ」と不満をもつ学生が多いようだ。

では、そんな法学部の学生は、コピペで論文を書いたりしないのだろうか。

「さすがに卒業論文とかで、コピペはまずいと思います。でも、授業のレポートをコピペで出して、単位をもらったことならありますね」

そう語るのは、就職活動中のチサさんだ。彼女は参考文献に「Wikipedia」とだけ書き、その引用でレポートを提出したこともあったという。「学生なんてそんなもんだし、早稲田に限らないと思いますよ」

さらに、彼女が学ぶ法学部には、コピペ文化と性質が似ている別の問題があるという。それは「モカイ文化」と呼ばれるものだ。

●学生が所属する法律サークルで配られる「モカイ」

モカイ文化の背景として、法律系の資格試験やロースクールの受験に関して情報を交換しあう「法律サークル」の存在がある。その機能について、映画監督を志すダイキくんが説明する。

「法学部のほとんどの学生は、入学するとまず、『法サー』と呼ばれる法律サークルに所属します。そこで、法律科目の試験答案の書き方などを学ぶのですが、試験前になると、サークルでは、上級生の作成した『模範解答』が配られるのです」

「模範解答」を略して「モカイ」と呼ぶのだという。なるほど、そこで手に入れたモカイを参考にして、試験に備えるということだろうか。

「参考に、というのとは、ちょっと違いますね。丸暗記です。出回っているモカイを丸覚えして試験に臨むのです」

こう補足するのは、弁護士志望のトモコさんだ。

「そういったモカイの丸暗記・丸写しについては、容認する空気が学生間にあるように思います。難解な法律問題を独学で勉強したり、自分で組み立てた独自の法律解釈を答案に書いたりしても、結局のところ、単位がとりにくいからです」

つまり、コピペそのものではないものの、誰かの答案をそのまま丸写しして、それで良しとする文化が、法学部生の間に蔓延しているということだ。このようなモカイ文化に対して、法学部2年のトシキくんは「クソだと思います。丸暗記で済ませたら、それに凝り固まってしまいますよ」と厳しく批判する。

●「モカイ」は教授にバレていないのか?

だが、その一方で、「そもそも学部の試験が難しすぎる。学生はモカイでも教科書でも結局、暗記するしかない」(チサ)と割り切る学生もいる。学生の多くは「ちょっと罪悪感はあるけれど、留年するよりはマシ」(トモコ)と考えているようだ。

一つ疑問に思うのは、このような「モカイ文化」は、学生を教える教授にもバレているのではないか、ということだ。

「法サー」の数が限られていることを考えると、学生間に出回るモカイ、すなわち模範解答の種類はそれほど多くはないばすだ。とすれば、試験を採点する教授のもとには、まるっきり同じ内容の解答が何十通も集まることになり、「モカイ」であることが一目瞭然なのではないか。

実際のところ、「モカイっぽい答案を落第させる教授もいる」(トシキ)という。しかし、「何百人といる必修授業では、全員の答案をチェックするのは現実的でない」(トモコ)という見方もある。教授も、そのような答案を黙認しているのかもしれない。

そんなわけで、早稲田大学法学部の試験では、モカイでも単位が取れてしまうことが多い、というのが現実のようだ。


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袴田事件 『中日新聞』社説

2014-03-28 08:26:32 | 読書
 「冤罪は国家の犯罪」、まさにその通りである。連日の長時間の取り調べで精神的に追い込まれた袴田さんは「自供」。しかし、この長時間密室の取り調べが、常に冤罪発生の出発点であった。

 この袴田事件の場合、犯行時に使用したとされる服が、袴田さんがとても着られるものではなかった。それとて、捜査段階ではなく、袴田さんを犯人とする証拠が疑われるようになってから突然味噌タンクから「発見」されたものであった。まさに袴田事件は、最初から冤罪であることをみずから証明したような事件であった。しかし検察、裁判所は「死刑」とした。

