浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

無知、そして知った喜び

2024-04-13 21:10:28 | その他

 本を読みながら、音楽を聴く。

 現在私は、iPhoneを使用している。アップルミュージックで音楽を聴き始めたら、その音質のよさにびっくり。そしてアップルミュージックには、たくさんの楽曲が登録されていて、次から次へと好きな曲を聴くようになった。

 今日は、シベリウスのヴァイオリン協奏曲を聴きたくなって、学生時代、東京のアパートで孤独を感じるときに聴いていた曲である。

 アップルミュージックにアクセスしてその曲を聴き始めたら、そのヴァイオリン奏者の音色に聞き入ってしまった。そのヴァイオリン奏者は、アンネ・ゾフィー・ムターである。まったく知らなかった演奏家だ。今まで聴いていたシベリウスのヴァイオリン協奏曲とは異質な音が流れ、本を読めなくなった。

 凄い演奏である。シベリウスのヴァイオリン協奏曲はこのように弾くのだという絶対的な確信、それを見事な技巧が支える。その絶対的な確信は、作為的でもなく、意図的でもなく、自然にうみだされているようにきこえる。

 今まで聴いていたこの曲、オーケストラが奏でる音をかいくぐりながら、ヴァイオリンがひとりさびしくみずからの旋律を奏でるというものであったが、アンネ・ゾフィー・ムターの演奏は、かいくぐるのではなく、オーケストラと対等に、ヴァイオリンの音が前面にでてくる。

 しばらくアンネ・ゾフィー・ムターの演奏の曲を聴き続けることになるだろう。

 

 

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静岡県知事の辞任とリニア

2024-04-06 19:32:59 | その他

 静岡県知事がJR東海のリニア建設に乗り気ではなかったことを、私は評価している。リニア新幹線なんていらない。あたりまえのことだ。

 リニア建設の際、静岡県山岳部の地下を通ることになる。静岡県や周辺市町村は、大井川の水の問題を高く掲げて難色を示してきた。当然のことである。大井川の水量に、リニア新幹線建設が大きく影響を与える可能性があるからだが、それだけではない。大井川の上流部は崩れやすいところで、実際に一般の人が入れない大井川上流の奥地に行ってみればわかるが、山崩れが凄まじい状態になっている。とくに林道などの道路を建設したところから崩れ、それはとても大規模で、くずれた岩石が、大井川支流の谷に落ち込んでいる。大井川上流の山々は悲惨な状態になっている。そんな状態があるのに、リニアのトンネル掘削よりでた岩石が大井川の河原に積まれることになる。崩れた岩石や掘削によりでてきた岩石が、大雨と共に下流に流されるが、大井川にはたくさんのダムがあり、それらを堰き止める。

 そして南アルプスの生態系が、トンネル掘削による自然環境の変化により崩される。

 JR東海によるリニア新幹線建設は、自然環境に大きな負荷をかけるのだ。

 ところで、ネットでこんな情報があった。静岡県知事がリニアに抵抗したのは、そのバックにいる鈴木修がリニアに反対したからだという情報。川勝平太知事の後援会長は、鈴木修であるから、そうかもしれない。

 そして川勝県知事の後任候補の名が出て来ている。静岡政界のウラには、鈴木修がいる。彼は票を動かすことが出来る。そのため、多くの政治家は鈴木修のいいなりになる。言うとおりにならないと、選挙で落とされる。

 川勝のあとは誰か?前々から言われていたのは、前浜松市長の鈴木康友である。彼は浜松市長として、修の代理人として、修の言うとおりに市政を動かしてきた。浜松市が区を7区から3区に減らしたこと、そして最近浜松市内に建設する予定の新浜松球場も、すべて修の意思である。

 修の意思に忠実に従ってきた鈴木康友こそが、県知事候補としてでてくるのではないか。

 静岡県は、SUZUKIの支配下にある。静岡県はSUZUKI県、浜松市もSUZUKI市なのである。

 

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破壊坊主

2024-02-27 17:13:24 | その他

 私の実家の近くにある寺には、父の墓がある。檀家が少ないため、父が亡くなってから後に、住職がほかの寺に移った。寺の世話人たちは、近くの寺の住職に兼務をお願いした。

 しかしこの住職がとんだ食わせ物であった。

 私が幼い頃、父の年忌の際、その坊主は、参列者に袈裟の新調を求めたりした。幼心にもこの坊主に対する不信感が芽生えた。親戚の法事に参加したとき、住職が仏教の話をされたのを聞き、これが法話というものだとはじめて知った。その坊主は、法話を一度もしたことがなかった。

