浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「暴力」が力を持つ時代

2014-10-31 17:44:22 | 社会
 1930年代は、「戦争」へと進んで行く時代であった。そこでは、様々な暴力が力を持っていた。文字通りの暴力やテロだけではなく、言葉による暴力が様々な事態を引き起こしていた。学者は職を追われ、新聞は暴力にあわないように自粛を始め、人々は問題になりそうな発言を控えるようになった。

 そういう時代が、再び姿を現し始めた。以下は「共同」配信記事。

元朝日記者の講師契約打ち切りか 脅迫事件の北星学園大

(10/31 07:30、10/31 07:56 更新)

 札幌市厚別区の北星学園大に、元朝日新聞記者の非常勤講師の解雇を要求する脅迫状などが届いている問題で、教職員らで30日に結成した「大学の自治と学問の自由を考える北星有志の会」は、同大が来春、この講師との契約を更新しない方向で検討に入ったことを明らかにした。

 有志の会によると、田村信一学長が29日、学内の会議で初めて表明した。講師を雇用し続けるには、人的、財政的な負担が大きすぎ、来年度の入試も不安、との理由を挙げたという。学長は11月5日に予定している評議会に諮問し、理事会の意見を聞いた上で、学長として最終的に判断するとの考えを示したという。

 この講師は2012年からこれまで、1年ごとの契約を2回更新している。同大は北海道新聞の取材に、「内部の会議での話なので、内容は答えられない。(講師の契約については)学内手続きにのっとって進める」と話した。

 大学関係者によると、北星大は脅しの電話、メールに対応する職員や警備員を雇ったため、1500万円前後かかった。爆破予告により、授業や入試が妨害されることも心配している。

 攻撃されている非常勤講師は1991年、朝日新聞に韓国の元慰安婦の証言を韓国紙に先駆けて報じた。
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「そんなにひどいことはしないだろう」という予測

2014-10-31 15:59:54 | 政治
 多くの日本人は、誰が総理大臣になっても「そんなにひどいことはしないだろう」と思っているようだ。
 しかし、そういう安易な考え方は捨てるべき時が来ている。

 まず『東京新聞』の記事。

景気悪循環 鮮明 雇用悪化 しぼむ家計

2014年10月31日 夕刊

 景気回復の遅れが鮮明になってきた。政府が三十一日、発表した有効求人倍率(季節調整値)が三年四カ月ぶりに悪化したほか、完全失業率も上昇。物価上昇も続き、一世帯当たりの消費支出も大きく減った。物価上昇に賃上げが追いつかない中、消費が抑制される悪循環が強まる。安倍政権は十二月に消費税再増税するかが、厳しい判断を迫られそうだ。 

 厚生労働省が三十一日発表した九月の有効求人倍率(季節調整値)は、前月比〇・〇一ポイント低下の一・〇九倍で、三年四カ月ぶりに悪化した。

 総務省が三十一日発表した九月の完全失業率(季節調整値)も二カ月ぶりに悪化し、前月比0・1ポイント上昇の3・6%だった。

 これまで景気回復を背景に求人倍率は改善を続けてきたが、消費の落ち込みで採用意欲に陰りが出てきた可能性がある。

 厚労省によると、九月の新規求人状況を産業別にみると、労働者派遣業が前年同月比で約五千八百人減少した。製造や小売り、サービスなど幅広い産業に労働者を送り出している派遣業は、雇用情勢のバロメーターの一つ。

 総務省によると、失業率が悪化したのは、新たに職探しを始めたものの仕事が見つからない人が増えたためという。

 ◇ 

 総務省が三十一日発表した九月の二人以上世帯の家計調査によると、一世帯当たりの消費支出は二十七万五千二百二十六円で、物価変動を除いた実質で前年同月比5・6%減。消費税率が8%に引き上げられた四月以降、六カ月連続のマイナス。減少幅は八月(4・7%減)から拡大した。

