浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【映画】 ミラノ 愛に生きる

2012-03-28 21:07:55 | 日記
 シネマ・イーラに行った。イタリア映画「ミラノ 愛に生きる」。

 ストーリーは、簡単だ。企業家の奥さんが、自分の息子の友人を愛してしまう、というものだ。息子は、自らの友人と母ができていることに気付き、母と話し合うそのときに、プールに落ちて死んでしまう。

 葬儀の後、母は、息子の友人の所に、おそらく行ってしまう、家族を捨てて。

 しかし、母が息子の友人アントニオ(料理人である)と関係する契機となったのは、アントニオがつくった料理を食べたとき。

 どうも不自然。

 文化遺産の宝庫であるミラノを舞台にしているから、スクリーンに広がるミラノは、ストーリーの展開に、効果的に使用されていた。

 そして主人公である母、エンマ(本当の名ではない。ロシア人なので、ロシア名がある)のすばらしい服。

 これはエンターテインメントの映画だな。見なくてもよかったかも。館内には、10人くらいかな。

 来週は、「サラの鍵」を見に行く。これは第二次大戦下のパリ、ユダヤ人迫害が背景になっている。
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【本】アーニー・ガンダーセン『福島第一原発ー真相と展望』(集英社新書)

2012-03-27 22:36:05 | 日記
 今、この本を読んでいる。もっと早く読むべきであった。

 ガンダーセンは、アメリカの原子力技術者。エンジニアとして、アメリカ各地の原子炉の設計などに従事してきた。その経験から、福島第一原発の事故の真相を探る。

 ここには日本のマスコミには出てこない、科学的・技術的な観点からの、納得できる事故の真相が書かれている。

 もう放射性物質は出ていないような、政府もマスメディアも、もう危険は去ったかのような状況をつくりだしている。

 だが、決してそうではない。危険はずっと続く。危険をなくすための技術は、未だ開発されていない。おそらく、この事故の収束には、100年くらいかかるだろう。その間、激しい地震が福島に起きないことを祈りながらの、収拾作業が延々と続く。続けざるを得ない。

 原子力発電という、まさに悪魔の技術が、ここにはきちんと書かれている。

 今途中ではあるが、原子力発電、福島第一原発の事故、そして放射能被ばくの問題をしっかり見据えるためには、読まなければならない本である。

 福島に住んでいなくても、東京など関東地方でも、様々な核種の放射性物質が飛来し、おそらくそれを呼吸により、食物の摂取により体内へ取り入れている。

 それが、3年、5年、10年後に、癌を始め、様々な病気をつくりだす。

 何という事故を起こしたのか、と、憤りも強くなる。

 この本、700円+悪税である。買って読んでみよう、そして多くの人に広めていこう。
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ストレステストとは。

2012-03-25 21:28:16 | 日記
 原発事故を引き起こした原発マフィアたちは、再稼働に向けて準備を進めている。そのなかで、ストレステストの評価の問題が議論されている。

 それを考えるための資料が、下記にあるので読んで欲しい。

http://park1.aeonnet.ne.jp/~foisj/stpamph.pdf
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【本】朝日新聞特別報道部『プロメテウスの罠』(学研)

2012-03-24 22:50:54 | 日記
 朝日新聞社そのものには不信を持っているが、特報部が「朝日新聞」に連載した「プロメテウスの罠」はよい、という評判聞いていたので、単行本化されたこの本を購入し、読んだ。

 よく書けている。福島第一原発の事故を追体験できる迫真のドキュメントである。

 原発事故に対応した政府の不甲斐なさ、正しい情報を出さなかった政府の犯罪性、今になって枝野官房長官の記者会見時の発言を思い出すと、どの面下げて経産省の大臣なんかやっていられるのかと、次々と怒りが湧き上がってくる。

