
広島県庄原市山内町に設置されているJR芸備線〔単線・非電化〕の「山ノ内駅」です。
※1924(大正13)年)9月20日駅開業時は、比婆郡山内西村の駅でした。
※1954(昭和29)年3月31日比婆郡庄原町+高村+本田村+敷信村+山内東村+山内西村+山内北村=庄原市発足
*三次鉄道部管理の無人駅で、ホームから離れた位置に待合所があり、
駅舎とは云えませんので駅舎は無人化と同時に撤去されたのではと思いましたが?

今回、「(庄原市山内町)原爆犠牲者之碑」を訪ねなかったらこの山ノ内駅を撮影しようとはならなかったのです。
駅前広場の大銀杏は、
広島・戸坂の陸軍病院から運ばれてきた原爆による負傷者の方々を見守っていたのではないのかと思いました。
(裕編集の)JR山ノ内駅
※1924(大正13)年)9月20日駅開業時は、比婆郡山内西村の駅でした。
※1954(昭和29)年3月31日比婆郡庄原町+高村+本田村+敷信村+山内東村+山内西村+山内北村=庄原市発足
*三次鉄道部管理の無人駅で、ホームから離れた位置に待合所があり、
駅舎とは云えませんので駅舎は無人化と同時に撤去されたのではと思いましたが?

今回、「(庄原市山内町)原爆犠牲者之碑」を訪ねなかったらこの山ノ内駅を撮影しようとはならなかったのです。
駅前広場の大銀杏は、
広島・戸坂の陸軍病院から運ばれてきた原爆による負傷者の方々を見守っていたのではないのかと思いました。
(裕編集の)JR山ノ内駅
9月12日(福岡市東区の)天候:はれ。
9月13日(安芸区のわが家付近)天候:はれ、くもり
30.5℃、74%。
この無人駅から当時の大変さを想像出来にくいのですが近隣の町村まで移送しなければならないほどの
数の多さと混乱ぶりがうかがい知れます。
銀杏の木から時の経過を感じております。
お疲れ様でした。
NET検索で山ノ内駅を検索してみましたが、駅前広場のイチョウを撮影した頁はありましたが、
・そのイチョウがシンボルツリーのように聳えていること、
・戦時中の悲惨な歴史もみていたはずだ
と云うような表現の頁が(わたしの拙い検索では)無かったので取り上げました。
疲れて、将棋王座戦中継をつけっぱなしで寝ていました。返事が遅れてすみませんでした。