浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

きわめて明快!「集団的自衛権」

2014-04-30 20:45:51 | 政治
 ボクが説明するまでもなく、水島朝穂氏の主張。きわめて説得力あり、必読である。

http://www.asaho.com/jpn/bkno/2014/0428.html
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【本】赤石千衣子『ひとり親家庭』(岩波新書)

2014-04-30 00:11:27 | 読書
 おそらく母子家庭や父子家庭の生活についての関心は、体験者しかないだろうと思う。昨日も記したが、ボクも母子家庭の出身である。だからボクは、こういう問題にはとても強い関心をもつ。

 子どもの頃は「鍵っ子」だった。学校から家に帰ると、カギを開けて入る。いつもボクはカギを持っていた。

 母親の帰りが遅いときもあった。そのとき、近所のおばあさんが母が帰宅するまでいてくれた。

 母が公務員であったから、ボクは生きてこられたという認識を持っている。公務員は、年齢とともに昇給があった。また高度経済成長の時代のなかでボクは成長したのだが、親の給与も、経済成長率のあとを追って伸びていった時代であった。
 だからといって、豊かな生活ではなかった。でも当時は、今のようにお金があっても「もの」がなかったから、経済的な格差は表には出てこなかったように思う。また家の周囲も田畑がひろがるところであり、農家も贅沢な暮らしをしていなかった。だからカネがなくても、格差を実感しないで生きてこられたのだと思う。

 今は、格差がはっきりと見えるから、貧しい家庭、とりわけひとり親家庭は大変だと思うし、子どもを育てていくことの困難さは、昔の比ではないと思う。

 ボクはこういう問題を考えるときに、いつも「底辺の視座」ということを思う。これについてボクはいつも話してきた。社会は、底辺からみるととてもよく見える、と。解決策も同じだ。底辺に生きざるをえない人々が幸せになる社会こそが、みんなが幸せになることができるのだ。豊かな人たちにではなく、困難を抱えている人たち、経済的、時間的に厳しいなかで子どもを育てているひとり親家庭、こういう人たちに安心できる環境を整えることこそが、必要なのだ。

 この本には、具体的な提案がたくさんある。こういう提案がどんどん実現されていけば、社会も安定していくだろう。

 民生委員時代、「ひとり親家庭」を訪問したが、すべての母親の顔は疲労の色を濃くしていた。たいへんだろうなと思いながらも、決められたことしかしてあげなかったが、今もしっかりと生きているだろうか。

 現在の政府の政策は、格差をより拡大しようとする方向に動いている。しかし、それを人々は押しとどめようとはしていない。選挙結果がそれを物語る。

 困難の原因を考えるためには、社会科学的な思考が必要だ。日本人は、それが弱い。だから改善されないのだ。いつも少数の人が苦しい中で運動をして、何とか悪化にブレーキをかけることができている。だが、現状を見ると、もうぎりぎりだ。

 本の帯には、「これ以上、がんばれない・・・」だけが記されている。こういう現実は変えなければならない。

 是非読んで欲しい。

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ひとり親家庭

2014-04-29 17:51:24 | 読書
 今日、3冊の本が届いた。『ひとり親家庭』(岩波新書)、『ハンナ・アーレント』(中公新書)、柳沢協二『亡国の安保政策』(岩波書店)である。そのうち『ひとり親家庭』を読み出した。

 数日前、NHKでシングルマザーの生活についてのドキュメントが放映された。それを見たところ、宮本太郎中央大学教授がコメンテーターとしてでていたが、具体的な事例が映され、そのあとに宮本が何かを話すというパターンであるが、宮本のコメントがあまりに抽象的で、聞いていて「この野郎!」と思った。生活に困窮しているほんとうに具体的な事例、それに対する抽象的なコメント。

