安佐北区飯室古市 国道261号線と旧鈴張街道(のはじまり)の三叉路の三角地に建っている、常夜燈と道標です。
常夜燈は、明治43年建立され、道標は、大正8年に建立されたものです。
久しぶりに見て撮影した道標でしたが、この辺りの土地勘がなく刻まれた町名(村名)などがわからずわたしには読み下せなかったのです。
(裕編集の)(養専寺前)常夜燈、道標
広島ぶらり散歩「道標など」編
常夜燈は、明治43年建立され、道標は、大正8年に建立されたものです。
久しぶりに見て撮影した道標でしたが、この辺りの土地勘がなく刻まれた町名(村名)などがわからずわたしには読み下せなかったのです。
(裕編集の)(養専寺前)常夜燈、道標
広島ぶらり散歩「道標など」編
6月30日(安芸区のわが家付近)天候:くもり(靄っています)
安佐北区いや、南区?
以前の水害を思い出す地名です。
道しるべ。大正8年。そうか
そんな時代でも作ったんだと
意外な思いです。
さて、今朝は曇り空。
これから回復していく
予報です。
そうです。(旧安佐郡)安佐南区の北に広がっていますので、安佐北区と名付けられたのでしょうね。
雨が降ると、避難勧告、その解除などなどのメールがしばしば入ります。
まだまだ砂防ダムが完成していないところも多く、災害復旧も道半ば・・・
地図の普及をまつまでは道標は貴重なものだった大正時代もそうだったようですね。
立派な常夜燈ですね!!
神奈川には、道路元標が見られそうな場所は3か所ぐらいしか見つけられませんでしたが
土地の旧名探しのほうが、楽しそうです。^^
常夜灯は江戸期が最盛期なのでしょうが、明治期にも造られたようですね。
いまの街燈のような役割なのでしょうね。
火袋が木造なので朽ちてつぶれますよね。
道標のもと、道路元標が旧町村の役場跡に残されてはいないでしょうか?
安佐南区を中心に、安佐北区でも死者を出した広島土砂災害、
先日新聞をみていると、災害関連の死者3名を加えて77名になったと広島市が発表していました。
今更ながら多くの方が亡くなったことを思います。