浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

公然とした差別は権力が支える

2016-07-31 06:57:49 | その他
 私は今まで、差別問題に関心を抱いてきたが、公然とした差別(社会的差別)の存在は、必ずその背後に政治権力の後押し(公認したり、助長したりする)があると考えてきた。

 神奈川県相模原市での、重度心身障がい者たちに対する殺人を伴った差別事件が発生した後、それを支持する心ない書き込みが多数あったという。障がい者に対する差別が、社会的に存在してる証拠でもある。

 だとするなら、そこに政治権力の何らかの関与が存在することを想定することは、決して間違いではないと思っていたところ、次の情報に接した。なるほどと思った。

 日本国民が絶対的に支持する自由民主党とは、そうした差別を支持し、政治権力を掌握してそれを公認さえする政党であるということだ。まさにナチスばりの政党であることを示している。

http://lite-ra.com/2016/07/post-2459.html
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

障がい者問題(その2)

2016-07-30 21:15:23 | その他
 学生時代に、私に障がい児問題に気付かせてくれたIくんが、ある本で書いているらしいので買ってみた。送料込みで258円。

 書いてあるところを紹介すると、Iくんは、学生時代、大学に行くこと自体「嫌気」がさしていたところ、ある人からボランティアでもやってみたらと言われて「全国障害者問題研究会」に入った。そこで「民主主義の問題は、実は障害者問題に集約的に現れている」という認識に至った。そしてこういうことも書いている。そのサークルには女子学生も多く、「当時は皆ミニスカートだった。部室の低い椅子に座って議論していると、妙に眺めがよかった」などと書いている。ちなみに私は裁判問題研究会で、サークル部室には大きなテーブルがあり、その周りに椅子が並んでいたので、そういう「眺め」には出会わなかった。だいたい、私の研究会には、女子学生はほとんどいなかった。

 私に対しては、なかなかまじめな姿勢を示していたのに、そうだったのか、と感心すると同時に、こういうことを公刊される本に書いてしまう、Iくんの感性というか度胸に感心してしまう。

 彼の名誉のために言っておかなければならないが、「障害者の自立と通所施設」を内容とするその文は、とても参考になる。彼が関わる会の定款には、「障害を持つ人とその家族を、尊敬し、応援する」がある。「尊敬」ということばを使った理由を、

 言い表せない労苦や、いく度も夢やぶれ、あきらめてきた人生があり、それでもより豊かに生きようという力と姿に励まされている

 からだとしている。

 その通り、障がいをもつ人とその家族は、そういう絶望とそれを乗り越えようという強靱な意志(最初からあるわけではない。この社会で生きていくためにはどうしても必要となる)を繰り返しながら、生きてきている。そういう人々から、健常者である私たちは、教えられることがいっぱいある。

 だから、「尊敬」するのは当たり前だ。

 浜松にも、障がいを持った子どもの親たちの通所施設がある。重複の障がいを持っているから、ふつうの会社などには勤められない。学校を卒業したらずっと家に閉じこもるしかないのか、いやそうであってはいけない。障がいをもっていても、いろいろな作業をすることによって社会に参加したい、その回路をつくるために、親たちが中心となって作業所をつくる。

 そういう人々がいることを知ることはとても大切なことだ。

 私は、そういう家族や、そうした子どもたちの卒業後まで献身的に面倒をみているもと教師を知っている。そのすべての人々は、私なんかよりも人間として立派な生き方をしている。私は、時に絶望に襲われたりしたこともあったであろう方々の、心の奥底から湧き上がる人間性に何度感動してきたことか。苦しい状況があっても、その笑顔と人々のつながりが大きな力になってきたのだろうと思う。

 健常者は、理解し、尊敬しよう。「あるがままの障害者を見据え、逆にその視点から健常者の世界を見てみよう」と、Iくんも書いているが、何度も私は書く。

 障がい者が生きやすい社会は、健常者にとっても生きやすい社会なのだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こういう情報はテレビなどには出てこない

2016-07-30 21:13:21 | その他
 平気で嘘をつく女性候補のことが、下記に出ている。しかし、保守系の候補者に関しては、メディアにはでない。

http://buzzap.jp/news/20160730-koike-yuriko-liar/
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京都知事とカネ