 宮本太郎の父親は、宮本顕治。共産党の最高幹部であった人だ。ごりごりの共産主義者で、この人の指導により、良心的な人々がどれほど党外に放逐されてきたことか。

 その息子の太郎は、今や政府の「社会保障政策」のアドバイザーとなっている。親子で、民衆の運動や生活を阻害してきたわけである。

 この番組について、よいものがあったので下記にアドレスを紹介する。

http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-11835944779.html
 

 さて、この本のなかに、こういう記述があった。

 1990年代半ばまで、シングルマザーにとって安定した職場は、小学校や保育所の給食調理員や用務員だった。

 ところが、こういう職場は今や外部委託。民間企業による、低賃金の職場となっている。


 ボクも母子家庭で育った。2歳の時に父が病死し、そのあと、婚姻前まで小学校の教員をしていた母は公立幼稚園の教諭となって、姉とボクを育てた。母が一応の学歴をもち、また公務員であったから、ボクらは大学まで進学することができた。

 しかし今、公務員の職場はどんどん狭くなり、シングルマザーが子育てをしながら安定した生活を可能とする職場は今やほとんどない。

 ボクとしては、心が痛む。

 宮本太郎は、共産党からたくさんの報酬がわたされ、何の不自由もなく育てられたのだろう。だから、シングルマザーの苦境なんか想像もできないのだ。

 この本、『ひとり親家庭』を書いたのは、赤石千衣子さん。自らもシングルマザーであった人だ。

 実際多くの人々は、両親がいて経済的に安定した生活をしているのだろう。だからシングルマザーの大変さなんかわからない。しかし、こういう現実を知ることが大切だ。そしてその苦しみを想像して欲しいと思う。

 その想像力が、政策に対する怒りや、宮本太郎のコメントに憤りを生み出すことができるのだ。

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もと兵士の遺書

2014-04-29 08:02:49 | 社会
 ニコニコ超会議の自民党ブースで、東条英機のコスプレイヤーが登場し大歓声

http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-5553.html

 こういう情報を昨日知った。そして今日、届けられた『中日新聞』の 「きけわだつみのこえ」 木村久夫もう一通の遺書を読んだ。思ったことは、自民党という政党のおぞましさである。

 シンガポールの戦犯法廷で死刑を宣告され、1946年に絞首刑に処せられた青年・木村久夫は遺書を遺していた。『きけわだつみのこえ』に収載されたものは修正されているとともに、もうひとつ別の遺書があった。

 朝ボクは、居ずまいを正して読んだ。

 いつもこうした文を読むとき思うことは、本当に有能な感性豊かな人々は戦争で殺されていったのだ、ということだ。こうした人々が戦後という社会をつくってきたら、もっと違ったものになっていただろう。

 木村は通訳だった。終戦間際に起きた住民のスパイ事件。それが実在していたかどうかは不明であるが、しかしそのなかで多くの住民が日本軍によって殺された。木村は、通訳として、それを追及するひとりとなった。

 戦後の戦犯裁判で、木村は上官から真相を話さないように命令された。その結果、司令官と住民の取り調べに関与した末端の者だけが死刑を宣告され、実際に拷問をしたり死刑を命令した参謀は無罪であった。取り調べに当たった木村らは、住民とじかに会っているからだ。住民にとっては、日本軍という組織の構造なんかはわからない。

 木村は処刑されるに際して、遺書をしたためた。ご両親や家族への切々たる愛情にあふれたものだ。しかし同時に、田辺元『哲学通論』の余白には、こういう文があったという。

 日本の軍人、ことに陸軍の軍人は、私たちの予測していた通り、やはり国を亡ぼしたやつであり、すべての虚飾を取り去れば、我欲そのもののほかは何ものでもなかった。


 ・・・ことに軍人社会、およびその行動が、その表向きの大言壮語にかかわらず、本髄は古い中世的なものそのものにほかならなかったことは、反省し全国民に平身低頭、謝罪せねばならぬところである。

