浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

俺は生ききる!

2013-05-31 19:34:23 | 日記
 午後、畑に行った。男爵という種類のじゃがいもを掘るためだ。じゃがいもの栽培は今年で3年目だ。家の庭で、メイクイーンと、きたあかり、そして家から離れた畑で男爵。今年はたくさんつくった。

 農作物は、一挙に収穫期を迎えるので、自分の家だけではとても食べきれない。だから親戚に送ったり、近所の人などに分ける。じゃやがいもを嫌いな人はまあいないだろう。来年はもっとたくさんつくろうと思う。

 少しくたびれてきた葉を取り除くと、土の中から顔を出すじゃがいも。土を掘っていくと、次々とみつかる。収穫の喜びがあるからこそ、農業は面白い。

 こうして農作物をつくっていると、地球上の生命の支えあいというものを感じる。土を掘るとミミズをはじめ、いろいろの虫にであう。土を掘りおこしていると、いつのまにか小鳥が飛んできて、杭の上でじっとボクの仕草を見ている。

 大根やさといもを植えてある畝には、雑草が生えている。雨が降ると、たちまち雑草は生長する。

 風が吹き、太陽が輝く、そして青空にかかる雲、かたちを次々変えながらゆっくりと去っていく。

 自然に包まれながら、生きていることを感じる。


 ボクには、いつ息を引き取るか、という友人がいる。今日も、畑に行く前にお見舞いに行った。もう反応はなく、首の辺りにああらわれる心臓の鼓動が、彼が生きていることを知らせている。浅い呼吸は不規則だ。もう快方には向かわないことはわかっている。今まで頑張って生きてきたから、「頑張れ!」ともいえない。彼の生の行く先は、近くに迫った死しかあり得ない。それをみつめるボクは、とてもとてもつらい。彼の耳元に、「おれは辛いぞ」と語りかける。それだけで涙が出てくる。

 いつも見舞いにいきながら思う、「おれがいるときには、絶対に生きていてくれ」と。

 ボクはほぼ毎日見舞いに行く。友人たちも時間を見つけては見舞う。皆、ボクの報告を心待ちにしている。ボクは報告の末尾に、彼の姿をみるのがつらい、つらいと記す。友人たちは、ボクにも頑張れと言う。彼が頑張っているのだから、と。

 生きている、ということを考える。

 彼は、脳幹出血の後、首から下が動かなくなった。とてもとても健康で、一生懸命働いていた彼なのに。ボクはあるとき、彼に、体が動かなくても生きていてよかったかと尋ねた。彼はもちろんというように、強くうなずいた(彼は喉を開いて呼吸をしているので、話せない)。

 ボクは、体が動かなくなったら、もう死んでもいいな、と漠然と思っていた。でも、彼の力強い生の肯定に、ボクの思いは間違っているのだと思った。

 最近も、紫陽花が好きだという女性から、体が動かなくなったら生きていても仕方ない、というようなことを言われた。ボクは今は、そうは思わない、というようなことを話した。

 生きている、ただそれだけで人間には価値があるー学生時代にみた「夜明け前の子どもたち」という映画でボクはそういう認識を得ていたはずだ。生まれてこの方ずっと寝ているだけの子どもが、ある暑い日、先生に体を抱きかかえられてプールに入る、すると一度も感情表現したことのないその子が、微笑を浮かべる。その場面をみて、ボクは感動のあまり落涙する。その一回の微笑だけでも、他人を感動させるに十分なのだ。人間はそういう力を持っている。

 ボクの友人も、体が動かなくても、生きていたいという意志をしっかりと示していた。ボクも、そして友人たちも彼が体で示すその意志に、感動を得ている、学んでいる。

 「人間の尊厳」。唯一性と一回性。すべての人間は、古今東西ただ一つしかない生を生きていく、それもたった一回だけ。ひとつひとつがとても貴重な生。その貴重な生が、そう簡単に奪われてたまるか。

 彼は、生きながら、ボクに人間のあり方を示している。ボクはまだまだ認識が足りないようだ。

 明日もボクは、涙をこらえながら、彼を見つめる。ボクのこころに「こんなに頑張ってきたのだから、もう頑張らなくてもいいんだよ」と言いたい気持ちがある。だが、彼はそれを峻拒する。最期の最期まで、「俺は生ききる!!」という意志を感じる。

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鼓動

2013-05-30 21:05:45 | 日記
 鼓動は生きている証しである。

 生を受容した時から、人は鼓動を始める。
 
 鼓動は、途切れることなく生の軌跡と共に時を刻んできた。その鼓動は、時にはスピードを変えた。

 俊敏に、あるいは大きく体を動かすとき、体の求めに応じて、鼓動は速くなった。あるいは、愛しい人に愛を打ち明けようとするとき、鼓動は心の求めに応じてスピードをあげた。