2016-07-29 22:33:56 | その他
 ネットや週刊誌は、鳥越を落とそうといろいろ画策している。まあ、今までも、石原、猪瀬、舛添と、とんでもない人物を都知事にしてきた東京都民であるから、今回も同じような人物に投票するのだろう。だからあ、小池百合子になっても驚かない。しかしあの人の目つきはイヤだね。

 さて小池候補も、カネまみれみたい。でも都民はそれでもよいのだろう。最近は皆そうだから。

http://buzzap.jp/news/20160729-koike-yuriko-money/
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】重信メイ『秘密 パレスチナから桜の国へ 母と私の28年』(講談社)

2016-07-29 20:54:02 | その他
 2002年刊行だから、もう14年前の本。パレスチナで生まれ、育ち、そして母親の逮捕の後に日本へ。その生活を振り返ったものだ。

 重信メイは、CSの朝日ニュースターでやっていた愛川欽也のパックインジャーナルによく出ていたから知っていた。しかし、パレスチナで、イスラエルのモサドなどから嗅ぎつけられないように転居を繰り返し、過酷な日々を送っていたようだ。

 重信房子は、正義感から活動に入り、パレスチナに渡航し、アメリカをバックにしたイスラエルの侵略と闘うパレスチナ人と連帯して闘ってきた。メイは、母親とはほとんど一緒に住むことは出来なかったが、母親の正義感や「人間を大切にする」という精神を受け継いでいる。

 今日図書館から借りて読み始め、すぐに読み終わった。逮捕された母親と会うとき、そして今まで会ったこともない祖母や伯母らと会うところでは、目が潤んでしまった。

 パレスチナのことはほとんど報道されなくなっているが、私たちはイスラエルの蛮行を注視しなければならない。彼らの蛮行が、世界の平和を破壊してるからだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怒る日本人、怒らない日本人

2016-07-29 10:02:25 | その他
 人間が変わってきたのか、そういう人間がいたのに気づかないでいたのか。

 今日の『中日新聞』「特報」欄に、生活保護問題などをリサーチしているみわよしこさんの体験が記されている。みわさんは車いすを利用しているが、電車の中で見知らぬ女性から「こういう(障がい者)を生かしておいてはいけない」と言われたり、「車いすは甘えだ」と絡まれたり、故意に物をぶつけられたりしたこともあるという。“人間に対する優しさ”がなくなり、自分自身にとって邪魔な存在に怒りをぶつけるそういう風潮があるようだ。

 しかし本来、こうした社会的に困難を背負って生きている人々には、怒りではなく“優しさ”で接するべきである。

 日本人は、こうした事実には怒らない。

東京電力「電力自由化で経営キツいから廃炉費用を税金から支援して、何兆円掛かるか知らんけど」

http://buzzap.jp/news/20160729-fukushima-nuke-plant-decommissioning-cost/

 また今日の『中日新聞』の「筆洗」欄(最後の文がいただけないが・・)

落語家の故・立川談志さんは食をおろそかにしない人で、田植えや稲刈りをするため、新潟まで足を運び続けた

▼農家の人たちと汗を流した談志師匠曰(いわ)く「ああいう人たちの稼いだお金と、株式という机上だけでたたいてやったヤツとは、札の色を分けなくちゃならないと思いますね。こっちで稼いだのは三倍で使えるけど、あっちは三分の一しか価値がないと決めてしかるべし、と思うくらい」

▼労働の質で得た札の色も変えろというのは荒唐無稽な話ではあるが、この言葉には暴論では片付けられぬ響きがある。ただ巨利を得るために世界を動く投機マネーと、日々の糧を得るために、もの作りなどに汗を流して得たお金の落差。そこに潜む矛盾を突く言葉だろう

▼グローバル化の中で富裕層に極端に富が集中し、貧富の格差が広がり続ける。歪みを正すには賃金の上昇が欠かせぬが、日本の最低賃金は主要国の中で低水準で、独仏などの六、七割ほどにすぎない