 その坊主の金儲け主義にあきれた世話人がその坊主の兼務をやめさせようとしたら、ばく大なカネを要求されたために、断念したということを聞いている。

 その坊主は亡くなったが、金儲け主義は受け継がれているようで、遂に私は、父の墓を「墓じまい」することにした。

 母は10数年前から姉の住む関東近県に住んでいた。そこで亡くなったことから、葬儀はそこで近親者のみで行った。葬儀の際には、「おぼうさんどっとこむ」に依頼して、曹洞宗のお坊さんを招いた。とても良い坊さんで、清廉さが感じられる方であった。

 さて、その墓に母の遺骨を納めようと考えたとき、世話人からは、もしこの寺に遺骨を納めるならこちらで葬儀をもう一度やらなければならないと言われていると伝えられた。その坊主が取り仕切る葬儀は、多くの坊主を従えた大規模なものだ。そんなカネはない。

 世話人に聞くと、あまりにカネ、カネ・・・というので、檀家が去って、檀家数が百以上あったのに、今はその7割程度になっているという。

 その寺は、私の祖先が土地を寄進してつくったものだ。だから父は「居士」となっている。「居士」となると、寺に関係する費用はいつもかなり求められる。それでも我慢してやってきたが、もう出るしかないと決断した。

 破戒僧という言葉があるが、この坊主は「破壊僧」としかいいようがない。カネ儲けのために寺を悪用し、その寺から檀家を追い出し、そして出ていった檀家の多くは神道へと変わったそうだ。

 仏教を破壊する坊主。まさに「破壊僧」である。こんな坊主に母の戒名をつけてもらわなくて、ほんとうに良かった。

 仏教界は猛省せよと言いたいが、それぞれの寺院はそれぞれが宗教法人となっているから、指揮統制はできないとのこと。今後、主に人口減少を理由として日本の寺院は減っていくであろうが、それに拍車をかけているのが、こうした「破壊僧」である。そうした「破壊僧」の話しは、あちこちにころがっている。

 もう墓はもたない、そのほうが子孫は困らないはずだ。寺院に墓があるとカネはとられる。そして土地は売れるが、墓は売れない。

 遺骨は、散骨などの自然葬が最善だと思う。

 

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長寿であること

2024-01-27 17:02:14 | その他

 昨日、もと民生委員だった人たちのランチ会があった。民生委員を一緒に辞めた人たちと、年3回ほどランチ会を行っていて、すでに10年になる。残念ながら、徐々に参加者が減っている。その理由は、死である。

 あまりこうした会を好きではない私が参加する理由は、もと民生委員の人たちは、きわめて善良な方たちであるからだ。自分の生活があるのに、さらに地域の困っている人びとの役に立ちたいという暖かい思いを感じるからだ。

 民生委員が見守りの対象とするのは、高齢者が多い。どこの地域でも一人暮らしの老人、高齢者世帯が増えているが、私は月一回、必ず訪問して近況を聞いていた。男性の一人暮らしの場合は訪問しても早く帰ってくれとばかりの対応をされるが、女性の場合は、長時間いろいろな話をされる。私はそれをほとんど聞くだけであるが、しかしそれが高齢者にとっては息抜きになるのだと思う。時には一時間以上話を聞くこともあった。

 高齢者からは、いかに苦労して生きてきたかが語られる。貧しい日々を必死に生きてきて、やっと安定した生活ができるようになったと思ったら、配偶者が亡くなってひとりになってしまった、とか。

 そういう話を聞くと、あの世ではなく、この世で長生きして、それも健康を維持して、ぜひ幸せになってほしいと思う。

 今生きている高齢者の人生をひもとくと、たしかに戦後の高度経済成長で国全体が経済的に豊かになってはきた。だがしかし、それは日本に住む人びとすべてではない。よく目を凝らしてみれば、私たちの生活の傍らに、貧困は巣くっていた。苦労ばかりの人生もあった。