 そして48年間、袴田さんを拘置所に閉じ込めた。これは「国家犯罪」以外、言いようがない。

 『中日新聞』社説を掲げる。

冤罪は国家の犯罪 袴田事件再審決定 

2014年3月28日

 裁判所が自ら言及した通り、「耐え難いほど正義に反する状況」である。捏造(ねつぞう)された証拠で死刑判決が確定したのか。速やかに裁判をやり直すべきだ。

 事件発生から一年二カ月後に工場のみそタンクから見つかった血痕の付いた衣類五点は、確定判決が、袴田巌さんを犯人と認定する上で最も重視した証拠だった。

 その衣類について、今回の静岡地裁決定は「後日捏造された疑いがある」と述べた。

 検察庁も裁判所も証拠の捏造を見抜けないまま死刑を宣告していたのであろうか。


「こちらが犯行着衣」

 絶対にあってはならないことであるが、死刑を言い渡した当の裁判所が、その疑いが極めて高くなったと認めたのである。ただならぬ事態と言わざるを得ない。

 そもそも、起訴の段階で犯行着衣とされたのは、血痕と油の付着したパジャマだった。

 ところが、一審公判の中でパジャマに関する鑑定の信用性に疑いがもたれるや、問題の衣類五点がみそタンクの中から突然見つかり、検察官は「こちらが真の犯行着衣である」と主張を変更した。

 袴田さんは、公判では起訴内容を否認したが、捜査段階で四十五通の自白調書が作られていた。毎日十二時間以上に及んだという厳しい取り調べの末に追い込まれた自白で、その内容は、日替わりで変遷していた。

 一審判決は、そのうち四十四通を、信用性も任意性もないとして証拠から排斥したが、残り一通の検察官作成の自白調書だけを証拠として採用し、問題の衣類五点を犯行着衣と認定して死刑を言い渡した。判決はそのまま高裁、最高裁を経て一九八〇年に確定した。この間、どれほどの吟味がなされたのか。

 この確定判決をおかしいと考えていたのは、再審を請求した弁護側だけではなかった。


新証拠の開示が鍵に

 一審で死刑判決を書いた元裁判官の熊本典道さん(76)は二〇〇七年、「自白に疑問を抱き無罪を主張したが、裁判官三人の合議で死刑が決まった」と告白している。

 「評議の秘密」を破ることは裁判官の職業倫理に反する暴挙だと批判されたが、この一件で、袴田事件に対する市民の疑念も決定的に深まったのではないか。

 第二次再審請求審では、弁護団の開示請求を受けて、裁判所が検察側に幾度も証拠開示を勧告。静岡地検は、これまで法廷に提出していなかった五点の衣類の発見時のカラー写真、その衣類のズボンを販売した会社の役員の供述調書、取り調べの録音テープなど六百点の新証拠を開示した。その一部が再審の扉を開く鍵になった。

 これまでの再審請求事件では、捜査当局が集めた証拠の開示、非開示は検察の判断に委ねられたままで、言い換えれば、検察側は自分たちに都合のよい証拠しか出してこなかったともいえる。弁護側から見れば、隠されたことと同じだ。今回の請求審では、証拠開示の重要性があらためて証明されたといっていい。

 そもそもが、公権力が公費を使って集めた証拠である。真相解明には、検察側の手持ち証拠が全面開示されてしかるべきだろう。

 柔道二段で体格もよい被害者を襲う腕力があるのは、元プロボクサーの彼以外にない…。従業員だから給料支給日で現金があることを知っている…。袴田さんは、いわゆる見込み捜査で犯人に仕立てられた。一カ月余り尾行され、逮捕後は、時に水も与えられない取り調べで「自白」に追い込まれる。典型的な冤罪(えんざい)の構図である。無理な捜査は証拠捏造につながりやすい。

 冤罪であれば、警察、検察庁、裁判所、すべてが誤りを犯したことになる。真犯人を取り逃がした上、ぬれぎぬを着せられた人物の一生を破滅に追い込む。被害者側は真相を知り得ない。冤罪とは国家の犯罪である。