 菅政権の、事故時の対応の背景が、この本から伺うことができる。それを、日比野という菅首相の学生時代の友人で事故時に官邸に呼ばれた人が、

 「総理に助言すべき組織が機能せず、当事者意識が欠如していた。組織の都合が優先され、必要な知識を持った人間が役職にいなかった」

 保安院もいた、原子力安全委員会の斑目もいた、東電もいた、しかしどいつもこいつも役に立たなかったということだ。

 そういう輩が、原発は安全だなどと、再稼働に向けて画策している。

 そして政府も自治体も、内部被曝の事実を認めず、福島県民などをモルモット化している。被ばくという事実の前に、どうしてよいかわからない状態のままに置かれている県民たち。事故対応も犯罪的なら、その後の措置も犯罪的である。

 この本は、読むべきである。朝日新聞社の中には、有能な記者がまだ存在しているということでもある。
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【本】アラン・ソーカルら『「知」の欺瞞』(岩波書店)

2012-03-23 21:39:29 | 日記
 『「知」の欺瞞』は、2000年に岩波書店から刊行されたものだ。購入したときに一度読んでいるが、必要があってもう一度読み直している。

 「現代思想」というとき、それはフランスの哲学者や社会学者、精神分析学者らを多くルーツとする。「ポストモダニズム」の思想といってもよい。

 「脱構築」とか、独特の語彙が使われ、そのうちのいくつかは一般的な概念として通用している。今でも社会学や精神分析学、哲学の本を読むときは、「現代思想」で使われる語彙をある程度知っておかないと理解できない。

 さて、「現代思想」の担い手の中には、きわめて難解なことを書いたり話したりする者がいる。たとえばラカンという人物。何を言おうとしているか全くわからない。ラカンはしばしば数学的な概念を導入して論じる。だからよけいに理解不能になる。

 ところが、この本の著者は、ラカンが使用している数学の概念は、ただ衒学的に使用しているとしか思えない、とする。なぜなら、理解していない概念を使用している、したがってでたらめだからだ。

 著者たちは数理物理学・統計力学などの研究者であるから、ラカンが使用する数学的な概念が、意味をなさないことを証明していくのだ。

 ラカンだけではなく、クリステヴァ、イリガライ、ラトゥール、ボードリヤール、ドゥルーズ、ガタリ、ヴィリリオ、ゲーデル(これらはすべて人の名である)の著書を俎上にのせて切っていく。

 二人の著者は、最初にこう記している。

 「多くの例において、テクストが理解不能に見えるのは、他でもない、中身がないという見事な理由のためだ」(8頁)と。

 その通りだと思う。日本の学者のなかにも、理解不能なことを書きまくる人がいる。それも新しい難解な自己流の概念をつくりだして、あーでもないこーでもないと書いている。

 学問は、多くの人々の理解を得られるようなものでなければ、存在意義はほとんどない。少なくとも、現実と切り結ぼうとする意欲がある「知」は、理解可能となるはずだ。現実から遊離した「知」は、糸が切れた凧となり、いつかはどこかに落下して朽ちていく。

 この本は、理解不可能な言説がなぜそうなのかという原因を、数学のレベルで検証したものだ。

 理解可能な文を書くこと、だ。 

【追記】この本を再読した。今更ながら、フランス現代思想家の衒学的な姿に驚かされた。要するに、彼らは主張すべきことがなく、しかしそれでも注目を浴びたいがために数学や物理学などをあたかもメタファーのように駆使して「難解」な文を編み、いや煙に巻き、そしてそれ故に様々な解釈を他者にさせることによって、自らの何の価値もないでたらめを書いた著書を「聖典化」させたのである。フランス現代思想は、勉強するに値せず、である。但し若干の例外がいる。それは後に明らかにする。

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近代の否定

2012-03-22 21:14:36 | 日記
 ポストモダニズムという言い方がある。近代啓蒙思想によってつくりあげられてきた近代主義を批判する、脱近代主義とでもいうものである。

 近代は、市民の自由権を保障する観点から様々な原理原則を生み出した。例えば、法治主義、罪刑法定主義、適正手続きの保障などである。

 ところが、20世紀末からそのような原理原則が踏みにじられることが多くなった。それはほぼ新自由主義が跋扈し始めた頃からと言ってもよい。

 私は、近代が獲得した民主的な制度、権利などが、非現実的なものになり、徐々に退場する様子を見て、近代以前への逆行、中世化だと考えていた。憲法学者の樋口陽一氏が、近代擁護の論陣を張っている姿を見て、応援していたし、自らも近代擁護を主張もしていた。

