今年は戦後75周年の節目の年にあたる。
私も含めて、もう戦争の記憶をもたない人が日本の大半となった。それでも、私は、渋谷の駅で傷痍軍人が座り込んでいる姿も覚えているし、祖父母が家のそばにいて、母の長兄は戦死したこと、次兄つまり私のおじさんが片手の先を失ったのは、落ちていた焼夷弾を触ったからだとか聞かされて育った。
ところが、今は過去を知る年寄りは同居せずにホームに暮らすことも多く、そもそも祖父母ですら戦争経験がない人が大半になった。
戦争について知るチャンスは、平和イベントや、広島や長崎への平和大使派遣や修学旅行だろうか。 ところが、コロナウィルスの蔓延で自粛が広がり、今年はほとんどの平和イベントが中止となり、修学旅行も平和大使派遣もままならない。
そんな時だからこそ、自分の家で平和について学べるいい教材として、「日・中・韓 平和絵本」シリーズをお薦めしたいと思う。
「日本が戦争被害を与えた中国、韓国の絵本作家と、共同で絵本を作ろう」という絵本作家・田島征三さんの発案に応じて、田畑精一さん、和歌山静子さん、浜田桂子さんとこの絵本を作る動きが始まったのは、2005年のこと。戦後ちょうど60年の節目の時だ。 3カ国にまたがる大プロジェクトとなり、できあがった平和絵本シリーズ。1作目は韓国で2010年から出版が始まり、日本では、2011年から順次本が出されていき、現在その内の10冊が 童心社から下のように「日・中・韓 平和絵本」として出されている。
日本では、戦争が広島、長崎、東京大空襲など、被害者として描かれることはあっても、特に子どもたちに向けて日本が加害者である過去について教えることはあまりなかった。 でも、日本が戦争の被害者としての過去を伝えているように、アジアでも、過去の戦争の歴史が子どもたちに教えられ続けている。 日本で過去に加害者になった戦争のことを伝えていないのでは、将来彼らが アジアの人々と本当の信頼関係を築くのが難しくなるのでないか。 外国に6年滞在したことがあり、そこでアジア人の友人と親しく付き合った経験のある私の実感として、日本の歴史教育には大事な部分が欠けては外国では通用しないと思う。
この「中国・韓国の絵本作家との共同の絵本作り」の存在は、その解決の糸口を提示してくれる存在として、希望が感じとれた。
「日本人からこのような平和絵本の企画がでたこと」は、中国や韓国からも歓迎されたとのことで、日本の4人に 中国・韓国のそれぞれから4人の絵本作家と、各国1社ずつの出版社が決まり、2007年には、中国の南京市で一堂が会して、絵本の作り方が決定されたという。
以後、1人1冊の平和絵本を作ることになって、12人の作家が それぞれが試作本をつくり、それらを見せ合いながら、問題点や意見の交換がなされ、修正しては試作本を出してまた話し合う作業が繰り返されて作り上げられたという。
日本では、10冊は童心社から、11冊目の「花ばあば」は慰安婦を扱うという特殊な事情もあって、クラウドファンディングによって2018年に「ころから」発行として出されている。
*話がやや逸れるが、慰安婦の本を子どもたち向けの本にだすことについて、日本では子どもに理解できないのでは? 例えば、この本を読む時、性について聞かれたらどう伝えるのか、戸惑うことになるのでは?と予想された。
だが、偶然にも最近の新聞で、子どもに対する性犯罪に警鐘をならすシリーズ掲載がある中で、少し認識を改めた。<日本では性教育が遅れていて、ユネスコなどが、5~18才を4段階に分けて必要な知識を教える性教育指針を出している。そんな中で、妊娠や避妊についても中学生までに教えるのが国際基準になっている>というのだ。
具体的な性的行為やリスクについて教えられていないと性被害を受けても子どもが十分に理解できず、声を上げられないとの懸念が書かれていて、なるほどと思った。 日本だけでは気づかなかった日本の性教育の問題。そんな別の角度からも、他国との文化の交流によって、改めて幸せに生きるための知恵を互いの交流の中で学びあう大切さも見えるように思えた。
さて、日本人の私としては、中国や韓国の絵本作家が平和をどのように描くのかは、非常に興味深かった。 印象としては、中国、韓国の絵本は非常によく考えられていて、日本人が読んで非難をされているように感じられるものは1冊としてなかった。 先に説明を書いた「花ばあば」も、ベースに流れる認識として、(日本が犯しただけでなく、戦争にまつわる性犯罪は他国でも起こり繰り返されていた)、それが戦争がもたらす悲劇なのだと考えて描かれている。