 市民の常識、良識を事実認定や量刑に反映させる裁判員裁判の時代にある。誤判につながるような制度の欠陥、弱点は皆無にする必要がある。


検察は即時抗告やめよ

 司法の判断が二転三転した名張毒ぶどう酒事件を含め、日弁連が再審請求を支援している重要事件だけでも袴田事件以外に八件。証拠開示を徹底するなら、有罪認定が揺らぐケースはほかにもあるのではないか。

 冤罪は、古い事件に限らない。今も起きうることは、やはり証拠捏造が明らかになった村木厚子さんの事件などが示している。

 袴田さんの拘置停止にまで踏み込んだ今決定は、地裁が無罪を確信したことを意味している。

 検察は即時抗告することなく、速やかに再審は開始されるべきである。
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[資料]袴田事件再審決定 要旨

2014-03-27 21:47:19 | 日記
袴田事件決定要旨

  平成26年3月27日 静岡地方裁判所


決 定 要 旨

  有罪の言渡を受けた者 袴田 巌


主     文

  本件について再審を開始する。
  有罪の言渡を受けた者に対する死刑及び拘置の執行を停止する。


理 由 の 要 旨

第1 確定判決
 1 確定判決の存在と主文
   静岡地方裁判所昭和41年(わ)第329号住居侵入,強盗殺人,放火被告事件
   昭和43年9月11日判決宣告 主文は死刑

 2 確定判決の認定事実(概要)
   味噌製造会社工場の住み込み工員であった袴田巌(以下「袴田」という。)は,昭和41年6月30日,工場に隣接する会社の専務方に侵入し, 同人とその家族3名をくり小刀で突き刺した上,会社の売上現金等を強取し,被害者らに混合油を振り掛け放火して専務方を焼毀し,被害者4名を殺害した。

 3 確定判決の証拠構造
   確定判決が,袴田を犯人と認定する上で最も重視した証拠は,昭和42年8月に工場の味噌タンクから発見された5点の衣類 (白ステテコ,白半袖シヤツ,ネズミ色スポーツシャツ,鉄紺色ズボン及び緑色パシツ)である。 これらが,袴田が犯行時に着用していた衣類であると認定され,袴田が犯人と認められた。

第2 当裁判所の判断
 1 再審開始
  (1) 弁護人が提出した証拠と結論
    弁護人が提出した証拠,とりわけ,5点の衣類等のDNA鑑定関係の証拠及び5点の衣類の色に関する証拠は,新規性の要件を満たすものである。
    また,それは,最重要証拠であった5点の衣類が,袴田のものでも,犯行着衣でもなく, 後日ねつ造されたものであったとの疑いを生じさせるものである。 これらの新証拠の存在を前提にすれば,新旧証拠を総合して判断しても,5点の衣類がねつ造されたものであるとの疑いは払拭されないから, 5点の衣類により,袴田が犯人であると認めるには合理的な疑いが残り,他に袴田が犯人であることを認めるに足る証拠もない。 したがって,DNA鑑定関係の証拠等が確定審において提出されていれば,袴田が有罪との判断に到達していなかったものと認められる。 5点の衣類等のDNA鑑定関係の証拠及び5点の衣類の色に関する証拠は,刑事訴訟法435条8号の 「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」 に該当する。
    したがって,本件については再審を開始すべきである。

  (2) DNA鑑定関係の結果
    弁護側鑑定(弁護人推薦の鑑定人による鑑定)(STR型)の結果によれば,5点の衣類の結婚は, 袴田のものでも,被害者4人のものでもない可能性が相当程度認められる。

   ① 検出されたアレル(対立遺伝子)は,対照試料(血痕とは別の場所から採取した試料)からは全くアレルが検出されていないこと等からみて, その大部分は血痕に由来する可能性が高い。