 民生委員は、高齢者だけではなく、経済的に恵まれない家庭にも目を向ける。いつでも、しっかり見つめれば、貧困は可視圏内にある。

 私はずっと昔から、社会の在り方を考えるときには、底辺から見つめることを提唱してきた。底辺から見れば社会のすべてを見渡すことができる、と。

 高齢者の生活は、決して豊かではない。もと民生委員の人たちは、その暮らしぶりをみると、家作があったりして豊かな人が多いが、見守りの対象となる高齢者はそうではない。

 高齢者は早く死んだほうがよい、という意見を出す者もいるが、私は高齢者はできるだけ長生きしてほしいと思う。「長寿」の「寿」は、「祝いのことばを言うこと」という意味である。長生きは祝う対象なのだ。

 高齢者も、子どもも、そして庶民も、みんなみんな幸せに生きていけるような社会にすることが必要なのだ。年齢で区切る必要はない。庶民は庶民である。庶民の生活が第一なのだ。

 

 

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年賀状の整理

2024-01-04 08:29:21 | その他

 今まで年賀状の挨拶を交わしてきた人から、「来年からは年賀状の挨拶をやめる」という趣旨の年賀状が毎年1通ほど来るようになった。お互い齢を重ねてきたからだ。私も徐々にそうしようと思い、今年からその旨を年賀状に書くようにした。

 その判断の基準は、まず毎年印刷されたものを送ってくる人で、一行も書き足していない年賀状である。書くこともないということだから、そういう人とは、もう縁を切ってもよいだろう。

 次に、自慢話を書いてくる人。その背後に「昨年私はこんなことをしました」というもので、その人の「こんなこと」については、私にとってはまったく関りがない。そういうことを書いてくるその人は、毎年そういうことを書いてきて、新年早々から自慢話かよ・・という気分である。今まで付き合ってきたが、もういいよ、というのが、私の判断である。こういう人には、ぜひセジウィックの『男同士の絆』、あるいは『100分で名著 フェミニズム』でも読んでほしい。ホモソーシャルな世界では、男同士の絆もあるが、その中では男性間の競争が行われていて、カネや権力、名誉や評判をめぐって争い、それぞれの男はその集団の中でより上位を占めようとする。「僕ってすごいでしょ」という内容の年賀状は、今までも不要であったが、これ以上はいらない。

 年賀状のつきあいも、取捨選択の時期が来たようだ。

 

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労働者文学

2023-12-25 16:49:59 | その他

 小沢信男の『通り過ぎた人々』を読んでいたとき、「労働者文学」でその才能を見出された人のことが書かれていた。そこで、ネットで「労働者文学」を検索したら、「労働者文学会」のHPがあった。労働者文学は、かつて労働組合員の文芸活動を組合がバックアップして支えていた。しかし現在のように労働運動があまり盛んでなくなり、さらに連合という労働組合らしからぬ組織に労働組合が統合されてしまっていることから、労働者文学が下火になっているのかと思ったら、まだがんばっているところもあることを知った。

 そのなかに「いてんぜ通信」があった。最近私は、「いてんぜ通信」に文を送っている方から、「いてんぜ通信」をいただいたばかりであった。「いてんぜ」を逆さにすると、「全逓」である。郵政労働者が組織していた労働組合は「全逓」と言っていた。全逓労組の組合員が寄稿していた「通信」ということになる。しかし今、全逓労組はない。郵便局ではたらく労働者の組合はあるのだろうが、どんな動きをしているのか不明である。

 「いてんぜ通信」は、おそらく私の知人のように、退職した人びとによって運営されているのだろう。

 いずれにしても、労働組合運動が下火になっている現在でも、「労働者文学」を担っている方々がいることに、少し安心した。

 

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ただの・・・・・

2023-12-04 19:57:53 | その他

 書棚にあった『夏目漱石と西田幾多郎』(岩波新書)を、寝室にもっていき読みはじめた。私はなかなか寝付かれないたちで、活字に眼をとおしていないと眠気がやってこない。

 ふとこの本を読みはじめたのだが、これがなかなか面白い。幾つかの本を並行して読んでいるが、さらに並行して読む本が増えてしまった。

 夏目漱石も西田幾多郎も、反骨の人であることが指摘されている。いずれも父親の愛情がない、あるいはきわめて少ないという境遇に育つ。そういう境遇から育った者は、「権威にとらわれない自由独立の精神が生まれやすい」(30頁)とのこと。2歳で父が病死している私も、家父長的な父親の支配を受けなかったからか、反骨精神をもち反権威的な精神を有している。

