♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

この危機を日本が持つ総合力で乗り越えることを願って・・・

2011年03月21日 10時21分18秒 | カテゴリー以外
福島第一原発
   ×1号機 運転開始1971(昭和46)年 出力:46万Kw 地震時運転中  
         ※11日運転自動停止、ECCS不全
         ※12日圧力容器に海水注入開始
         ※12日(逃し弁操作で)大気中に放射性物質放出  
         ※12日午後3時36分水素爆発【建屋損壊】
         ※21日午前9時現在(も)引き続き原子炉への海水の注入を実施
           ◆海水での冷却は炉内に塩分が溜ってきていて、そろそろ限界が近づく

         ※19日外部電源の復旧を実施中→完了(復旧に向け機器点検をする)


   ×2号機 運転開始1974(昭和49)年 出力:78.4万Kw 地震時運転中
         ※11日運転自動停止、ECCS不全
         ※14日午後1時25分冷却機能喪失
         ※14日圧力容器に海水注入開始
         ※15日午前9時40分爆発で【圧力抑制室(格納容器の一部分)を破損】
         ※21日午前9時現在(も)引き続き原子炉への海水の注入を実施
           ◆海水での冷却は炉内に塩分が溜ってきていて、そろそろ限界が近づく

         ※20日午後3時46分負荷側の電源盤での受電開始。



   ×3号機 運転開始1976(昭和51)年 出力:78.4万Kw 地震時運転中
         ※11日運転自動停止、ECCS不全
         ※13日冷却機能停止
         ※13日(逃し弁操作で)大気中に放射性物質放出
         ※13日圧力容器に海水注入開始
         ※14日午前11時1分水素爆発。【建屋損壊】                     
         ※16日昼前官房長官会見で格納容器が破損している可能性大
         ※16日使用済み燃料棒(も)冷やさなくてはならない事態になっている
         ※21日午前9時現在(も)引き続き原子炉への海水の注入を実施
           ◆海水での冷却は炉内に塩分が溜ってきていて、そろそろ限界が近づく
         ※21日(も)外部電源の復旧を実施中
         
         ※17日使用済燃料プールを冷却するため、放水を実施
         ※18日使用済燃料プールを冷却するため、放水を実施
         ※19日使用済燃料プールを冷却するため、放水を実施
         ※20日未明まで使用済燃料プールを冷却するため、放水を実施
         ※21日未明まで使用済燃料プールを冷却するため、放水を実施
            20日午後9時半ころから21日午前3時58分まで推定放水量1,170トン


   ×4号機 運転開始1978(昭和53)年 出力:78.4万Kw 地震時運転していなかった
         ○定期検査中で運転してなかったので安全と云っていた
         ※15日午前4時18分燃料プールの水温が84度に上昇、
                      (水素)爆発あり【建屋損壊】
         ※16日午前5時45分建屋から再び炎(消えたようですが)
         ※21日(も)外部電源の復旧を実施中

         ※16日使用済み燃料棒(を)冷やさなくてはならない事態になっている
         ※20日使用済燃料プールを冷却するため、自衛隊、午前8時20分放水開始
         ※21日使用済燃料プールを冷却するため、自衛隊、午前6時37分放水再開




   △5号機 運転開始1978(昭和53)年 出力:78.4万Kw 地震時運転していなかった
         ○定期検査中で運転してなかったので安全と云っていた
         ※16日燃料プールの冷却水の温度が63℃に上がっている
         ※19日午前5時、残留熱除去系ポンプ(C)を起動、使用済燃料プールの冷却を開始

         ※20日午後2時30分炉内温度が100℃以下になる冷温停止状態になったと東電発表


   △6号機 運転開始1979(昭和54)年 出力:110万Kw 地震時運転していなかった
         ○定期検査中で運転してなかったので安全と云っていた
         ※16日燃料プールの冷却水の温度が60℃に上がっている
         ※19日非常用ディーゼル発電機(A)の修理が完了

         ※20日午後7時27分炉内温度が100℃以下になる冷温停止状態になったと東電発表




   *使用済み(原子炉建屋内の)核燃料保管プールでの核燃料棒数
     1号機(292本/900) 2号機(587本/1240) 3号機(514本/1220)
     4号機(1331本/1590) 5号機(946本/1590) 6号機(876本/1770)
         ◇凡例プール内本数/保管可能本数

   *使用済み(原子炉建屋とは別棟の)核燃料保管プール
         このプールは3号機、4号機に近いため3月17日現在管理下にない。
     6,375本/6840が貯蔵されている<17日現在、冷却装置は故障したまま>



福島第二原発
   ? 1号機 運転開始1982(昭和57)年 13日最終的な安全性が確認されていない 
   ? 2号機 運転開始1984(昭和59)年 13日最終的な安全性が確認されていない 
   ○ 3号機 運転開始1985(昭和60)年 自動停止後、安全性が確認されている
   ? 4号機 運転開始1987(昭和62)年 13日最終的な安全性が確認されていない

  ○3月14日、1号機と2号機は、炉内温度が継続的に100℃を下回る「冷温停止」状態となる
  ○3月15日、最後まで残っていた4号機が15日午前7時15分「冷温停止」状態になる
        1号機~4号機、全原子炉が冷温停止状態となり安全に停止と東電が発表。
    


3月21日:水素爆発で飛散した建屋のがれき除去のために74式戦車2両を投入するそうで、そして87式戦車回収車で現場の障害物を一斉に排除する計画だそうです。
(74式戦車は、国産戦車として2代目でいまは旧式です、戦車は高い気密性を保つため放射能の影響を小さくどどめられることからだそうです)

3月20日:未明まで使用済燃料プールを冷却するため、放水を実施
本格的放水作業、東京消防庁、19日午後2時過始まる。7時間の予定を約13時間半連続放水を実施、20日午前3時40分まで続けた。≒2,430トン海水放水(燃料プール容量≒1,000トン) 
放水作業の東京消防庁3人の隊長の中の一人冨岡豊彦隊長の言葉は心うつもでしたので掲載しました。
『隊員は士気が高く、一生懸命だった。残された家族に、おわびとお礼を申し上げる』と云われていました。

3月19日:旧題<この難局を技術力で乗り越えることを願って・・・>を改めました。
日本が戦後技術立国として蓄えた各方面の技術力(東電、関連会社そして、警察、自衛隊、東京消防庁、大阪市消防局などなどにとどまらず広範囲にわたる機関)の総合力を集約投入しなければならない事態と思いましたので、改題しました。
午後2時5分、冷却機能を失った(第1原発)3号機に向け、特殊消防車で放水開始。
(19日午前0時半の放水に続いて2回目)。
連続7時間の作業での、放射線の影響を考慮。途中から放水車を無人運用し、隊員らは退避させる予定。
19日朝、朝日新聞でみた現在の福島第一原発の状況〈図解〉をNETでもみることができます。
http://www.asahi.com/national/gallery_e/view_photo.html?national-pg/0319/TKY201103180628.jpg

3月18日:わたしは、原発について専門に勉強したわけではありませんので、
公表されている資料(後手後手に公表される負の情報には不満はありますが私見を避けて)
いまは、原発事故の収束を願っているいち国民でとしてこの頁を編集しています。
しかし、資料の見方に間違いがあるかもしれませんので、ご指摘いただければ幸いです。

3月17日:自衛隊のヘリコプターによる放水が4回行われた
3号機、放水前の午前9時40分と放水後の10時20分(3,754マイクロシーベルト)で
大きな変化なし。
自衛隊の特殊な消防車が、午後7時半すぎから放水作業、
あわせて30トンの水を3号機に向けて放水、作業は午後8時過、終了。
東京電力プレスリリース・HPがありました。(ので、上記の追記の一部に利用しました)
 http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/press_f1/2010/2010-j.html

3月16日:旧題<泥縄式の発表では、不安を煽るだけ>を改めました。
優秀な技術者集団であるはずの東京電力原発関連技術者の英知と諸外国の
原発関連技術者の英知を引き出し、いまの難局を乗越えてと願うばかりです。

3月15日:(定期検査中で運転していなかったから安全と聞いていた)
※4号機の建屋から15日早朝出火。
※燃料プールの(冷却水)が減り続ければ、放射能レベルの高い廃棄物を含んだ燃料棒が
露出する恐れがあると原子力安全・保安院の記者会見で云っていました。
(現在の高い放射線量から消火する人が近づくことができないそうです)

 福島第一原発全体。福島第二原発の1号機、2号機、4号機はいまどうなのか、
 こう悪くなったということは絶対に必要ですが、
 最悪の時はどうなるのかなどなども発表しなくてはならないのではないのでしょうか。

3月14日:朝日新聞を駅で買って電車の中でみていると、
太平洋岸沿いの15基の原発のいま(13日時点)の状態の一覧表の記事があり、わかりました。
(上記は其の記事を参考にしました。)
(※印は今日14日に、わたしがニュースで知った事実だけを追記しました)
帰宅後ラジオを聞いていると2号機も冷却システム停止したと官房長官が発表したと云っていました。

3月13日:TVをみていて、福島第一原発1号機、3号機の事ばかりで、
福島原発全体が今どういう状態なのかは触れていなかったので、
NETで東電のHPなどで全基の状態を調べたのですが、(わたしには)調べることができなかったのです。


3月21日雨。
3月20日曇り→(午後から)雨
3月19日曇り、晴れ
3月18日晴れ(氷はる)
3月17日曇り(氷はる)
3月16日曇り(小雪舞っている)
3月15日曇り
3月14日晴れ

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「更新の一枚」としては休刊に・・・

2011年03月13日 11時54分11秒 | カテゴリー以外
今回の東日本大震災。
友が仙台におり、いまのわたしには無事を祈ることしかできません。
昔々になりましたが、東北に10年ほど住んでいました。
震度7という強烈な揺れがあったという築館、津波に襲われ悲惨でしかない、いわき市に短期間ですが住んだことがあります。
当時の原ノ町市には、家族で住み市民病院で次男が生まれたのですが、その南相馬市の惨状をTVでみていると心が痛みます。
いまは救助を待つ多くの方々が、はやく救助されることを願うばかりです。

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流言飛語を慎んでほしいと、官房長官が云っていました。
福島第一原発に関する原子力安全保安院とやらの記者会見を2回ほどTVで部分的に生中継したものをみましたが、、
わたし(おそらく一般的な国民)が知りたい思う事柄、3号機の炉心溶融?は、被曝した人の数?は、どれほどの量?で被曝したのかなどなどについては発言しない、歯がゆい記者会見でした。
いま何が原子炉で起こり、どういう手段で不測の事態を防ごうとしているのかの情報をたびたび公表しなくては流言飛語が広まっていくのではと思うのですが。

3月13日、晴れ


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番外:多くの方々の無事を祈るばかりです。

2011年03月12日 09時12分30秒 | 神社寺院等
東北地方太平洋沖地震のTV中継をみているだけの(わたし)ですが、
多くの方々の無事を祈るばかりです。

昔、住んでいた原ノ町市(今は南相馬市になっていますが)、
わが家一家が住んだと思われる処は津波で見る影もありませんでした・・・多くの方々の無事を祈るばかりです。


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(鶴羽根神社)弁財天

鶴羽根神社境内にはいって二の鳥居の手前左手、手水舎の根際に弁財天さまは鎮守されています。
弁財天さまは、岩をも通す強い意志を示され、智恵・弁財・財福の徳がある神さまです。



(鶴羽根神社)弁財天

広島ぶらり散歩「牛田・二葉の里附近」編

3月12日、晴れ


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(饒津神社の)石水盤石燈籠銘・碑

2011年03月11日 09時23分43秒 | 各種記念碑等
二葉山山麓七福神めぐりで饒津神社を訪ねた1月下旬、
ここに説明板があったかな~~と思ったのです。(真新しい説明板ではありませんので以前に設置されたのでしょうが)
この碑の奥に「浅野長勲公頌徳碑」があるので、何度か訪ねていたのですが、
今回説明板を読むと、‘頼春水’撰の碑文だったのかと撮影したのです。

(頼春水撰)石水盤石燈籠銘・碑

広島ぶらり散歩「頼山陽関連」編

3月11日、晴れ (うすい氷はる)

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東区:(広島東照宮)福禄寿

2011年03月10日 22時06分01秒 | 神社寺院等
現在、二葉山山麓七福神のうちで雨露を防ぐ祠の中に鎮座されている唯一の福神さまです。
社殿の裏手に鎮座されていますので、
もっぱら七福神巡りでお参りされたとしても、拝殿(または、拝殿前)で参拝されそして裏手に周り福禄寿へとの道順が考えられている位置に鎮座されています。

(広島東照宮)福禄寿

広島ぶらり散歩「牛田・二葉の里附近」編
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西区:通玄山観音堂

2011年03月10日 09時27分28秒 | 神社寺院等
浅野藩士・寺西織部信之が、晩年己斐村に寓居し、
延宝2年加加桑山麓に「養志庵」「通玄堂」等を建立したと云われ、
これらと何らかの繋がりがあると推測できるそうですが、詳しいことはわからないそうです。

通玄山観音堂

広島ぶらり散歩「神社仏閣など」編

3月10日、晴れ(氷はる)

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東区:(尾長天満宮)寿老人

2011年03月09日 21時46分04秒 | 神社寺院等
随身門をくぐり再び石段を上って社殿前に来ます、
その社殿根際右手に寿老人は鎮座されてます。
時間があるということであれば、菅原道真公が当地に立ち寄られた時にお座りになったという石もあります。

(尾長天満宮)寿老人

(広島)二葉山山麓七福神めぐり
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(己斐西町に残る)防空壕跡

2011年03月09日 08時45分36秒 | 軍都広島関連等
2008年この近くの被爆した建物(爆心地から≒3010m)の浄修院を訪ねた時は、
この防空壕跡には気が付かなかったのです。
2010年交流ウォーク下見の時、己斐古城から下って浄修院に行っていた時に気が付き撮影したのです。


(己斐西町に残る)防空壕跡

広島ぶらり散歩「軍都・廣島関連施設戦跡など」編

3月9日、晴れ

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東区:(国前寺)大黒天

2011年03月08日 22時04分30秒 | 神社寺院等
國前寺の大黒天は、山門を入ってすぐ(左手)のところに鎮座されてます。
もっぱら二葉山山麓七福神巡りでお参りされたとしても、(国の)重要文化財である本堂を拝見してもそうそう時間はかからないのではと思いますので・・・


(国前寺)大黒天

広島ぶらり散歩「牛田・二葉の里附近」編
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(己斐の)越智堰碑

2011年03月08日 08時10分11秒 | 各種記念碑等
越智堰は、近傍住民の生活用水、周辺水田の灌漑用水を確保するための堰で、
その堰をこの地で代々庄屋を務めていた越智氏が、私財を投じて大正13年改修した記念碑として(越智氏の屋敷に隣接したこの場所に)建立したと云い伝えられているそうです。
八幡川の水位を川岸迄上げた最初の堰止め工事の年代は定かではないそうです。
この地に関わる記念碑ですから、
掘り起こして、碑文全部を見る事ができるようにするのも一つの方法ではなかと思いながら撮影しました。

(己斐上)越智堰碑

広島ぶらり散歩「水関連」編

3月8日、曇り

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東区:(聖光寺)布袋尊

2011年03月07日 21時22分09秒 | 神社寺院等
『二葉山山麓七福神』は、まだまだ歴史が浅いのですが、
広島ぶらり散歩「牛田・二葉の里附近」編には、やはり加えなくてはと思い編集しています。
布袋尊は、聖光寺の山門を入ってすぐ(右手)のところに鎮座されています。

(聖光寺)布袋尊

広島ぶらり散歩「牛田・二葉の里附近」編
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中区:(禿翁寺)被爆樹木・クスノキ

2011年03月07日 07時58分14秒 | 被爆樹木たち
今年「緑の伝言プロジェクト」発行の被爆樹マップをみていると、
ここ禿翁寺には『クスノキ、アラカシ、クロマツ』も被爆樹として紹介がありましたので
、資料にある‘など’の樹種がわかりましたので撮影に行きました。


(禿翁寺)被爆クスノキ、アラカシ、クロマツ

広島ぶらり散歩「被爆した樹木」編

3月7日、曇り(雨上がりの朝)

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東区:(鶴羽根神社)被爆樹木・イチョウ

2011年03月06日 09時54分11秒 | 被爆樹木たち
広島市市民局国際平和推進部作成の被爆樹木リストの資料を見ると、ここ鶴羽根神社の項では、爆心地より1810mで、マツ・クスノキなどとなっています。
‘など’とは、イチョウだと聞いた事がありましたが、社殿裏側に位置するので撮影できないな~と思っていたのです。
今年「緑の伝言プロジェクト」発行の被爆樹マップをみていると、
『社殿の右奥にあり、雌のイチョウ。樹高:18m、幹周2.67m』と黄葉した画像で紹介してあったのです。


(鶴羽根神社)被爆イチョウ

広島ぶらり散歩「被爆した樹木」編

3月6日、曇り

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(広島市立)舟入児童館まつり

2011年03月05日 19時50分13秒 | 雑関連
毎月第一土曜日は、交流ウォーク探検隊なのです。
きょうは、ひろしま遊歩のコースとしてまだ完成していない舟入地区を遊歩したのです。
(中國新聞から舟入地区を)ぐるっと回って、最後に舟入公園、舟入病院に立ち寄ったのです。
その時、(わたしが、原爆地蔵尊を探しに何度か訪れたときは)閑散としていた舟入公園、子どもたちが集まり、フリスビーやヨーヨーなどに興じていたのです。
聞くと、児童館まつりだったのです。
児童館の方に行くと、綿菓子の機械があり、子どもたちが、割箸を持ち綿菓子を箸にからめて綿菓子を作り、美味しそうに食べていました。

少し時間が空いた時に、(わたしたちが)よほど食べたそうにしていたのでしょう、「やってみますか」と声をかけていただきましたので、やらしていただきました。
交流ウォーク増田先生、片岡会長、両名とも子どもの時に帰った顔をし、食べておられましたので撮影しました。


(ブログに出す許可もいただきましたので掲載しました。わたしも子どもたちが小さかった時ですので、既に四半世紀も前になったであろうと懐かしんで、同じような顔だったのでしょう)。

(舟入公園)原爆地蔵尊
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(建物の中の)水琴窟

2011年03月05日 08時14分30秒 | 雑関連
わたしは広島市内での水琴窟は、
本逕寺に設置されているものをみた事しかありませんが、
建物の中の水琴窟は、珍しいものではと思いました。
この場所での水琴窟は、おしゃれな建築設計家の粋な着想かなと思いました。


(建物の中の)水琴窟

広島ぶらり散歩「水関連」編

3月5日、晴れ(氷はる)

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