 外食を含む「食料」や、電気代や上下水道料の「光熱・水道」など、幅広い分野で減少した。一方、自動車購入や自動車整備費の「交通・通信」は増加した。

 自営業などを除いたサラリーマン世帯の消費支出は7・3%減の三十万三千六百十四円で、六カ月連続で減少した。


 そして「日経」の速報を見ると、日銀はさらなる金融緩和を行うという。

日銀は31日に開いた金融政策決定会合で、追加金融緩和を賛成多数で決めた。年60兆~70兆円のペースで増やすとしていたマネタリーベース(資金供給量)を、約80兆円まで拡大する。中長期国債の買い入れペースを年約80兆円と、現状の約50兆円から約30兆円増やし、平均残存期間もこれまでの7年程度から、今回7~10年程度に最大3年程度延長することを決めた。

 すると、円安がもっと進んだ。

円急落、一時111円台 相場師「黒田総裁」本領発揮
2014/10/31 14:58
 31日の東京外国為替市場で円相場は急落した。一時1ドル=111円02銭近辺と、2008年1月2日以来、約6年10カ月ぶりの円安・ドル高水準を付けた。


 ということは、石油(国際価格は下がってはいるが、その下落が国民生活に反映されないことになる)や天然ガス、食料など輸入価格が上昇することは明らかだ。国民生活や中小企業にはマイナスである。

 他方、株価が上昇した。『朝日新聞』の記事。


日経平均終値、7年ぶり高値 追加緩和受け755円上げ

2014年10月31日15時15分

 31日の東京株式市場は、日本銀行が追加の金融緩和を決めたことで、日経平均株価が大幅に値上がりした。終値は、前日より755円56銭(4・83%)高い1万6413円76銭で、2007年11月2日以来、7年ぶりの高値をつけた。上げ幅は今年最大だった。東京証券取引所第1部全体の値動きを示すTOPIX(東証株価指数)は、54・74ポイント(4・28%)高い1333・64。出来高は40億1千万株。


株価をあげることばかり考えている。そのために、安定的な運用をしなければならない公的年金の株投資を増加しようとしている。きわめて危険な政策運用をしている。

公的年金運用、国内債券35%に下げ 日本株25%
2014/10/31 2:00
約130兆円の公的年金資金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は31日にも、新しい運用比率の目安を発表する。現金など短期資産を除く運用資産のうち、国内債券を現行の約6割から中長期的に35%に下げる一方、国内株式を25%に上げる見通しだ。海外株式も積み増して、株式と債券との割合を半分ずつにする。市場の動向をにらみながら日本国債に偏った運用を改め、利回りを高める。


 近視眼的な、短期的な、しっかりと日本経済の状況を踏まえない経済政策がどういう結果を招くか、そういう事態が起きたときに人々は驚く。しかしいつものように誰も責任をとらない。黒田日銀総裁も、である。

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原発事故への想像力

2014-10-31 07:07:02 | その他
 福島で原発事故が起き、放射能が今も大量に漏れ出ている。すでに原発事故はいかなるものか、その実例を知っている。しかし、目の前にぶらさがったカネは、眼を曇らせる。再稼働へ向けて、国家も電力会社も邁進する。

 ボクは、福島の原発事故の収拾、溶けてしまった核燃料の取り出しは、30~40年で終わるとは考えられない。政府や東電は、「何もなかった」ことにしたいのだろう。罪深い国家である、つくづく日本という国家は。

核燃料取り出し遅れ 東電追認 実体なき「廃炉工程」鮮明

2014年10月31日 06時57分


 東京電力福島第一原発の廃炉をめぐり、東電は30日、早ければ2017年度前半にも始める予定だった1号機プールからの使用済み核燃料取り出しを、2年遅れの19年度に見直すことを明らかにした。原子炉内に溶け落ちた核燃料の取り出しも、早ければ20年度前半に始めるとしていたが、5年遅れの25年度開始に見直す。

 計画を前倒しにすることはあったが、遅らせるケースは初めて。

 原因の一つは、原子炉建屋を覆うカバーの解体作業が当初の計画より半年以上遅れているため。当初は既存のカバーを改造して使用済み核燃料を取り出す計画だったのを、カバーを撤去し、専用の骨組みを建屋上部に新設するよう変更したことも大きい。さらに、溶けた核燃料の取り出しに向けては、使用済み核燃料の取り出し用に造った骨組みを撤去し、別の専用の骨組みを設置し直すためという。

 東電の廃炉担当者は「デブリ(溶融した核燃料)の状況がよく分からない中、デブリの取り出し設備を設置するのは困難。手戻り(作業のやり直し)につながる。それぞれ専用の設備を造ると、当面は遅れるが、着実に作業を進められる」と強調した。

 三十~四十年間で廃炉を実現する方針は変わらないという。

◆日程偏重で現場しわ寄せ

 東京電力が、初めて時期の遅れを認める形で福島第一原発の廃炉工程を見直す。これまで工程表通りに作業を急げ急げの号令ばかりで、現場は違法な長時間労働をはじめ苦しめられてきた。「廃炉まで三十~四十年」の宣言にこだわらず、現実に合わせた見直しは当然といえる。

 実際のところ、廃炉への具体的な道筋は見えていない。炉がどう壊れ、溶けた核燃料はどんな状況なのかも分かっていない。

 特に溶けた核燃料の取り出しには、格納容器ごと水没させ、強烈な放射線を遮ることが不可欠だが、注水した冷却水は漏れ続けている。容器の補修のためロボットを使った調査が続けられているが、漏れ場所は特定できていない。取り出しの工法も決まっていない。

 国と東電が公表している工程表は、あたかも時期が来れば作業が進むような印象を与えるが、実際に根拠がある部分は少ない。検討中のものがほとんどだ。

 それにもかかわらず、現場には工程表通りにやることを最優先するよう指示が飛ぶ。福島第一の作業員の一人は「現場には、一日も工程から遅れるなと強いプレッシャーがかけられている。福島第一は初めての作業が多く、悪天候で遅れることも多い。工程を守れと言われても、現場が苦しくなるだけ」と訴えた。

 そんな現場の苦労にもかかわらず、三十日の国と東電の工程表をめぐる会合では、せっかく現実に合わせた見直しをしたのに、前倒しをするよう国側から注文がついた。(原発取材班)

(東京新聞)


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ネトウヨと安倍首相の共通点

2014-10-30 19:37:30 | 政治
 何でもかんでも『朝日新聞』が悪い!という人々。

http://nabeteru.seesaa.net/article/408020245.html
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ウルグアイ大統領の演説=真理はここにあり!

2014-10-30 12:59:17 | 社会
 ウルグアイ大統領ムヒカ氏のの演説は、下記のサイトにある。

http://www.huffingtonpost.jp/logmi/speech_b_5121960.html


会場にお越しの政府や代表者の皆さま。ありがとうございます。ここに招待いただいたブラジルと、ディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。

私の前にここに立って演説した、快きプレゼンターのみなさまにも感謝いたします。国を代表するもの同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない。その素直な志をここで表現しているのだと思います。しかし、頭に中にある厳しい疑問を声に出させてください。

午後からずっと話されていたことは、持続可能な発展と世界の貧困を無くすことでした。私達の本音は何なのでしょうか? 現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか? 質問をさせてください。

ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしょうか。息をするための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を、世界の70億~80億人の人達ができるほどの原料が、この地球にあるのでしょうか?

それは可能ですか? それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか? マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが、無限の消費と発展を求めるこの社会を作ってきたのです。マーケット経済がマーケット社会を作り、このグローバリゼーションが、世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか? あるいは、グローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で、「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか? どこまでが仲間で、どこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのは、このイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません。政治的な危機問題なのです。現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。

私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球へやってきたのです。

人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。ハイパー消費が世界を壊しているにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が世界のモーターとなっている世界では、私たちは消費をひたすら早く、多くしなくてはなりません。

消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。このハイパー消費を続けるためには、商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間も持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!

そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので、作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいることに、お気づきでしょうか。

これは紛れもなく政治問題ですし、この問題を別の解決の道に進めるため、私たち首脳は世界を導かなければなければなりません。なにも石器時代に戻れとは言っていません。マーケットを再びコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクロス(古代ギリシャの哲学者 快楽主義の祖)、セネカ(小セネカとも:古代ローマの哲学者で、皇帝ネロの家庭教師を務めた)やアイマラ民族(南米の先住民族)までこんなことを言っています。

「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」。これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。国の代表者として、リオ会議の決議や会合に、そういう気持ちで参加しています。

私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことをわかってほしいのです。根本的な問題は、私たちが実行した社会モデルなのです。そして改めて見直さなければならないのは、私たちの生活スタイルだということ。

私は、環境に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。しかし、世界でもっとも美味しい牛が、私の国には1300万頭もいます。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は牛肉やミルクの輸出国です。こんな小さい国なのに、領土の80%が農地なのです。

働き者の我が国民は、毎日一生懸命に8時間働きます。最近では6時間だけ働く人が増えてきました。しかし6時間労働の人は、その後もう一つの仕事をし、実際には更に長く働かなければなりません。なぜか? 車や、その他色々なものの支払いに追われるからです。

こんな生活を続けていては、身体はリウマチに全身をおかされたがごとく疲弊し、幸福なはずの人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。そして、自分にこんな質問を投げかけます。

「これが人類の運命なのか?」私の言っていることはとてもシンプルなものです。

発展が幸福の対向にあってはいけないのです。発展というものは、人類の本当の幸福を目指さなければならないのです。愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。幸福が私たちにとってもっとも大切な「もの」だからなのです。

環境のために戦うのであれば、幸福が人類の一番大事な原料だということを忘れてはいけません。

ありがとうございました。


読み終えたら、これも!

http://www.huffingtonpost.jp/2014/10/27/worlds-poorest-president-explains_n_6052326.html?utm_hp_ref=japan
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隠蔽

2014-10-30 09:27:12 | 政治
 政治権力は「悪」を為す。その最悪は戦争であるが、その他にも無数の「悪」を働く。たとえば権力にとって邪魔な存在は「消す」。戦前の政治権力は、たとえば治安維持法という融通無碍の悪法を駆使して、様々な人々を死に追いやり、拷問で苦しめた。

 だが、もちろんこういう事実は知られたくはない。だから隠蔽する。戦争が敗戦で終わったまさにその時、権力は資料の焼却を命令した。全国の官公庁では、長い間その煙がたち続けた。

 治安維持法が制定される前、まさに無法により、政治権力は人を殺害している。1923年9月16日の、大杉榮・伊藤野枝・橘宗一の虐殺である。その下手人は、憲兵大尉甘粕正彦らであった。政治権力はその虐殺が無法であったが故に、その下手人として甘粕正彦個人の所業として葬り去ろうとした。

 だが虐殺の命令は、もっと上の方から出されていた。それはおおよそ予想されていた。甘粕だけの所業ではなかった、誰もが考えることだ。しかしその根拠はなかなか明らかにできない。権力が隠蔽するからだ。

 ところがその所業は人間が行ったのである。人間は様々な他者との関係のなかにある。秘密を秘密のままに永久に守ることはできない。真実の一コマが時にこぼれ出す。そのこぼれだした真実の一コマ一コマをひとつひとつ拾い上げながら、ばらばらになった真実をまとめあげていく。

 そうした作業をおこなっている人がいる。大杉豊氏、大杉栄の甥である。最近刊行された『トスキナア』第20号に、大杉豊氏が「検証・大杉ら虐殺事件」を書いている。そこには、大杉らが虐殺された事件にまつわる一コマ一コマの真実を拾い上げる作業の一端が描かれている。

 権力は、みずからの「悪」を隠蔽しようとする。公的な権力としての被いをまとっている権力は、みずからが「悪」をなしていることを一般の庶民には知られたくない、だから隠す。

 だが真実は決して消されない。真実はみずからをあきらかにする動因をうちに秘めているのだ。大杉氏は、そうして事例を示している。

 この『トスキナア』、逆に読めば「アナキスト」。この20号で終わりだとのこと。

 しかし、この時、『大杉栄全集』が刊行され始める。大杉栄は、過去の人であるかのように思うかもしれないが、大杉が生きた時代と今がそんなに変わっているわけではない。いやかえって、その時代へと舞い戻っているかもしれない。だから、大杉の思想はより輝きを増している。
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棄民

