益田与一氏著「頼山陽と芸備の人々」を読んでいます。
交流ウォーク関係で(日宇那地区の)社倉を知り、
加藤缶楽(かとうふらく:1673~1738)のことから加藤の先生だった植田艮背が多聞院に葬られていることは知っていたので訪ねたのです。
以前交流ウォークで多聞院を訪ねたときに
頼家のお墓をご住職に説明していただいたのですが、わたしは頼山陽のことをよく知らなかったのでした。
植田艮背のお墓を訪ねた今回、植田艮背のお墓の下が頼家のお墓だったことがわかり撮影したのです。
(多聞院)頼家一族のお墓
広島ぶらり散歩「頼山陽関連」編
広島ぶらり散歩
交流ウォーク関係で(日宇那地区の)社倉を知り、
加藤缶楽(かとうふらく:1673~1738)のことから加藤の先生だった植田艮背が多聞院に葬られていることは知っていたので訪ねたのです。
以前交流ウォークで多聞院を訪ねたときに
頼家のお墓をご住職に説明していただいたのですが、わたしは頼山陽のことをよく知らなかったのでした。
植田艮背のお墓を訪ねた今回、植田艮背のお墓の下が頼家のお墓だったことがわかり撮影したのです。
(多聞院)頼家一族のお墓
広島ぶらり散歩「頼山陽関連」編
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