友人に薦められて読んだ「三たびの海峡」(帚木 蓬生:著)で、他国を占領していた時代の日本を知ると共に、「人間の価値」について考えさせられた。
正直なところ、できれば徴用工の方の実体験やドキュメンタリーのような本を読みたかったのだが、みつけられなかった。でも、この本は第14回吉川英治文学新人賞を受賞し、韓国で撮影されて映画化もされた小説なので、史実に基づいて書かれたものであると判断してよいだろうと思えた。
とにかく、多くの方がこの本をご自分で読んで下さることを願いながら、ここではこの小説から学べた「人間の価値」の部分を中心に感想を書いてみる。あらすじを書かないと意味が分かりづらい所もあるかと思うが、その時はココに映画のあらすじ紹介があるので参照してほしい。ただ、そちらを読むと最後まで分かってしまうので、ほどほどに・・・。
・寡黙な父が、マッコリを口にすると少し口数が多くなり言った言葉「天が崩れ落ちても抜け出す穴があり、虎に追われても生きのびる道がある」。この言葉が、主人公の心に残り、その後の主人公の将来に力を発揮する。(新潮文庫15ページから)
私にも、父親から残された言葉がある。「人は、ちゃんと向き合ってみれば悪い人はいない」という父が母親から教えられた言葉だ。それが今も、私の中に生きている。このブログで政権批判はするし、人のことを「あの人はダメだぁ~」と思うことはある。でも、この言葉のお陰で、「だから、この人は価値がない」と突き放すことを私はできない。なぜなら、(今は私とは違う道にいても、その人がそこに至った道を知って話し合えば、いつか同じ道を歩める人になるかもしれない)と、身体のどこかでいつも感じるからだ。それは、私が常に正しい道を歩いている訳ではなく、私が正しく歩くための支えにもなってきたと思う。そして、今、私自身が子ども達や周りの人に、同じように大事な言葉を伝えてきたか? と、この小説を読んで自信がなくなった。先も短くなってきたので、機会を逃さぬように、努力しようと思った。
・ この国(日本)は、ドイツとともに戦争に敗れ去ったくせに、ドイツのように分断されなかった。あたかもその身代わりであるかのように私の祖国(朝鮮半島)が南北分裂の運命を背負わされた。35年におよぶ植民地支配と、半世紀の分断国家という具合に、80余年にわたって、私の国は日本によって踏みにじられて来たといって過言ではない。しかもこの不幸はまだ終わっておらず、私自身はもう祖国統一の日をみることはできない。(中略)<水に流す>という表現は朝鮮語にもあるが、少なくともこれは害を被った側が発する言葉で、加害者は口にすべきではない。(さらに詳細:新潮文庫55ページから)
徴用工として日本で働かされ、終戦で日本人妻を連れて帰国したものの、妻が子どもと一緒に日本の家族に連れ戻されて離ればなれとなり、新しい家族を作り、ビジネスで成功した主人公。その主人公が成長した日本の息子に会うために3度目となる海峡を渡って来日。その時の主人公の言葉だ。
確かに。日本人は戦争や戦後の歴史、日本がアジアを占領した時があったことを、しっかり学んできただろうか?自信がもてない。ドイツは韓国・北朝鮮と同じように、2つに分断され、嫌でも戦争の傷跡を色濃く背負ってきた。常にナチスドイツへの反省と共に、過去を次世代にしっかり伝え続け、戦犯も執拗に追跡された。でも、日本は、主人公が思ったように、戦争に敗れたのに朝鮮戦争をバネに経済成長をし、繁栄の中で過去の反省を次世代に伝え損ねてきたように思う。広島・長崎を軸に被害者としての厭戦の思いはあっても、日本がアジアを占領した戦争の部分の伝承を避けてきたように思う。過去から学ばない人間は、同じ過ちを犯す。だから、日本人はもっとしっかりと歴史を学ばないといけない。
加害者から言う<水に流す>で触れられている話は、現在の長期政権が(日本の子どもたちが「愛国心」をもてるように、自虐史観から抜けださないといけない~)と歴史教科書を書き換え、侵略や占領の事実をごまかしたり、さらには、戦後70年の安倍談話、に象徴されている。
<日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります>(戦後70年の安倍談話)
「戦争を知らない人が8割になったから、(もう謝罪はお終いです。水に流して下さい)」と言うに等しい言葉。その後で、「しかし、~過去を受け継ぎ、~」と謙虚そうな口ぶりで付け加えているが、実際は、「全て賠償は済んでいる」という姿勢で、靖国参拝、教育勅語の復活、歴史教科書の書き換え・・・と、「過去を受け継ぎ」の意味が「過去への回帰」という「過去の事実に向き合わない正反対の方向」に進められているのが今の日本だ!!! 韓国や中国を刺激するような軍拡、最近では「敵基地攻撃能力が必要」などという恐ろしい議論までしはじめた。<水に流す>は加害者は口にすべきではない。 まさにその通りだ!
