マチンガのノート

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発達障害における主体の無さについての体験。

2024-07-18 00:00:05 | 日記

親から世話をされたりなにか教わったことがないため、体の使い方が解らず、

公園で遊ぶときも他の子供がブランコを漕いだりしていても、何となく見ているか、ブランコに乗っても足で少し動かす程度で、

漕ぐということを思いつかなかった。

さらに親に身体的な虐待を受けたときも、殴ってくるのを避けたりガードしたりせずにされるがままだったのも、

主体的な動きというものが成り立っていなかったからだろう。

どういう時にどう振る舞うのかを教わらなかったことと、親の言う事や、やることが支離滅裂だったので、

主体が生成しなかったことが、なにかに付け、周囲の言いなりになっていた原因と思われる。

言いなりに成る以外の振る舞い方がないことで、周囲を見て真似たり、周りがどう思うのかを考える回路が

なかったことが、周囲に溶け込めなかったり、邪魔がられた原因だったのだと思う。

親のネグレクトは体の使い方や振る舞い方を身につける機会も奪うのだろう。

なにかと発達障害の人は空気が読めないと言われるが、言いなりに成る以外の回路が未成立なことで

そうなるのだと思う。


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