ゆきんこブログ

月刊ガソリンスタンド誌
『変化と試練が、人と企業を強くする』
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禁煙エリア拡大

2007年04月30日 06時16分53秒 | Weblog
これからは「愛煙家」という言葉は死語となってしまいますね。

今度はタクシーで全面禁煙だそうです。

煙草は酒などと違い他人に迷惑を及ぼす事。煙自体の残臭が嫌煙家に嫌悪感を与えてしまう事などいろいろ問題はありますね。

中古車でも、禁煙車両か喫煙車両かで評価も変わるそうです。

しかし、私は愛煙家。

これまで何度か禁煙を試みましたが、失敗しては逆にリバウンドでチェーンスモーカーになってしまう有様。

「百害あって一利なし」といわれますが、ストレス解消では結構煙草に依存しています。

自宅のそばにJTの大きな工場がありましたが、閉鎖されまして最近なにか大きな建築工事をしています。いったい何ができるのだろうと、どうでもいい事ながら気になります。






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2 コメント

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禁煙エリア拡大 (禁煙家)
2007-04-30 07:38:47
禁煙家には肩身の狭い時代になりましたが、そう言えば昔・・・
ラリー競技の「スペシャルステージ」全開走行中!おもむろに煙草に火を付け運転した人の話を聞きましたが・・・
やはり血は争えないんですね?
ハハハ。
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天才 (ゆきんこ)
2007-05-01 14:54:44
あいつ(栄治)は、車の運転に関しては「天才」でしたね、俺と加勢が二十歳のときにあいつが18歳で車の免許を取りまして、一ヶ月でJAFのA級ライセンスを取りそのまま一週間後に筑波サーキットへ行って、当時では花形だった、フォーミュラーJの「NETスピードカップレース」に参加したんだよ。

当時サンデースポーツとかでテレビで放映されました。
(今の10チャンネルがNETとか言ってた時代です)

当時、弟にフォーミュラーカーを買ってやった親父も今考えたら凄かったね・・

筑波のピットでホイヤー製のストップウォッチを首からかけて「栄治!!行け~ぇ」って大声で叫んでましたね、

加勢と俺はのどが渇いても水が無くて大変でしたよ。二人でコーラを買ってきてがぶ飲みしていましたね、

当時から、他のチームはみんなピットにはサービス車両が来ていて、飲み物や食べ物を準備していたのです。

俺たちは、トヨタダイナの2トン車にフォーミュラーを積み込んで握り飯を持って出かけたものです。

他のチームには応援に可愛いオネェチャンも来ていて、俺と加勢はよそ見ばかりしていました。今考えるとあれが、レースクィーンのはしりなのでしょうかねぇ~。

なんたって当時は日本のフォーミュラーレースの草分けです。顔ぶれも凄かったよ、中島悟、高原敬武、も参戦していたような気がします。堀オトキチなんてふざけた名前の選手が速くてびっくりしましたが、最近テレビに出ていたのをみたら片山右京の師匠だったんだね・・・。

はぇ~訳だ!!

加勢のクスコインプレッサが現在スーパーGTに参戦して頑張っていますが、夢のようです。

当時、長野県で早くもないのにドリフトで滑ってばかりいたのが、コスモ石油のスポンサーでホンダシビックに乗ったドリ●●の今では有名な○○クン。

コスモ石油の本社がある東芝ビルでお披露目をしたんだけど当時は誰も振り向いてもくれなくて・・・

とにかく、栄治と加勢は日本のモータースポーツの黎明期を駆け抜けたサムライでした。
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