浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

アベ政治を許さない

2015-06-30 21:18:21 | その他
 沢地久枝さんの呼びかけ。下記のサイトです。

https://sites.google.com/site/hisaesawachi/
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デタラメを平気で話す安倍側近たち

2015-06-30 10:22:36 | 政治
 ネトウヨをはじめ、安倍首相を支持する者たちは、口から出まかせを広言して平気な輩である。「作家」という肩書きを持つ百田なる人物も同様だ。

 百田は、沖縄について、ひどい無知を曝した。『沖縄タイムス』が、親切にも、その誤った認識を改めさせようと以下のような記事を掲載した。

 百田氏発言「普天間飛行場、元は田んぼ」「地主年収、何千万円」を検証するである。

■普天間飛行場、もとは田んぼ→戦前は9千人超生活

 百田尚樹氏が「田んぼで、何もなかった」とする米軍普天間飛行場が建設された場所は沖縄戦の前、宜野湾村の集落があった。宜野湾市史によると、1925年は現在の飛行場に10の字があり、9077人が住んでいた。宜野湾や神山、新城は住居が集まった集落がほぼ飛行場内にあり、大山などは飛行場敷地に隣接する形で住宅があった。

 最も大きかった宜野湾は村役場や宜野湾国民学校、南北には宜野湾並松と呼ばれた街道が走り、生活の中心地だった。

 飛行場は、まだ沖縄戦が終結していない45年6月、住民が収容所に入っているうちに、米軍が土地を占領して建設を始めた。住民は10月以降に順次、帰村が許されたが、多くの地域は元の集落に戻れず、米軍に割り当てられた飛行場周辺の土地で、集落の再編を余儀なくされた。

 市立博物館の担当者は百田氏の発言に「人々が戦争で追い出され、何もなくなるまでの過程が抜け落ちている」として認識不足を指摘した。



■地主の年収 何千万円→100万円未満が半数超

 百田尚樹氏は「基地の地主はみんな年収何千万円」と発言した。しかし、地主の75%は200万円未満の軍用地料しか得ておらず、実態は百田氏の発言した内容と大きくかけ離れている。

 沖縄防衛局が発表した2011年度の軍用地料の支払額別所有者数(米軍・自衛隊基地)によると、地主4万3025人のうち100万円未満の地主が全体の54・2%に当たる2万3339人で最も多い。

 次いで100万円以上~200万円未満が8969人で20・8%を占め、200万円未満の割合が75%にのぼった。

 500万円以上は3378人で7・9%だった。

 軍用地料は国が市町村含む地主と賃貸借契約を結び、米軍と自衛隊に土地を提供する。地主に支払われる賃貸料は自衛隊基地を含み11年度は918億円だった。


http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=121681&f=ap
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契約

2015-06-29 22:57:48 | 社会
 わが国には、おかしな法律がある。放送法である。第64条はこうなっている。

第六十四条  協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備又はラジオ放送(音声その他の音響を送る放送であつて、テレビジョン放送及び多重放送に該当しないものをいう。第百二十六条第一項において同じ。)若しくは多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置した者については、この限りでない。

 これがNHKの受信料を支払う「法的根拠」とされる。

 しかし現在のNHKは、「安倍さまのNHK」となっていて、積極的に払いたくはないという人が増えているようだ。

 今日のJ-CASTニュースにこういうのがある。


拒否しても2週間で契約成立 NHK受信料めぐる判決に「納得できない」と反発の声

J-CASTニュース6月29日(月)19時41分

NHKの受信料をめぐる判決に、視聴者から「納得できない」という不満の声が上がっている。堺簡易裁判所が受信契約に応じていなくても、NHKが契約締結を求めてから2週間がたてば「契約が成立しているというべきだ」という判断を示したからだ。

ネットでは「こんな一方的な契約聞いた事ない」と反発が広がっている。


 おかしな判決だと思う。契約というのは、意思表示の合致により成立する、というのが一般的であり、それが原則である。契約したくない意思を持っているのに契約が成立するというのもおかしいものだ。