 鼓動は、人生を前へと押し出す原動力であった。

 生をつないでいる以上、鼓動は人を支え続ける。何歳になろうとも、体や心の動きに応じて、鼓動は速度を変える。

 思いがけないことに突然出会っても、鼓動は正直に速度をあげる。一つの鼓動と、もう一つの鼓動とが共鳴するとき、生は輝く。

 だが鼓動は、いつか必ずとまる。その時を、人は予想することはできない。しかし人は、その時を考えないで、生の輝きを求め続ける。


 鼓動よ、永遠に刻み続けよ!
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【本】池上正樹ほか『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)

2013-05-29 19:21:30 | 日記
 2011年3月11日、東日本大震災の大津波により、石巻市立大川小学校では多くの子どもが亡くなった。地震が起きてから約50分、逃げもせずただ校庭に置かれていた子どもたち。逃げようとしたところに、津波が襲い、多くの子どもが帰らぬ人ととなった。

 この件については、以前にも書いたことがある。学校管理下において、本来ならば子どもたちの安全を確保しなければならないのに、学校は子どもたちを守る方針を立てないまま無為に過ごし、多くの子どもを死なせてしまった。

 以前に書いた内容は、なぜ教員たちが適切な方針をたてられなかったのかについて論じた。学校の中にある「上意下達」の構造が、教員の自主的な意見表明を押さえ込み、校長不在(校長は年休)の中最終決定できなかったのではないかと記した。

 この本は、その日不在であった校長、そして教育委員会の遺族等に対する対応や、この事件に関する調査の杜撰さなどを記したものだ。

 教育委員会の責任回避のための様々な姑息な動きは、どこでも同じ。そういう人物が教育委員会の事務局を担い、その後校長などに昇任していく。

 全国ほとんどの学校は、文科省→県教育委員会(市町村教育委員会)→県立学校(義務教育諸学校)という、中央集権的な「上意下達」が貫徹している(もちろん教師集団の力があるところは、上からの圧力を跳ね返している)。

 大川小学校の悲劇とそのあとの対応は、このような構造の所産であると思う。

 なお、この本は内容が冗長。300頁もいらない。
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世界が報道する comfort woman

2013-05-28 07:09:37 | 日記
先日橋下大阪市長が、戦時下の日本の「従軍慰安婦」制度について話した。人権感覚と国際感覚を持ち合わせていないであろう橋下市長の発言が、世界各地で報道され、大きな問題となった。

 昨日、外国人特派員協会で、彼は「弁明」した。早速ニューヨーク・タイムズが、東京発で発信している。

 見出しは「日本の政治家が戦時売春についてのコメントを見直す」というものだ。

 少し翻訳してみると、

 性奴隷が日本帝国の過去において必要悪であったという最近のコメントに関する騒動を鎮めようと、ポピュリスト政党のリーダーは、「戦時下の売春宿を正当化したり、日本兵による女性たちの受けた苦痛を否定しようとしたものではない」と、月曜日に語った。

 しかしその政治家、野党である日本維新の会の共同代表であり、また日本の第三の都市である大阪の市長である橋下徹は、次のように論じた。

 「不当にも、日本だけが、いわゆる慰安婦の使用について指摘されてきたが、他の国だって東京を非難する以前に自国の軍隊による女性の虐待について調べる必要がある」
 
 「過去における、日本兵によるこれらの女性に対する人権侵害を深く反省しなければならない」と、橋下氏は外国特派員協会で話した。しかしこうもつけ加えた。「日本だけを非難するのは公平ではない、あたかも兵士による女性への人権侵害が日本兵だけにあったようにされている」と。


 戦前・戦中期のアジアでの日本軍のふるまいは、今もこの地域で激しい話題であり続けている。日本の隣国の多くは、日本は戦時下の残虐行為をきちんと償ってこなかったと言明し、その一方で日本の支配層の一部は、日本が不当に悪者扱いされてきたと感じている。

 20万人の女性が日本兵にセックスを提供すべくアジア全域でかき集められたと、歴史家は評価している。また他の歴史家は、その数を数万人と評価し、そして女性たちは自分の意思でその仕事に就いたという。

 日本は1993年、女性たちに正式に謝罪した。

 「慰安婦」であった二人の韓国女性が、先週橋下市長との会談をキャンセルした。市長のひどすぎるコメントにより強く心が痛んだというのがその理由だ。歴史家は、日本軍の売春の仕事をさせられた女性たちは、朝鮮半島、中国、台湾、フィリピン、そして日本などから集められたという。

 あとは明日。

 

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真実

2013-05-27 19:36:38 | 日記
 マスメディアは、今やほとんど放射能汚染のことを報道しなくなっている。だが、いろいろな情報がインターネットで流されている。

 http://hibi-zakkan.net/archives/26912967.html

 「日々雑感」というブログは、広瀬隆らによる情報をアップしている。

 以下の情報は、マスメディアの退廃ぶりが如実に示されている。こういう輩が流す情報は、信じるに値しない。マスメディアは国家権力(政府)の広報機関と化している。そういう実態を明らかにしているといえよう。

 http://hibi-zakkan.net/archives/27249024.html


 それからこの人も・・・・利権か?一時期、正義の味方のような人として現れた児玉龍彦教授なのだが・・・

http://hibi-zakkan.net/archives/26596612.html


 
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仏の教え

2013-05-27 19:16:14 | 日記
 今日、一通のはがきがポストに入っていた。○○院という寺からだ。

 わが先祖の寺には住職がいない。檀家が少ないので、生活できないとしてずっと前にでていった。そこで近隣の○○院に住職を兼務してもらうようになったのだ。

 宗派は、曹洞宗である。

 さてそのはがきであるが、読経の通知で、もちろん黒で印字されている。そのなかで一箇所だけ、黄色でマークされているところがあった。

 「時節柄回向料は4500円を基準としてお勤め下さいますよ様、お願い申し上げます」の、4500円というところだ。この○○院が最重視していることがどこにあるかがわかるというものだ。つまりカネである。

 この○○院、カネ儲けに走っていることは、周知の事実。

 子どもの頃、法事の時に、ボクの伯父さんに袈裟を示しながら「もう古くなっちゃって」などとねだっていた光景が今でも目に浮かぶ。

 最近は、神道による葬儀に変える家が増えてきた。当たり前だ。寺のカネ崇拝は、目に余る。

 いったい道元は何を弟子たちに教えたのか。坐禅よりもカネと教えたのか。

 これはボクだけの意見ではなく、他の地方でも、曹洞宗のえげつなさがあるようだ。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3218400.html


 子孫のことを考えると、この辺で仏教界とは縁を切っておく方がよさそうだ。
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『東京新聞』の社説

2013-05-25 23:44:06 | 日記
 今日はじゃがいもの収穫など農作業を行っていたので、書く意欲がない。ちょうど『中日新聞』(『東京新聞』)の2本の社説がよいので、それを紹介する。


敵基地攻撃能力 軍拡の口実与えるだけ  2013年5月25日

 自衛隊も敵の領土にある基地を攻撃できる能力を持つべし、との議論が自民党内で進んでいる。ミサイル開発を進める北朝鮮を念頭に置いたのだろうが、軍備増強の口実を与え、逆効果ではないか。

 自衛隊は日本に武力攻撃があった場合、自衛のために必要最小限の武力を行使することができる。

 ミサイル攻撃を防ぐ手段がない場合、発射基地を攻撃することは自衛の範囲だが、他国を攻撃する兵器を平素から持つことは、憲法の趣旨に反する。

 これが自衛隊をめぐる日本政府の立場であり、国民にも広く受け入れられてきた考え方だろう。

 こうした原則を根本から変える動きが自民党内で出てきた。

 安全保障調査会と国防部会の提言案に敵のミサイル発射基地などを攻撃する「策源地攻撃能力の保有」の検討開始が盛り込まれたのだ。速やかに結論を出し、政府が年内に定める新しい「防衛計画の大綱」に反映させるという。

 背景には、北朝鮮によるミサイルの脅威が現実のものとなってきた、との危機感があるようだ。

 日本ではミサイル防衛システムの配備が進んでいるが、多数のミサイルが同時に飛来した場合、すべてを迎撃するのは困難で、日本を守るには敵の基地を攻撃するしかない、という理屈だろう。

 敵の基地攻撃能力を持つには戦闘機の航続距離を延ばして空対地ミサイルを装備する、巡航ミサイルを配備することが想定される。

 国民の生命と財産を守るのは政府の責務だが、敵の基地を攻撃するための武器を平素から持つことが憲法の趣旨を逸脱するのは明白だ。厳しい財政状況を考えても、多額の経費を要する攻撃的兵器の導入は非現実的である。

 自国民を守るために攻撃能力を持つのだと主張しても、それが地域の不安定要因となり、軍拡競争を促す「安全保障のジレンマ」に陥らせては、本末転倒だ。

 北朝鮮に核・ミサイル開発を断念させ、拉致事件を解決するには「対話と圧力」路線を粘り強く進めるしかあるまい。関係国と協調して外交努力を尽くすことが重要なのは、軍備増強、海洋支配拡大の動きを強める中国に対しても同様だ。

 安倍晋三首相は「集団的自衛権の行使」容認や憲法九条改正による国防軍創設を目指す。敵基地攻撃能力の保有検討もその一環なのだろうが、前のめりになることが問題解決を促すとは限らないと、肝に銘じておくべきである。


自民党の憲法草案は、世界の歴史が獲得してきたものを放棄してしまうというまったく大胆な恐るべき内容である。「敵」の基地を攻撃できるようにしたい、というのもその一つ。安倍とその周辺にいる人々は、戦争をしたいんだろうな。もちろんその相手はアジア。「日本的帝国意識」を感じざるを得ない。日本が先に攻撃する、ということは、憲法はその段階で消失する。攻撃したあとは、当然戦争になる。そのあとはアメリカ軍に依存するのか。ここにも欧米に対する甘えがある。