また、南北の非武装地帯についての絵本もあり、今韓国では慰安婦や強制労働などで反日が強まっているような報道もあるが、<韓国にとって戦争の悲劇の象徴は朝鮮戦争による南北分断問題なのだ>ということが伝わってきた(「非武装地帯に春がくると」)。
さらには、韓国の絵本作家が、自分の文章に絵を付けるのでなく、在日韓国人の作家の文章に韓国人が絵を描いたものもあった。この絵本では、日本に暮らす在日の被爆犠牲者の家族と、日本人の女の子の交流が描かれており、日本の子どものみならず、大人にも、自然な形で在日の人々の存在やその歴史的背景を考えさせ、再認識させてくれる。 戦争や平和について今のこととして考える、いい入り口になるよう丁寧に描こうとした深い配慮のある作品だと感じた(「春姫という名前の赤ちゃん」)
また、日本が戦争の直前まで中国と交流があったことを自然に理解させ、個人では絆で結ばれながらも、国として闘うことになったことを描いた絵本からは、個人が戦争に反対していても、大きな力が動くと個人が分断されていく「戦争の悲劇」が、しっかり伝えられている(「父たちが生きた日々」)
さらには、日本の侵略を描くのでなく「長沙大火」を題材にとって描かれた絵本もあった。そこでは、戦争では敵軍に対して一物も与えないための焦土作戦で自らの街を焼くような悲しい作戦もあることを告げる形で、戦争の非道がこどもたちに伝えられていた(「火城」)
日本の絵本の中では、先日亡くなられた田畑精一さんが自伝的な「さくら」を描いていた。 自分が子どもとして育ってきた戦時中の学校や生活を描く中で、(自分の過ごした日々が、他国にとってはどんな意味をもったのかについて考えてこなかったこと) でも、振り返りそこに言葉を足すことで、過去を問い直し、戦争と自分の過ごした日常生活が繋がっていたことを伝えている。 読んでいると、今、わたしたちの送る日々の生活はどうなのか?と田畑さんに問われているのを感じる。
コンセントの先にある福島のことを考えずに危険な原子力発電の電気を無批判に使ってきた自分の生活、生産者の顔を思い浮かべることなく安い商品に飛びついてしまう消費生活などへの反省の思いが直接描かれてはないが、重なった。
<作る人にも、消費する人にも安心・安全であるために、適正な価格で取引が行われるフェアトレードや、地産地消、反原発。人は人としっかり交流して互いに助けあって生きなければならない>など、本を通して考えさせられた。(「さくら」)
そして、この平和絵本シリーズの中心に輝いているように思えたのが「へいわってどんなこと?」だった。<この絵本には、中国、韓国、日本のたくさんの仲間の意見や平和への思いがいっぱいに詰め込まれている!>と思えた。
<平和絵本は、戦争の「悲惨さ」を描き、平和の大切さを伝える>というイメージを払拭し、明るく力強く、希望がもてる平和絵本となっている。
戦争の悲劇や悲惨さを伝えるだけでは何か足りない。< 平和を「戦争がないこと」と消極的に捉えるだけでは、実は戦争はなくならないのではないか>。そんな思いから作られたこの絵本には、<平和な世界をどうやって作ったらいいか、子どもたちに日々の生活の中で考えられる知恵>が詰まっている。
自分がご飯を食べているとき、「だれでも ごはん食べられているかな?」と世界のこども達もごはんを食べていることに気づける優しさ。 日々の生活でいやなことがあっても、そのままにしていいのかな? 「いやなことがあったらどうする?」と対処法について考えるきっかけも与えている。 「自分がわるいことを うっかりしてしまったら、どうする?」と自分のミスについての対処法についても、考える機会を与える。 宗教の違い、障がいや髪の色、国籍、文化、いろいろな子どもたちが世の中にいても、一緒に楽しく遊べる世界が描かれている。
いのちのたいせつさを伝え、「だから ぜったいに、ころしたら いけない。 ころされたら いけない。 ぶきなんか いらない」 と明確に直球の言葉が大人達にも届けられている。 武器は、人を傷つけ、殺す以外の目的をもたない、という紛れもない事実。だから「いらない」 なんと直接的な力強いメッセージだ!