 この(見るに堪えない)軍人を代表するものとして東条前首相がある。さらに彼の終戦において自殺(未遂)は何たることか、無責任たること甚だしい。これが日本軍人のすべてであるのだ。


 軍人が今日までなしてきた栄誉栄華は誰のお陰だったのであるか、すべて国民の犠牲のもとになされたにすぎないのである。労働者、出征家族の家には何も食物はなくとも、何々隊長といわれるようなお家には肉でも、魚でも、菓子でも、いくらでもあったのである。ー以下は語るまい。涙が出てくるばかりである。

 天皇崇拝の熱の最もあつかったのは軍人さんだそうである。(略)いわゆる「天皇の命」と彼らの言うのはすなわち「軍閥」の命と言うのと実質的には何ら変わらなかったのである。ただこの命に従わざる者を罪する時にのみ、天皇の権力というものが用いられたのである。


 今日は春の叙勲の日である。昔、マルクス主義を学問の方法論にとりいれ、「アジア的生産様式論」や「大化改新否定論」を主張し、晩年になってからはまったく正反対に神話研究に打ち込み、ヤマトタケル実在説などを主張する古代史学者が叙勲だという。時流にうまくのりながら研究を行ってきたということなのだろう。



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尖閣諸島の問題

2014-04-28 06:58:48 | 政治
 尖閣諸島の問題について、日本のメディアは当然のごとく「尖閣は日本の領土」と政府と同様に主張し日本人のナショナリズムをくすぐっているが、歴史的に精査すると、日本の領土とは断定できないきわめて曖昧な存在なのだ。この問題について、日本にも中国にも、100パーセント帰属を明確にする根拠はない。

 だからこそ、オバマ大統領も、現在日本の施政権下にあるから安保条約が適用されるのであって、尖閣諸島が日本に帰属するなんてことは一言も言わず、日本と中国がこの問題に関して対立することを憂慮しているのである。

 そして以下は、イギリスの認識。共同配信記事であるが、読んで欲しい。

英、日本の尖閣領有権に疑問 「固有の領土」支持せず

2014年4月27日 19時56分

 【ロンドン共同】尖閣諸島に対する中国の領有権主張が注目を集めた1970年末、在日英国大使館が本国に「日本の領有権主張には疑問が残る」と報告、英外務省は翌71年に日本、中国のいずれにも領有権を証明する歴史的証拠はないと判断、どちらも支持しない立場を決めていたことが27日、英公文書で分かった。

 英の「不関与政策」は現在も引き継がれており、主要友好国でさえ、「尖閣は固有の領土」という日本の主張への立場表明を回避してきた実態が明らかになった。
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【本】辺見庸『抵抗論』(毎日新聞社)

2014-04-27 19:51:37 | 読書
 いつもいつも鋭い切り口で、現在を斬る。

 もっとも刺激を受けたのは、「メディアはなぜ戦争を支えるのか」。当時の新聞労連委員長の明珍さん(毎日新聞社)の質問に、きちんと対応しないで、自らの言いたいことをどんどん主張していく様に、驚きとともに、明珍さんに同情しつつ、辺見さんの怒りの程度を感じてしまった。おそらくその怒りを明珍さんは受け止めてくれるだろうという期待による主張であると思った。

 ここで紹介された、『沈黙の螺旋階段』『意識産業』、『幻影の時代』を読んでみたいと思った。『沈黙の・・・』はかなり高額の本。どうしようか迷っている。

 印象に残る文は、最後の「危機の認識と抵抗のありようについて」である。辺見さんの中学時代の先生による「思え!!」という一喝は効果的であると思った。今は何も思わない、考えないで、タダ時流に流されるままに生きている人が多いようであるが故に、「思え!!」は貴重なアドバイスであると思う。