 最近、佐藤嘉幸『新自由主義と権力』(人文書院)の第三章を読み、こういう状態を学界では「例外状態の常態化」と言っていることを学んだ。過去への回帰ではなく、現在の問題としてこういう状態をどう把捉するか、ということだ。

 新自由主義は、経済的不平等や格差を極大化しようとする、そしてそこには社会的不安が醸成されていく、それは必然的な流れである。それらを新自由主義権力はどうするのか。もちろん「抑圧」するのである。それもあからさまに。

 これを佐藤は、「主権権力の強化と例外状態の常態化」よ呼ぶ。それが第三章の表題でもある。

 近代を生み出した自由主義、それを佐藤は「古典的自由主義」と呼ぶが、それは「主権権力の強大化に対抗し、それを解体するために出現した理念であっ」た(市民革命を見よ)。ところが、新自由主義は、競争の原理を社会全体に押しつけるべく国家が社会に積極的に介入していく。対主権権力としての古典的自由主義と、主権権力と親和的な新自由主義。

 佐藤は、「例外状態とは、執行権力が既存の法秩序を停止し、それに代わって「法律の力」を持つ政令によって統治を行う状態を意味する」(100)という。既存の法を無視して、あるいは執行権力が都合よく解釈した法的外皮をもって、執行権力が自由に、意のままに発令できる「政令」を駆使して、私からみれば「無法」を働くのである。

 これは橋下大阪市政を見れば、一目瞭然である。

 憲法秩序を無視して、反憲法的行為を次々と繰り広げる。まさに新自由主義下の「無法」状態である。しかしこれが、大きな反対がないだけでなく、執行権力も、蓄積されてきた官製の法解釈に抵触することがあっても、それにブレーキをかけることもない。

 まさに「例外状態」が「常態化」しているのだ。では、それをどう変革するか、が問われているのだが、その解は今のところない。
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チェルノブイリで医療活動を行った菅谷松本市長の話

2012-03-22 14:57:47 | 日記
 チェルノブイリで医療活動を行った菅谷氏が、福島県の被曝について語っている。重要な内容なので、ぜひ読んで欲しい。

http://www.fng-net.co.jp/itv/index.html
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「フクシマの嘘」

2012-03-22 10:20:32 | 日記
 ドイツZDFが制作したドキュメント。日本語訳もついている。

 日本国民必見のビデオである。ぜひじっくりとみて、多くの人々に知らせて欲しい。

 http://www.dailymotion.com/video/xpisys_yyyzdf-yyyyyyy_news
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公式情報

2012-03-20 23:04:17 | 日記
 今まで、非公式に、福島県内などで、突然高校生が心筋梗塞でなくなったり、突然死の情報が、流されていた。

 だが、今日は公式の情報が新聞で報道された。

 これは『北海道新聞』の記事。

警戒区域入った女性死亡 福島県浪江町(03/20 21:17)

 20日午前11時ごろ、東京電力福島第1原発事故の警戒区域に指定されている福島県浪江町で、重機を区域外に持ち出すために許可を受けて入域していた50代の女性が倒れたと119番があった。女性は救急車で同県南相馬市の病院に搬送されたが、午後1時に死亡が確認された。

 政府の原子力災害現地対策本部によると、原発作業員を除けば、警戒区域に立ち入った人が死亡するのは初めて。

 同本部によると、女性は同僚数人と事業者向けの立ち入り許可を受けて入域。急に「気分が悪い」と訴えてトイレに入り意識を失ったという。



 放射能は、癌だけではなく、心臓疾患など様々な病気を作り出すという。警戒せよ!!
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生きるための逃走

2012-03-20 21:35:40 | 日記
「生きるためのとうそう」と打ったら、「生きるための闘争」となった、しかし私は「闘争」ではなく、「逃走」とうちたかった。