 学位授与を拒否した漱石は、「小生は今日迄ただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、是から先も矢張りただの夏目なにがしで暮したい希望を持って居ります。」と手紙に書いている。

 私も、小田実の「人間みんなチョボチョボ」だという信念を持っている。漱石と同じような感覚だろう。

 だが、いろいろな人と交わると、あまりつきあいたくない人たちと遭遇する。たとえば、肩書きをいっぱい書いてある名刺をもった人、「僕って偉いでしょ」とばかりに自慢話を繰り広げる人、今まで関係なかったのにあたかも今まで関わりがあったかのようにしゃしゃりでてくる人、話のなかに功成り遂げた人の名前を出してその名前で自らをかざろうとする人、そういういや~な人がいて、そういう人たちとも話をしなければならないこともある。あ~いやだ。だから私は、そういう人たちがいるところには行かなくてもよい状況をつくりだそうとしてきた。だから静岡市にはもう行かない。「オレが、オレが・・・」という人、権威にすがり、みずからを売りこみたい人が集まるところには顔を出さないのだ。

 ちなみに、田中正造の名刺は、「田中正造」とだけ書かれている。私の名刺は、住所氏名だけのものと、今年まで主宰していたある催しを主催する「〇〇実行委員会」の名刺だけをもつ(それはもう終わった)。私も「ただのなにがし」で最後まで生きていこうと思う。漱石と異なり、私は最初から最後まで「ただのなにがし」なのだから。

 夏目漱石全集を私は持っているが、この本を読んで、漱石が反権威の人であることがわかった。これで全集を読もうという意欲が湧いてきた。

 

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【本】坂原冨美代『夢二を変えた女 笠井彦乃』(論創社)

2023-12-01 21:36:46 | その他

 2019年、某所で「竹久夢二とその時代」というテーマで話したことがある。約90分で夢二の生涯を追いながら、その時代を描くというものだ。そんな短時間で夢二を語り尽くせないことはわかっていたが、如何せん、時間はそれしかない。

 夢二が若い頃、荒畑寒村ら初期社会主義に関わった人びとと交流があったこと、関東大震災に際会し、文章とともにスケッチを新聞紙上に描いたこと、そして多くの女性との遍歴、さらに海外旅行、とりわけドイツでナチスの支配を体験したことなどを一挙に話した。

 最近、夢二のもっとも愛した彦乃の日記や手紙があり、それをもとにした本が出版されていることを教えてもらった。それがこの本である。

 彦乃と夢二の関係はこうだ。講座の際使ったスライドの一部。

 夢二が関係した女性の中でも、最愛の女性。日本橋の紙商芙蓉社笠井宗重の長女。日本女子大付属女学校出身。夢二と出会った頃は、女子美術学校日本画科の学生、「港屋絵草紙店」に通い、1915年5月夢二の「戀人」となる。しかし父親に反対され、逢うこともままならず、手紙で連絡し合った(書簡はたくさん残っている)。

1917年6月 京都で夢二、不二彦と生活するようになる。夏、三人で北陸旅行をする。

1918年3月 彦乃の父が彦乃を東京に連れ帰る。

1918年 8月、夢二、不二彦と九州、そして長崎へ。 8月下旬、彦乃も九州へ、しかし9月初め結核が重症化し別府で入院。9月末、岡山を経由して京都・東山病院に入院、父・宗重により京都府立病院に転院。夢二の面会は拒絶。夢二は11月東京へ戻る(恩地孝四郎宅→菊富士ホテル)。12月、彦乃がお茶の水順天堂病院に転院(面会謝絶)。1920年1月死亡。夢二は彦乃との日々について『山へよする』(1919年2月)を出版。

 夢二が終生離さなかったプラチナの指輪の内側には「ゆめ35  しの25」と刻まれていた。「ゆめ35」とは、彦乃に会えなくなった夢二の年齢。「しの25」は彦乃が亡くなった年齢。

 このレジメをつくったときには、彦乃の日記や手紙が残されているのを知らなかった。本書は、夢二の日記や書簡(これは書籍化されている)だけではなく、彦乃のそれをつかっているので、ふたりの関係がきわめて具体的である。