 軍事拡大にはカネをつかうが、国民のためにはカネをつかいたくないという安倍政権の姿勢が、この二つの社説で明確になる。生活保護の受給者はおそらく減っていくだろう。不正受給も少しはいるだろうが、生活保護受給者は、肩身の狭い思いをしながら生きている。生活保護世帯の実態をきちんと見ることが必要であって、生活保護問題について2チャンネルなどで激しい言葉を投げつけていた人々は、自分の兄弟や親戚が生活保護を受けざるを得なくなったとき、支援はするのだろうか。親戚などに知られたくないから生活保護を申請しないという人々は、とても多いという。

生活保護法案 「貧困」から救えるのか  2013年5月25日

 命を守る制度のはずだ。政府の生活保護法改正案が閣議決定され国会に審議が移った。保護費抑制や不正受給対策に力点を置いた改正だが、保護を必要としている人を制度から締め出さないか。

 北九州市で二〇〇六年、生活に困窮した男性が生活保護の申請を拒まれ餓死した。

 当時、保護費を抑制するため、行政の窓口で相談に訪れた人に申請をさせず追い返す「水際作戦」が、各地で問題となっていた。

 会計検査院の調査によると、行政が受け付けた相談件数に対する申請件数の割合は、〇四年度の全国平均で30・6%だ。約七割の相談が申請に至っていない。北九州市は15・8%と最低だった。

 保護が不必要なケースは見極めが要るが、生活保護法改正案は門前払いを拡大させる懸念がある。

 まず窓口での申請を厳格化することである。申請の際、資産や収入の状況を示す書類の提出が義務付けられる。保護費は税金だから困窮の状況を示すのは当然だ。

 だが、提出を義務付けるとその不備を理由に申請を受け付けない事態が増えかねない。現行は、口頭での申請でも可能とされている。日弁連は「違法な『水際作戦』を合法化する」と批判している。

 書類提出で申請者自身が保護の必要性を申請時に証明することを求められる。路上生活者や家庭内暴力から逃げてきた人にとっては、証明書類の準備は難しい。

 次に、保護を受けようとする人の親族に、場合によっては扶養できない理由や収入などの報告を求めることだ。親族の資産を調べられ、職場に照会が行くかもしれないとなると、迷惑がかかると申請をあきらめる人が出る。

 親族の支援は必要だが、関係が良好とは限らない。子育て家庭など家計に余裕がないだろう。少子化で親族も減る。親族に厳しく扶養を求めることは国の福祉政策の責任転嫁ではないか。生活保護は、集めた税金を困窮者に再分配する支え合いの制度だ。私たちがいつこの制度に助けられるかもしれないことを忘れたくない。

 改正案では、受給中に働いて得た賃金の一部を積み立て、保護から脱却した際にもらえる給付金制度を創設する。自立への後押しになるが、保護への入り口を絞っては、効果は限定的になる。

 不正受給は許されないが、その対策や保護費抑制を進めるあまり、困窮者が制度からはじき出され餓死するとしたら本末転倒だ。
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妄言

2013-05-23 22:35:06 | 日記
 「妄言」(「もうげん」、「ぼうげん」とも読む)が、政治に携わる人々の間で次々とでてくる。意味は、「でまかせにいうことば」である。石原慎太郎、橋下徹、猪瀬直樹・・・・。

 しかし、「妄言」は今に始まったことではない。高崎宗司が『妄言の原形』(木犀社、1990年)において、朝鮮観をめぐる「妄言」について論じている。

 「妄言」の歴史は古いのだ。

 ボクは、「妄言」の背景に、「日本的帝国意識」があることを指摘せざるを得ない。その特徴は、西欧崇拝とアジア蔑視である。さらにその背後には、人権感覚と国際感覚の恐るべき麻痺がある。別に政治家にのみ「日本的帝国意識」があるというのではなく、ボクは日本人の潜在的な意識にそれが潜んでいると考えている。

 なぜか。今回の橋下の「妄言」がマスメディアで報道されても、それについての正当なる批判の多くが海外からなされているということだ。マスメディアの従事者は、「妄言」を「妄言」として認識できない。日本人の多くも、おそらくそうだろうと思う。

 いわゆる「従軍慰安婦」制度については、すでに膨大な研究があり、日本軍が組織的に取り組んだものであること、「慰安婦」とした女性の「集め方」については、強制もあれば、すでにそういう仕事に就いていた女性を集めたり、さらには日本軍が占領した現地の有力者に集めさせたり・・様々存在したことは、旧日本軍人などの証言などから明らかである。そして、「慰安婦」とされたあとには、女性たちには過酷な日々が強制されたのだ。

 だからこそ、「河野談話」があるのだ。「河野談話」は、根拠なく出されたものではない。

 にもかかわらず、安倍首相をはじめ多くの政治家や「文化人」らが、それをことさら否定する「妄言」を吐く。

 ボクは、学問的な知見が、今ほど無視されている時代はないのではないかと思っている。たとえ潜在的な「日本的帝国意識」があったとしても、それは学問的な知見を取り入れたり、真剣に考える中で、「日本的帝国意識」は修正されていくのだと思う。しかし今は、それがない。メディア関係者も、人々に理性的な対応を促すような学問的な知見を知らせることをしない。もちろん人々は、みずから勉強することもしないから、何もしらないまま潜在的な「日本的帝国意識」に身を任す。