 また殺人についての比較についても、その通りだと思う。

 「組織的、系統的な大量殺戮は見た眼には犯罪に見えない。・・自爆テロは途方もない犯罪に見えてしまう」

 この「錯視」を強く指摘するのだ。

 そして「思え!」のあと、その思ったことを表現していくことが重要であると、結ぶ。

 良い本だ。刺激になるし、考えさせる。ボクは病床で横になりながら読んだが、時に居ずまいを正すことがあった。

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病床と夢

2014-04-27 08:29:40 | 日記
 ほとんど夢は見ない。いや見ているかもしれないけれども、朝起きるとほとんど覚えていない。しかし今日の真夜中の夢は鮮明である。

 戦時中である。ボクは大きな兵営の中にいる。しかし兵隊はいない。どこかに出動しているようなのだ。そのがらんとした兵営には、大きな竈がいくつかあった。ボクはその竈の火を絶やさないように、ひたすら木をくべる。そのような木は各所にあった。細かくきれいに切ってある木片。あるいは雑木を乱雑に切断したもの。ボクは行ったり来たりして、竈に木片を投げ入れる。他に人はいない。

 今思い出すと、その竈の火は赤くはなかったような気がする。モノクロの世界だ。考えてみれば、ボクが見る夢に色彩があったことなんかあるのだろうか。

 ふと彼方から歌声が聞こえてくる。あの戦時中の白い服を着た「看護婦さん」が、ゆらりゆらりと、杖をつきながらやってきた。ボクはじっと彼女を見つめる。彼女はどこかけがをしているようだ。ボクの前を通り過ぎる。どこからか逃亡してきたようだ。ボクが声をかけようとすると、彼女は走り出した。何か謝っているかのように逃げていく。

 そのとき、夢の中に爆音のようなものが聞こえてきた。もちろんボクは夢の中で空襲だと判断した。身構えていると、夢から覚めた。近くの道路を、消音器を外したバイクが走っているのだ。一本のバイクの音がだんだん遠ざかっているのを聞きながら、ボクはこの夢を反芻した。


 今日も晴れだ。今日はもう風邪は大丈夫のようだ。まだ咳は残っているけれども。

 布団を干さなければ。ここ数日の汗を吸い尽くした布団では、治る風邪も治らないだろう。
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竹久夢二

2014-04-26 23:35:52 | 読書
 袖井林二郎『夢二 異国への旅』(ミネルヴァ書房)を読み終えた。ひろたまさき氏から夢二晩年の台湾旅行を記した「台湾の夢二ー最後の旅」という論文を送っていただいたのだが、その論文にこの本のことが記されていた。そこで古本で700円ということだったので購入したのである。実際は3000円である。届いた本は新刊本のようであった。

 ボクは夢二の絵が好きで、若い頃岡山で米騒動史研究会があったとき、タクシーをとばして「夢二郷土美術館」に行ったこともある。

http://yumeji-art-museum.com/

 夢二との出会いは、高校生の頃だったか、デパートで行われた展覧会をみたことだと記憶している。夢二の絵に描かれた女性たちの物憂げなやるせない姿が、ボクのこころに強い印象をもたらしたのだ。そのときに購入した絵はがき、そして岡山の「夢二郷土美術館」で購入した絵はがきの一部は今も持っている。


 さて夢二は、アメリカ西海岸、そしてヨーロッパへと旅に出る。夢二はある種の人格破綻者、カネがあればどんどんつかってしまい、いつもカネがない。しかし周りの人々に支えられながら、この大きな旅行を経験する。そして途轍もない女性好きである。

 だがだからといって、この旅行が夢二の絵にどういうプラスがあったのかはわからない。あまり描いていないからだ。すでに名声を得ていた夢二、どちらかというと落ち目になったあとに洋行したので、その成果が現れていないように思える。

