ブログ・クロウキョウ

文京の働く愉快な仲間たち

お国自慢

2012年04月08日 08時24分41秒 | おくやみ
 やすらぎコンサートの第1回目から故伊関秀雄さんとともに、連続して、
かかさず参加されている方の一人で、ブログ・クロウキョウに
気をつかうことなくご登場いただいてる高田さん(元土建文京委員長・
元区労協副議長)に故伊関さんの思い出を語っていただきました。
 お二人とも福島県から東京に出て来て、押しも押されてもせぬ
建築業の棟梁になられた苦労人。福島県人の粘り強さ、人柄の良さを
強調されておられました。
 
 

白骨

2012年04月07日 21時01分05秒 | おくやみ
 今年の「やすらぎコンサート」でも、オープニングセレモニー
として「白骨の御文」を読経させていただきました。

>南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、

それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、
おおよそはかなきものは、この世の始中終、
まぼろしのごとくなる一期なり。
されば、いまだ万歳の人身をうけたりという事をきかず。
一生すぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。
我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、
おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。
されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、
ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、
桃李のよそおいをうしないぬるときは、六親眷属あつまりてなげ
きかなしめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて
夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。
あわれというも中々おろかなり。
されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、
たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、
阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。

>南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、
合掌




厳粛な中にも

2012年04月07日 12時50分32秒 | おくやみ
 4月5日(木)夜、第8回やすらぎコンサートが開かれ、21名の方が参加され、
厳粛な中にも、故人を偲び、アットホームな雰囲気で、ひとときを過ごすことが
できました。
 祭壇には、それぞれが持参された遺影やご供養の品々が並び、それなりに
人が集まったところで、故人を偲び読経が始まり、続いて、
ギタリスト柳真一郎さんによる追悼ギター演奏が始まりました。

 第2部供養の宴では故伊関秀雄さんや中村洋平さんなど、それぞれの方の
想い出を語っていただきました。

 この日の手料理は、青年劇場の女優・湯本弘美さんと秋山亜紀子さんが
準備して下さいました。昆さんが郡山から送ってくださったお米は、
炊き込みご飯のおにぎりにしていただきました。うなぎ入り厚焼き卵と
一緒に重箱に詰められ見た目も美しいですね。お味も最高でした。

 供養の宴の最後には、主催者に知らされていないサプライズがありました。
なんと、ギターリスト柳真一郎さんと劇団前進座の村嶋さんによる
ギター演奏で中島みゆきさんの「時代」が演奏されました。
 

お別れ

2012年03月26日 10時40分38秒 | おくやみ
 3月25日(日)の午後、板橋区内で全印総連組織専従として活躍された
凸版印刷OBの長田豊実さん(享年71歳)のお別れ会があり出席させて
いただきました。
 長田さんは、2009年4月、凸版印刷本社での交渉中に倒れ、その後
治療に専念されていましたが昨年11月18日、永眠されました。
 葬儀は家族葬として営まれ、今は故郷、長野県で眠っておられるそうです。
全印総連のみなさんが「闘いの中でのお別れ会」が長田さんに相応しいと
いうことで凸版印板橋工場の近くで営まれたようです。
 文京にも、かって凸版小石川工場があり、凸版労働者のみなさんとも
交流があり、賃金差別争議中は、文京の争議支援ビアパーティーなどで
ご協力いただきました。
 その時の感謝もこめて参加させていただきました。
 会場で配られた奥様のお礼の言葉や皆様から寄せられたメッセージで
長田さんの人柄を、改めて知ることができました。
 そのなかの一つに、長田さんは100件を超す労働相談や未組織の組織化
に関わられたそうですが、その中での言葉が紹介されていました。
>「労働相談は最後まで責任をもつこと」
>「対応はこれでよかったのか。悩んで眠れない時もある。
その人の人生を決めてしまうから」とよく話されていたそうです。

 私たちも肝に銘じなければなりませんね。
長田さん、安らかにお眠りください。
4月5日の「やすらぎコンサート」で改めてご供養させていただきます。
   

小手指

2011年11月10日 13時19分42秒 | おくやみ
 11月9日の夜は、所沢市小手指で営まれた長谷川建二さん(豊島区労協事務局長)の
通夜に参列し、御焼香させていただきました。
 62歳という働き盛りの死に、多数の参列者は悲しみと無念の想いにつつまれていました。
 写真を撮ることが出来なかったので、湯島天満宮の菊の大輪を飾らせていただきます。

2011年11月07日 23時07分15秒 | おくやみ
 4日逝去された長谷川兼二さんの通夜は9日(水)午後6時から、葬儀は10日午前11時から
いずれも所沢市小手指元町2-6-1 小手指会館で執り行われます。TEL04-2938-1272
 西武池袋線小手指駅南口下車 徒歩12分
 http://www.koukyou-saijo.com/kotesashi/index.html
 喪主は妻の長谷川貞子 様。

 滝の写真は、もう5~6年前でしょうか、北部春闘の旅行で行った茨城県の袋田の滝です。
 長谷川さんは、登山家でもあり、旅行好きで、北部の地区労、地区労連のまとめ役でもありました。
 心よりお悔やみ申し上げるとともに、謹んでお知らせ致します。

訃報

2011年11月04日 21時56分15秒 | おくやみ
 11月4日(金)夜、定期大会後、最初の区労協常任幹事会を行いました。
夜8時半、携帯電話に元豊島区労協議長の西村さんから訃報が入りました。
 「豊島区労協の長谷川さんが今日なくなった。」との知らせでした。

 会議が終わり、区労協事務所に帰ると、豊島区労協からメールが入っていました。
「本日夕刻、豊島区労協事務局長 長谷川兼二さんが亡くなられました。
現在は病院でご家族が付き添っていらっしゃいます。
取り急ぎご連絡いたします。今後のことは、わかり次第ご連絡いたします。
                       豊島区労協議長 佐藤公一」

 ともに北部地域で専従者として活動してきた仲間だけに
今は、驚きと悲しみで、とてもコメントできません。
 とりあえず、お知らせだけ。

 写真は、数年前、文京区労協事務所を訪ねて下さったときの長谷川さんです。
衷心より、ご冥福をお祈りいたします。
           岩永 有礼


菊の花

2011年08月13日 17時47分07秒 | おくやみ
 お盆を前に菊の花を買うため、知り合いの花屋さんに寄りました。
 7月18日未明、ナデシコジャパンの優勝を告げるかのように笑顔で天空に旅立たれた伊関秀雄さん。
 8月4日、「ヒロシマ・ナガサキを忘れるな!」とつぶやきながら旅立たれた中村洋平さん。
 お二人ともまだ急逝されたばかりで、まだ藻が明けておらず天空をさ迷っておられるかもしれません。
 お盆休みに入りますが途中、区労協事務所に立ち寄られてもいいように黄色と白の菊の花を選んでみました。
 結局は花屋さんに頂いてしまったのですが。
 お二人は、性格的には“動”と“静”で大きく違いますが、頑固さと責任感の強さは共通されていました。
 来年の「やすらぎコンサート」には、お二人のためにも一段と力を入れたいものです。

告別式

2011年08月10日 16時36分57秒 | おくやみ
 8月8日(月)午後6時から町屋斎場で故中村洋平さん(享年78歳)の通夜が
営まれ、地域・年金者組合・平和団体・山の仲間など多数の人たちが弔問に
訪れました。
 8月9日(火)午前11時からは告別式が始まりました。無宗教ということで、
お坊様による読経はありませんでしたが、しめやかに流れる音楽のなか、
親族はじめ会葬者の献花が続きました。
 そして、文京平和委員会、民医連山の会、地元地域の金子区議会議員からの弔辞で
中村洋平さんの人柄が偲ばれました。

 8月9日は、66年前長崎に原爆が投下された日でもあり、文京では反核69宣伝行動が
300回目を迎えます。
 写真は今から4年前、250回目の69行動を茗荷谷駅で行いました。そのときの写真が
区労協の活動レポートにありましたので再録させていただきます。
 中村さんは、いつも国連に提出する署名と画板を準備して自転車で駆け付けて下さいました。
 そしてひたむきに署名を集め集約されていました。その数は11万筆を超えました。

 区労協の関係では、旗開きや争議支援のつどい、様々な催しものでは必ずと言って
いいほど裏方を務めていただきました。こちらからお願いしたわけではないのですが
いつのころからか、ごく自然に手伝っていただいており、本当にそれが普通に
なっていました。
 振り返ってみれば、区労協の「法事」でもある「やすらぎコンサート」でも
特に宗教色が強いわけではないのですが、余興的に毎回、“得意”のお経をあげ
故人を偲ぶのですが、そこでも、受付などをしていただいたことがありました。
 無宗教であった中村さんと信心深い私は、「とても気があってたと言ってたよ。」と
斎場で金森元区議会議員に言われ、「申し訳ないことをしたな」と思いました。
 しかしこれからは、仏様になられたので天空から私たちを見守り下さい。
来年の「やすらぎコンサート」のために、中村さんと伊関さんの遺影のパネルを
竹田さんに作ってもらいました。
 私の場合は、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
合掌 
 

縁の下の

2011年08月08日 11時49分32秒 | おくやみ
 若い人たちの結婚の知らせや新しい生命の誕生がある一方、訃報も続いています。
 地域の平和運動に長年にわたり関わり、縁の下の力持ちとしての役割を果たして来られた
文京平和委員会の中村洋平さん(享年78歳)が4日の争議支援の集いが行われた日に逝去されました。
 8月9日夕方、後楽園駅前で文京平和委員会・出版労連北部地協・区労協による第300回目の
反核69行動を行いますが、この運動に最初から先月まで参加して来られた数少ない一人です。
 ここに謹んで哀悼の意を表します。

 通夜は、8月8日(月)18時から、告別式は、8月9日(火)11時から。
 式場は、いずれも町屋斎場(荒川区町屋1-23-4) 喪主は中村暢子様。

 写真は先月6日、本郷三丁目駅前で行われた69行動に参加された時の中村さんです。
7月7日のブログで紹介がされています。写真もそのときのものです。