安芸区上瀬野の国道2号から旧道(旧西国街道)に入る処に建立されている「土方大作先生碑」です。
正面:土方大作先生碑
從三位勲二等 吉田賢龍書
裏面:(嵌め込みの碑文板が無くなっていますので碑文はわかりません)
昭和十年十月 建之
生存同窓生 二百五十名
瀬野川流域郷土史懇談会発行「瀬野・歴史散歩マップ」にここで取り上げた土方大作先生碑の紹介があったのです。
国道2号を走る車の中から見ていましたが、なかなか機会がなくて撮影することは無かったのです。
ことしになって、息子が撮影に付き合ってくれたので頁を編集することができました。
(裕編集の)(上瀬野小学校)土方大作先生碑
正面:土方大作先生碑
從三位勲二等 吉田賢龍書
裏面:(嵌め込みの碑文板が無くなっていますので碑文はわかりません)
昭和十年十月 建之
生存同窓生 二百五十名
瀬野川流域郷土史懇談会発行「瀬野・歴史散歩マップ」にここで取り上げた土方大作先生碑の紹介があったのです。
国道2号を走る車の中から見ていましたが、なかなか機会がなくて撮影することは無かったのです。
ことしになって、息子が撮影に付き合ってくれたので頁を編集することができました。
(裕編集の)(上瀬野小学校)土方大作先生碑
5月23日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
顕彰という言葉が当てはまるのか分かりませんが
多くの教え子達によって碑が建てられたのですね。
今では在職30年は当たり前の時代ですが
お人柄が偲ばれます。
碑文板が無くなっていますので、
云われるように顕彰碑であるかはわかりませんが、
広島文理科大学の学長だった方に題の揮毫を依頼したからには顕彰する者だったとのわたしの考えです。
上瀬野小学校と対をなす下瀬野小学校には桔梗先生の碑がありこちらは追墓碑となっています。
石碑で残すのが多数な時代だったのでしょうね。
現代は学校の先生が顕彰されることは少なくなったのかもしれません(犯罪を犯した先生の報道には躍起になる報道機関の姿勢があるのかもしれません)が、
現代なら胸像や銅像を建立することになるのではないのでしょうか。