 まだ最後まで読んではいないが、すでに30歳になっているのに、少年のような夢二と若いのにとてもしっかりしている彦乃、ふたりの愛の駆け引き、これは瀬戸内寂聴がいう「(愛の)雷に打たれた」ことのない人には理解しがたいだろうが、私にはそれがよくわかる。雷に打たれて始まる愛であっても、双方の駆け引きのなかでそれはより深まっていくのだ。

 この頃、夢二はたまきと別れているが、子どもが三人いる。彦乃との生活をこころから望むが、お互いの事情で順調には進まない。大きな障害がたちはだかっている。それがこの本に具体的に描かれている。

 夢二は、彦乃と海外に行こうと提案する。彦乃が亡くなった後、夢二はハワイ、アメリカ西海岸を経由してヨーロッパにいく、そして晩年台湾にも行く。夢二の海外への旅にふみきった理由には、彦乃と語り合ったこともあったのかもしれない。

 夢二を理解するためには必要な文献であった。この本は2016年に出版されている、知らなかった。

 

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宝塚のこと

2023-11-16 11:54:33 | その他

 我が家では、春先にすみれの花が咲く。すっと前に調査のために白井鐵造記念館にいったとき、当地のすみれ愛好会の方からいただいたすみれが毎年咲き続けている。

 宝塚歌劇団のレビューにもっとも貢献した白井鐵造(1900~1983)の出身地は、周智郡春野町犬居、現在の浜松市天竜区春野である。犬居は秋葉山のふもとの集落である。今では秋葉山山頂には秋葉神社があるが、明治初年の神仏分離の前は、三尺坊を祀る秋葉寺があった。潰された秋葉寺は、今はその中腹に再建されたが、あたかも秋葉神社が秋葉信仰の正統であるかのように宣伝されているが、近世までは秋葉寺しかなかった。秋葉神社は、近代が創り出したものだ。

 さて白井の父は秋葉寺の大工であったという。白井は尋常小学校を卒業後、浜松にある日本形染に就職した。彼は働きながら通信教育で勉強するような努力家であった。その後上京し、小林一三に出会い、宝塚歌劇に関わるようになり、パリでレビューの勉強をし、宝塚歌劇団の演出家となった。

 宝塚歌劇団は、そのため、白井の故郷を訪問することがよくあるし、春野中学校の修学旅行は宝塚歌劇団の観劇が盛り込まれている。

 宝塚歌劇団が浜松市周辺で上演するとき、私は何度かそれを見に行っている。チケットは、ファンクラブに入っていた女性に頼んで入手してもらうなど、なかなか苦労した。宝塚歌劇団の1部の演劇は学芸会のようだは思うが、2部での豪華絢爛なショーは素晴らしいと思ってきた。とりわけ、照明の美しさに、私は感動していた。

 さて、今回の宝塚歌劇団の団員が自死した事件を契機に、宝塚歌劇団の陰湿きわまりない上下の関係、団員たちの奴隷的な境遇が明かされ、私はたいへん驚いている。阪急のカネ儲けの手段として、団員たちが低賃金、長時間労働などにより、搾取収奪されている状況が明るみに出された。そうした状況に置かれているからこそ、音楽学校や歌劇団において、学生間、団員間の暴力的な構造が維持されてきたのではないかと思った。

 私はジャニーズ関連のタレントにはまったく興味はないが、ジャニーズ問題も、事務所が所属タレントをこき使い、奴隷的な搾取を行っているようで、宝塚と同様なにおいがする。

 宝塚歌劇団の隠されていた醜悪な姿が白日の下にさらされているが、劇団側は隠ぺいを図り、さっさと片づけてカネ儲けに走ろうとしている。旧ジャニーズ事務所も同じ対応だが、この際、徹底的に膿を出しきらないと、人びとは戻っては来ないだろう。

 宝塚の「伝統」とされている陰湿な上下関係や団員の奴隷的待遇は、白井がつくりだしたものでないことを祈りたい。

 まだ寒い時期に、我が家のすみれは、青い花をつける。長い期間咲き続けるものではないが、なかなか可憐な花である。「すみれの花咲く頃」はいい歌だと思う。宝塚歌劇団のすみれは、再び咲くのだろうか。

 

