浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

日本第一党の医師

2019-09-30 21:05:48 | その他
「10年以上前からやっている」医師、盗撮疑い逮捕
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消費税増税

2019-09-30 20:36:35 | 政治
 消費税が増税される。その増税分は、大企業や資産家の減税の埋め合わせとしてつかわれる。今までずっとそうだった。そして増税すると政府はあたかも自分に自由になるカネが入ったとばかりに、さらに無駄遣いをするだろう。

 いずれにしても、増税は支配層のなかに分配するカネを増やすだけの代物である。福祉に使うとか、国家財政の赤字補填につかうとか、増税の度に政府は言うけれども、消費税が導入されてからそんなことは一度もなかった。

 にもかかわらず、日本国民は、こんなにも財政赤字なんだから増税も仕方がないという、バカというか素直というか、そういう感想を述べる人がいる。

 しかし、政府は赤字をなくすためにカネのつかいかたを工夫しているか。しているわけがない。トランプに言われれば、イージスアショアは買う、トウモロコシは買う、「桜を見る会」の予算は大幅に増額する・・・・・・無駄遣いのオンパレードである。

 できうる限り消費税は払いたくない、という気持ちから、今日買ったのはスマホのケース。私が持っていたのは3Gの携帯電話、これがしばらく後に使用できなくなるという。auの事業本部からスマホを安価で出すから代えないかと何度も電話があり、消費税増税前に代えてしまおうと決意し、28日にスマホが到着し、変更した。落としてはいけないと思い、今日、スマホのケースを購入。明日から10%なので、今日買った。

 明日からできうる限り消費税を払わない生活に入る。私が買うのはせいぜい本くらい。本は10%、これもできるだけ買わないようにしよう。一昨日届いた岩波書店の『図書』の巻末をみても、買いたい本はなかった。いずれにしても、図書館を活用するようにしたい。

 景気はさらに減退するだろう。それを日本の支配層は望んでいる、なぜなのか。それが私にはわからない。

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突破する者

2019-09-30 06:29:40 | 社会
 先日高校の現役教員に話を聴いた。生徒はおとなしく、不登校が増えているというのだ。9月の新学期に登校してこない者のなかには、夏休みの宿題ができていないからという生徒がいるのだそうだ。宿題が多すぎる、とその教員は語っていた。

 昔は、夏休みの宿題が完成していなくても、学校に来ていた。できなかったことを平気で話していた。

 こういう記事を読んだ。

学校が「自己否定感」を植えつけている

みんなと同じようにしないと怒られる。
 (先生から見て)悪いことをしたら、みんなの前で怒られる。


 怒られることをひどく気にするようだ。しかし私が子どもの頃は、怒られても怒られても「悪いこと」をしていた。ビンタなんて日常であった。

 今、子どもたちは、先生に怒られることを恐怖することになっているようだ。怒られることなんか、気にしない突破する者が必要に思う。

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共同通信社記者の無知

2019-09-30 06:21:19 | メディア
 今月『東京新聞』のネット版に、以下の記事が載せられた。


旭日旗持ち込み容認に抗議 五輪巡り中国反日団体

2019年9月27日 12時36分


 【北京共同】日中戦争を巡る損害賠償訴訟を支援している「中国民間対日賠償請求連合会」の童増会長は27日までに国際オリンピック委員会(IOC)に手紙を送り、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会が戦前日本の軍旗だった旭日旗の競技会場への持ち込みを禁止しないとした方針に抗議した。

 童氏は手紙で、旭日旗は戦争で被害を受けた国にとって「侵略戦争と軍国主義のシンボル」だと指摘。開催期間中に旭日旗の使用を許せば、日本が五輪を利用して昔の「極悪非道な犯罪行為」を風化させると訴えたほか、五輪の平和精神を汚し正常な開催に大きな影響を及ぼすと主張した。


 共同通信社配信記事である。見出しは東京新聞の整理部がつけたのかと思って調べてみたら、佐賀新聞も同じ。したがって、共同が見出しも出している。

 歴史研究に従事していた私としては、日中戦争下の日本軍の蛮行は、一次史料で確認しているが、その被害に遭った中国人が損害賠償を請求するのは十分に理解できる。損害賠償を支援する団体を「反日団体」と決めつける共同通信記者の歴史認識を疑う。そういう知識も認識もないものが、こうした情報を発しているのかと思うと暗澹たる気持ちになる。




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【本】井上ひさし『組曲虐殺』(集英社)

2019-09-29 22:08:42 | 
 井上ひさしは、様々な人に関する戯曲を書いている。井上ひさしのそうした本を、私は何冊か買っているが、この本も確か買ってあったと思ってさがしたが発見できず、やむなく図書館から借りだした。