 この本、旅行中に描いた絵が紹介され、また文筆家としても名高い夢二の文が、そこそこに引用されていて、なかなか読ませる本である。

 悲哀のためには青い絵の具、歓喜のためには黄色、信仰のためには緑色、純潔のためには白、愛のためには赤い絵の具を・・・

 希望を表す色はない、という。夢二には希望はなかったのか。

 またドイツで日本画について記したものも紹介されている。

 西洋画に於ては、光の中に物を見る。・・・日本画に於ては、心の中に物を見る。・・・・利休は「庭に花あれば、茶室に花を挿さず」と教える。全宇宙の中に唯一を求め、唯一の中に森羅万象を大観する手だてである。またこれは重複を避くる一の審美眼である・・・・

 ボクは夢二の絵を見てはいても、夢二の文や、夢二について書かれた伝記めいたものも読んだことはなかった。

 この本を読んで、いよいよ夢二が好きになった。

 東京にも、弥生美術館・夢二美術館がある。短時間だけど一度行ったことがある。そのとき一緒に行った人は、今頃どうしているのだろうか。

http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/

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2014-04-26 17:12:24 | 日記
 午前3時頃から、ボクの体のあちこちから汗が噴き出した。ボクは目を覚まし、これではボクの体から水分がなくなってしまうのではないかと思い、枕元にあった水筒にはいったお茶やペットボトルの水を次々と飲み干していった。

 そうこうしているうちにうっすらと明るくなってきた。「白暁」。鳥のさえずりも聞こえてきて、ボクののどの痛みもなんとなく和らいできたような気がした。そうして周りの家々からも、日常の始まりのざわめきが聞こえてきた。

 ボクはしかしまだ覚醒はしていなかった。睡眠不足のような、意識がぼやっとしているような、そんな状態のなかにいた。

 そしてまた眠ったのだろう。目が覚めたのは9時頃だった。階下に降り、パンを食べる。しかし、その間も体のどこからか、じんわりと汗が出続ける。まだ病は消えていない。食べ終わり、ペットボトルをもって布団に潜り込む。また汗が出始める。ボクはタオルで顔や首を拭う。着ていたパジャマは汗を吸っているようだ。すぐに着替える。

 11時頃、ボクは着替えて庭に立つ。水遣り。

 ポストをみたら、『法と民主主義』が届いていた。憲法九条と特定秘密保護法が特集だ。しばらくして郵便が届いた。『芸術新潮』。

 そしてそれらをもって布団の中で眺めていたら、今度は宅急便。書籍が送られてきた。赤上さんからの本。赤上さんは田中正造の研究者である。分厚い本を、ボクのようなものにまで送ってくれた。感謝である。しかし分厚いので、寝たままでは読めない。

 昼食。おにぎり。そのあと、締め切りが近づいているA4一枚の文を書いて送った。「濁流と土嚢」とした。土嚢を積まないと大変なことになるかもしれない、という、政治状況に関するものだ。

 再び布団のなか。気がついたら16時。もう汗はでない。

 風邪はいつなおるのだろうか。
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依存

2014-04-25 18:42:31 | 日記
 いくつかの要請があるのに、病のせいで気乗りがしない。待って欲しい。

 横になりながら、ボクは辺見庸の『抵抗論』(毎日新聞社)と、藤田覚『幕末の天皇』(講談社学術文庫)を交互に読んでいる。

 しかしずっと読んでいるわけにはいかず、一度は戸外に出た。今ボクは、ビニールの鉢にたくさんの種をまいている。昨年つくったミニカボチャ、朝顔、夕顔、百日草などの花々、そしてキュウリやズッキーニなどの野菜の種。これらが少しずつ芽を出し始めている。ボクが水をやらなかったら、彼らは死んでしまう。

 またボクはミニバラを育てている。鉢で育てているから、これも水やりが必要だ。今、バラはつぼみが膨らみ、あと少しで美しい花を咲かせる。バラは本当に美しいと思う。昨年末、庭にバラの苗を二本植えた。これもつぼみがでている。もうじき咲くはずだ。どんな花をつけるのか、とても楽しみにしている。