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パソコン購入

2023-11-13 08:04:53 | その他

 パソコン購入で学んだこと。

 windows8の保証期間が消えたので、今年はじめ、浜松市内のパソコンなどの専門店で、安価なマウスコンピュータを購入した。一年もたたないうちに、キーボードのシフトキーを押すと動きがにぶくなった。そこで購入した店に持参した。

 ところが、その店の従業員の応対が悪いこと。面倒くさそうな態度で応対された。購入するときはニコニコ笑顔で対応するが、メーカーに送る修理となるとカネにならないからやりたくないんだろうが、当方としては5年保証をかけてある。

 その従業員の問題かも知れないが、そこではもう買わないようにしよう。

 もうひとつ、NECのwindows10を今も使用しているが、これは直販で買ったもの。このパソコンもキーボードがおかしくなったことがある。NECに連絡すると、宅配業者が持ちにきてくれて短期間で戻ってきた。

 メーカー直販で購入した方がよいということがわかった。

 もちろんその店ではもう絶対に買わない。10月末に持っていったが、さていつ戻ってくるか。

【付記】もちろん、マウスコンピュータも買わない。

 

 

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亡くなる

2023-04-02 21:55:34 | その他

 音楽家の坂本龍一さんが亡くなられたとのこと。坂本龍一さんの活躍については、いろいろな報道で知っていたし、社会的な活動をされていたことも知っていた。71歳という早すぎる死が、坂本さんに訪れたということ。

 近年、訃報を聞くことが多くなった。近現代の歴史を研究するなかで出会った多くの歴史研究者が、つぎつぎと亡くなられた。私が書いたものを送ると、何らかの感想を送っていただいていた方も亡くなられ、私はもう歴史研究から引退しようと思い定めた。

 私にいろいろ教示していただいた方々、私が敬意をもって接していた方々は、すでに一人もいない。彼らは、戦後民主主義を担いながら歴史研究をしてきた。今生きている現実を批判的に見つめながら、現実との緊張関係のなかで歴史研究をされていた。そうした姿勢に教えられることも多く、私自身もそうした姿勢を堅持しながら生きてきた。

 いま、ふと、このどうしようもない閉塞感に心悩むとき、〇〇先生ならばどういうことを考えるのだろうかと思う。

 今日も私は書庫に入り込み、今まで読んだ本の中から、もういちど読み直すものを選んでいた。先生方の著作を、もういちど学び直そうという気持ちからである。

 私の一日をしめるのは、読書と農作業である。時々、思索に耽っている自分自身を発見することがあるが、まだまだ読まなければならない本がある。

 今日も一冊、本が届いた。櫻井義秀氏の『統一協会』(中公新書)である。まだまだ頑張らなければ、と自らに言い聞かせる。

 

 

 

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【CD】中島みゆき「世界が違って見える日」

2023-03-08 22:45:17 | その他

 中島みゆきのアルバムは、ほとんど所有している。車のカーナビにもたくさんの曲を入れている。

 なぜか中島みゆきの歌は好きだ。ほとんど同じ年令だから、同じ時代を生きてきた。同世代のじいさん、ばあさんを鼓舞してくれる音楽だと思う。

 歌詞を読んでいると、みゆきさんは社会のあり方に疑問を抱いているように思える。だからよけいに、みゆきさんの曲が気にかかる。収録されている「童話」のなかの、「どうして 善い人が まだ泣いているの」というような歌詞に、敏感に反応してしまうのだ。

 昨日届き、ずっと流している。Amazonで注文しようとしたらその時はなかったので、ヨドバシで購入。今はAmazonにもあるようだ。

 

 

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間違いだらけの回答

2023-02-16 21:59:16 | その他

 chatGPTの回答は間違いがいっぱいあるということを、ここに示す。下線の箇所が間違い。大杉が生まれたのは香川県。生年は、1885年である。確かに大杉は1923年の関東大震災の渦中に虐殺されたが、1923年は大正12年であり、昭和期には生きていなかった。

 chatGPTの回答が正しいものではないことを肝に銘じるべきである。

【質問】大杉栄を知っていますか?

【回答】 

はい、大杉栄(おおすぎ さかえ)について知っています。大杉栄は、明治時代から昭和時代初期にかけて活躍した社会運動家・政治家で、日本の社会主義・労働運動の先駆者の一人として知られています。

大杉栄は、1878年に山口県で生まれ東京帝国大学(現・東京大学)法学部を卒業後、新聞記者や弁護士として活動しました。労働者や農民の権利を守るために、社会主義思想を広め、労働組合や社会主義政党を結成するなど、社会運動に尽力しました。

1923年に起こった関東大震災では、被災者の救援活動を行い、大杉栄自身も被災して亡くなりました。彼の遺志により、遺産はすべて救援資金として寄付され、遺書には「私の死後、一切の祭りをやめて、あたりまえの食事だけをとって、その分を被災者にあげてほしい」という言葉が残されています。

大杉栄は、社会主義者としての信念を貫き、自らの命を犠牲にしてまで、社会の不正や不平等を是正するために尽力した人物として、今も多くの人々に尊敬されています。

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もう一つ聞いてみた

2023-02-16 21:36:27 | その他

【質問】第二次世界大戦において、日本はいつ降伏すればよかったのでしょうか。

【回答】

第二次世界大戦において、日本が降伏するべきだったタイミングについては、歴史家や研究者の間でも意見が分かれています。以下にいくつかの意見を紹介します。

一つ目は、日本が最初に原爆が投下された広島市と長崎市が壊滅した後、すぐに降伏するべきだったという考え方です。この見解は、広島と長崎への原爆投下によって、日本の戦争指導部が戦争の行き詰まりを認識し、降伏の意思決定につながるきっかけを与えたという見方があります。

二つ目は、日本がソ連に対して敗北を喫した直後、すぐに降伏するべきだったという意見です。1945年8月9日にソ連が日本に宣戦布告し、8月10日には満州でソ連軍が侵攻を開始しました。この時点で日本は既にアメリカの原爆攻撃を受けており、ソ連による侵攻は日本にとって追い打ちをかけるような状況でした。そこで、ソ連による侵攻を受けて戦局が一層悪化したことを受け、日本はすぐに降伏するべきだったという見方があります。

三つ目は、日本がアメリカとの交渉に応じて降伏するべきだったという意見です。1945年6月以降、アメリカは日本に対して降伏を求める交渉を行っていました。この時期に日本が降伏していれば、原爆投下やソ連による侵攻を受けることはなかった可能性があります。また、降伏によって多くの犠牲を避けることができたという見方もあります。

以上のように、日本が降伏すべきだったタイミングについては、いくつかの意見が存在します。ただし、当時の日本の指導者たちは、戦争継続に固執し、降伏を選ばなかったことが歴史的事実として残っています。

【考察】私は、1944年7月サイパン島などのマリアナ諸島が米軍に占領され、「絶対国防圏」が崩れ、そして東条内閣が政権を放棄した時、この段階で日本の敗戦が確定したのだから、この時点で降伏すべきではなかったかと思う。しかし【回答】の末尾にあるように、日本の指導者たちは、戦争を継続し、破滅に向かって進んでいったのである。
 
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宗教のこと

2023-01-21 17:33:03 | その他

 統一教会のようなエセ宗教は問題外であるが、三大宗教と言われるキリスト教、仏教、イスラム教のなかで、もっとも内容があるのは仏教だと思っていた。とはいってもきちんと勉強したわけではなく、感覚的に、である。

 まずイスラム教。イスラム教についての簡単な本は読んだことはあるが、しかしイスラム教を信仰している人のあいだでの、シーア派とスンニ派との壮絶な争い、また烈しい女性差別、それも教義をもとにしたものであるが故に、イスラム教は私にはとうてい良い宗教であるとは思えない。

 次にキリスト教。キリスト教徒には尊敬すべき人が具体的に存在する。そのことを脇において、記す。

 歴史的にみれば、キリスト教の悪事は多い。十字軍でのムスリム虐殺。アメリカ新大陸にキリスト教徒が移住し、多くの先住民を殺したこと。キリスト教世界におけるユダヤ人迫害の尻拭いをイスラム世界に押しつけたことなどなど。世界史を振り返れば、世界でもっとも多くの人を殺したのがキリスト教であると思う。

 その点、それに比べ、仏教は相対的にマシではないかと思っていた。

 昨日、デモクラシー・タイムズの番組を見ていて、なるほどと思った。そして仏教に関してとても勉強になった。植木さんの本を注文してしまった。 

原始仏教・大乗仏教の溌剌とした女性たち 植木雅俊さん 

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