本浦特有の曲った小道の一角に安置されています。
毛利時代からあったといわれ、観音寺と火葬場への道しるべとして建てられたという話や、昔この付近に出没した「かわうそ」のいたずらを封じるために建てられたという話が伝わっているそうです。
(本浦町の)案内地蔵
広島ぶらり散歩「神社仏閣など」編・全体
広島ぶらり散歩
毛利時代からあったといわれ、観音寺と火葬場への道しるべとして建てられたという話や、昔この付近に出没した「かわうそ」のいたずらを封じるために建てられたという話が伝わっているそうです。
(本浦町の)案内地蔵
広島ぶらり散歩「神社仏閣など」編・全体
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ここらあたり(本浦町も)道が狭く曲がりくねっていますので、道に迷ってしまうのではとなじみが薄いわたしは思うのです。
大河に住んでいた亡きオヤジは、ここのところを通って、
旧制の広島商業に通っていたのかもしれないと思ったりしました。
毛利氏の時代からというから
随分古いものです。何か記さ
れたものがなければわからぬ
ものですね。
今は舗装路の脇ですが、ここに
作られた頃はもちろん未舗装で、
もっと道幅も狭かったのでしょ
うね。