 もしこれが正しいなら、結婚も契約であるから、結婚をしたいAが、Bに対して「結婚しよう」と求める、すると2週間後に結婚が成立するということになるわけだ。どう考えてもおかしい。

 一番簡単なことは、「協会の放送を受信することのできる受信設備」を持たないことだ。そうすれば受信料を払わなくてもよくなる。

 テレビなんか見るのはやめよう!
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南沙諸島の問題

2015-06-29 16:49:38 | 政治
 サンフランシスコ講和条約には、こういう箇所がある。そこの第二章 領域。

 敗戦国日本が、ポツダム宣言に基づいて、近代以降日本が戦争等により獲得した領域を放棄するというものだ。これは国際的な約束である。

(a)は植民地支配をしていた朝鮮、(b)は台湾、(c)は千島列島、(d)はサイパン島やテニアン島など(e)は南極。そして(f)。今日はここを問題とする。

 (a) 日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

 (b) 日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

 (c) 日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

 (d) 日本国は、国際連盟の委任統治制度に関連するすべての権利、権原及び請求権を放棄し、且つ、以前に日本国の委任統治の下にあつた太平洋の諸島に信託統治制度を及ぼす千九百四十七年四月二日の国際連合安全保障理事会の行動を受諾する。

 (e) 日本国は、日本国民の活動に由来するか又は他に由来するかを問わず、南極地域のいずれの部分に対する権利若しくは権原又はいずれの部分に関する利益についても、すべての請求権を放棄する。

 (f) 日本国は、新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。


 現在、南シナ海の南沙諸島における中国軍の動向が、非難すべきこととしてしばしば報じられている。その南沙諸島などは、このサ条約締結以前は、日本の支配下にあったということだ。

 この島々、1938(39?)年に日本が領有を宣言、新南群島と命名した。そして閣議決定により台湾の高雄市の一部とされていた。

 このサ条約には、日本が放棄したあとどこに属するかについて言及はないが、台湾の高雄市に管轄権があったとするなら、台湾を中国に返還したわけだから、同諸島も中国へ返還されたと考えることについて問題はないだろう。

 ボクは、ここまでは知っていた。以前このブログでも記したような気がする。

 さて今日、この件について、新たな知識を得た。それは、南沙諸島に軍事基地を置いているのは、中国だけではないと言うことだ。

 以下のサイトに、その経緯が記されている。そのサイトに Map of occupations があるから、そこをクリックすると、中国だけではなく、ベトナムやフィリピン、マレーシアそして台湾までもが領有し、同時に軍事基地を置いている。

http://www.worldstatesmen.org/Paracel_Spratly.html

 しかしこのことは、日本のメディアでは伝えられていない。


 
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信じられない!!フジテレビ

2015-06-29 16:36:56 | メディア
 「嫌韓」をあおるような番組があったそうだ。それは『池上彰緊急スペシャル! 知っているようでよく知らない韓国のナゾ!』という番組。韓国での街頭インタビューをしたそうだが、インタビューに答えている内容と日本語の字幕とがまったくあっていないという指摘があった、

http://lite-ra.com/2015/06/post-1227.html

 それを知られたフジテレビが、謝罪だって。

 しかし、これは信じられないことだ。ミスなんてありえないと思う。こういう場合の日本語訳は、慎重に慎重を期し、番組をつくっていくのが当たり前。

 ボクも、中国取材のドキュメンタリー番組に関わったことがあるが、中国人のインタビュー内容の翻訳には二重三重のチェックを行った。こういうところでのミスはありえない。本当にミスであるとしたら、テレビ放映から、フジテレビは撤退すべきだ。

 ひょっとしたら、意図的な誤訳かも知れない。池上彰氏が、この件についてどういう対応をするか注視したい。


フジテレビが韓国人発言に「日本嫌いです」と字幕


日刊スポーツ6月29日(月)13時55分

 フジテレビは29日、今月5日放送の番組「池上彰 緊急スペシャル!」で、日本についての韓国人へのインタビューを放送した際、「嫌いですよ」などとする字幕と実際の映像が異なっていたとして、おわびの文書を公式サイトに掲載した。2カ所合わせて約10秒、翻訳テロップ&日本語吹き替えナレーションと、韓国語映像の内容が違っていた。