▼本年度は、これまで以上に引き上げられることにはなったものの、フルタイムで働いたとしても、安心した生活を送るには、まだまだ不十分な水準だ

▼しかも、欧州では高校や大学の授業料を無償にしている国が多いが、日本の教育費は高い。賃金は低く抑えられ、子育てにはやたら費えがかかる。それが国際比較で見た、この国の姿。お札の色は、ため息の色か。


 今日もゴミ収集の車が来た。汗とゴミの臭いにまみれている人と、快適な空調設備の中でカネを数えている人、どちらの人に高い給与を払うべきか。私は、前者の人だ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】堀田善衛『上海にて』(集英社文庫)

2016-07-28 23:09:11 | その他
 良い本にめぐりあった。堀田善衛の本、最近は読んでいなかったが、さすがにいろいろ考えさせられる。昨日、現代社会の“不幸”を嘆きあう会合があった。その場でよくでることばは、本を読まないと人間は利口にはならない、ということだ。

 私の場合は、知識を得るために読むものが多いが、時にみずからの思考を鍛えてくれるものも読む。『現代思想』(青土社)は、そうした本だ。今日、『現代思想』最新号が届いた。特集は「〈広島〉の思想」である。
 そして刺激を与えて思考の契機を与えてくれる本が、文学である。堀田の本は、そうした本だ。

 堀田の上海での戦争直後の体験と、その後に上海や重慶に旅した経験を織り交ぜながら、中国について様々な思考を巡らした、それが本書だ。

 まずこの文言を紹介したい。

 日本と中国との、歴史的な、また未来における、そのかかわりあい方というものは、単に国際問題などというよそよそしい、外在的なものではなくて、それは国内問題、というより、われわれ一人一人の、内心の、内在的な問題であると私は考えている。われわれの文化自体の歴史、いやむかしむかしからの歴史そのものでさえあるだろう。

 日本という国は、中国なしにはありえなかった。中国の文明に浴したからこそある日本。しかし近世中期頃から、「日本」を立ち上げ(7世紀後半に立ち上げようとしたことがあった。それが『古事記』『日本書紀』)、日本の“優秀性”を自覚する動きがでてきた。その延長線上に、明治維新がある。それからは、「脱亜」の動きが加速し、「大アジア主義」もあったがそれは換骨奪胎され侵略主義へとかたちをかえていき、そして日清戦争に日本人が従軍するなかで中国蔑視が民衆の間に広まった。

 近代日本において、中国を蔑視する心性が日本人の中に蔓延し、それが今も庶民の中に息づいている。日本人の現在の対中国観は、蔑視の土台の上に築かれていると思う。
 だからこそ、中国と日本の関係は、「内在的な問題」なのだ。

 私の考えでは、この優等生であり秀才でありつづけた、また現在もありつづけている日本が、どうしてアジアに対する災殃と日本自体にとっては1945年をもたらしたかということの、私たちの日本自体による究明がいまだに充分になされていない

 21世紀の今となっては、近代日本がアジアの中で「優等生」であったとことについての認識はぐらついているが、しかし少なくともアジアで文明化を成功裏に推し進めたことは事実であり、その日本が何故に1945年の惨敗をもたらしたかについての認識が、いまだに国民のそれになっていない。
 究明し、それを伝えようとすると、それが邪魔される、というのが日本である。

 このほか、中国国民党の特務の実態、そして中国が中華人民共和国へと転化したことの、中国内部の必然性を教えてもらった。

 良い本だ。安倍政権下、中国との関係が危なくなっているとき、本書は日本と中国との関係を考える手段となるはずだ。


 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

障がい者問題

2016-07-27 23:41:13 | その他
 障がい者が殺された。これは私にとってはかなりショックな事件である。私は、ある通所施設を支援する会の会員でもあるが、学生時代には友人の影響を受けて障がい者問題に関心を持ったこともある。

 今夜、TBSラジオの荻上チキのSession21を聴いていて、今回の問題を契機に、障がい者やその施設で働く人々の問題をきちんと正視すべきではないかと思った。 

 学生時代、障がい者問題に積極的に関わっていた友人に誘われて、「夜明けまえの子どもたち」を見た。とてもとても感動した。滋賀県にあるびわこ学園、その職員の方々が、重度の障がいをもって生まれた子どもたちが、人間として成長発達するように、賢明に努力するという映画である。
 この映画を見て、教育は障がい児教育こそが源流にならなければならないと思った。それぞれの子どもひとりひとりに応じて、その子どもの発達可能性を現実化していく、教育はそれを支えるものだ、と。
 数年前、この映画がDVDで販売されているということを知って購入した。実は、昨夜もそれを見た。何度見ても、いろいろなことを発見する。どんな障がいを持った子どもでも、その子どもひとりひとり、少しずつ成長発達する。それもとても個性的に。それがよくわかる。
 昨夜見終わって、この映画に出てきた障がい者たちは、今どうしているのだろうかと思った。この映画は1968年につくられているから、もう50代になっているはずだ。幸せに生きているだろうか・・・

 学生時代、その友人に刺激されて、障がい者問題の本を何冊か読んだ。ネットでその友人の名を検索したら、現在も尚この問題に関わっていた。本当に頭が下がる。

 この事件を契機に、障がい者問題に関する本を読もうと決意した。

 この事件は、衝撃的ではあるが、容疑者が何故に「障がい者なんかいないほうがいい」と考えるようになったのか、その背景を理解しない限り、この問題は未解決のままに終わる。

 「夜明けまえの子どもたち」のあと、「わたしの季節」というDVDも発売されている。購入したときに見たが、もういちど見ないといけない。

 また「どんぐりの家」という障がいを持った子どもとその親たちの感動的なアニメもある。

 これらを多くの人に見てもらおうと思う。障がい者が生きやすい社会は、健常者も生きやすい。そういう社会をつくるために努力しないと、今度の事件で殺された方々も悔しいだろう。



 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相模原の殺傷事件

2016-07-27 08:48:07 | その他
 何という惨いことを。このNewSは世界で報じられた。容疑者は、「障がい者はいなくなってほしい」として犯行に及んだという。

 その容疑者が、ネトウヨたちと交信していたという情報がある。差別主義者たちの「戦列」の一員だったのかもしれない。

http://lite-ra.com/2016/07/post-2447.html
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

増幅される危険

2016-07-26 08:51:37 | その他
 ポケモンGOが話題になっている。それによる交通事故も起きているようだ。車を運転する私としては、それに興じている人の運転する車と衝突でもしたらどうしようと心配してしまう。危険が増幅される。

 これについては賛否両論あると思うが、ポケモンのキャラクターを探して歩く人々は主体的にゲームをしているのではなく、ゲームの制作者に支配されているのではないかと思う。このゲームに、主体性は入り込めるのか、ただ探して歩くだけでは、主体性はない。もちろん創造性もない。

 人間は創造性を持つ動物であり、創造性のないものについては飽いてくる、そしてそういう非創造的なものから去って行くものだと思っている。

 もちろん私はやるつもりはない。そんな非創造的なことに費やす時間はないからだ。

 しかし、このゲームに興じることにより、いろいろな事故が起きるであろう。ゲームの制作者は、このゲームを提供することにより、人々がスマホの画面を見つめながら移動するという危険を想像しなかったのだろうか。それとも、もっと歩かせようとしたのだろうか。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間ってやつは!

2016-07-26 08:14:39 | その他
 相模原市の知的障害者の施設で、入所者が襲われたというNewSに接した。襲ったのは、もと職員の男だという。

 人間は生まれてからしばらくはひとりで生きられない。かならず誰かの世話にならなければならない。話すことも出来ず、歩くことも出来ない。食事だって何でも食べられない。いわば障がい者だ。

 そして年を重ねるなかで、ふたたび人間は、誰かの世話にならなければならない。人間は、ひとりでは生きていけない動物だ。

 人間は、そういう存在である。

 そして人間のなかには、障がいを抱えて生きていかざるを得ない人々がいる。全く同じ障がいを持っている人はいない。障がいをもっていても、人間は生きる。そして障がいがあろうと、人間はその障がいをもちながらも発達し、人間として生きていく。