2014-10-29 23:40:22 | 政治
 福島原発事故をなかったことにしたい政治家や官僚たちが勢いづいている。原発事故の被害者を、「棄民」化しようという策動が強められている。

http://lite-ra.com/2014/10/post-585.html
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『みぎわ』

2014-10-29 11:39:37 | 読書
 今日『みぎわ』という雑誌が届けられた。編集発行は「浜松聖書集会」、無教会派の人々である。ボクの敬愛する故溝口正先生が主宰されていた。

 キリスト者のなかには、エゴイスティックな人もいるが、故溝口先生に連なる人々は、すべて皆人生の途上において、敬愛せざるを得ない人々である。ボクはそのような人々とつながりをもつことができ、そしてその人たちの生き方からいろいろなものを学ばせていただいている。本当に感謝、感謝である。

 今日届けられた『みぎわ』54号も、クリスチャンではないボクが読んでも、教えられまた心が浄化される。

 巻頭言は、故溝口正先生の、日本国憲法第九条を高々と掲げ、「これこそ日本国民の誇りではないか」と、格調高く訴えている。先生の存命中、先生の平和にかける熱い熱い思いを語る姿を知るボクは、今の日本を先生が見たら何と言われるか、申し訳ないという気持がある。

 本書には、たくさんの方が書いているが、私の知るお二人の文について言及していきたい。

 お一人は武井陽一さん。お医者さんである。もちろん敬虔なクリスチャンであり、ボクが敬愛するお一人である。ここに「沖縄は世界のために」という沖縄で行われた講演の記録を掲載されている。
 入佐明美さんという敬愛すべき方の紹介を巻頭に据え、主に内村鑑三と伊江島で生活と平和を破壊する米軍と闘った阿波根昌鴻さんのことを語っている。阿波根さんも、いまは亡い。その阿波根さんのことばが引かれている。

 戦争をするには国民を愚民に教育し、盲目にしなければなりません。

 それに続いて武井さんは、「愚かにならないように、愚かさから解放されるようにと、私たちは日々求められています」と記す。同感である。

 その後内村鑑三についての説明が続くが、ここではボクが知って驚いたことを記す。それは阿波根昌鴻さんが沼津にあった「興農学園」で学んでいたということだ。

 ボクは阿波根昌鴻さんが語るビデオも持っているし、『米軍と農民』(岩波新書)も読んだが、阿波根昌鴻さんについてもっともっと学ばなければならないと思った。

 武井さんは袋井のデンマーク牧場にいる。ボクも訪ねなければいけないと思った。

 そして溝口先生の奥様・春江さんの文にも感動した。そこには「人間の尊厳」が語られている。いかなる人間も「存在の価値がある」ということば。重いけれども、もっとも軽視されていることばでもある。しかし春江さんは、主に音楽教育の分野で、それを顕現させることをしていた。

 「心の内から「言いたい、伝えたい」という言葉から始める」

 音楽も、言葉も、心の内からの内発的な要求があってこそ、音楽も言葉も誕生するということ、「人間の尊厳」を基盤にして、心の奥底からの音楽や言葉のeducate(この原義は引き出すというもの)を実践されているようだ。

 この本が届いてから、ざっと読み通したが、ここには素晴らしい人たちの人生や語りが詰め込まれている。

 学ばせていただいた、感謝、感謝である。自分自身の至らなさも、教えられた。頑張らなければならない。

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ラジオは頑張っている!!

2014-10-28 23:50:08 | 社会
 川内原発の再稼働を決めた薩摩川内市議会、そして隣接するいちき串木野市での住民説明会の実況(録音)と、それに対する問題点をクリアに指摘する番組があった。

 ボクは時々このラジオを聴くのであるが、いろいろな問題点を考えるための材料が詰まっている。

 その番組とは、TBSの「荻上チキ sessionー22」である。この番組は、ラジオではなくインターネットのストリーミング放送で聴くことができる。

 鹿児島県知事はどうするのだろうか。おそらくゴーサインを出すのだろう。

 福島原発の事故に関して、誰も責任をとっていない。しかし、福島原発事故に関して、今からでも誰に責任があったのかをきっちり追及すべきではないか。東電や政府は言うまでもないが、自治体の首長や議員、業者、住民など、それぞれのレベルでの責任を明らかにすることがなされないから、川内原発の再稼働が強行されるのではないだろうか。