 フジテレビによると、韓国女性が登場する場面ではテロップ&ナレーションでは、日本について「嫌いですよ。だって韓国を苦しめたじゃないですか」としているが、実際には「文化がたくさんあります。だから、外国の人がたくさん訪問してくれているようです」と話していた。この女性は、このインタビューの別の部分で、日本について実際に「嫌いですよ」と答えているという。

 男性が登場する場面でのテロップ&ナレーションでは、「日本人にはいい人もいますが、国として嫌いです」としているが、実際には「過去の歴史を反省せず、そういう部分が私はちょっと…」と話していた。この男性も別の部分で「嫌いです」と発言しているという。

 フジテレビ広報部によると、いずれも編集作業でのミスで、最終チェックが不十分であったため、誤った映像が流れてしまったという。担当スタッフによる意図的な編集ではないと否定している。「視聴者の皆様、インタビューにご協力いただいた方々、ならびに関係者の皆様におわび申し上げます。今後はこのようなことがないよう再発防止に努めてまいります」としている。


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無責任国家/日本

2015-06-29 08:54:52 | その他
 新国立競技場問題。

 文科省も、JSCも、そして安藤忠雄も、誰も責任を取りたくない。そして事業だけが進んでいく。おそらく最終的な工費は4000億円くらいになるだろう。
 以下は、今日の『東京新聞』一面。


新国立「無謀」 JSC、1年前に認識 計画修正できず

2015年6月29日 朝刊

 新国立競技場(東京都新宿区)の建設問題で、文部科学省から事業を任された日本スポーツ振興センター(JSC)内では少なくとも昨年春の時点で、計画が行き詰まりをみせていたことが、関係者への取材で分かった。下村博文文科相は今年五月に初めて、コストや工期が予定を大幅に超える恐れがあると認めたが、関係者の証言からは、JSCが早くから計画の無謀さに気付きながら軌道修正できなかった様子が浮かぶ。 (森本智之)

 「文科省も有識者会議も助けてくれない」「日本の設計事務所は能力が低いのでしょうか」。昨年春、東京都内のJSC本部に呼ばれた建築関係者に、複数の幹部職員が弱り切った様子で切り出した。

 総工費千三百億円で始まった計画は、英国の建築家ザハ・ハディド氏の基本デザインがコスト増を招き、二〇一三年十月の試算で三千億円に膨脹。JSCは規模を縮小して基本設計をまとめていたが、昨年三月の公表予定は既に過ぎていた。

 JSCを所管する文科省からも、建築家の安藤忠雄氏らがメンバーを務める諮問機関の有識者会議からも、具体的なアドバイスはもらえていなかった。一方で建築界からは槇文彦氏をはじめ、巨大すぎる計画に批判が上がっていた。

 「何が正しい情報か分からなくなってきた。正しいことを教えてほしい」。すがるように求める幹部らに、技術的な問題点などを指摘すると、幹部らは計画の無謀さを認めつつ、「われわれは計画の推進が責務。それ以外の行動は取れない」と吐露したという。

 この関係者は「JSCは失敗のツケを自分たちが払わされている、と感じているようだった」と振り返る。

 計画の無謀さは、設計手法からもうかがえる。一般的には設計ができてから、それに基づいて入札で施工業者を決める。新国立では設計段階からゼネコンが参加することになり、昨年秋に大成建設と竹中工務店が入札で選ばれた。

 理由は「難工事のためゼネコンの高い技術力が必要だった」(JSC)からだが、ある幹部は「設計後だと、工事が難しすぎてゼネコンに逃げられるかもしれない。先に巻き込んでおきたかった」と明かす。

 文科省とJSCは今月、当初見込みの倍近い二千五百二十億円で契約する方針を決めた。一九年九月のラグビー・ワールドカップに間に合わせるには、工期もぎりぎり。しわ寄せは今、ゼネコンに及ぶ。関係者は「現場はすごくピリピリしている。『俺たちは尻ぬぐいをやらされている』と憤る人もいる」と話す。