   ② 確定判決応よれば,袴田の血痕とされる白半袖シャツの右肩の試料から検出されるアレルは,袴田のアレルと一致するはずであるのに, 検出されたアレルの半分以上が袴田のものと一致しておらず,そのうち1個は,2回目の検査で2回とも検出されているという再現性のあるものである。
     白半袖シャツ右肩の血痕は袴田のものではない蓋然性が高まった。

   ③ 被害者4名は夫婦とその子2人であるから,同じ座位に出現する4名のアレルは,遺伝子の性質上4種類以内である。 しかし,5点の衣類及び被害者着衣からは,袴田と同一のアレルを除いても,同じ座位に5種類以上のアレルが検出される結果が複数確認された。 5点の衣類には,被害者4名の血液以外の血液が付着している可能性が相当程度認められる。

   ④ 検察側鑑定(検察官鑑定の鑑定人による鑑定)STR型)の結果は,弁護側鑑定の結果と相当異なっている。 その理由は,確率効果によりアレルが出たり出なかったりすることがあること及び検査方法の違いによる可能性があり, 検査方法としては弁護側鑑定の方がより信頼性の高い方法を用いているから,検察側鑑定の結果によって, 弁護側鑑定の結果の信用性が央われることはない。 また,検察側鑑定(ミトコンドリア型)の結果は,白半袖シャツ右肩から袴田と一致しないミトコンドロアDNAが検出されている。 その余の試料からの検出結果を踏まえると,外来DNAによる汚染の可能性もないとは言えないが,この限度では,弁護側鑑定と整合的と評価できる。

  (3) 5点の衣類の色に関する評価
    弁護人らは,模造5点の衣類に血液を付着させ,それを味噌に入れて色の変化を見るという実験を行った。 その実験結果と発見当時の5点の衣類の色を比較すると,実験条件が厳密に同じものではないことを十分考慮しても, 5点の衣類の色は,味噌タンタ内の味噌の色と比較して不自然に薄い可能性が高い上,血痕の赤みも強すぎ, 長期間味噌の中に隠匿されていたにしては不自然である。

  (4) 5点の衣類に関するその他の新旧証拠の評価
   ① 5点の衣類の発見経緯
     5点の衣類は,事件後の捜索や味噌の仕込みの際に発見されなかったのに,事件から1年以上経過して発見されており,不自然である。 また,そもそも,焼却するなどのより効果的な証拠隠滅手段もあったのだから, 袴田が早晩発見されることが予想される味噌タンク内に5点の衣類を隠匿すること自体が不自然である。

   ② ズボンのサイズ
     弁護人が提出した新証拠により,鉄紺色ズボンのサイズは,確定判決等の認定と異なり,細身用の 「Y体」 であったことが明らかになった。 袴田のウエストサイズと適合していなかった可能性があり.ズボンが袴田のものではなかったとの疑いに整合する。

   ③ シャツの損傷と袴田の傷の位置関係
     白半袖シャツの損傷,ネズミ色スポーツシャツの損傷及び袴田の右上腕の傷の数が一致しておらず, 位置関係からしても,これらが,袴田が着用していた際に形成されたものではない可能性があり,ねつ造されたとの疑いに整合する。

   ④ ズボンの端布の押収経緯
     鉄紺色ズボンの端布が袴田の実家から押収されたが,その際,一緒に押収された物は,捜索差押許可状の目的物となっていたバンドだけである。 本件は,極めて重大な事件であったから,5点の衣類に関係のありそうな物, すなわち袴田の着衣やこれに関連する物を広範に押収するのが自然であるのに,一見しただけでは事件との関連性が明らかでない端布を押収して, 他には目的物とされていたバンドしか差し押さえていないのは,不自然である。 加えて,5点の衣類と端布は,いわばセットの証拠とも言え,5点の衣類にねっ造の疑いがあれば,端布についても同様の疑いがあり, 袴田の実家から端布が出てきたことを装うために捜索差押を行ったとすれば,容易に説明が付く。