最後の2ページの素晴らしいメッセージについては、読む方のお楽しみにとっておきたいと思います。是非、ご自分で絵と共に味わって下さい!!!
正直なところ、コロナウィルスで自宅待機に迫られる中で、早い時期から児童虐待や家庭内暴力、こどもの栄養不足の増加が心配される声が上がったことに私は驚きました。 特別な事例だと思っていた悲劇が、家庭内の非日常ではなく起こっているという事実。7人に1人の子どもが貧困に晒されているという日本。
いらないどころか人を傷つけ、脅かすだけの武器に払う予算があるのなら、おなかの空いた子どもたちに美味しいご飯をたべさせるのが人間としての正しいお金の使い方だろう。いのちの危険に迫られている世界の子どもたちにも、もっと幸せを分け与えられるだろう。
この最後のメッセージは児童虐待に合っている子どもや、いじめに合っている子ども、傷ついたり、心を痛めているこどもたちにも、大事なメッセージになっている。
楽しい平和のイメージを、浜田さんは黄色を使って表現しているそうだ。そして、黄色の色に溢れたこの絵本を抱えて、中国、韓国、メキシコ、キューバ、北朝鮮に行って、こどもたちと一緒に絵を描き平和について考えるワークショップを続けてきたそうだ。
「抑止力」という言葉で武器をもつこと、軍備を強化することを正当化する人々が私の周囲にもたくさんいる。でも、人間にとって大事なのは、皆が生きていけるようにいろいろな仕事をし、生産をし、それに対してちゃんと楽しく生きていけるだけの収入や糧を得られること。 皆がそれぞれに満ち足りた生活を送ることができ、違いのある人々とも交流して、違いを楽しんで生きることができる社会になれば、そこに平和が生まれ、武器など無用な社会が実現できる。
1部の人が、富を独占する歪んだ社会は止めにしよう。<自分だけの利益、自分の国だけの利益を追って、幸せになれない> そんなことは、もう誰もが分かってきたのではないだろうか? 国境を超えてコロナウィルスが蔓延したことで、人々の生活がいかに国境をまたいで広がっているか、事実として分かったはずだ。
自然災害も、世界的な視野に立って対策をいますぐ講じて行かなければ、グレタちゃんの言っているように手遅れになる。
国という狭い視野に立って、軍備に何兆円をかけている国は尊敬されない。でも、世界の視野に立って軍備費を温暖化や、困っている国の援助に使えば、世界の人々はその国を尊敬するだろう。 武器を握って「これなら攻めてこられないだろう」と言いながら握手を求める人に、手を差し出せるだろうか。そんな人に尊敬の気持ちを抱くだろうか。
人類は武器の所持をやめ、「抑止力」が平和を作り出すなんて、子どもに説明できない詭弁をやめるべき時にいる。
是非、平和イベントの少ないことしの夏。皆さんで平和絵本を手に取って、子どもや家族、友達と、「へいわってどんなこと?」 話し合って見て下さい。