 ハディド氏のデザインを選んだコンペの審査委員長を務めるなど、計画の中心にいた安藤氏は沈黙を守っている。だが、表向き全員一致で決めたはずのコンペの別の関係者は昨年、計画に反対する建築家にこう漏らしたという。「この計画は間違っている。つぶしてほしい」

 <日本スポーツ振興センター(JSC)> 文部科学省所管の独立行政法人。秩父宮ラグビー場などの体育施設のほか、トップ選手の競技力向上を支援するナショナルトレーニングセンターを運営。Jリーグの試合結果を予想するスポーツ振興くじ(toto)も担う。
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全体主義体制が好きな自民党

2015-06-29 08:43:54 | その他
 安倍首相の取り巻き連中が、これまた取り巻きの一人、百田とともに、マスコミ統制の意思を明確に示した。それに関して、自民党の総裁である安倍は謝罪もしない。ということは、彼は取り巻き連中の危険な発言に同調していることを示していると言うことだ。

 安倍の発言を聞いていると、彼が全体主義体制を志向していることははっきりしているが、自民党という政党も、そうした方向に向いていることが各種の報道で明らかだ。

 たとえば沖縄の議員、島尻安伊子。こういう人物が沖縄から選出(といっても、小選挙区ではない。比例区から)されている。島尻の顔と、島尻が語ったその内容は下記。

 しかし、顔というのはその人の人格や品性を表すが、自民党議員のその醜さをいつも感じる。決して近づこうとは思わない顔だ。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-244937-storytopic-3.html

 
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これも知らなかった

2015-06-29 08:03:13 | 社会
 「江戸しぐさ」ということばも知らなかった。知らない世界で、捏造されたことがまことしやかに、「事実」として浸透しているなんて。

 リテラの批評であるが、ボクはその「江戸しぐさ」の中身を全く知らない。

http://lite-ra.com/2015/06/post-1229.html
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韓国の「慰安婦」番組

2015-06-29 00:02:14 | その他
 韓国語の番組ですが、証言者は日本語だから、理解できます。みてください。

http://newstapa.org/25773
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知らなかった

2015-06-28 23:39:50 | 日記
 今ボクは、「クラシック音楽へのおさそい」というサイトにアクセスして、そこから提供される音楽を聴きながらブログを書いている。

 今聞いているのは、チェリストのジャクリーヌ・デュ・プレ。彼女のドボルザークのチェロ協奏曲を初めて聴いたとき、その一期一会の迫真の演奏に驚いたことがある。その後、彼女の演奏のCDをすべて購入するほど、ボクはデュ・プレの演奏を気に入っている。車を運転しているときも、彼女の演奏を聴いている。

 彼女は、しかし早世した(1945年1月26日 - 1987年10月19日)。彼女の夫は、ピアニストであり指揮者のダニエル・バレンボイム。彼は、ユダヤ人とパレスチナ人によるオーケストラを編成し、良心的なイスラエル人として名を売っている。

 さて、このデュ・プレの解説を読んでいたら、こう記されていた。

「どうしても許せない!!」奴はいます。
私にとって、そのどうしても許せない男の最右翼がバレンボイムでした。
そして、彼が「イスラエルの良心的文化人」などと持て囃されればされるほど、「己の過去を振り返れ!」と言う思いが膨れあがるばかりでした。

バレンボイムというのは確かに優れたピアニストでした(指揮者じゃないですよ^^v)。
しかし、その才能は決して希有なものではありません。言葉をかえれば、取って代われれる存在、もしくはそれを上まわる存在はいくらでも数え上げることができました。(ポリーニ、グルダetc.)
しかし、デュ・プレは100年に一人の才能でした、疑いもなく。
それは、例えてみれば、与謝野晶子と鉄幹の関係と似ています。

そして、この小品集でデュ・プレをサポートしたおじさんたちも同じ思いを持っていたのでしょう。この録音からは、このかけがえのない才能を大事にしようというおじさんたちの深い愛が隅々から感じ取ることができます。そして、そう言う安心感のゆえか、デュ・プレもまた気迫を前面に出すいつもの演奏スタイルとは違って、ゆったりとした表情で音楽に取り組んでいます。

