ここで扱われていた「まっちゃん」は、知的障害ということで、
もともと知能の伸びしろが少なかったのだろうが、うちの父親の場合は、
祖父がおかしな人で、その長男だったことと、兄弟が多く、自分だけの場所や
時間を持てなかったことや、日常的に選択肢を与えられなかったことが、
自分で考えるということが成立しなかった大きな要因なのだろう。
しかしながら暗記能力があったことから、自分で考える能力がほとんど成立していない
ことを、周囲は解らなかったのだろう。
いかに周囲との境界を持つことが、その人の考える能力や主体を生成させるのに
大切なのかがよく解る。
京大の臨床心理の人たちも、発達障害の人の境界の無さについてと、境界を作っていくことが、
主体の生成に必要と指摘している。
父親は「まっちゃん」のように、主体が未成立なので、防大の教官から言われていたことを
フラストレーションを感じると、そのまま家の中で言っていたのだろう。
主体が曖昧だと、状況に応じて、考えて話すということがうまく出来ないので、
何かと対人場面では、うまくやっていけないのだろう。
そのことを考えると、SSTで対応のバリエーションを増やすことより、
様々な場面で境界を作り、自ら考える能力を発達させていく事が必要なのだろう。
そのことから考えても、暗記すればある程度の成績を取れるという、
学校の仕組みを考え直す必要がありそうである。
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