  (5) 5点の衣類以外についての進級証拠の総合評価
    念のため,確定判決で触れられている,袴田のパジャマ,袴田が知人女性に渡したとされる紙幣, 袴田の左手中指の切創等及び袴田の自白調書についても,新旧証拠を総合して検討を行った。
    これらの証拠は,袴田の犯人性を推認させる力がもともと限定的又は弱いものしかなく, DNA鑑定等の新証拠の影響でその証拠価値がほとんど失われるものもあり,自白調書も,それ自体証明力が弱く, その他の証拠を総合しても,袴田を犯人であると認定できるものでは全くない。

 2 執行停止
   再審を開始する以上,死刑の執行を停止するのは当然である。さらに,当裁判所は,刑事訴訟法448条2項により拘置の執行停止もできると解した上, 同条項に基づき,裁量により,死刑(絞首)のみならず,拘置の執行をも停止するのが相当であると判断した。
 袴田は,捜査機関によりねつ造された疑いのある重要な証拠によって有罪とされ,極めて長期間死刑の恐怖の下で身柄を拘束されてきた。 無罪の蓋然性が相当程度あることが明らかになった現在,これ以上,袴田に対する拘置を続けるのは耐え難いほど正義に反する状況にある。

                                    以 上
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再審

2014-03-27 20:50:05 | 日記
 静岡県は、えん罪のデパートといわれるほど、えん罪事件が多発しているところだ。有名なところでは、幸浦事件、二俣事件、島田事件、丸正事件、小島事件、そして袴田事件。その他にもあったかもしれない。すべてを思い出せないほど、えん罪事件が多い。

 さて今日は、袴田事件の再審が決定した。

 ボクは、ちょうど静岡に用事があったので、いつもよりはやく家を出て、静岡地方裁判所に行った。たくさんの報道陣、支援者の人並みができていた。

 まさに10時。再審決定の知らせ。たくさんの拍手、支援者の中には泣き出す人も。ボクも感動してじんときた。

 ボクは、昨今の裁判所の動向から、再審は難しいと思っていた。ところが蓋を開けてみたら、弁護人の主張がかなり取り入れられていて、逆に驚いた。しかし弁護人の主張は、とうぜん正しい主張であるから、本来ならばもっとはやく取り上げられるべきものであった。

 テレビも生放送をしていた。全国から注目された事件である。

 『朝日新聞』記事掲載させていただく。



袴田事件の再審開始決定、釈放へ 証拠「捏造の疑い」

2014年3月27日10時55分


 1966年に静岡県の一家4人が殺害、放火された「袴田事件」で死刑が確定した元プロボクサー袴田巌(いわお)死刑囚(78)=東京拘置所在監=の第2次再審請求審で、静岡地裁(村山浩昭裁判長)は27日、再審開始を認める決定をした。村山裁判長は「捜査機関が重要な証拠を捏造(ねつぞう)した疑いがあり、犯人と認めるには合理的疑いが残る」と判断。「拘置の続行は耐え難いほど正義に反する」と刑の執行停止(釈放)も決めた。

 死刑囚の再審開始決定は免田、財田川、松山、島田の無罪確定4事件と、後に覆された2005年の名張毒ブドウ酒事件の名古屋高裁決定に次いで6件目。

 静岡地検の西谷隆次席検事は「予想外の決定。上級庁と協議して速やかに対応する」と語った。刑の執行停止に対しては即日、不服申し立てをする方針。再審開始の判断については、不服申し立てを28日以降に行う方向とみられる。

 事件は66年6月30日に発生。同年8月、みそ工場従業員だった袴田元被告が強盗殺人や放火などの容疑で逮捕され、捜査段階で犯行を認める自白調書が作られたが、公判では一貫して否認。静岡地裁は68年9月、自白調書1通と間接証拠から元被告の犯行と断定して死刑を宣告し、80年11月に最高裁で確定した。