そんなかけがえのない才能が、こんな下らん男によってスポイルされたかと思えば、無念という言葉では言い尽くせない思いがわき上がってきます。
私は今でも、彼女の病は、この下らぬ男が己のキャリアを積み上げるために彼女を連れまわしたことによる疲労の蓄積にあると確信しています。そして、デュ・プレが病に倒れた後のこの男の仕打ちは、「人でなし」という言葉以外には表現のしようがありません。
彼女は闘病のために愛器の「ダヴィドフ」を売り払い、さらに不自由な身体でチェロのレッスンを行うことでお金の工面をしたと伝えられています。驚くべきは、彼女がそのような苦境に陥っているにもかかわらず、この男は妻であるデュ・プレを見捨てて浮気を繰り返し、果ては同棲中の愛人に二人も子どもをはらませたのです。
こんな男が「イスラエルの良心的文化人」などと言われたら、迷惑するのはイスラエル自身でしょう。


 こういう事実は知らなかった。デュ・プレは、「人でなし」と結婚し、「人でなし」によって早世したのか。

 デュ・プレについてはこう記されている。

デュ・プレは100年に一人の才能でした、疑いもなく。

 その通りだと思う。
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法とは何か

2015-06-28 22:56:38 | その他
 今日、おやっと思ったことがあった。憲法は「国家権力を制限」するもので、法は「権利・自由を制限」するものだという文言だ。
 「権利・自由を制限」という場合、権利・自由を保有しているのは国民であるから、これは国民の「権利・自由を制限」する、という意味なのだろう。

 確かに、法はそういうものとして捉えられても仕方がないものがある。たとえば道路交通法。その12条はこうなっている。

第十二条  歩行者は、道路を横断しようとするときは、横断歩道がある場所の附近においては、その横断歩道によつて道路を横断しなければならない。

2  歩行者は、交差点において道路標識等により斜めに道路を横断することができることとされている場合を除き、斜めに道路を横断してはならない。


 まさに歩行者の行動の自由を制限するものではある。

 しかしこのように、法は国民の「権利・自由を制限」するものかというと、そうではない。法の本質はそこにはないのである。

 ここでは、政治学者の田中浩氏の「法治主義」についての説明を利用させていただく。
https://kotobank.jp/word/%E6%B3%95%E6%B2%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9-132290

 「法による政治」を目ざす法・政治思想。絶対君主の政治を否定した市民階級が近代国家を設立した時点以後、各国の民主主義的政治原理となった。法治主義が実現されるためには、人権と自由を保障する法律が制定されること、またそうした法律に基づく行政と裁判所による法律の正しい適用がなされることが必要条件となる。
 近代民主政治の母国イギリスにおいて、議会制度や民主的政治運営のルール、あるいは法優位の思想が確立されることが法治主義を保障するものと考えられ、そうした政治を「法の支配」する政治とよんでいるのはそのためである。すなわち、イギリスでは、早くも13世紀において、法学者ブラクトンが「国王も官吏も神の法、自然の法、この国の慣習法に従って統治すべきである」という「法の支配」の考え方を述べているが、そのことはやがてこの国の実定法であるコモン・ローの精神に基づいて統治すべきこと、さらには、議会制度の発展につれて、「法の支配」とは議会制定法に従って統治することである、という政治原理にまで高められていった。ホッブズが政治権力の基礎を人々の同意・契約にあるとし、ハリントンやロックが立法部に最高権力があるとしたのは、「法の支配」思想の政治思想的表現であったと考えてよいだろう。この考え方は、19世紀末にA・V・ダイシーによって法の支配観念と議会主権論が結び付けられたときにイギリス民主主義の優秀性を示す思想原理となった。


 みられるように、法も、 国家権力の恣意的な政治を法によって統御しようという目的でつくられたものであって、憲法と同様に、国家権力に向けて、国家権力の統治を縛るものとしてあるのである。

 『大辞林』も、法治主義を「法に従って権力を行使するという政治原理。絶対主義における王の全能的支配を否定して成立した。法の支配」となっている。

 たとえば先ほど道路交通法を例に挙げたが、同法22条はこうなっている。

第二十二条  車両は、道路標識等によりその最高速度が指定されている道路においてはその最高速度を、その他の道路においては政令で定める最高速度をこえる速度で進行してはならない。