 『組曲虐殺』は、小林多喜二である。

 井上が歴史上の人物を取りあげたとき、井上がその人物の何を描こうとしているのかを知るのは面白い。私がそうした人物を人物史として取りあげるときには、必ず井上の戯曲を読む。

 小林多喜二については、この個所が重要ではないかと思った(137頁)。

 ・・絶望するには、いい人が多すぎる。希望を持つには、悪いやつが多すぎる。なにか綱のようなものを担いで、絶望から希望へ橋渡しをする人がいないものだろうか(( )内略)・・・いや、いないことはない。

 これが多喜二という人間の特質ではないかと思う。何冊か多喜二に関する本を読み、全集を読みはじめているこのとき、この個所が多喜二という人物を表現する個所だと思った。多喜二こそ、「橋渡しをする人」になろうとしたのではないか。

 そして多喜二の文学は、といえば、この個所が重要ではないか(179頁)。

 世の中にモノを書くひとはたくさんいますね。でも、そのたいていが、手の先か、体のどこか一部分で書いている。体だけはちゃんと大事にしまっておいて、頭だけちょっと突っ込んで書く。それではいけない。体ぜんたいでぶつかっていかなきゃねえ。

 これが多喜二文学の真骨頂だと、井上は考えたのだろう。

 この二つの文で、多喜二という人間と、その文学の特徴がわかるというものだ。

 

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【本】西岡研介『マングローブ』(講談社)

2019-09-28 10:32:10 | 
 中曽根内閣が新自由主義的改革のなかで国鉄の分割民営化したこと、そのことにより国鉄労働組合(国労)をつぶし、総評という労働運動のセンターの息の根をとめたことついて、これこそが日本の社会をダメにした、現在の安倍政権下の日本をつくりだしたルーツであると思っている。

 その大きな動きに、自らの組織を守るために、協力した労働組合があった。「動労」である。「動労」は革マル派が牛耳っていた。革マル派は「動労」をつかって、国労つぶしに狂奔しつつ、JR東日本を自家薬籠中のものにした。

 この本は、彼らがどのようなことを行ってきたかを取材したものだ。JR東日本は毎日たくさんの乗客を運ぶ。安全であることがもっとも重要な仕事である。しかし彼らは、みずからの目的のためにはその安全をも無視する。

 読んでいて、こんなことまでするのか、と驚くようなことばかりであった。

 学生時代、革マル派の活動家をたくさんみた。彼らの顔を見ると、あゝこの人は革マル派だなとわかった。彼らの目をみるとわかる。特定の宗教を強烈に信仰しているような目であった。

 西岡研介は、『トラジャ JR「革マル」30年の呪縛、労組の終焉』を最近発売した。また牧久も『暴君:新左翼・松崎明に支配されたJR秘史』を発刊した。これらも読むつもりである。
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ほら、支配層はカネを自由に配分しているよ!

2019-09-27 10:15:07 | 社会
関電幹部、原発地元有力者から金員受領の“衝撃”~「死文化」した“会社役員収賄罪”も問題に
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日本の客観的位置

2019-09-27 10:11:57 | 社会
「外国人が働きたい国」で日本が33カ国中32位――この国の“真に深刻な問題”とは
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新自由主義時代の政治

2019-09-27 07:03:49 | 政治
 新自由主義というのは、少数の支配者がみずからがもっとも利益を得られるように政治を差配することをいう。したがって、今回のあいちトリエンナーレの補助金を、安倍政権を支える文化庁が支給しないという方針を公表したことには驚かない。

 とりわけ、安倍政権は国家の財政を、あるいは政策を、自分自身の取り巻きに有利なようにしてきている。森友・加計の問題はじめ、すべてそうだ。トランプ政権と仲よくするために、日本の財政を湯水の徳投入する。外国でいい顔をしたいために、どこの国へも金を与える。しかし、日本の国民は気にくわないのでカネを出さない。しかし取り巻きにはカネを出すわ、取り巻きが悪事を働いても、警察・司法権に忖度させて刑事責任を負わせない。

 まさに独裁的な政治が行われようとも、国民は唯々諾々と従う。そうした政治を批判すれば、「電凹」の攻撃がある。

 日本はもう民主主義国家ではなく、そこに住む人々は「自分を無くした幽霊」(平澤計七)となってしまっている。

 幽霊が幽霊でなくなって、怒りをもち、それを表出させるとき、日本は変わるはずだ。しかしそれは今ではないのだろう。

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空疎

2019-09-25 15:16:57 | その他
 今日の『東京新聞』、斎藤実奈子さんの「本音のコラム」。小泉某の無内容な空疎発言をとりあげている。

 私はテレビニュースを、yahooでみているが、どのテレビ局も小泉某の動きを好意的に伝えているようだ。それも付きっきりで。私はそれを見ているわけではない。小泉某をみる時間はもったいないからその表題を見るだけだ。

 小泉某は、メディアに注目されているが、そこで発言することばは、何の意味も無い空虚この上ないものばかりだという。そうだろう、そうだろう。彼の顔には、知性は感じられないからだ。

 父親の七光りをバックに、それ故にメディアに注目されるが故に、それだけで満足している人物だ。

 テレビメディアが追い続けるのも理解できる。テレビメディアと小泉某の共通点は、「空疎」であるからだ。しかしその「空疎」を、人びとも見ていて、それだけで小泉某に期待してしまうのだから、人びとも「空疎」なのかもしれない。きっとそうなのだろう。

 だいたいにして、「空疎」な首相をいただいている日本国である。それだけでもう十分だ。きっとバカにされているのだろうな。


 
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告訴

2019-09-25 06:46:48 | 近現代史
 プロレタリア作家・小林多喜二は、1933年2月20日に、特高警察による拷問で殺された。

 この虐殺について、特高警察の1人はこう語っている。

 小林多喜二が築地署で拷問により殺されたことについて、「まずいことだという声はなかったのですか」という質問に対して、当時特高であった宮下弘は答える(『特高の回想 ある時代の証言』田畑書店、1978年)。

 「拷問で殺したとはおもっていませんよ。殺したというんじゃない。死なせたわけですわね。むろんそれはまずいことですよ。死なせてしまったんですから。いいことをしたというようなことはぜんぜんない、まずいことです。大失敗です。しかし、部内で責任がどうこうということはなかった。誰が責任をとる、追及されるという事柄ではなかった。」

 支配権力を支える者たちは、今でもそうだが、法的に追及されない。近代日本は、そして現代日本においても、「法治国家」であったことはないからである。

 『朝日新聞』が昨日、「小林多喜二の拷問死、試みた特高告訴 遺族が弁護士に依頼、司法記録に」という記事を公表した。

 「蟹工船」で知られるプロレタリア作家、小林多喜二(1903~33)が治安維持法違反容疑で逮捕され、警視庁築地署で拷問死した後、遺族が特高警察を告訴しようとしていたことが分かった。多喜二研究者の荻野富士夫・小樽商科大学名誉教授(日本近現代史)が、多喜二と関係のあった弁護士を取り調べた公判前の予審記録からみつけた。告訴は実現しなかったが、厳しい思想弾圧の時代に拷問死をめぐって遺族が抵抗を試みようとした一端が明らかになった。

弁護士団は告訴に向けて遺体解剖を3カ所の大学病院に頼んだが、いずれも解剖されなかった。荻野さんは、特高が告訴を阻むために病院側に圧力をかけたとみて、「こうした記録は敗戦時、ほとんど焼却処分され、極めて貴重な資料だ。告訴できれば同法運用に欠かせなかった暴力的取り調べに一定の歯止めがかかった可能性はある」と指摘する。

 近代刑法史に詳しい内田博文・九州大名誉教授は「戦時下、為政者は暴力を合法化してきたが、拷問死までは合法化できなかった。為政者が行ったのは事実を隠蔽(いんぺい)し、責任追及を妨げることで、今回の記録はその一端を明らかにしている」と話している。


 内田氏のコメントと宮下の発言がマッチしている。

 支配権力につながる者については誰も責任を負わない、負わせないという方針があったのだ。
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立憲民主党は終わっている

2019-09-24 13:57:39 | 政治
 一時期、立憲民主党は多くの期待を集めた。しかしその後は何らの注目を集めることもない。もう新鮮さはなく、旧来の政治の延長線上にある、古臭い政治の担い手に堕している。

 野田という政治家、民主党政権がどうしようもない政権であることを如実に示した人と手を組む立憲民主党は、どうしようもないと見なされた民主党政権を想起させる。

 民主党は、新自由主義的な政策を掲げる政党であり、消費税の増税を推進する政党であった。

 消費税は社会保障につかうなどというウソをそのまま受け継いだのが民主党。そして立憲民主党も、同じ路線を歩んでいる。

 消費税は、すでに明確になっているように、大企業や富裕者のための税である。というのも、消費税は法人税と所得税の減税といつも歩調を合わせているからだ。

 立憲民主党が、消費税の減税に踏み切らないのは、彼らも富裕者の仲間だからだ。

 新鮮さもない立憲民主党は、民主党と同様にいずれ消えていく、そのなかの多くの政治家は自民党の中へと吸収されていくことだろう。立憲民主党議員が立憲民主党のなかにいるのは、選挙制度、小選挙区制度があるからにほかならない。すでに小選挙区毎に自民党議員がいるため、自分自身がそこに入れないので立憲民主党のなかにとどまっているだけである。