中国との国交回復に当り、中国が賠償放棄をした話は有名だが、そのことについて、竹内好氏の深い言葉がある。
「未来のために過去を忘れるな、という中国側(周恩来首相)の見解に対して、日本側(田中角栄首相)は、過去を切捨て『明日のために話合う』ことを提起している相違点である。……過去を忘れては未来の設計が成立たぬのは常識である。歴史を重んずる漢民族にとっては、ことにそうである。……過去を問わぬ、過去を水に流す、といった日本人にかなり普遍的な和解の習俗なり思考習性なりは、それなりの存在理由があり、一種の民族的美徳といえないこともない。……ただそれは、普遍的なオキテではないことを心得て、外に向っての適用は抑制すべきである。……この相違を主観だけで飛びこえてしまうと、対等の友好は成立たない」(ココから)
周恩来の広い心もちに比べ、<水に流して>の日本的思考を他の国に迫る日本の態度を、私は心から恥ずかしいと思う。日本の「謙虚」と「恥」の文化を現政権はかなぐり捨てて恥じるところがない。その嘘にも誤魔化しにも、責任逃れの態度にも、私は「恥を知れ!」と思う。こんな責任を取らない大人達がはびこる日本を、子ども達にどの口で「誇れ!」と言えるのか????
・若い主人公が苦境に陥った時、常に現れる「信頼できる大人」たち が、この本には、たくさん登場する。連行中の貨車の中で、主人公が尿の入ったバケツのそばで眠り、倒れたバケツで尿まみれになった時、自分のタオルで拭いて、自分がバケツを抑えて寝るからと場所を代わってくれた金東仁さん(28ページ)炭鉱で働いた時の日本人で「あんたたちが日本語なぞ覚えたくない気持ちも分かる。だが、知っているか知らないかは命の分かれ目になる」と熱心に日本語を教えてくれた島さん(69ページ)「この戦争は日本が負ける。そうなれば祖国は解放される、それまでは命を粗末にしてはいけない。死ねば犬死にだ」と伝えた朴さん始め、アリランで食堂を開いて助けてくれたハルモニほかの仲間たち(87ページ)(あんたは、炭鉱という所は手抜きをしていると、かえって災いが我が身にふりかかってくると甲さんに言ったな。俺は炭鉱の経験はないけど、分かるよ。甲さんは東京の大学を出ていて、日本語も達者だ。でも、無学だから身体で覚える。物事は学のある連中が計算するとおりにはいかない。あんたが言うのを聞いて、無学にも一理あると自信がついた)と話した黄さん(195ページ)炭鉱を抜け出して働いた工事の頭領が終戦で駆け落ちのように急遽帰国で抜け出した主人公に、同僚の吉田さんを詰問して事情が分かると、未払い日当と餞別を加えて吉田さんに託してくれた暖かさ(314ページ)身重の日本人妻を連れて帰ったものの、反日感情から家に拒絶された主人公夫婦を優しく受入れてくれた李爺さん(339ページ)
この本では、上記のような「信頼できる大人」が非常によく描かれ、その人たちは決して地位が高い人と限らない。今の日本でも同じだが、職業に貴賎はない。大事なのは、自分の仕事の中で、どれだけ誠実に正しいことのために力を出して働けるかだ。当然ながら、この小説には「信頼を裏切る人」や、自分の生活のために同士を裏切った人も出てくる。炭鉱で、日本人の手先となって働き、同胞を痛めつけた朝鮮人もいた。切羽詰まった状態の中で、主人公を守ってくれた人々のように、自分は正しい行動がとれるだろうか? この本は、読む人にそう問いかける。
・「歳月が人の身体と心に容赦なく刻んだ傷痕は、人の死と同時に消えていく。個々人の死滅によって、生身の物事は確実に忘れられていくのだ。残るのは血の通わない歴史でしかない。私の命が朽ちる前にやっておかねばならないことがある。それこそが、非常な歳月の力に抗う唯一の道であり、傷跡を永遠に残し、死んだ同胞たちの血と涙と労苦を活かす行為なのだ。それなくしては、人は忘却のなかでまた同じ轍にはまりこんでいくだろう」