 いわゆる制限速度の規程であるが、たとえば最高速度が40㌔/時を超えて走行したとき、それは「反則」であるとされ、反則金の納付が命じられる。しかしこの規程は、40㌔/時以下で走行している者は「反則」ではなく、警察官は「反則」として扱ってはならないと、まさに権力の行使を制限するものでもあるのだ。

 また生活保護法という法律があるが、これは憲法25条の生存権という国民の権利を具体化するために制定されたもので、「自由・権利を制限」するものではない。

 このように、法というものを、「自由・権利を制限」するものとして規定することはできないのである。先にあげた道路交通法のように、あるいは悪法の典型である特定秘密保護法のように、国民の「自由・権利を制限」する法はあるが、そうしたものは多くはない。

 おそらく法を「自由・権利を制限」するものとして捉えたのは、特定秘密保護法などのまさに国民の「自由・権利を制限」する悪法が次々と登場してきたからであろう。

 法を、国民に向け、国民を統制し、「自由・権利を制限」する手段として悪用する動きが強まっているとき、そうした権力者の意図を打ち砕き、本来の法を取りもどすことはきわめて重要な闘いなのだ。

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『9条を抱きしめて』

2015-06-28 14:51:46 | その他
 「元海兵隊員、アレン・ネルソンが語る戦争と平和」という副題がついた『9条を抱きしめて』というDVD,入手してから、人々に見せる機会があるたびに、コンピュータとプロジェクターをもってみてもらっている。制作は、2013年。

 その度に、「どこから入手したのか」という問合せにあう。

 そこで、入手先を記しておく。

 問合せ先

 佐野明弘さん ℡/FAX 0761-74-0508
        mail kousenbou@live.jp

 DVDはひとつ1000円+送料

 9条が危機に見舞われているとき、ぜひこのDVDの力を借りて欲しい。
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考えたこと

2015-06-28 14:08:57 | 日記
 昨日から今日にかけて、某労働組合の学習会に参加した。ボク自身も話したが、学んだことも多かった。

 今ボクは、某市の自治体史に関係しているが、そこの文書を読んでいると、公の組織である市の行政の中に、効率優先の民間企業の経営のハウツーがつぎつぎと取り入れられていることを感じる。たとえば数値目標の設定とか、業務の外注化(民間委託、指定管理者制度など)、行政のスリム化(人減らし)などである。今ボクは、そうした傾向を歴史的に捉えるべく、関連する本を読まなければならないのだが、なかなかその時間がとれない。

 もちろん、今記した民間企業の経営のハウツーは、民間企業ではすでに実施されている。

 経営の側が、たとえば一つの部署、あるいは個人の労働者に、数値目標を設定し、その目標を達成すべく努力することを求める。そしてその結果を、給与や昇進に関係させていく。
 数値目標が個人に提示され、その目標を達成しなければならないとされるとき、労働組合はそれにどう関わるのか。個人に示される数値目標は、ある意味で労働者の分断、あるいは競争へと転化していく可能性がある。

 ボクはふるい人間なので、こういうことばを胸にしまっている。それは「労働者は競争してはならない」ということばだ。このことばがいつボクの精神に刻み込まれたのかは覚えていない。
 熊沢誠という学者がいて、ボクは彼の本をよく読んでいた。ひょっとしたらそこに書かれていたかも知れない。熊沢誠の『工場の門前で民主主義は立ちすくむ』、『労働組合運動とは何か』(岩波書店、この本は購入してあるが未読である)などにあったのかもしれない。ボクは労働者にとって、このことばはとても重要だと思ったのだ。

 さて労働者が競争を始めると、そこに経営側が入り込み、労働者を分断し差別する。

 それに労働組合はどう対応するか。

 今日の話しを聞いていて、なかなか難しい問題だと思った。こういうことについて、今まで考えたことがなかったので、とても刺激を受け、考えなければならないことだと思った。そのためにはまたまた勉強しなければならない。