 これらの植物は、ボクの水やりに依存している。ボクは彼らに対して生殺与奪の権利をもっているのだ。

 さて『抵抗論』。辺見庸はジャーナリストでもありながら、作家である。だから語彙が豊富であり、また感性がとても豊かである。

 少し感じ入った文がある。戦時下に『朝日新聞』記者であった安在均の文を紹介してるのだ。安在は、戦争末期、特攻隊基地に取材に行った。インタビューしても、何も話しはなかったようだ。特攻隊員は、「行って参ります」と挙手の礼をして去っていったという。そのとき、彼はそこに生えていた菫を踏んでいったという。安在は座ったまま彼を送った。

 そして原稿を書いた。

 踏みしだかれた菫のあたりにだけ、
 ひときは陽が射すやうに見える。
 今は丁度、あの若い航空兵が
 敵艦に体当たりしたであらう時刻だ。


 この文は、様々な感慨をつくりだす。名文だと言えよう。文字として表現されたもの以上に、豊かな情感を導き出す。

 昨日ボクは、集団的自衛権解禁・行使の危険性について、無数の言葉を並べて説明した。しかし、そのたくさんのことばは、聴いている人々の心に届いただろうか。

 ボクは、この文を読んで、大いに反省するのであった。ことば、言葉、コトバ・・・・ボクは、もっともっと自らがつかうことばを磨かなければならない。

 辺見はしかし、この安在均という人が、「勲四等瑞宝章」をもらったということを指摘する。

 若い頃、天皇制について批判的な言辞を吐いていた学者の中に、老いて後、こうした勲章をもらう姿をしばしばみる。すでに学者として功成り遂げた人が、さらに天皇から勲章を受ける。

 辺見庸は、当然勲章とは無縁の地平に生きる。ボクも、みずからの思想を持ち始めた頃から、断固として地位や名誉などとは無縁の地平に生きていこうと決意し、そのように生きてきた。

 人間は、生まれ出でて、必死に生き、そして最後には無限の彼方に消えていく存在なのだ。そして生きている間、人は無数の「もの」と依存し合う関係をつくりあげ、そしてその依存し合った「もの」に感謝しながら去って行くのである。その関係は、決してタテでは、ないのである。

 だから、権力者によるタテの序列の「徴」は、入る余地はないのだ。
 
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病床

2014-04-25 16:05:06 | 日記
 のどに違和感を覚え、咳が出て、熱ぽい状態なので、病床にあります。布団の中で本を読んだり、眠ったりを繰り返しております。

 東京から帰ったあと、のどの変調が気になり、それがだんだんひどくなり今に至っています。

 東京には、ボクを痛めつける菌があるようです。

 そのため、ブログを書く元気がありません。あしからず。
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風邪

2014-04-24 19:58:22 | 日記
 先週東京へ行ったとき、厚着で行かなかったので風邪を引いた。咳がでて、今朝は寝汗がでた。それでも午後、静岡で集団的自衛権について話さなければならなかったので、何とか体をだましながら責任を果たしてきた。

 だが、もう眠たくなった。いくつかの要請がきているが、今日は容赦していただきたい。明日までにはなおしたい。というのも、畑が待っているからだ。

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出てきたぞ、アホノミクス

2014-04-23 21:39:01 | 政治
 世界で最も企業が活動しやすい国にする、という安倍の方針。ということは、もっとも利潤追求がしやすい国家ということになる。企業が企業活動を行う目的は、とにかく金もうけであるからだ。

 となると、労働者の賃金はできるだけ値切らなければならない。でないと、儲けられない。どうするか。残業代を支払わない、働け、働けということになる。「時間でなく成果で」だって!

 労働を何ではかるか。通常は、「時間」である。一日の労働時間は8時間、これはほぼ世界共通の理解である。「成果」で、ということになると、成果が目に見える形ででてくるものもあるが、普通はそうではない。だから「時間」ではかるのだ。

 いつの頃からか、「成果主義賃金」というものがでてきて、今は公務員にまで波及してきている。しかし、何が成果であるかを決めるのは、ものすごく難しい。

 結局、多くの企業では、付け届けとゴマすりが「成果」を決める。これは外資でも同じこと。外資企業が合理的に「成果」をはかることができているというのは、幻想に過ぎない。実際に外資企業に働いた人の証言である。「成果」をあげるためには、会社のためにお花見の場所取りだって頑張らなければならないのだ。場所取りができれば、それが「成果」となるのだ。

 さてその記事。『東京新聞』。他の新聞も報道している。しっかりと読もう。

残業代ゼロ検討指示 首相「時間でなく成果で評価」

2014年4月23日 朝刊
 安倍晋三首相は二十二日、政府の経済財政諮問会議と産業競争力会議との合同会議で「時間ではなく成果で評価される働き方にふさわしい、新たな労働時間制度の仕組みを検討してほしい」と労働時間規制の緩和を検討するよう指示した。 

 民間議員は同日、一定の要件を満たす労働者については、残業代や深夜、休日労働への割増賃金の支払いなどの労働時間規制を適用しない「ホワイトカラー・エグゼンプション」の導入を提言。首相の指示はこうした制度を念頭に置いたものとみられる。合同会議は労働法制を所管する厚生労働省と今後調整を本格化し、六月に改定する成長戦略への反映を目指す。

 労働時間を自己裁量で決められる一方、残業代などが支払われないホワイトカラー・エグゼンプションは第一次安倍政権でも導入を図ったが、長時間労働や過労死を招くと労組などが反発し、見送られた。労組や民主党など野党の反発は必至で、導入は難航する可能性もある。

 産業界は、労働時間の長さで賃金を決める制度が、ホワイトカラーの働き方にはなじまないなどとして労働時間規制の緩和を主張してきた。

 産業競争力会議の民間議員は、国が年間労働時間の上限を示し、従業員の健康への配慮措置を設けた上で労使合意により対象職種を決める方式と、年収が一千万円以上で高度な職業能力を持つなど「高収入・ハイパフォーマー型」の労働者を対象とする方式の二種類を示した。

 田村憲久厚労相は高収入者を対象とする案について、成果で評価する働き方に「そぐうものだと思う」と一定の評価を示した一方、労使合意方式に関しては「把握していないため今後研究したい」と述べた。

 <ホワイトカラー・エグゼンプション> 主に事務職の労働者を対象に労働時間を自己裁量とする代わりに残業代や深夜労働などの割増賃金が支払われない制度。労働基準法は労働時間の原則を1日8時間、週40時間と定め、超える場合は残業代などの支払いを義務付けているが、この規制を外す。導入した場合、成果さえ出せば短時間で仕事を切り上げられる半面、長時間労働を助長する恐れがある。労働組合は「サービス残業の合法化で過労死の続発につながる」と反対している。







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カネ、カネ、カネ

2014-04-23 08:17:39 | 社会
 韓国のフェリー事故で乗船客に多くの被害が出た。特に修学旅行中の高校生たちの多くが亡くなられた。亡くなった方々のためにも、原因を深く追求し、そして責任を徹底的に追及すべきである。責任が追及されないとき、同じような事故は何度も起きる。


 さてその原因が少しずつ明らかになってきた。過積載など、その原因は船会社のあくなき利潤追求である。安全よりもカネ、とにかくカネ。

 日本でも長距離高速バスの事故が頻発しているが、その原因はあくなきカネ儲け。そしてその背景に、安全よりも、民間企業に儲けさせることを推進する、たとえば規制緩和政策がある。またさらに公務員の数を減らすことにより、チェック機関が麻痺している。

 要するに、新自由主義経済という魔物が、世界を覆っているのである。韓国とて然り。IMFの指導が入り、徹底的に韓国経済はやられ、外国資本の金城湯池とされた。

 このフェリーの事故、なぜか船会社の幹部や社長が一度も出てきていない。なぜなんだ。その会社は何という会社で、株主にはどういう人物がいるのか・・・・など、会社の責任追及がなされていない。

