(日本語での説明文)
原爆被災説明板 --広島瓦斯株式会社跡--
爆心地から約210(※250と現在広島市は云っています)メートル
鉄筋コンクリート造り地上3階、地下1階のこの建物は、
原爆の一撃により、南側の一部を残して崩壊し、屋内にた35人の職員は、全員が死亡しました。すさまじい爆風圧によって、各階の床と天井が1枚になって崩れ落ちました。
写真説明:広島瓦斯株式会社跡 佐々木雄一郎氏撮影
広島市中区大手町の元安川緑地帯に広島市によって建立されている「広島瓦斯株式会社跡・原爆被災説明板」です。
(原爆被災説明板や慰霊碑周りが綺麗に整備されているのは)
このような清掃員の方々のおかげでしょう
2000年に撮影して頁を編集していましたが、
2023年清掃員の方をみたので撮影したのです。
(裕編集)広島瓦斯株式会社跡原爆被災説明板
原爆被災説明板 --広島瓦斯株式会社跡--
爆心地から約210(※250と現在広島市は云っています)メートル
鉄筋コンクリート造り地上3階、地下1階のこの建物は、
原爆の一撃により、南側の一部を残して崩壊し、屋内にた35人の職員は、全員が死亡しました。すさまじい爆風圧によって、各階の床と天井が1枚になって崩れ落ちました。
写真説明:広島瓦斯株式会社跡 佐々木雄一郎氏撮影
広島市中区大手町の元安川緑地帯に広島市によって建立されている「広島瓦斯株式会社跡・原爆被災説明板」です。
(原爆被災説明板や慰霊碑周りが綺麗に整備されているのは)
このような清掃員の方々のおかげでしょう
2000年に撮影して頁を編集していましたが、
2023年清掃員の方をみたので撮影したのです。
(裕編集)広島瓦斯株式会社跡原爆被災説明板
7月9日(安芸区のわが家付近)くもり。風あり
29.2℃、67%
当初は、先の大戦や原爆などで働き手を喪った(主に主婦と思いますが)失業対策(失対)事業の一端だったのではないかと思います。
云われるように、
いまは、戦後79年にもなりましたので形態が変わっているのだろうと思いますが。
市がきちんと予算をつけて、清掃員の方も
働いてもらっているのでしょう。こうした
目立たぬところにも気配りあっての被ばく
の町としての存在感ですね。
以前このブログでも紹介した(工事用仮囲板に仮設的に取り付けられた)広島駅・原爆被災説明板でもそうですが、
外国人観光客はみつけ、覗き込みじっくり見ていました。
今回、このブログを見る外国人はほとんどいないでしょうが、英文を紹介してみました。
云われるように忘れてはならない出来事なのだと私も思いますので。
この地で何があったのか忘れられていくでしょうね。
亡くなられた方の無念さを後世に遺すためにも
説明板の重要性を思います。
その内にと思っていました。
丁寧な解説有り難うございました。