 08年4月に始まった第2次再審請求の最大の争点は、犯行時の着衣の一つとされる白半袖シャツに付いていた血痕のDNA型鑑定だった。確定判決は、シャツの右肩についた血痕の血液型が同じB型だとして、元被告のものと認定。第1次再審請求でもDNA型鑑定が行われたが、「鑑定不能」だった。

 第2次請求で再鑑定された結果、検察、弁護側双方の鑑定ともシャツの血と元被告のDNA型が「一致しない」とする結果が出た。検察側は「鑑定したDNAが劣化しており、汚染された可能性がある」と主張。弁護側と鑑定結果の信用性を巡って争っていた。

 この日の静岡地裁決定は弁護側鑑定について、「検査方法に再現性もあり、より信頼性の高い方法を用いている」と指摘。「検察側主張によっても信用性は失われない」と判断した。そのうえで、犯行時に元被告が着ていたとされる着衣は「後日捏造された疑いがぬぐえない」と指摘。DNA型鑑定の証拠が過去の裁判で提出されていれば、「死刑囚が有罪との判断に到達しなかった」と述べ、刑事訴訟法上の「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」にあたると結論づけた。

 さらに「捏造された疑いがある重要な証拠で有罪とされ、極めて長期間死刑の恐怖の下で身柄拘束されてきた」として、「再審を開始する以上、死刑の執行停止は当然」とも指摘した。

 事件では起訴から1年後の一審公判中、現場近くのみそ工場のタンクから血染めの白半袖シャツやズボンなどが見つかり、検察側は犯行時の着衣を、パジャマから変更。静岡地裁判決は自白偏重の捜査を批判し、45通のうち44通の自白調書を違法な取り調べによるものとして証拠排除したが、5点の衣類を始めとする間接証拠類と自白調書1通で、死刑を選択した。

     ◇

 〈袴田事件〉 1966年6月30日未明、静岡県清水市(現・静岡市清水区)のみそ製造会社専務(当時41)宅から出火。焼け跡から専務、妻(同39)、次女(同17)、長男(同14)の遺体が見つかった。全員、胸や背中に多数の刺し傷があった。県警は同年8月、従業員の袴田巌さん(同30)を強盗殺人などの疑いで逮捕。一審で死刑判決を書いた熊本典道・元裁判官は2007年、「捜査段階での自白に疑問を抱き、無罪を主張したが、裁判官3人の合議で死刑が決まった」と評議の経緯を明かし、再審開始を求めていた。
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袴田事件の再審を!

2014-03-26 23:15:58 | 日記
 明日十時、袴田事件の再審の決定が出される。ボクはもちろん、この事件はえん罪であると思っている。

 しかし、日本の司法は、死刑判決となった事件の再審については、1980年代半ばの再審により無罪とされた島田事件などのあと、ずっと再審を拒否してきている。

 司法は、人権救済よりも、日本司法の権威、威信を守ることに専念しているようだ。再審を認めると、担当裁判官の、裁判官としての「出世」はなくなるだろう。

 『絶望の裁判所』という本について、このブログでも紹介したが、日本の検察はもとより、裁判所も腐臭を放ちながら存在している。

 再審決定が下されるなら、日本の司法も、まだ完全に腐ってはいないということだ。そしてその反対だったら、もう日本の司法は終わりである。

 袴田事件、どこからみても、袴田さんが犯人ではありえない。

 もし、再審開始となったら、検察による「即時抗告」をやめさせるようなことをしていかなければならない。

 ひとりの無実の人間を救い出すために、日本では莫大なエネルギーが必要とされる。

http://www.h3.dion.ne.jp/~hakamada/jiken.html
 
http://hakamada-saishin.org/
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どう報道するか

2014-03-26 15:25:47 | メディア
 東京都知事を辞職した猪瀬直樹が、徳洲会から選挙資金として5000万円を受領した。しかし、それに関しては嘘を言い、選挙資金として帳簿にも記載しなかった。ひどい話だ。おそらく、マスコミも、小沢一郎の時のように、大々的に報道していくことだろう。