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報道の役割

2019-09-24 07:38:57 | メディア
 今日の『朝日新聞』デジタル版に、浜田陽太郎の「私は政府のポチなのか? 年金不安あおる報道に違和感」という記事があった。年金担当記者としての反省の弁を記したものだ。

 新聞もテレビも、政府発表を記事化する。その場合、政府の発表は何らかの意図のもとづいている。年金制度に関しては、それを維持することの困難さを言い、国民の負担が多くなること、あるいは支給が減る可能性が強いことを言う。新聞もメディアも、それを忠実に報じる。

 要するに、新聞もメディアも、政府の広報活動の片棒を担いでいるのである。

 このことに気付いた浜田は、こう記す。

 「私は政府のポチなのか?」

 その通りである、と私は言わざるをえない。もちろん政府発表を記事化する場合、『東京新聞』の「こちら特報部」のような報じ方をするならば、「ポチ」ではない。

 昨日の『東京新聞』は、マイナンバーカードについて、一面で「マイナンバーカード普及躍起 政府2100億円予算計上」とし、「こちら特報部」で全面的にこれを批判する記事を載せている。

 しかし、すべての新聞が『東京新聞』のような報じ方をしていないし、『東京新聞』でさえ、すべての問題を取りあげているわけではない。

 報道機関は、政府発表をそのまま垂れ流すことに警戒的でなければならない。

 浜田は、「メディアは年金制度の足らざるところ、問題点を指摘したのだから、政府が何とかするだろうし、何とかすべきだ――。これが報道する側の従来の感覚だった。だが、そんなスタンスで報道を続けていて、はたして問題は解決していくのだろうか。
 人口増と高度成長期ならそれでもよかったろう。いまは人口が減り、少子高齢化で放っておけば年金の給付水準は下がる。この部分だけ取り上げて財政検証の結果を報じれば、記事を読んだ人の不安は増すだけだ。
 これからの年金記者は、「年金を増やす」方策、すなわち、より多くの人がより長く働く社会をつくる解決策を徹底的に取材しなければ、読者から見放されるのではないか。いや、そうなるべきだと、まだ「年金記者失格」になりたくない私は思う。」と述懐するが、その反省は重要だ。


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【本】三浦綾子『母』(角川文庫)

2019-09-23 21:27:49 | 
 小林多喜二について、11月に語らなければならない。若い頃から、いつか多喜二を研究してみたいと思っていたが、それが出来なかった。人びとの前で語るという義務を課さないと、なかなか出来ないものだ。
 昨日からその準備を始めた。すでに私が持っている文献は袋の中にまとめて入れてある。それらを読みこなしていく訳だが、三浦綾子の『母』はもっていなかった。それが昨日届き、早速読んだ。

 三浦綾子はクリスチャンである。クリスチャンである三浦がなぜ多喜二に関するものを書いたのか。1933年に虐殺された多喜二を、イエス・キリストの死と二重写しにみたからだ。多喜二の周辺にはクリスチャンが多い。母小林セキも、クリスチャンになった。

 この本は、母セキが多喜二について語るというかたちで、セキと多喜二の生を描く。

 ここに描かれた多喜二は、聖人のような人物だ。人格的に非の打ち所がない。優しく、明るく、他者を決して手段として扱うことはなく、貧しき人のためにあるべき社会を目ざしてひたすら生きた。

 こうした人物像を、セキの目を通して描いたのだが、三浦はセキから話を聞いたわけではない。多喜二の作品などを読み、それらをもとに、多喜二像をつくりあげたのである。

 三浦綾子の多喜二をみる眼は、母セキのそれでもある。三浦が、慈愛を以て多喜二を描くためには、母セキの眼が必要だったのだろう。

 多喜二を、私自身がどう捉えるか。ひたすら読み考えるしかない。三浦が描く多喜二が、多喜二そのものであったなら、多喜二を人間としてあるべき者として描くしかないだろう。

 共産党員にはいろいろな人がいるが、三浦が描く多喜二は、そのなかで卓越したあるべき党員であるだろう。現実の共産党員たちに辟易することもある私は、共産党員としての多喜二をどう考えるか。曇のない眼でみつめていきたい。

 なおこの『母』は、あまりに多喜二がすばらしい人間なので、途中、途中でたちどまってしまった。

 よい本である。

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安倍首相という人

2019-09-23 09:35:41 | 政治
【悲報】安倍晋三首相の公式ツイッター、千葉県民をブロック・・・ 「台風の被災者に言葉はないのですか」
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