 『朝日ジャーナル』(『週刊朝日』臨時増刊)を買った。そこに『福島第一原発ー真相と展望』(集英社新書)を書いたアメリカの原子力技術者の短い論考が載っていた。

 そこに以下の記述がある。

 現在の一番の懸念材料は4号機です。4号機のプールには炉心数個分のもの使用済み核燃料が入っています。使用済み核燃料プールは遮蔽されていません。しかも4号機の建屋は構造が弱体化し、傾いています。
 事故後、東電はプールを補強したため、危機的な状況に陥ることは考えにくくなりました。しかし、ひとたび大きな地震が起これば、倒壊する可能性が四つの中では最も高い。東京の友人には4号機が崩れたら即座に逃げるようにアドバイスしています。取り出して間もない炉心が入った使用済み核燃料プールで起きる火災を消し止める方法など、誰も研究すらしたことはありません。


 最近、関東に住む友人から、この4号機の危険性を指摘するメールが相次いで届くようになった。私は、東京にいる二人の子どもに、「即座に逃げる」ようにと伝えてある。

 4号機の倒壊の情報は、おそらくすぐには伝えられない。

 昨年3月の原発事故の際、未だ事故の状況がほとんど報道されていないとき、東海道新幹線の下り、羽田空港の西行きは満員だったそうだ。権力の中枢にいる人々が、みずからの家族を逃がしたのだ。

 権力の中枢は、自分たちの家族を逃がした後に公表するだろう。すると、関東・東京地方から一斉に人々は逃げ出す。しかし人が殺到して逃げられなくなる可能性が高くなる。

 今から逃げることを考えておくことが必要だ。まさに「生きるための逃走」計画を、関東地方にいる人々は、立てておく必要があるようだ。
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【映画】灼熱の魂

2012-03-15 20:13:07 | 日記
 今日もシネマ・イーラへ。『灼熱の魂』、原題はフランス語でIncendies。意味は、【1】火事,火災。【2】動乱,騒乱,戦乱,戦火,砲火。【3】激情,興奮。【4】輝き,火のような明るさ。
 
 この映画は、この言葉の意味がすべて詰まっている。

 見終わって、まさに言葉を失った。何も言えなくなる。

 話はカナダから出発するが、主な舞台はレバノン。レバノンからカナダに移住してきた母と双子。その母が死んだ。2通の手紙を残して。その手紙の宛先は、父と兄。兄弟は父と兄をさがしにレバノンへ。レバノンでは、キリスト教右派とムスリムとの間に激しい対立と戦い、そして激しい憎悪が渦巻いていた。

 そのなかで母は壮絶な人生を送る。キリスト者である母。最初の恋人はムスリム。恋人は殺され、嬰児が残される。その嬰児は孤児院へ、その後その子どもは長じてムスリムの戦士となる。

 母は、その後大学へ行くが、キリスト教右派の蛮行に怒り、その指導者を殺害する。母は刑務所へ。彼女はしかし、屈しない。15年間の服役。その間、彼女の不屈の精神を破壊すべくレイプが行われ、その結果双子が生まれる。服役を終えた彼女は、双子とともにカナダへ。

 しかし母は、普通の母ではない。心に大きな傷を負った母であった。

 母亡き後、双子は母の手紙を持ってレバノンに行き、母の人生を知る。自らの出生の秘密も知る。

 そして最後、その父が、誰であるかが明かされる。その結末に言葉を失う。

 宗教対立。宗教が異なるというだけで、人は殺し合う。

 だが2通の手紙は、その対立、そして憎悪が虚妄であることをはっきりと示す。そこにこの作品の「輝き」がある。

 
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何を報道し、何を報道しないか

2012-03-15 13:29:41 | 日記
 絶望的なまでのマスメディアの惨状。少しでも、必要でありまた重要な情報は、みずから探っていくしかないのが現在の状況だ。TBS系の土曜日夕方の「報道特集」、NHKの日曜日夜のETV特集、そして『東京新聞』くらいしか、マスメディアは信用できない。