 また「みんなの党」の渡辺喜美も、8億円を「借りていた」そうだ。これも大々的に、小沢一郎の時のように報道合戦が行われるのだろう。

 もしそうでないなら、小沢一郎の時の報道は、「国策報道」であったということを暴露するようなものである。

 以下は『毎日新聞』記事。

渡辺・みんなの党代表:2回の選挙前に「8億円」 DHC会長が手記
毎日新聞 2014年03月26日 東京朝刊


 みんなの党の渡辺喜美代表が2010年の参院選と12年の衆院選の前に、大手化粧品販売会社の会長から「計8億円を借り入れていた」と26日発売の週刊新潮が報じることが分かった。毎日新聞の取材に党幹部は「個人的な借り入れで、金利も払っている」などとしている。同誌は、借り入れた資金について収支や資産の報告が不十分で、政治活動や選挙活動に使われた場合は政治資金規正法や公職選挙法に抵触する可能性もあると指摘している。

 週刊新潮には、化粧品やサプリメントを販売する「ディーエイチシー(DHC)」(東京都港区)の吉田嘉明会長(73)が手記を寄せた。それによると、吉田氏は参院選前月の10年6月に3億円、衆院選前月の12年11月には5億円を渡辺代表の個人口座に振り込んだとしている。その後約2億4700万円が返済され、今も5億円超の借り入れがあるという。一方、12年12月の衆院選で当選した議員を対象とする資産公開で、渡辺氏は借入金を2億5000万円と記載。手記と食い違う。

 毎日新聞の取材に吉田氏は関係者を通じて「今日(25日)はお答えできない」としている。

 一方、渡辺氏の事務所は「記事を見ていない段階では対応できない」としている。関係者によると渡辺氏は26日にもコメントを出す予定という。

 政治資金収支報告書によると、渡辺氏が代表を務める「みんなの党栃木県支部」は、吉田会長から10〜12年に計6000万円の献金を受けた。渡辺氏の資金管理団体なども09〜11年に吉田会長から献金やパーティー券購入で計600万円の提供を受けた。【青島顕、本多健、一條優太】
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ナショナリズム論の出発

2014-03-26 15:25:47 | 読書
 浦和レッズのサポーターが「日本人以外お断り」を意味する英字の垂れ幕をはり、それを浦和レッズが試合が終わるまではずさなかったことから、サッカー協会から処分が下されたことは周知のことであろう。

 この件にみられるように、ナショナリズムの動きが各所で顕在化してきている。

 戦後に於けるナショナリズムの問題について、杉山光信「戦後ナショナリズム論の一側面」(『戦後日本の精神史』岩波書店、2001年)を読んだ。

 杉山は、「ナショナルなもの」が、「突如として、政治の前面にあらわれた」として、1985年軽井沢で開かれた自民党のセミナーでの、当時の中曽根康弘首相の講演をあげている。

 ボクも、新自由主義の動き(「国鉄改革」など)、日米関係の変質、その起点を中曽根内閣においているが、「ナショナルなもの」への着目はしてこなかった。中曽根はこの時期が「ひとつの転換期」であるとして、「すでに大国になっている日本が国際国家となり、大国らしい責任と役割を果たすこと、そのためにナショナル・アイデンティティを確立する」というような内容を話したらしい。

 そのために内閣総理大臣の権限を強化するという動き、これを「執政府政治」というようだが、その方向に動き始めた。「執政府政治」とは、「支持基盤たる階層や集団の利益のみを追いかけ、利益集団間の利害調整のみにあけくれしている議会政治や党内政治をこえる」ような「政治的リーダーシップの確立」ということになる。これが後の「政治改革」へと「発展」していき、現在の政治状況になる。