 理性や知性による検討がなされないまま、暴力的なことばが次々と発出されるのだ。政治家はもとより、本来その監視にあたるべきメディア関係者までもが、「暴力的なことば」=「妄言」の是非を理解できない。

 書店に行ってみればよい、そうした「妄言」を正当化する書物が、うずたかく積まれている。「妄言」を正当化し、「妄言」を再生産させて、金儲けをするメディア。その「妄言」を鵜呑みにして、かえりみない庶民。
 
 橋下の「妄言」を契機にして、いろいろ議論されているが、下記のような事実は、あまり議論されない。共同配信の記事である。
 
公務中理由に米兵を不起訴 地位協定で地検沖縄支部  2013年5月23日 19時06分

 那覇地検沖縄支部は23日までに、オートバイの男性を死亡させたとして自動車運転過失致死容疑で書類送検された米海軍3等軍曹の女性(28)を不起訴処分とした。22日付。那覇地検は理由を「女性は公務中だったため、日米地位協定の規定により第1次裁判権が米側にある」と説明した。

 沖縄署によると、3月21日午後0時25分ごろ、同県北谷町の県道交差点で、右折しようとした女性の軍車両と直進してきたオートバイが衝突。オートバイの自営業男性=当時(63)=が死亡した。


 この事実を、日本人は問題にはしないだろう。同じ国民が不当な仕打ちに遭っているにもかかわらず。もしこれが米兵ではなく、アジア人がやっていたら、日本人はおそらく「激怒」するだろう。だが米兵だから・・・・。

 日本人は、現実を見る眼が「日本的帝国意識」によって曇らされている。そしてそれは、一向に修正されない。曇りはさらにどんよりとしてきている。

 マスメディアは、人々の間で、学問的な知見に裏付けられた理性的な議論ができるように、報道していくべきだ。そうした材料を提供できないメディアは「百害あって一利なし」なのである。
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生きようとする意志

2013-05-23 20:36:52 | 日記
 ボクの友人は、2010年9月から、ずっと寝たっきりである。脳幹出血という突発的な病気による。彼は運良く生還した。

 最近彼の容態がよくない。だからボクは毎日彼の自宅を訪ね、彼を激励し、その容態を友人たちに知らせている。友人たちも、時間があれば彼を見舞う。

 彼は、首から下が動かない。嚥下性肺炎を何度も繰り返したので、喉のところを切開して、そこから呼吸をしている。だからしゃべれない。

 彼はよくしゃべる人間だったから、しゃべれないという状況は、とても過酷だと思う。

 最近は内臓の働きも弱くなり、ボクの質問にも応えられなくなった。じっと見つめるだけだ。

 彼がまだきちんと応答できたとき、ボクはあの時死ななくてよかったか、と尋ねた。彼は明確に頷いた。生きていてよかった、とはっきりと態度に示した。そして病状が安定してから、彼はリハビリに励んだ。彼は生きる意志を全身で表していた。ボクもしばしばリハビリの場に立ち会い、彼を激励した。

 だが、血中の酸素が減少したりして、入退院を繰り返した。彼のからだは、彼の意志の通りにはならなかった。

 ボクは、彼に語りかける。もう十分頑張ってきたからもっと頑張れとは言いたくはないが、それでも頑張れ、と。生きようという意志を見せてくれ、と。

 先日、秋葉山に行った。樹齢がわからないような巨木が立ち並んでいた。ボクはふと思うのだ。こういう山奥の樹木に生まれてきたなら、長く長く生きていくことができるのに、と。

 人間は生まれ成長して、社会に出て行く。そして社会の中で活躍して、そして一定の年齢が来るとそこから退く。人生で、もっともよいときは、社会に出て行こうというまさにその頃かもしれないと思う。希望や不安をもちながらも、まだまだ自らの生の可能性を信じることができる。その輝きが、まぶしい。

 社会で働いていた彼は、みずからの力で様々な工事を担っていた。ボクとは異なった世界に生きてきた彼もまたまぶしかった。
そのまぶしさを知っているからこそ、生きようという意志で自らの体をコントロールして欲しいと思う。

 明日も、ボクは彼を見舞う。ボクにとって、彼は必要なのだ。
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日常への回帰

2013-05-22 22:36:26 | 日記
 先週はとても忙しく、慌ただしい日々を過ごしていた。また病気療養中の友人の容態もあまりよくなく、毎日見舞いに行く状況にある。

 しかしそれ以外は、ほぼ今までの「晴耕雨読」という日常に戻った。

 6月は、10回の歴史講座が始まり、22日、29日(午前と午後)は静岡などでの講演がある。そして7月には研究会での発表がある。その準備、とくに研究発表のための読書が佳境を迎えている。

 講演については、すべてテーマが異なり、その準備がたいへんである。しかしよほどのことがない限り、ボクは引き受ける、なぜかというと、学び、整理して、話す、という行為を行う中で、ボク自身の認識が深まっていくからだ。

 そのためには、膨大な資料を読み込む。講演当日は、そのテーマに関する知識で頭はいっぱいの状態。その状態を前提にして、その一部を話す。「入力」量のほぼ1割を「出力」する。

 以前、姜尚中さんに講演を依頼したことがあった。その講演で姜さんは、高度に知的な話をされた。講演のあとで参会者に講演内容について尋ねたら、異口同音に素晴らしかったと答えた。姜さんの知的な話が、参会者に知的な興奮を喚起したようなのだ。

 それ以降、ボクはわかりやすい話しというより、知的な興奮を感じてもらうような話をするように心がけるようになった。もちろん、そのほうが事前の準備はたいへんである。
 
 どういう切り口で問題をとりあげるか、どういう話題を並べるか、どういう結論を提示するか。そのなかでもっとも重要なのが「切り口」である。いかなる問題意識でそのテーマをとりあげるのか、が「切り口」ということになる。文を書く場合もそうだが、最初の出だしが決まるとだいたいの内容が決まってくる。だから本を読みながら、車を運転しながら、あるいは空を見ながら・・・いろいろなときに、それを想起する。そうするとあるとき、ひらめくのである。そのひらめきが契機となって、そのあとの内容が決まっていく。

 しかし家の中で活字ばかりを追っていても、ひらめきは浮かばない。太陽の光の下、畑仕事をして汗を流す。それは気分転換でもあり、ある種の運動ともなる。今日はなんと3時間以上畑で働いた。


 10回の歴史講座には、遠州鉱害の問題も取り扱う。旧佐久間町にあった久根銅山も、足尾銅山と同様の古河鉱業の経営である。それをめぐって、田中正造も静岡の鉱害事件などに関心を持っていた。このブログで紹介した写真をもとに、同時に久根鉱山に赴いて、現在の久根の写真を撮ってこようと思っている。

 地域の歴史を、その地域だけの歴史にとどめてはならない。ボクはそういう視点で、歴史講座をやっていこうと思うが、これまた準備がたいへんである。しかし準備がたいへんであるからこそ、やりがいもあるのである。

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学ばない、変わらない

2013-05-21 19:36:01 | 日記
 田中正造の足跡を訪ね、古河鉱業足尾銅山の鉱毒を見る旅で撮影した写真と、そこでの感想をまじえて、書いてきた。二日間という短い期間ではあったが、渡良瀬川研究会のAさんの適切な案内によりたいへん実りあるものとなった。ほんとうにAさんにはお世話になり、ただただ感謝する次第である。

 さて、今日はそのなかで考えたことを書いていく。

 まず「学ばない」ということだ。ボクの脳裏には、3・11の東京電力福島第一原発の事故のことがある。

 Aさんから旅の前に『田中正造と足尾鉱毒事件研究』16号(渡良瀬川研究会編・随想舎)を送っていただいた。多くの人の論考が掲載されているが、やはり3・11事件との関わりを論じているものが多い。

 それはなぜかというと、足尾銅山鉱毒事件と原発事故の構図が相似形だからだ。小松裕氏の論考から引用させてもらうと、「被害に苦しむ多数の人々を尻目に、「国益」として一企業の経済活動が優先され、保護され」る現実、そして「利益は企業、ツケは国民」という日本政治に貫かれている大原則。

 この大原則が陰に陽に、国民の前に示され、国民は何度も何度も騙されているのに、それを国民は「学ばない」。だから逆に、支配層は国民が「学ばない」ことを「学んでいる」から、国民の怒りが少しくらい巻き起こってもまったく動じない。

 だから変わらない。

 古河鉱業は、銅山を経営して利益を得る、しかしそれによって起きた公害についての責任はとらない。国家にまかせる。枯れ果てて、岩だらけになった足尾の緑化事業に、毎年40億円の税金が投入されているという。

 あの黒々とした有毒な鉱滓を、現在は売れないけれども、最近まで船底に貝殻を付着させないためとして、古河は公然と販売していたというのだ。

 いつまでも利益は企業に、ツケは税金、こういう構図がずっと続いている。

 東電の原発事故も同様だ。除染といって鹿島などのゼネコンを儲けさせる。税金は特定の企業に儲けさせるように費消されていく。本当の被害者には、「雀の涙」ほどのものを与えて黙らせようとする。

 ボクは、足尾・龍造寺の墓地に静かに置かれていた石仏を思いだす。銅山からの煤で黒くなっていた石仏。ボクはそのおだやかな顔の後ろに憤怒を見た。その憤怒をボクも共有したいと思う。


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過去を汲むということ

2013-05-20 06:19:16 | 日記
 渡良瀬遊水池。そこでは「ラムサール条約で未来につなぐ湿地の自然」をうたったパンフレットを配布している。そこには、