 健常者は、そうした障がいをもった人々も人間社会をつくる同じメンバーであるという認識をもたなければならない。

 人間の尊厳ということばがある。人間の尊厳とは、生きているというただそれだけで価値がある、生きる価値がある、というものだ。

 かつて私は、映画でこういう障がいを持った子どもを見た。生まれてきてからずっと寝たきりの子ども。感情表現すらしてこなかった。ある暑い夏の日、その子どもが抱かれてプールに入った。するとその子どもが笑った。
 映画のなかにその笑顔を発見した人々は、その子どもが笑ったというただそのことだけで感動し、涙を流した。生きているということはすばらしいことだ。こうして他者に感動を与えることができるのだ。

 障がいは、ひとりひとり異なる。だから、その障がい者の発達を図るためには、それぞれの障がいに対応していかなければならない。その対応は、したがって創造的でなければいけない。その意味では、手がかかる。

 人間の社会には、いろいろな人間がいる。いろいろな人間が交わるなかで、人間はそれぞれが磨かれていくのだ。そのなかに障がいをもった人がいる。

 

 現在の日本社会は、自民党・公明党の経済政策が格差を思い切り拡大し、働く人を不安定にしている。健常者も生きにくくなっている。そういうとき、障がいをもった人々も、同じ生きる人間であるという認識をもてなくなるのだろうか。

 健常者が生きにくい社会は、言うまでもなく、障がいを持った人々も生きにくい。同じ生きにくさを共感し合うことはできないのだろうか。

 生きにくさを感じている人々は、分裂してはいけない。共に、共に、支え合って生きていこうとしなければならない。

 こういう事件、おきてほしくはない。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】布川了『田中正造と天皇直訴事件』(随想舎)

2016-07-25 23:30:05 | その他
 2001年刊。いつ購入したか記憶にないが、読んでなかった。

 1901年12月10日、田中正造は明治天皇への直訴をはかった。しかしうまくいかず、警察官にとりおさえられた。当時は天皇直訴に関わる法律がなかったために無罪放免であった。

 さてこの直訴は、どういう経過で行われたのか。木下尚江などがいろいろな説を出している。布川氏は実証的にその経緯を記している。

 この直訴、直訴状は幸徳秋水が書き、それを正造が修正した。幸徳は、兆民の弟子である。当時兆民は、死の床にあった。この年12月13日に亡くなっている。
 この直訴事件には、もうひとり兆民の関係者が関わっている。当時の『毎日新聞』主筆の、石川半山(安次郎)である。石川は1872年、岡山県に生まれる。慶應義塾に学び、庚寅新誌記者となって、兆民に知られ、幸徳秋水とは秋水の死に至るまで交友関係にあった。兆民の門下生という説もあるが、兆民の石川宛書簡が掲載されている『中江兆民全集』第16巻の石川の解説には、「兆民に私淑」していたという記述があり、「門下生」とまでは言えないのではないかと思う。

 直訴事件は石川の発案であって、正造が命を懸けて直訴し、その際に殺されたりすれば大きな反響を招くということから企画されたものだということが、本書には記されている。ただしそれについては、きちんとした資料をもとにしているので、信用するに足ると思われる。

 中江兆民のあと、8月には田中正造について話さなければならない。兆民との関連があったので、喜んでいる。この事実をつなぎに持ってきて、正造を論じようと思う。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京都知事選

2016-07-25 21:34:22 | その他
 今日の『日刊ゲンダイ』に下記の記事があった。

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/186360

 『週刊文春』の記事を、大メディアが騒いでいるらしい。テレビを見ないのでどれほど騒いでいるか、実際の所わからないが、たとえ騒いでなくても、おそらく東京都民は小池百合子を当選させるだろう。

 今まで石原、猪瀬、舛添を当選させてきたのだから、その延長線上にあるのは、小池百合子だろう。東京都民は、決して賢明な選挙民ではない。

 またテレビメディアも、圧力だか、忖度かはしらないが、いずれにしても安倍政権のメディア対策に乗っかっているのだから、予想されたことだ。

 鳥越は、そうしたことを念頭に置きながら立候補したのだろうから、勝つためにはそれ相応の対策を立てておくべきであった。

 追記

 ネットでは、鳥越氏について演説がおかしい、「認知症」ではないかということが各所で書かれている。しかし、ユーチューブで鳥越氏の演説をみてみると、べつにおかしくはない。しっかりと語っている。