 制度的な問題はさておき、「ナショナルなもの」は政治の分野だけではなく、文芸評論などの方面にも、でてきたとし、その代表として江藤淳をあげる。江藤は、「民族の記憶」、「自分の物語」などを強調したらしい。らしい、というのは、ボクが江藤の本を読んでいないからだ。

 杉山は、その後、丸山真男の研究をもとにして、近世(山崎闇斎とその学派)、明治期のナショナルなものに言及した後、その「ナショナルなもの」の特質としての「国の特殊主義」をあげる。これは丸山が明らかにしたものだが、本来これは打破されるべきものであった。

 而して、戦後日本の「ナショナルなもの」は、どうしても「従属ナショナリズム」にしかなり得ない。その意味ではナショナル・アイデンティティの確立は困難を伴う、という。そして、日本でナショナル・クライシスが起きた時に出現してくるのは、「集団所属主義」であろうと予測する。そしてその「全体を統合する」強力なシンボルとして「天皇」をもってくる。

 しかし、この末尾、どうも自信がなさそうな書きぶりだ。途中まで順調にきたものは、急にここで失速する。

 しかし、丸山の研究についての言及は、とても参考になった。


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【本】安丸良夫『〈方法〉としての思想史』(校倉書房)

2014-03-25 21:00:29 | 読書
 17年前に出版された本だ。読まれないままにボクの書庫で眠っていた。

 ボクが歴史を学び始めた頃、ボクは色川大吉さんの本にいつも感動させられていた。色川さんの本には、情熱がこめられていた。もちろん歴史の本であるから、そこには歴史上の人物(教科書に出てくるような有名人ではない)が記されているのだが、描かれていた人々はその時代の壁を乗り越えようとする、しかしそれができない、できないけれどもとにかくその時代の壁に挑んでいく、その姿勢に、ボクは心を動かされた。おそらくそれは、色川さんの生き方でもあっただろう。

 色川さんの研究分野は、「民衆思想史」とよばれた。この頃、こうした「民衆思想史」の研究をはじめた人が何人かいた。色川さん、鹿野政直さん、そして安丸良夫さん。もうひとりこの人をあげていかなければならない、ひろたまさきさん。ひろたさんにはいろいろお世話になっているから、であるが、しかし「民衆思想史」というと、色川、鹿野、安丸の三人があげられるのが一般的だ。ひろたさんがその分野で研究業績をあげるのは、すこし後になる。

 しかし3人とも、同じように「民衆思想」を研究対象にするが、その方法は異なる。本書は、その方法の違いを、安丸さんなりにまとめる、というのが、第一部の主な内容である。

 もっとも感性に訴えてくるのが色川さん、次に鹿野さん、そして安丸さん、である。今でも色川さんの『明治精神史』、『明治の文化』などはぐっとくる。

 最近はそうした民衆の思想についての研究はなされていないように思える。歴史研究の対象は、その時代のあり方から大きく規定されるから、今の時代には民衆は着目されないのだ。

 第二部は「状況への発言」。歴史を研究する者は、生きている時代の歴史に責任を感じなければならないとは、遠山茂樹さんはじめ戦後歴史学の方々から聞かされたことばだ。安丸さんはじめ三人の方々は全員、生きているこの時代に対してきちんとした発言を行っている。つまり責任を感じている。もちろんひろたさんも、である。

 本書に記されている安丸さんの発言を紹介することはしないが、一つだけ印象に残ったことを記しておきたい。

 ウォーラーステインの『脱=社会科学』(藤原書店)の内容を紹介しているところで(この本、持ってはいるが読んではいない)、「古典的自由主義も古典的マルクス主義も、資本主義は独占を排して自由な競争市場をもたらすのが本来の形だと考えがちだが、それは正しくない、資本主義は自由市場であるよりもむしろ独占と投機だ」という見解を知って、「無学な私の虚をつ」かれた、と記している。

 ボクも現代の「帝国」について勉強もしているので、なるほどと納得させられた。『脱=社会科学』も読まなければいけない。
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