 「栃木・茨城・群馬・埼玉の4県4市2町にまたがる渡良瀬遊水池は、本州以南では最大のヨシ原を擁する低層湿原で、トネハナヤスリをはじめ植物の絶滅危惧種の宝庫です。夏の終わりには南の国に戻るツバメが10万羽以上も集結し、チョウヒをはじめとするワシタカ類の越冬地としては日本最大級」

 とある。

 遊水池のなかを歩いて行くと、確かに様々な鳥のさえずりが聞こえてくる。鳥にとって、この地域は最適の生活の場のようだ。広がる葦の群生、そしてところどころに樹木がたたずむ。鳥は、この広い時空を思う存分自由に飛び回る。

 自然の宝庫。



 しかし、ボクたちは、そのなかに、少し小高いところを発見する。



 そこは、人びとの生活が営まれていたところだ。小高い丘には、そこで生きていた人びとの蔵や船が置かれていた。上流から肥沃な土壌を含んだ水が大挙して押し寄せる。洪水だ。渡良瀬川は、洪水を起こすことで、この地域の人びとの豊かな生活をつくっていた。米や食料を、この丘に備蓄し、洪水の際は船で行き来した。

 渡良瀬川の洪水は、決して人びとの生活を破壊するものではなかった。むしろ、生活を支えるものであった。

 ところが、古河鉱業が足尾銅山を経営する頃から、大量の鉱毒を渡良瀬川は運ぶようになった。いや別に、渡良瀬川が悪いのではない。悠久の昔から、渡良瀬川は肥沃な土壌を運んでいただけだ。古河鉱業が、そこに鉱毒を混ぜたのだ。天の恵みでもあった渡良瀬川の洪水は、人びとの生活や生態系を破壊する凶器となって襲いかかった。

 政府は、破壊者たる古河鉱業を支えた。政府というのは、いつの時代も、破壊者の擁護にまわる。

 田中正造。彼はその現実を見すてておくことはできなかった。破壊者たる古河鉱業を支え、被害者をかえりみない政府の理不尽に鋭い批判を行った。だが政府は、破壊された人びとの生活を、さらに根底から破壊する施策を行ったのだ。

 谷中村の住民を追い払って、そこに遊水池をつくった。

 渡良瀬遊水池は、自然の宝庫だ。だが、豊かな自然に覆われた遊水池の土の下には、過去が閉じ込められている。ボクたちはその過去を閉じ込めている覆いをはがさなければならない。

 田中正造は、今から100年前、佐野市の庭田家で息を引き取った。しかし彼は、本当は谷中村で死にたかった。谷中村には延命院、その隣には雷電神社がある。そこを終焉の地にしたかった。

 今、そこに雷電神社はない。しかし神社があったところには小高い丘と、そこに登る階段があった。正造の魂は、この丘に登って遊水池を眺めているのだろうか。

 

 
 過去を覆い隠そうとする勢力は、今も、全国各地で暗躍している。だが、遊水池に点在する小高い丘は、彼らの所業をあばいている。ボクたちは、そういった過去を汲む努力を続けなければならない。
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使い棄て

2013-05-19 00:33:28 | 日記
 田中正造をめぐる旅の中で、一冊の写真集を見た。『小野崎一徳写真帖 足尾銅山』という本である。その表紙には、坑夫が集まっている写真が掲載されている。

http://www.shinjusha.net/isbn/978-4-7875-8559-2.html

 写真のなかに、子どもの姿が映っている。それも一人や二人ではない。足尾銅山の坑夫には、子どももいた。そしてその子どもたちの平均寿命は、20歳程度だったという。そのほかの坑夫も、30歳代だそうだ。

 いかに足尾銅山が人の命を食い潰してきたかがわかる。そういえば、龍蔵寺には坑夫の墓があった。


 そしてまた、ここでも戦時中、朝鮮人や中国人を使っていた。強制連行である。連行された人びとは、過酷な労働の中、この足尾で命を奪われた。

 

 これが朝鮮人慰霊碑である。近くに亡くなった方々の氏名が刻んだものがあった。しかしそれにしても、これはわびしい。

 それに比べて、中国人の慰霊碑は、立派であった。


 木々に覆われてはいるが、堂々としたものだ。

 しかしいずれも、人目につかないようなところにある。


 もちろん人の命だけではなく、古河鉱業は、毒を垂れ流し続けた。これも「使い棄て」だ。

 

 樹木の背景の一見きれいな色は、毒の水である。この向こうには、非公開の中才(ちゅうざい)浄水場がある。明治の頃から使用されている施設で、排水を中和し、毒を沈殿させ、そして川に流す。

 古河鉱業の「使い棄て」は、あまり目立たないようなところにある。なぜなら、「使い棄て」の文化が、今も息づいているからだ。


 
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破壊と再生

2013-05-18 06:25:22 | 日記
 古河市兵衛・古河鉱業が経営していた足尾銅山は、見事なまでにすべてを破壊していった。自然、景観、そして人びとの生活。だが、古河鉱業は、破壊し尽くしたまま、その再生を図ろうとはしなかった。