 ところで、3月11日、東日本大震災の追悼式典で、天皇が原発についても言及した。しかしそのことが、ニュースなどで報道されていないというのだ。

 私は、テレビのニュースすら見なくなっているので、事実はわからない。

 しかし、フリージャーナリストの田中龍作氏が、ブログで、それについて記しているので、紹介する。

http://tanakaryusaku.jp/2012/03/0003879
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【本】伊藤恭彦『政治哲学』(人文書院)

2012-03-14 13:56:56 | 日記
 数年前まで静岡大学にいた伊藤さんの著書。今は名古屋市立大学。静大は、惜しい人を逃した。

 さてこの本は、私が図書館を出ようとしたときにふと眼に入ったものだ。伊藤さんの本か、ちょっと借りてみようと思って借りたものだ。貸し出し期限が近づいたので少し読み始めた。

 なかなかの内容である。30冊の本が紹介されているのだが、たんなる古典ではなく、現在の様々な課題を見据えながら、それらを考え解決していくために知っておかなければならないこと、考えておかなければならないことが記されている本が紹介されている。

 世の中にはハウツーものの本が売れている。大学でも、専門的な学問ではなく、「ネオリベラルアーツ」といわれる、就職後に役立つ「実践的な」ことを学ぶ方向にシステムがつくりなおされているとき、このようなある意味で原理的な本を読むことはとても大事なことだと思う。

 アリストテレスから、カント、丸山真男、キムリッカまで、古今東西の政治思想家の主要な文献に、現代的課題にとって何ゆえに読むべきなのかの適切な説明がつけられていて、とても参考になる。

 この中に紹介されている本を、少しずつでも読んで欲しい。

 ただし紹介されている本の中には、高額なものもある。しかしそれでも、攻略して欲しいと思う。図書館にはあると思う。文庫本は買おう。マキアベリの『君主論』、ウェーバーの『職業としての政治』、イェーリング『権利のための闘争』、ルソー『社会契約論』、ミル『自由論』、マルクス『共産党宣言』などは、自分の本棚に並んでいて欲しい。

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【本】石原俊『殺すこと/殺されることへの感度』(東信堂)

2012-03-13 21:38:52 | 日記
 『現代思想』だったか、何かの論文を読んでいて、この本が引用されていた。読みたくなって購入した。100頁ほどの薄い本だ。980円、読んでみた。これが深い。

 この本は、石原氏が『週刊読書人』という読書紙で、2009年の一年間「論潮」という論壇で論じられていたことについて批評したものを集めたものだ。

 『世界』、『現代思想』、『週刊金曜日』その他の雑誌をもとに、何が論じられて何が論じられていないのかなどを書き綴るというものだ。

 私も、石原氏とほぼ同じ雑誌を読んでいるが、その読みの深さは、石原氏の足下にも及ばない。

 すべてにわたって、深い思考をもって、書かれている論考を下に、何を私たちは考えなければならないかを論じていく。きわめて刺激的で、そこに記されている注記の簡潔で要を得た解説に感嘆した。

 日々やらなければならないことをこなしながら、その一方でこういう雑誌を読み続ける。それぞれの論文が、がっちりと私の思念を掴んでくれればよいのだが、そうではない。

 知的触発をうけ、そこで思考する訓練が必要だ。この年になって、居住まいを正された感じがする。
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【映画】ブリューゲルの動く絵

2012-03-12 20:19:36 | 日記
 ブリューゲルの絵、「十字架を担うキリスト」という名画、ゴルゴダの丘に向かうキリストが、16世紀のフランドル地方の風景の中に描き込まれている。

 ブリューゲルのその絵に描かれている人々が、それぞれの日常生活を生きる。キリストも生きる、そして死ぬ。

 人々の生が、点描のように、額縁の中の絵のように、描かれる。この絵の登場人物の生が点描画のように描かれる、そんな映画であった。

 原題は、風車と十字架。

 不思議な映画であった。実験的でもある映画。歴史を学ぶ眼から見ると、16世紀ヨーロッパ中世社会の日常生活の復元でもある。

 感想を書こうと思っても、何を書けばよいのか迷ってしまう。

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