 安倍政権側が、そういうデマを積極的に流しているのだろう。卑劣なデマを流して、鳥越氏を落とし込もうという策略に打ち勝っていこう。

 とにかく実際にみてみよう。しっかり話しているよ。

https://www.youtube.com/watch?v=KESTqIduJBk
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴール

2016-07-25 12:47:45 | その他
 『週刊金曜日』の今週号、参議院議員選挙を経て、いろいろな人が意見を寄せている。そのなかで、私は森達也氏の主張に近い。

 ・・・ゴールは近い。・・ゴールとは何か。敗戦から70年にわたって持続してきた国の形を、根本的に変えるゴールだ。一度変えれば戻らない。

 多くの人は、今の時代風潮のなかにある。その風潮とは何か。「右派革命」へとつながる風潮だ。もちろん積極的に、あるいは主体的に支持しているわけではない。

 要するに、日本人は何となく一定の方向をめざす風潮にのっていくのだ。その風潮を、私は「時流」と呼ぶが、日本の近代史は、その「風潮」がつくってきた、と思う。もちろん日本人だけが「時流」に流されていっているわけではないが、その傾向が強いということだ。

 なぜか。自己主張がないからだ。「出る杭は打たれる」というように、周囲の雰囲気(「空気」)にあわせながら生きていく、合わせていくほうが楽だからだ。

 最近、中江兆民が書いたものを読み、兆民という人物を他者がどうみていたかを調べたが、兆民は奇人変人のひとりであると思う。そのエピソードはたくさんある。あるべき理念をもち、その理念に照らして現実を撃つような言論活動を、兆民はしてきた。その言論は、当該期の日本の「時流」とは異なった位相をもっていた。そういう主張が出来ることが、奇人変人の役割でもある。
 奇人変人こそが、先に記した「風潮」や「時流」を混乱させることができる。奇人変人よ出でよ!である。

 「出過ぎた杭は打たれない」のである。
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリントンは、1㌫の味方

2016-07-25 12:36:17 | その他
 民主党が、サンダース候補に不利になるようにしていたそうだ。TBSのNewS。

»民主党内部でサンダース氏を妨害か、メール公開で波紋

 アメリカ大統領選挙の民主党の指名候補争いで、中立であるべき全国委員会の幹部がクリントン前国務長官に肩入れしていたとの疑いが、内部告発サイト「ウィキリークス」の公開したメールで浮上し、波紋が広がっています。

 「ウィキリークス」が公開したのは民主党全国委員会の内部でやりとりされたとされるメールで、幹部の1人が、サンダース氏の名指しは避けながらも「彼は無神論者だと読んだことがある。彼が神を信じるかどうかを誰か質問できないか」と述べたり、ワッサーマン・シュルツ委員長が「彼は大統領にはならない。民主党を理解していない」などと記していました。

 サンダース氏とその支持者は、全国委員会がクリントン氏に肩入れし、有利な日程で討論会を組むなどしていたと批判してきましたが、今回公開されたメールの内容が事実なら、それを裏付けた格好になります。

 今回の事態を受けて、ワッサーマン・シュルツ委員長は党の全国大会の終了とともに辞任する意向を表明しましたが、サンダース氏側の反発は必至で、11月の大統領選本選に向けた挙党態勢作りに影響の出る可能性があります。(25日06:45)


 民主党も共和党も、所詮は1㌫の走狗たち。富裕者や金融資本、巨大企業から天文学的なカネをもらって、大統領になる。彼らの目は、いつもウォール街。

 クリントンは、ゴールドマンサックス社での講演会で、こう語ったそうだ。

私がゴールドマンサックスの皆様に申し上げたいことは、私はあなたがたの味方であるということです。選挙期間中の騒音など気にしないでください。私は御社からの支援を決して忘れません。そしてどんなときも、あなたがたの要望を他の何よりも最優先します。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする