湯島天神の東側に三十八段の石段坂、別名天神男坂で、すぐ傍にある女坂に対して男坂と呼ば
れます。愛宕山ほどではないにしてもかなり急な石段ですね。江戸時代の書物「御府内備考」による
と、湯島天神参拝のための坂であったが、その後、本郷から上野広小路に抜ける通りになったとあり
ます。
男坂の右側には、復興地蔵尊があります。これは関東大震災で未曾有の惨禍をもたらしたが、当
時の町会長を中心とした有志が、300年依来火伏寺として伝統を持つ坂下の「心城院」の協力を得
て、亡くなった方々の冥福と地元の平和発展を祈って建立したものです。昭和20年の東京大空襲で
近隣は焼け野原になりましたが、この町会は一軒も焼失しませんでした。お地蔵さまの御加護による
ものと、人々の心に深く刻まれています。