今日、昼頃、シネマイーラで「i 新聞記者ドキュメント」をみてきた。東京新聞の望月衣塑子さんの姿を描きながら、ジャーナリストの在り方、日本社会の現状を示すものだ。「すごくよかった」とは、ここに書けないのが残念だ。韓国版のだめカンタービレの主演であったシム・ウンギョンの「新聞記者」のほうが印象的で記憶に残る。
このドキュメンタリーでは、望月さんを撮りながら、当然日本社会の病理が示される。望月さんが記者として取材するのは、森友・加計問題、伊藤詩織さんの性暴力被害の問題、辺野古など沖縄ですすめられている基地建設であるから、当然である。
時々、鰯だろうか魚群の映像がはさまれる。要するに、日本社会が集団で動くことを暗示しているのだろう。また最後に頭が映し出されるが、映し出されたときは何だろうと思ったが、パリが解放されたとき坊主頭にされたドイツ兵とつきあった女性の頭であった。ナチスドイツの支配の下で苦しんだパリ市民が、ナチスへの怒りをそうした女性に向け、殺された女性もいるようだ。
集団にみずからを合わせるのではなく、「私」という個人として、みずから思考しながら行動することが大切だということを主張するべく、「i」という映画名にしたのだろう。望月さんはそうした人間として生きている。空気を読まない、のである。
望月さんは集団行動が嫌い、というナレーションがあった。私も、だとすると、同じような人間だ。
人々は、群れることが好きなのだなと思ったことがある。しかし私は群れない。ひとりが好きだ。群れることは大嫌い。酒を飲まないからかもしれないが、自分から何らかの集団に入っていくことはしない。来るものは拒まず、去る者は追わず、というのが、私の生き方である。また自分を売り込むこともしない。主体的に自分自身の生を生きていくことだけが私の関心である。言いたいことを言う、集団に合わせるなんてことは、私にはできない。
そういう私にとって、畑で作業をしているときがもっとも楽しい。なぜか。それは個人の作業であり、相手は語らない畑であり、植物だから・・・。
このドキュメンタリーでは、望月さんを撮りながら、当然日本社会の病理が示される。望月さんが記者として取材するのは、森友・加計問題、伊藤詩織さんの性暴力被害の問題、辺野古など沖縄ですすめられている基地建設であるから、当然である。
時々、鰯だろうか魚群の映像がはさまれる。要するに、日本社会が集団で動くことを暗示しているのだろう。また最後に頭が映し出されるが、映し出されたときは何だろうと思ったが、パリが解放されたとき坊主頭にされたドイツ兵とつきあった女性の頭であった。ナチスドイツの支配の下で苦しんだパリ市民が、ナチスへの怒りをそうした女性に向け、殺された女性もいるようだ。
集団にみずからを合わせるのではなく、「私」という個人として、みずから思考しながら行動することが大切だということを主張するべく、「i」という映画名にしたのだろう。望月さんはそうした人間として生きている。空気を読まない、のである。
望月さんは集団行動が嫌い、というナレーションがあった。私も、だとすると、同じような人間だ。
人々は、群れることが好きなのだなと思ったことがある。しかし私は群れない。ひとりが好きだ。群れることは大嫌い。酒を飲まないからかもしれないが、自分から何らかの集団に入っていくことはしない。来るものは拒まず、去る者は追わず、というのが、私の生き方である。また自分を売り込むこともしない。主体的に自分自身の生を生きていくことだけが私の関心である。言いたいことを言う、集団に合わせるなんてことは、私にはできない。
そういう私にとって、畑で作業をしているときがもっとも楽しい。なぜか。それは個人の作業であり、相手は語らない畑であり、植物だから・・・。