 目の前にぶらさがったカネについていく人たちにも、責任があるのだということを明確にすべきではないか。

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「いのちよりも経済」、カネに群がる人々

2014-10-28 21:09:27 | 社会
 鹿児島県薩摩川内市(市議会と市長)が、川内原発再稼働にゴーサインを出した。目の前にぶら下がったカネが、とにかく欲しいのである。

 原発がある自治体と、そこの住民には、政府や電力会社からかなりのカネが散布される。そのカネが、人々の健全な精神を曇らす。

 福島で原発事故により過酷事故が起きればどうなるかが証明されたのに、人はそこから学ばない。

 ドイツなど、外国は学ぶのに・・・。

http://www.huffingtonpost.jp/satoshi-kamata/sendai-nuclear-plant_b_5802462.html
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放言を繰り返している女性・曾野綾子

2014-10-28 21:05:15 | その他
 曾野綾子という人物の発言や書いたものが、いい加減であることはすでに明らかになっているが、この報告も面白い。

http://lite-ra.com/2014/10/post-575.html
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『朝日』の社説に?

2014-10-26 23:02:32 | メディア
 『朝日』の経済に関する社説は、以前から新自由主義的な内容が多い。これは他紙も同様だが、『朝日』が「TPPは消費者にメリット」という社説を出していたそうだ。

 それを下記のサイトで知った。

http://uchidashoko.blogspot.jp/2014/10/tpp.html

 そしたら、消費者の立場に立ったこういう意見が載った。こちらの違憲のほうが正しい。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11416329.html?_requesturl=articles%2FDA3S11416329.html&iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11416329
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昨日の「中日春秋」

2014-10-26 22:56:37 | 政治
 別に1886年の事件を持ち出さなくても、現在治外法権の事実は無数にあるではないか。アメリカの軍人軍属は、ほとんど「治外法権」である。

 そうした「治外法権」の事実、米軍基地がある沖縄で頻発しているが、本土のメディアがほとんど報道しないので、普通の人々は、屈辱的な「治外法権」の現実を知らない。TPPも国家主権の侵害であるが、安保体制も同様である。

中日春秋

 横浜から神戸に向けて航行していた英国船ノルマントン号が暴風のため航路を誤り沈没したのは、一八八六年の十月二十四日のことであった

▼船長ら西欧人の乗組員はボートで逃げたが、二十余名の日本人乗客は船中に置き去りにされ、死亡した。当然、船長の責任が問われたものの、海難審判にあたった神戸駐在の英国領事は無罪を言い渡した。幕末に結ばれた条約のため、日本で罪を犯した西欧人を自らの手で裁けぬ治外法権の理不尽さに、人々は憤った

▼日本政府は秘密裏に条約改正案をまとめていたが、日本の立法や司法に外国政府を介入させかねない内容が含まれていた。この案が漏れ伝えられると、世論は沸騰した

▼いま政府が秘密裏にまとめ上げようとしている環太平洋連携協定(TPP)には、ISDS条項なるものが含まれているという。企業や投資家が協定加盟国の規制で損をした場合、その国を相手取り国際的な第三者機関に訴えられるようにする制度だ

▼この制度には疑問の声が上がっている。食や環境などをめぐるわが国の立法や規制が不当だと外国の企業などに訴えられ、規制撤廃を強いられかねない。それでは主権が損なわれるとの指摘だ

▼きょうから豪州でTPPの閣僚会合が開かれ、年内妥結を目指しての協議が行われる。「平成の治外法権」のごときものができぬか。ここは思案のしどころだ。

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小村雪岱

2014-10-26 22:31:19 | 日記
 掛川市の新幹線沿いに、資生堂の掛川工場がある。その敷地内に資生堂アートハウスがある。今日そこを初めて訪れた。

 小村雪岱展が行われているからだ。

 小村雪岱は、泉鏡花の本の装幀などを担当し、一時期は資生堂にも在籍し、包装紙や化粧瓶などのデザインも担当した。『芸術新潮』2010年2月号でも特集されていたが、日本的な情緒にあふれた良い絵(版画)が多い。浮世絵のような空間認識の下、女性を中心とした静かな独特の雰囲気を描いている。

 実はボクは、『芸術新潮』で特集されるまで、雪岱を知らなかった。一目で、雪岱の絵が好きになって、雪岱の絵で絵はがきをつくって各所に送ったことがある。

 今日、アートハウスで雪岱の絵を見たが、やはり女性の絵がもっともよい。「忠臣蔵」の絵も並んでいたが、それよりもやはり女性の絵だ。

 アートハウスには、現代彫刻もある。青木野枝という人の鉄を素材とした作品が二点、鉄を輪のようにして、その輪がリズムをつくりながら空間に伸びる。重いはずの鉄、その重さを視覚的には感じさせないのだが、ボクらの心の中で重さを感じる。

 資生堂のアートハウス、入場料はタダである。隣に資生堂の企業博物館もある。

 小村雪岱、とてもいい絵だ。



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「民主的医療」

2014-10-25 20:07:07 | 読書
 『現代思想』9月号は「医者の世界」が特集だ。テレ朝系列で「ドクターX」という番組があって、ボクもそれを見ている。今まで医者や医療についての関心はほとんどなかった。ただ、ハンセン病の問題を「差別」の視点から捉え、静岡県のハンセン病を歴史的に明らかにすることはしたいとずっと考えていて、一応それには着手はしているのだが、継続していない。

 さて巻頭は、大野更紗さんの文であるが、刺激を受けるような文ではなかった。もうボクは大野さんの本は読んでいるから。

 次の早川一光さんと立岩真也さんの対談は、とても興味深いものであった。早川さんは1924年生まれ、なかなかのご高齢であるが、医師として現役で活躍されている。
 早川さんは、戦争が終わって、「自治」に目ざめる。「セルフ・コントロ-ル、自ら治める、これはもう眩いばかりの輝きを僕らに放っていた」という。ここにも戦争直後の解放された気分がほとばしり出ている。こうした「感激」をもう一度確かめることが大切だと、ボクは考えている。

 早川さんは、「まず学生が自ら学ぼうという意欲が民主主義の第一歩であり、そういう意味での自治ができるということがデモクラシーの第一歩」であって、「民主主義者とは何かと言えば、参加すること、発言すること、それから情報を公開すること、閉じた部屋の中で閉じたことをするのではなく、みんながわかるところでわかるようなものをすること。そのかわりみんなはこれに向かって意見を言うからそれを聞く耳を持つということ」と語る。戦後の民主主義は、こういう精神で開始されたのだ。

 このような視点で医療活動に従事する早川さんは、「健康を守るにしても、「自分の身体は自分で守る」という自主の考え方を、どれだけたくさんの人たちに持たせるかということが、福祉、保健、疫学である」という。民主主義に不可欠の自主、自律が必要であるという。早川さんは、「ナトゥーラ・サナート、メディクス・クラート」、「自然が治すのであって、医者はそれを下から支えるだけ」、それが「医療」なんだという考えをもっておられる。

 その考えは、対談の中で各所に表現されている。「医療」というものをとても謙虚に把握されている。

 「治らない、治せない、ではどうするかといったら、一緒に泣こうよ、一緒に語ろうよ、一緒に悩もうよ、つねにあなたの側にいるよ、と、住民と一緒に歩いて行くことしか僕らにはできないのではないか」

 そして「とことんまで生きること」を提唱する。民衆と共にある医療活動はどうあるべきかをずっと考え続けてきた早川さん。

 ここに引用しなかったが、何カ所かでなるほどと教えられたところがあった。

 ボクは、医療従事者をうらやましく思ったことがあった。仕事そのものが、即自的に人のためになるからだ。しかしボクは医者になろうなんて少しも考えたことがない。ちょっと血が出たりするだけで、もうボクはふつうじゃなくなってしまうからだ。
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