 ボクたちは、亜硫酸ガスによって抹殺された樹木を再生させるための事業に、少しだけ協力した。植林である。1本500円を支払い、2本ずつ植えた。多くのボランティアによって植えられた幼木があった。この幼木はこの山腹を再生していくのだろうか。



 ボクたちが植林した反対側の山腹の頂上付近に、奇妙な工事の跡を見た。古河鉱業が破壊し尽くした自然を、日本政府が再生させようとしているのだという。



 これだけの事業で35億円だという。おそらく棚のようなところに植林していくのだろうが、足尾付近のはげ山は一帯に広がっている。いったいどれほどの税金が投入されるのだろうか。

 樹木が枯れ、その樹木が支えていた土壌が流出し、足尾の周辺は岩肌が露出している。日本のグランドキャニオンだなどということも言われているそうだ。



 こうした岩肌では、言うまでもないことだが、樹木は再生しない。岩肌を削り、土を補給し、そして植林するという事業が延々と続けられていく。

 だが、ボクは本当にそれで再生するのだろうかと疑問をもった。植林されたところで山崩れが起きていた。



 また植林されていないところでは、山崩れの惨状が広がっていた。



 ここまで破壊された自然の再生を、自然は望まないのではないか。破壊の跡を、永遠に、傲慢な人間どもに示し続けようとしているのだ。

 「ミルガヨイ、オマエタチガ、ハカイシタノダ」

 ボクは、今までに、大井川の上流の山間部で、大規模な崩落をいくつも見てきた。人間が林道を建設したところから崩落が始まり、緑があちらこちらで寸断されていた。

 自然の再生は、可能なのか。自然は、人間の生半可の再生なんか受け入れないのではないか。

 文明のあり方が問われている、そう思った。
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証し

2013-05-17 20:16:06 | 日記
 旅の中で、ボクは墓を見た。人が生きてきた証しでもある墓は、しかし人から離されたところに置かれていた。その墓の主は、もちろんもうこの世にはいない。だからといって、人の通わぬところにあっていいわけがない。少なくとも、子孫が生活している近くにあったほうがいいし、そうあるべきだ。

 だが、最初に見た墓は、国家によって住んでいた人びとが強制的に追い払われた地にあった。旧谷中村である。今は、広大な遊水池だ。葦が群生し、無数の鳥がさえずり、あたかも自然の宝庫のようだ。
 春、地域の人びとは、枯れた葦を焼く。この地域の風物詩だという。野焼きによって炎に包まれるまでは、おそらく墓は、葦に覆われてその姿は見えない。あたかもずっと昔から、ここが、人が住まない遊水池であったかのように。
 だが、野焼きの炎は、もと谷中村の住人たちの憤怒となって、墓を露わにする。そして葦に隠された墓は、静かに語り始める。谷中村の物語を語り始めるのだ。
 ボクらは、その物語を聞くために、風の音と鳥のさえずりのなかに分け入っていかなければならない。



 旧谷中村に生きた人びとの証しとしての墓は、もちろんこれだけではない。上流から肥沃な土壌が流れ来る谷中村には、たくさんの人びとが住んでいた。その人たちの墓は、「合同慰霊碑」に集められた。だがそこにある墓は、コンクリートに塗り固められていた。



 墓は本来、一人の、あるいは家族のものであるはずだ。それがこうして固められてしまったのだ。墓は、殺された。塗り固められた墓には、もう誰も埋葬されることはない。過去を固定し、未来を峻拒する墓となってしまった。だがこれを、墓と呼べるのだろうか。

 同じような墓を、ボクは足尾・龍蔵寺でも見た。それはピラミッドのように、墓が集められていた。足尾ダムの建設によって水没した地域の墓を集めたのだという。



 これは「無縁塔」と呼ばれている。そう、これも絶対に墓ではない。過去を固定し、未来を峻拒しているからだ。そしてその塔は、煤のようなもので黒っぽくなっていた。

 塔の向こうに見える煙突は、古河鉱業のものだ。あの煙突から、亜硫酸ガスなどが大量に排出された。そのガスが、塔に固められた墓を汚したのだ。すでに閉山になってからかなりの年月が経つのに、煤のようなものは消えない。いやおそらく、塔はその煤を落とさないようにして、古河鉱業の犯罪を今も告発しているのだ。「我々を汚した奴を、我々は永遠に忘れない」と。

 そしてそのガスによって廃村となった松木村にも墓はあった。

 
 墓の後方には、有毒の鉱滓が黒々と山腹を覆う。この鉱滓が垂れ流されて、下流域の人びとを塗炭の苦しみに追いやったのである。それが今も、大量に残されている。

 鉱滓は、遺された墓を呑み込むかのようだ。

 墓は、ここに人びとの生活があったことを示しながら、あの古河鉱業が、亜硫酸ガスと有毒な鉱滓で、人びとを追い払ったのだということを、証言し続けていた。


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