 出てくるのは、無責任の船長他乗組員だけだ。おかしいではないか。


 JR西日本の事故のように、背景にあるのは、カネ、カネ、カネという醜い姿だ。そういう社会にしたのが、アメリカ発のニューリベラリズムだ。1920年代の富者たちが夢をもう一度と、満を持してつくり出したイデオロギーだ。

 それとどう闘うかが、21世紀の主要な闘争の目的であるはずだ。

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愚弄

2014-04-23 07:43:17 | 政治
 どこまでも、どこまでも国民を愚弄する日本政府。しかし、日本国民は怒らない。「なるようになるさ」と決め込んでいる中で、政財界、官僚はせっせと私益を肥やしている。

 国民は「カネを出す人」、政財界は「カネをもらう人」。それでも日本国民は、日々を平穏に暮らしている。

 堀場ひとみ『国家のシロアリ』(小学館)という本がある。副題は、「復興予算流用の真相」である。内容は紹介するほどのことでもない。昔からずっと行われてきたことだ。つまり国民から集めた税金を、政財界が平然と山分けしているのだ。

 とくに、「復興予算」。東日本大震災の復旧につかわれるから、として、国民は所得税や住民税を余分に出しているはずだ。ところが、そのカネは災害地でつかわれているのではなく、今までカネの工面ができなかった様々な工事に、それも全国各地でつかわれているのだ。

 政財界は、何でもやり放題。誰も批判しない。彼らにとって日本はとてもいい国だ。


 そして。『東京新聞』記事。原発事故は誰も責任をとらず、加害企業には手厚い保護がなされている。しかし、被害住民には、高い放射線でも耐えて生きて行きなさい、という方針。なんていう国だ!!


内閣府請求15億円のみ 東電除染費1800億円肩代わり

2014年4月23日 朝刊

 福島第一原発事故による放射能汚染の除染費用をめぐり、内閣府の原子力被災者生活支援チームが東京電力に代わって支出した約千八百億円のうち、東電側に十五億円しか返済を求めていなかったことが分かった。支援チームの主体は東電を所管する経済産業省の職員。これまでに六百億円強の除染費用を請求した環境省とは対照的で、政府内部からも「東電に配慮しているのではないか」との批判が出ている。 (桐山純平)

 国の除染事業は、復興予算から国が立て替えて支払った後、東電側に請求する仕組みで、現在は環境省が担当している。内閣府の支援チームは除染特別措置法が施行される二〇一二年一月以前に予算化された事業を行っていた。

 支援チームは一一年、福島県内の市町村が行う除染費用として福島県に二千億円を基金として交付。このうち一一、一二年度に千七百十億円が使われた。また高濃度の地域などで国が主体となって行う除染にも、支援チームは百五十億円をこれまでに支払っている。

 支援チームでは、この千八百六十億円の支出について昨年まで東電側に返済を求めてこなかったが、今年二月になって十五億円を請求。この十五億円はまだ東電から返済されていない。

 東電への請求が進んでいない点について、支援チーム担当者は「あえて請求を遅らせているのではない。除染した市町村からの書類が集まっていない」と説明する。ただ除染事業を後から担当するようになった環境省はこれまでに書類が集まった分の計六百六十二億円を東電側に請求し、三百六十二億円が返済されている。

 支援チームの事務方トップは経産省幹部が兼任し職員三十人のうち、二十九人が経産省出身者。除染費用の東電負担に関し、「財務状況が悪化する」と懸念する東電の考えに経産省は理解を示し、国費負担にするよう政府内で働き掛けてきた。

 このまま請求と返済が滞れば、復興予算に穴があく事態もあり得るが、支援チーム担当者は「環境省と東電の費用負担についての協議の行方を注視し対応していきたい」とも指摘。本格的な請求の先延ばしもありうることも示唆している。
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