浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

リテラの指摘する通り

2020-01-11 09:11:24 | メディア
 Ghosn逮捕・起訴は、無理筋であった。検察官も裁判官も、逃亡されて喜んでいるのではないか。裁判が始まったら、ムリにムリを重ねてGhosnを有罪にもっていかなければならない。

 メディアは、当然司法権力の味方である。冤罪事件を生み出すときも、メディアは最大限それに協力してきた。そして冤罪であることを犯罪人とされた人や支援する人々によって証明されるようになると、メディアはそれに乗って時々検察批判をする。しかし日常的には、メディアは司法権力の広報機関である。Ghosnの記者会見後も、みごとにそれは続いている。

ゴーン会見で問われた日本マスコミの姿勢! 安藤優子は仏メディアの質問に「ゴーンは私たちを検察の代弁者だと考えている」
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メディアの奢り

2020-01-11 08:43:02 | メディア
 テレビよりも新聞のほうがプライドを持っている。記者もである。しかし、プライドがへんなところにでてくると、嫌みなものになる。

 『毎日新聞』が、「立憲、国民合流まとまらず 旧民主以来の「決められない政治」露呈」という記事を書いている。

 現在の立憲民主党と国民民主党の合併話がなかなか進まないことを、「決められない政治」として揶揄しているのである。しかしこの見出しをつけた記者、あるいは整理部記者は、この「決められない政治」ということばが、どれほど日本の政治を歪めてきたかを理解していない。理解していないというか、支配層の発想を今も保持していることを示している。

 「政治改革」が叫ばれた頃、与野党の勢力が伯仲してなかなか決められない事項が多かった。それを新聞も含めてメディアは非難していた。私などは、意見が大きく分かれる事項について決められないのは当たり前だと思っていた。しかしメディアはそうではなかった。どんどん決めていくことこそがあるべき姿だと主張した。

 その結果として、小選挙区制があり、首相官邸に権限が集中し、官僚を自由に差配する体制ができあがったのだ。「決められる政治」とは、民主主義を葬り去る言辞である。毎日新聞は、現在のアベ政権のように、議会を無視して、またメディアに説明せずして独裁的に勝手に何でも決めていく政治を好んでいるのだろうか。

 立憲民主党、国民民主党、いずれも民主党から別れでた政党である。したがってまた一緒になってもよいのではないかと、毎日新聞が考えるのも理解はできる。しかしそれぞれ、原発政策など政策が大きく異なるものもあり、二つの政党が一つになることは、とても難しいことなのだ。立憲はどちらかというと現在「リベラル」といわれている勢力であり、国民はどちらかというと自民党と政策が似通っているし、また同党には自民党であってもおかしくない人々が巣くっている。そういう集団が一つになることは、とても難しいことなのだ。

 合併できないことを「決められない政治」と揶揄するのは、メディアの奢りである。

 ついでにいうと、立憲民主党に社会民主党が併合される可能性も出て来ている。私はこれには反対である。立憲民主党も国民民主党も議員政党であり、地方に基盤を持たない。民主党それ自体が小選挙区制を前提とした選挙制度が生み出した政党である。小選挙区制を基本とした選挙で当選することを目的とした野合集団である。社会民主党は、勢力が大きく衰えたといっても地方に基盤をもった政党である。性質がまったく異なる。

 社会民主党の指導部は、立憲民主党への「併合」(つまり吸収合併ということである)を望んでいるような気配がある。

 社会民主党については、私は今までも厳しく批判してきた。おのれを自滅させる小選挙区制度創設に賛成し、村山政権で日本社会党がもっていた政策を放棄し、そして党名を変えた。それらが現在の社会民主党の低迷を生み出したのである。政治情勢に翻弄され、主体的な判断を放棄した結果が現在の社民党である。

 立憲民主党への「併合」案も、社民党が現在の「境遇」を主体的に切り開くためにみずからがつくりだした案ではなく、立憲民主党からの提案である。ここにも社会民主党の主体性のなさが見られる。いつ、社会民主党に骨がなくなったのか。情けない、の一言である。


 
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