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神石郡神石高原町:森田福市翁顕彰碑

2021年12月23日 10時25分03秒 | 原爆慰霊碑等
神石(じんせき)郡神石高原町牧に建立されている「森田福市翁顕彰碑」です。
*森田福市さんは、衆議院議員在任中の1945年8月6日に原爆で死去されたことから
(この碑は顕彰碑となっていますが)
わたしは原爆死没者慰霊碑にもなっていると考えて「原爆関連慰霊碑」編にも加えています。
※題の揮毫は、宮澤喜一(首相等歴任:1919-2007)でした。



帰宅後NET検索すると3人の衆議院議員が広島原爆で亡くなっていることを知りました。
また、「森田福市の生涯」が出版されており、わが区の図書館でも貸出可能な図書であったので、借り読んだところです。
著者・千葉清士さん(県立福山葦陽高校校長など歴任は、
この本の最後に
『軍閥政治を排し、軍備拡張に反対する彼(森田福市)の恐れを知らぬ勇気と固い信念を知れば、決断力と先見性をもって突進するその姿に、喝采しない者はいないだろう』と記しています。

(裕編集の)森田福市翁顕彰碑

12月23日(安芸区のわが家付近)天候:はれ


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2 コメント

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Unknown (ガーベラ)
2021-12-23 21:49:32
こんばんは 裕さん。

「森田福市の生涯」著者の最後の言葉に胸打たれる物があります。
戦争へと突き進んでいく時の政府に抵抗の意思表示を示したのでしょう。
民政から無所属に変わったのも昭和17年の衆議院選挙の時なのですね
大政翼賛会が幅をきかせていたときでしょうからその中で軍備拡張に反対する行動は並々ならぬ思いがあったのでしょう。
原爆で亡くなっていなければどの様な生き方をされたのか見てみたかったです。
現在と違う否ということ (裕)
2021-12-23 22:26:01
こんばんは、ガーベラさん。

戦争へ突き進んでいる軍部(国会)に対して否と云うことは
いまどきの戦争反対とは違う命の危機さえ伴うことだったと想像はできますが。
広島で衆議院議員だった方が原爆で亡くなったことを知ったのは、わたしの認識のなさを改めて知りました。

それは、“ろう者”の方々も原爆で亡くなっていたことなど考えも及ばなかったことに続けてのことでしたから。
http://masuda901.web.fc2.com/page2bx225.html

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