 実際、労働組合の組織率が低下して、労働者がばらばらにされているところ、あるいは労働組合があっても経営側のワンコ(犬)として存在しているところもあるが、そういうところでは、労働者、それぞれひとりひとりが経営からの『強風』にさらされている。

 やはり原則として、労働組合は、競争や差別を拒否しながら、労働者全体の前進を獲得していかなければならないだろう。労働者の団結とはそういうものだろうと思う。

 労働者には、仕事が遅い者、仕事ができない者、どんどん仕事を進めていく有能な者、様々な労働者がいる。時には、仕事ができない者にいらだつこともあるだろうが、労働者は常に団結していなければならないのであって、同じ会社の仲間になった労働者を支えながら、励まし合いながら、全体としての労働者の生活と権利を拡充する方向に向かっていくしかない。労働組合には、当然のごとく、相互扶助という精神がある。
 経営側が、数値目標を設定してくるとき、どういう手立てで労働者を守りながら対応していくか。経営側もとうぜん利益を確保し、さらに増大させたい、そのためには、そこで働く労働者にがんばってもらうしかない、それを前提としながらも、労働組合は競争ではなく、全体でどうしていくか、を考えなければならないのだろう。

 とても難しい問題であった。

 
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こういう記述はどうなのか

2015-06-27 11:59:30 | メディア
 今日、『中日新聞』を読んでいて何これ!と思ったこと。

 「平和の俳句」を寄せた佐野仁さんについての記事。佐野さんは沖縄慶良間諸島の民宿に宿泊したとき、民宿の主人から沖縄戦で家族が日本兵によって殺されたことを聞いた。佐野さんはそれから沖縄戦に関心を寄せ、沖縄に何度も訪れるようになった。そして沖縄にまつわる平和の俳句をよむ。

 さてその記事。「・・・島民の多くが、手りゅう弾を爆発させるなどして集団自決した。そこには旧日本軍の関与があったとされる」。「・・・とされる」はおかしい。民間人が、通常手りゅう弾を保持することはなく、これは明らかに日本軍によって渡されたものであり、「・・・とされる」は必要ない。

 自民党の「文化芸術談話会」(「文化芸術」が泣くよ!)で、暴言を吐いたひとり、井上貴博議員は「私の発言が誤解を招いたとすれば申し訳なく思っている」と言ったそうだ。それを報じる小見出しは、「井上衆院議員が陳謝」である。この井上議員のことばは、「陳謝」になっているか。これは、発言は間違っていないが、その発言を聞いた人が誤解したのなら「申し訳ない」というだけで、謝ってはいない。

 余分な配慮と忖度が、記者にあるのではないか。

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知性なき集団

2015-06-27 09:03:43 | 社会
 何度も書いてきたが、有能な人はとても謙虚である。高名な学者でも、素晴らしい研究をしている人ほど、謙虚だ。そういう人たちと話をしていると、いろいろなことを学べるし、楽しい。また何気ない配慮もある。

 他方、有能ではない人で、自分がいかにすごい人間であるかを折に触れて語る人もいる。有能であるならそういうことを言う必要はない。周囲の人が自然にその人を有能であると認めていく。

 また全く無能であるが故に、自らの能力を客観的に評価できないために、ひどく傲慢になる人がいる。まさに安倍首相のような人物だ。おそらくヒトラーもそういう人物だったのだろうと思う。無能な人間は、周囲から褒めそやされると、さらに傲慢になって、「ボクってすごいでしょ」「ボクってエラいでしょ」とどんどん舞い上がる。

 そうした無能で傲慢人間を利用しようと、人々が集まってくる。彼をさらに舞い上がらせて自らの利益を拡大するためだ。心中はどう考えているかはわからない(おそらく軽蔑している)が、とにかく褒めまくる。そうなると、さらに利用しやすい人間になっていく。

 リテラの次の記事を読んで、以上のように思った。もちろん、あべを利用しようという人間は、無能ではない。しかし品性に欠けている。だから安倍のまわりには、傲慢人間と低品性の人間がとぐろを巻いている。

http://lite-ra.com/2015/06/post-1223.html
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