マチンガのノート

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「話の聴き方からみた軽度発達障害」 畑中千紘著 その5

2014-02-23 23:54:25 | 日記
ブルーノ・ベッテルハイムや、京大の心理臨床の方々のように
プレイセラピーなどを通じて、境界を作っていく、良くなっていく事は
文章、画像などである程度は描写できても、いかに何も無いかを描写するのは、
なかなか困難なのではないだろうか?
この本に関するアマゾンのレビューでも、以前「卒論に毛が生えた程度」
など書いている方がいた。現在は消されているが。
在るだろうと思って見るものが、変形して在るとか、斜めに在るならば判っても、
無い場合には、無いこと自体が判らずに、勝手に想定して関係を持とうとするのでは
ないのだろうか?
自転車に乗れる人が乗れない人を見て、なぜ乗れないかを解りにくいことや、
ましてや何故乗れないかを、言語を通じて描写するのは、
大変困難な事と似ているのではないか?
それこそ、「ワーキングメモリの少なさ」としか表現できないようなものだろう。
この本がこれまでの物と違うのは、いかに何も無いかを
一冊を使って丁寧に描写しているところだろう。