核兵器禁止条約の採択、批准のために力を尽くした被爆者の方々の思いと通じる。その声に耳を傾けない政府は「忘却のなかで、また戦争への道を歩み、平和を踏みにじろうとしている」耳は2つ、目も2つある私たちが、歴史を語る声にしっかり受け止めないでいれば、世界恐慌のようなきっかけがあれば、人間はすぐに退化して過去と同じかドローンとか、ロボットとか攻撃する側の痛みが軽減された分、より残忍な戦争行為が起こるだろう。「自分が大事、自分の生活が大事、自分の国が大事・・・」という偏狭さが世界のあちこちでみられるようになっている。今のこの時代の現実から目を背けては、人間の破滅は近い。もし、戦争が回避できても、自然破壊は今も刻々と進んでいるのだから。核兵器禁止条約の日本や核保有国の署名、原発再稼働や辺野古の埋め立て停止など、人々の反対の声にしっかり政府は耳を傾けるべきだ。
・ 主人公の妻が家族が連れ戻しに来て子どもと一緒に日本に連れ帰らされた後の主人公が実業家になるまでの話は、371ページから数ページにまとめられているが、隣国の歴史を私たちは、十分知らない。平和ぼけした日本人は、あまりにも戦争のことに無知で、上に書かれた「血の通わない歴史」ですらも十分に知らないでいるのではないか。そう思って、朝鮮戦争とかアジアの歴史から勉強し直してみようと思った。
・ 「あのとき、私が彼を殺さなければ自分が殺されていました。しかし、時が経ち人を使う身になってみて、あのての男も、非常時が作り出した被害者のひとりではないかと、時々思うようになったのです。平時であれば、(彼も)ごく平凡な市民として一生を送れたのではないか」(456ページ)
これは、最初に書いた私の父からの言葉を思い出させる言葉でした。最初から悪い人なんて、世の中にはいない。とても共感できる言葉として、この主人公の言葉は印象的でした。この本で残念だったのは、この本の結末が、この気持ちに貫かれているとは思えないシーンで終わったことだ。結末に納得がいかなかったので、本の感想サイトでは星を一つ減らした4星にした。
さあ、興味を持ってこの本を読んでみようかと思って下さった方、徴用工の問題を考えてみようと思う方、日本の占領の歴史を勉強しようと思った方が1人でもいることを願っています。
そして、締めの言葉は、この小説の最後の言葉。
<生者が死者の遺志に思いを馳せている限り、歴史は歪まない>
森友問題の赤木さんの遺志を無視する長期政権の下では、歴史は虚しく繰り返される危険がいっぱいだ。
追伸)徴用工問題では <中国は1972年、日本との国交正常化の時、共同声明で「中国政府は両国の友好のために戦争賠償請求権を放棄する」と宣言した。日本企業らはこれを理由に法的責任は否認しているが、個人に和解の形式で補償したり謝罪をしてきた。しかし、日本は植民地時代の朝鮮人強制動員は、1938年に導入された国家総動員法による適法な行為であり、被侵略国中国とは事情が異なるという主張を守っている。三菱マテリアルは、中国人および連合軍捕虜強制労働被害者に対する謝罪と補償の意思を明らかにしながらも、韓国人に対しては拒否した。新日鉄住金は補償の性格の金銭を韓国人側に支給したことがある。この企業は、1945年に米軍の砲撃で釜石製鉄所で死亡した韓国人11人の遺族たちに、97年にそれぞれ200万円の「慰霊金」を支給した>という事実にも目を向けてほしい(ココから転載)。
日本政府は、戦時中の徴用工に対する賠償を命じた韓国最高裁判決が出た直後、国内の商社やメーカーなどが参加する会合で、「問題は日韓請求権協定で完全に解決ずみ」との見解を示し、「官民が連携して本件に当たりたい」と強調。日本企業が被害者との和解に動かないようくぎを刺したという。官房長官だった菅氏が会見で、「中国の被害者とは和解したのに、韓国の被害者とは和解できないのか?」と聞かれ、「政府の立場で発言することは控えたい」と理由の説明を逃げたそうだが、ココの記事で詳細を読んでみると、日本政府がこの動きを主導したことの是非が問われることになる。