“人間”とは何ぞやということにつきまして、
私の探求は続いています。
「人間の実相は神の理念である」このことについて
今日も調べたことを報告します。
(参考 神癒への道 谷口雅春 日本教文社)
【迷いの心の眼を以て観た場合に神の造り給うた本当のすがたというものは覆われてしまって、或は歪んでしまって、変にいびつに見えて、不快な姿に現れて来る訳であります。それが悟の眼を以て、五官のレンズをかけないで、生命と生命とがカチカチ触れる底の眼で直接ものの本当のすがたを観た時に、此の人間は完全な歪みなきところの人間に見える。すなわち「神の子」の本来健全なる姿が見えるのであります。病人は本当は無いのです。神の理念に依って、理念そのものでつくられているのが人間であります。神の理念を言い換えると仏性とも神性とも申します。人間は仏性であり神性でありますから、未だ曾て病気をしたこともなければ是からも病気をすることがない。また未だ曾て迷ったこともなければ是からも迷うと云うこともない。ですから、人間は今迷っているのでも、これから救われるのでもない。初めから神の理念であり、神の「いのちの波」でありますから、その儘で如来である。「如来」と云うのは真如―真如というのは『マコト』本物そのまま、実在ですね―「如」はさながら、実在のその儘のそこから生れて来た―来生して来たので、如来と云うのであります。】
私の探求は続いています。
「人間の実相は神の理念である」このことについて
今日も調べたことを報告します。
(参考 神癒への道 谷口雅春 日本教文社)
【迷いの心の眼を以て観た場合に神の造り給うた本当のすがたというものは覆われてしまって、或は歪んでしまって、変にいびつに見えて、不快な姿に現れて来る訳であります。それが悟の眼を以て、五官のレンズをかけないで、生命と生命とがカチカチ触れる底の眼で直接ものの本当のすがたを観た時に、此の人間は完全な歪みなきところの人間に見える。すなわち「神の子」の本来健全なる姿が見えるのであります。病人は本当は無いのです。神の理念に依って、理念そのものでつくられているのが人間であります。神の理念を言い換えると仏性とも神性とも申します。人間は仏性であり神性でありますから、未だ曾て病気をしたこともなければ是からも病気をすることがない。また未だ曾て迷ったこともなければ是からも迷うと云うこともない。ですから、人間は今迷っているのでも、これから救われるのでもない。初めから神の理念であり、神の「いのちの波」でありますから、その儘で如来である。「如来」と云うのは真如―真如というのは『マコト』本物そのまま、実在ですね―「如」はさながら、実在のその儘のそこから生れて来た―来生して来たので、如来と云うのであります。】