浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

能登半島

2024-01-02 09:34:45 | 旅行

 大地震の被害に遭われた方々の苦難を思う。

 地震に見舞われた能登半島を車で周遊したのは、20代後半のことだった。それ以降、訪れたことはない。その際に購入した御陣乗太鼓の面は、今も玄関で訪問者を凝視している。

 その時に書いた文を掲載する。今も覚えているが、車で走りながら、人の姿をほとんど見かけることはなかった。そのある種の衝撃を書いたものだ。「過疎地帯ー奥能登」という表題で書いた。

 奥能登の冬は寒い。暗い。わびしい。日本海から吹き寄せる潮風が、山裾の草木を枯らし、荒涼たる姿を現出させる。そしてどんよりとした厚い雲の下で冬の海が荒れる。 

 ほとんど人影は見えない。時おり道のすみを手ぬぐいをかぶった老婆が腰を斜めに曲げながら歩いている。それ以外の人には会わない。人家はあった。車もあった。しかし人はいない。コンクリート・ミキサー車が自らの巨体をゆっくりとまわしていた。しかし人はいない。見捨てられた家、そして車。

 大通りを車がひっきりなしに行き来し、たくさんの人がうごめきあっている「大都市」の生活に慣れた人の目に、奥能登は異様に、あたかもゴーストタウンのように映る。

 過疎。このことばが奥能登を象徴する。全国の山間僻地の状況がここにもある。若者たちは都市に出て行く。部落の男たちも農閑期には「出稼ぎ」に行く。厳しい冬の中、残された人びとは孤立に耐える。そのように生きてきたし、また生きねばならない。

 過疎―これは単に人口の減少ではない。現代に特徴的な極めて深刻な社会現象なのだ。過疎は、「人口減少のために一定の生活水準の維持が困難になり、それとともに資源の合理的利用が困難になって、地域の生産機能が著しく低下し、こうして人口密度が低下し、さらに年齢構成の老齢化が進み、従来の生活パターンの維持が困難になった状態」と、経済審議会地域部会の中間報告は定義する。しかし、過疎は進行する。過疎が過疎を呼ぶ。なぜ?

 冬が過ぎ、雪が溶けると奥能登に若者が来る。都会の若者たちだ。奥能登の人々は忙しくなる。だが、奥能登から出て行った若者は帰ってこない。仕方がない、と奥能登の人々は考えるのだろうか。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

視察

2013-10-17 20:01:13 | 旅行
 地区の民生委員の会長さんから、「東日本大震災の「視察」に行きたいが、行くつもりはありますか」と、3月頃に言われた。ボクはもちろん行きます、とこたえた。

 その後、ボクは3月末から4月にかけて宮城県石巻市その他の被災地を訪問した。大川小学校を訪れたときには、言葉を失ったことを思い出す。また名取地区でも、津波の被害の大きさに圧倒された。

 さてボクは明日、また被災地に行く。先日「行程表」を渡された。しかし被災地視察はたった1時間半。石巻市門脇地区の視察である。

 温泉に泊まり、中尊寺、瑞巌寺、松島をまわる。これではほとんど観光旅行だ。

 ボクは、観光旅行はしない。何らかの目的を持って、その目的のみに旅行を行う。もちろん神社仏閣に行くこともあるが、それはその神社仏閣に行くための旅行であってそれ以外ではない。

 まあ参加すると言ってしまったので、断るわけにもいかず、参加するのであるが、願わくば煙草を吸う人がいないことを。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする