Yoshikoの『リビング』へようこそ

16年間脳梗塞後遺症の夫と101日間世界一周クルーズをした。その記録を「リビングを船に乗せて」として著す。

タイガーマスク現象

2011-01-16 | 日記
 2010年の暮ころからこの現象は始まったようだ。

孤児院とか、施設に「伊達直人」と言う名前でランドセルや、学用品が
送られてきたのだと言う。
それがマスコミで取り上げられるとあちこちで「真似」をする人が出て
伊達直人の名前は善を働く人の代名詞となり有名になった。

タイガーマスクとは梶原一騎氏原作、辻なおき氏作画のプロレス漫画
およびアニメなのだそうだ。

タイガーマスクはプロレスラーの名前だがその本名が伊達直人である。
伊達直人は孤児であったが悪役レスラー養成機関の「虎の穴」と言うところに
スカウトされ外国で修業を積む。
そしてタイガーマスクと言う名前でプロレス界にデビュー。

収入の一部を自分が世話になっていた孤児院に寄付するようになったという。

今や、日本中毎日伊達直人は出現し、1月15日現在、届けられたランドセルは
752個、寄付金は3240万円。1056件、伊達直人は現れたと言う。

日本人は寄付をするのを恥ずかしがる人が多いと言われる。

まあ、そういえば今直ぐ施設に寄贈品を届けるのはちょっと恥ずかしい・・。
そうなるとこのブームに乗れば日ごろの気持ちを恥ずかしくなく実現することが
出来ると言うわけである。

寄付だけではなく何か人のために支援しようという輪が広がって
勉強を見てあげている学生のグループも紹介された。

何か災害が起こるとすぐ飛んでいく人もいる。
一人では気持ちがあってもやりにくいことだが便乗すると自然に善をおこなうことが
出来ると言うことであろうか・・。


寄付もアメリカは年間19兆円と言うが日本は5000億円とNHKは
報道していた。税制の問題もあるとか・・。

人のために何か力になってあげられること、それが自然にできたら素晴らしい。
日本人はそういう優しい心を持っているのだ。
一時のブームでなく、定着するといいと思う。

電話

2011-01-15 | 日記
 『電話は何時ころまでしてもいい?」と聞くとたいてい
『うちは遅いのよ~。12時前に寝たことがないから・・」と言う返事が返ってくる。
「そうね、10時には寝るからその前に・・・」なんて言う人はいない。

まるで早く寝てしまうのがいけないようで遅くまで起きているのがステイタス?みたいな~
とはいえ、よほどのことがない限り、よほど親しい人でない限り、9時代にかける。

昔、携帯がなかった頃はダンス界では真夜中の電話は当り前だった。
何しろ、夜は11時ころまでダンスの練習で捕まらないからだ。
理事会の相談など、11時過ぎが当たり前でその時間でもまだ帰宅していないこともあり、
そうなると家人に迷惑をかけるので気をつかったものだ。

近頃は携帯があるので踊っているときは気がついてもらえないが掛けておけば
折り返し、連絡が来るので助かる。

9時代後半にかけるとたまに
「はい~」と言う声が明らかに寝ていたことを知らせる寝ぼけた声が聞こえる
ことがある。それを察して
「寝てた~?ごめんなさい・・」と言うことになってしまう。

どうもばつが悪い。

携帯があるから便利になったとはいえ、電話は勝手に相手を呼び出すから
私は好きではない。メールが便利である。


暮れに日野原重明先生のお話を聞いた時先生が相手のことを
思いやれと言うことでつぶやくようにお話になったことがあり
私ははっとした。
「私は夜寝ているときに電話をもらうと、必ずベッドから起き上がって
「もしもし」と答えます。起き上がって対応すると声も元気になるんですよ。
「もう、お休みでしたか?と聞かれても「いやいや、まだちょっと書きものをしてましてね。
と相手を安心させるんです。」と言われた。

なかなかできることではない。

人間国宝のような人々のお手本の先生はそのような立派なお話をどんどん聞かせてくださるのは
ありがたいことだと思った。

葉山でおしゃべり

2011-01-14 | 日記
 朝、バスと電車に乗って出かける。風は少ない方だがホームで待つときが
一番寒さを感じると私は思う。 


今日のグルメの会は珍しく葉山の友人宅に集まることになったのだ。
途中まで電車で友人の車に拾ってもらう。春の海・・・というには少し
寒い海岸線を走る。

お食事は鎌倉惣菜と言う鎌倉の有機野菜を使ったケータリングに頼んだ。
献立は
古代米入り塩結び、玄米みそ焼きお結び、岩手産鶏肉ロール菜の花槇、
大豆唐揚げの黒酢あんかけ、4種の大根マリネ中華風、フェタチーズとキャベツのサラダ
ニンジンのサラダオレンジ風味、キッシュ2種などなど。

ケーキは葉山ボン・ジュールの特製。おいしかった。

彼女宅の食器がすばらしいものだ。上手に写真が撮れす、申しわけなかった。


時間を気にせずゆったりとおしゃべりをする。レストランで気兼ねをするより
のんびりと過ごせて嬉しいひと時であった。

いつまでみんな健康に過ごせるか、これから一日一日を大切に過ごしましょうと
念頭のあいさつをしたのは言うまでもない。

あっと言う馬に時間が経ってしまい、あわてて再び車の人になる。

だいぶ日が長くなったが水平線に太陽が沈むところであった。


江の島に近付くと最後の一瞬に間にあった。車の中からだから上手にとれなかったのだけれど。


帰りは小田急江ノ島駅から始発の急行に乗れてラッキーだった。
駅は竜宮城のようだ。本当に今日は竜宮城に行ってきたような楽しい楽しいときが流れた一日だった。

昼下がりのダンス

2011-01-13 | ダンス
 競技選手は朝から練習場に行くのは珍しくないが、勤めている
年齢であったら休みの日以外は練習は夜になる。
平日の昼下がり、近くのダンススタジオに踊りに行く。

曜日が決まっていると顔ぶれは同じだが私たち、仲良し3人組は
月一回と決めている。明るいスタジオは毎日通っている元気印の
人を始め、みな元気で明るい人ばかりだ。

マスターが順番に踊ってくれるが私たちは男性一人、女性二人なので
バランスがちょうどよく楽しめる。数年前100人以上集まって練習するところで
私たちは出会ったのだった。もう一人の女性と私は仲良しで一緒の行動をして
いた。

順番に男性が踊ってくれる練習会で、たいていの男性は
「私はうまいでしょう?」と言うムードをひけらかす。
うまく合わないと女性のせいにする。黙っていてもそのような
満足度、不満足度はお互いによくわかる。そして「教え魔」と
なる人もいるのだ。

もちろん
「あなたは相当月謝を払ったでしょう」とか
「素晴らしい、お上手ですね」と声をかけてくれる人もいる。

その駆け引き、社交は難しいのであるがそんな中私たち二人は
身体がしっかりした、静かな紳士を見つけ出した。

なんとなく、踊る回数が増えてとうとう1年ほど前から
一カ月に一度の集まりを約束するようになった。

かわいい”仲良しグループ”である。

踊っているところは写真を撮れないのでほんのちょっとだけ・・。
 
今日はアメリカの友人が作ってくれたネクレスをして行った。

アメニティグッズ

2011-01-12 | 旅行
 ホテル、旅館に備えてあるアメニティグッズ。
洗面所にある歯磨きセット、剃刀、櫛、シャワーキャップなどを指すのかと思ったら
サービスで置いてある日本茶、紅茶、コーヒー、などのセットも入るらしい。


何人かで泊まった場合、タオルや歯ブラシセットなど自分のものを持ってきた人も
最後に誰かが
「これ、誰の分?」と探してくれる。
「いいわ~家に一いっぱいタオルあるから・・・」と言っても
「あら、この小さい薄いタオルは使いやすいのよ~台フキンなどに・・」
「あら、そう?」
と言って主婦はばっちり持って帰る。

都内のホテルでも上等なバスジェル、お風呂に入れる入浴剤・・など
たくさんある。化粧品は自分のものを持って行き、ほかのメーカーの
物を使ったら肌に合わないと思いながらお持ち帰り用の袋も付いているものだから
「このローションは身体につければいいわ」なんて思ってつい大切に持って帰ってくる。

家の中はそれらのグッズでいっぱい。

でも旅の思い出なので見ていると懐かしく、いとおしい。

沖縄の高級ホテルの可愛いグッズは並べているだけであの潮風いっぱいの
南国ホテルを思い出す。ひそかな楽しみである。

最近泊まった東急ホテルズチェーンではグリーンコイン制度ができていた。

地球環境活動に参加するためホテルに備えてある対象グッズ(歯ブラシ、櫛、
シャワーキャップなど)を全く使わなかったとき
部屋のコインをフロントの回収箱に投げ入れるのだ。

年間で集められたコインの枚数分の基金をホテルが緑化運動基金として
寄付するのだそうだ。

よい制度だが手ぶらで泊まれる便利なホテルがいいのに、歯ブラシも
持参するのなら(使っていけないなら)不便だと思うけど・・。

歯科閉院

2011-01-11 | 日記
 20年来世話になっている歯科医院の閉院の知らせが来たのは一カ月ほど
前であった。
私は歯医者を選ぶのは個人的な歯科医院より、なになに会に属する、複数のドクターがいる
ところがよいと思っている。

その昔、親知らずを抜いてもらうとき、個人のドクターのところで口が裂けるほど
大騒ぎをしても抜けず、失神寸前の苦しみを味わった。
また、個人経営だとメスやら器具をさっさと新しいものに変えず、(経費に影響?)
もう一回もう一回と使っているような気がする。

なになに会に属して、雇われているドクターは直ぐ新しい器具を要求するような気がするのだ。

そんなことから20年間安心して口の中をまかせていたのに、どういう理由か、
少し患者がへっているかな?とは思っていたのだが・・。

今のところ、歯の調子がよいけれど、最後にもう一度チェックをお願いしようと
思っていたのだが一日、一日と経ってとうとう閉院前日となってしまった。

先生から「今日で終わりです」との電話が入った。
先生は終わりでも、病院自体はもう一日ある・・・次の先生の診療先のはがきが
見当たらないので飛んで行った。

ところが病院はすべて名前など消されて連絡先の電話が書いてあるだけだった。

その電話をメモして帰ってきたのでまだ一筋の希望はつながっているのだが
今後、年をとっていくのだからせめて、歯医者さんくらいは車を使わず、歩いて行かれる近くに
しようか、それとも遠くても慣れている先生を頼って行こうか・・・迷っている。

服装

2011-01-10 | 日記
 「よく女性は”着る服がない”と言っていますが箪笥やクロークには山ほど
洋服があるんですよね・・」とテレビから女性評論家の人の声が聞こえる。

「そうそう、私もそうなんです。」と思わず苦笑いで答えていた。

たしかにこれもあれもと一着づつ愛着のある洋服が山ほどある・・・
勤めていた時のスーツもある。
いつか着るかもしれない・・・と思って捨てないでいるがいざ出かけるときは
TPOに合わない。つまりその服の出番はないのだ。だが捨てられない。

今年の目標の断捨離につながるのであるが昨今の洋服事情が
なんとカジュアルになったことか!!

寒いせいかスカートは少なくパンツ姿が多い。
大きなお尻、短い脚が恥ずかしくて勤務時代もパンツははかなかったのに
近頃はどのおばさんもパンツだわ・・。男性ならどんなに足が短くても
ズボンをはくものね・・なんて考えて、はいている。


天気予報ではこの冬一番の寒さ・・と言っているが家にいると太陽の日の光が
いっぱいでぽかぽか・・・。外気よりは10度くらい暖かいので寒さを感じない。

昨日そんな中、早朝に出かけたので一番暖かい下着を着てパンツの下も暖かくして
防寒ばっちりで出かけた。さすがに早朝の駐車場から駅までの道はそれでも寒かったが
日中、デパート、ビルに入ると暖房が利いているので暑いこと!!

コートはもちろん、上着も脱いで・・ふうふう言ってしまった。

外国のように分厚いコートを用意して中身は半そでだったりして・・・と
言った途端、コーヒー屋さんで後ろの人が半そでだった、

私はこれ以上脱げない暖かいセーターを着たことを後悔していた。
次回、薄着で出かけると寒くて震えたりして・・。

年よりの冷や水はやめておこう。。。。

広報部会

2011-01-09 | 日記
 新年早々、神奈川県ダンススポーツ連盟の広報部会が横浜駅西口近くの
センターであった。ダンス連盟の広報誌を作っているが現在はホームページの
立ち上げの相談もしている。

3月に出す次号の原稿の割り付けが主な仕事だった。
私はたまたま1ページまかされて最初から13号の今回まで「プロムナード」と
言う題の文章を書かせていただいている。ダンスに関係のないことを書いていいのだが
アメリカのダンスの様子やクルーズのダンスの報告など書いてきた。


朝9時からの会議は家を早く出なければならないので寒くて大変だが
土曜日のため電車はすいていて助かった。

時間ぎりぎりまで議論をしてまだ話足りないところだったが新年会を
場所を移して行うことになっていたので全員で移動する。

たいていこの種の会議は夜の時間帯が多い。部員の中には現役の人もおられるので
夜か土日しかできないのだ。いつも終わるとバスの時間を気にして急いで別れて
しまう。だから普段ほとんど顔は合わせるものの、個人的な話はできない。

数人いる女性部員は仲良しなので時間が許せば会議の前にお茶をすることもある。

今回はたまたま、12時に会議室の都合で終わることになった。

12時に終わるのなら、帰りにお昼をご一緒しない?とO子さんと話していて
ふと「他の皆さんにも声をかけてみない?」と言うことになったのだ。

連絡は広報部員なのでメール連絡。
全員にお知らせをして一ヶ月くらい前から出欠を調整し、間際まで人数が
変わったが何とか14人で親睦会を持つことができた。

ちょっと素敵なお座敷を予約。



飲めない人もほんのちょっと乾杯をして・・・少しお酒も入って
和気あいあいと楽しい時間が過ぎた。堅苦しいこのような部会も
たまには親睦会はいいものだ。
>>(皆さまの承諾をいただいたので・・写真を載せます)


寒中見舞い

2011-01-08 | 日記
 昨日、6日が寒の入り。
この日から立春の前日までが寒の内という。

この期間中に寒中見舞いは出すものだそうだ。

昨年2月1日、父が98歳で召天した。突然いなくなってしまい、
まだその悲しみは癒えないが、天寿を全うしての凱旋だったので
「喪中」のお知らせを出す気にならなかった。

その代り、世間一般に従って新年おめでとうという年賀状は
自重したのだった。

さて、年賀状がどさりと沢山やってきた。

その方々にお返事として寒中見舞いを書いた。

直ぐ出した方が、年賀状を失礼した理由がわかっていただけると思うのだが
寒の入りまで待たなくてはいけないと言うので今日、やっと投函した。


こちらからお出ししないでお返事だけ書くのは失礼みたいであるが
出したかしら?出さなかったかしら?と考えることもなく気楽である。

ただ、今回申しわけなかったことは毎年必ず年賀状を書いているので
今年はない・・・さては病気の御主人に何かあったか?と心配を
させてしまったことである。

恐る恐る電話を下さる方がいた。
このまま放っておくともう少し経つとと問い合わせの電話が来ることになる。
その前に明日当たり寒中見舞いが届くと思う。

父のことを知っていて年賀状を下さらなかった方には来年気をつけて
年賀状を出さなければいけないのだが、こちらから出して義理で
お返事を下さっていた方は来年からはご迷惑
をかけなくすむということになった。

Raffine

2011-01-07 | 日記
 Raffineと言うコマーシャルがテレビに出るが
柔らかなマッサージともう一つ、化粧品があるようだ。

このマークはマッサージのRaffine,

チェーン産業というのか、あちこちで見かける。チケットも共通につかえるものも
ある。チケットをあらかじめ買っておき都合のよい時間に予約を入れる。
いつでもいいのでついつい後回しになり、三か月の期限が来る寸前になると
一週間に2回行ったり、あわててチケット分をこなす。

施術をしてもらっているときはこんなに気持ちがよいのだし、
一週間に一度づつ来なくては・・・と思うのだが終わって
「次の予約はどうされますか?と聞かれると
「あっ!また電話します」なんて言ってしまう。

今回も10月に行ったきり、御無沙汰で期限が目の前に迫ってしまい
あわてて2回も続けて入れてしまった。

施術者を指名すると指名料がかかる。

わざわざ指名しなくても皆上手だから・・・と遠慮して指名しなかったが
このごろはせっかくだからお金がかかっても自分に合う上手な人がいいと
思うようになった。

パソコンのせいか、ダンスのせいか、肩こりは半端ではなくいつも
呆れられる。割増料金をとられるのではないか・・・控室で
「今日は参った~。手がガタガタになった・・」と言われているだろう。

マッサージを受けているときは私もこんな、気持よさそうな顔をしているはずである。


日本橋界隈

2011-01-06 | お出かけ
1月5日、お正月休みも終わり、世間が動き出した。
お江戸日本橋ものどかな陽の光をうけ、平和な光景である。

日本橋三越本館入り口、有名なライオンの前で待ち合わせた友人は
「待っていて歩いている人を見ると、朝から”勝ち組”だと思ったわ」という。
”勝ち組”とはどういう意味か、いろいろな意味にとれるだろうが、普段
家にじっとしている主婦の彼女にとっては
「朝から颯爽と東京の真ん中を闊歩している人はまぶしい・・」と
言うことかと思う。

三越入り口には江戸情緒を思わせる紺地の暖簾がかかっている。
改めて遠くから見るとライオンの入り口の上には金色の男性の像があった。
また、都会の真ん中、天下の三越入り口の前に自転車がいっぱい止めてあった
のは面白かった。

去年の暮に「コレド室町」が三越の真ん前にできた。
それより少し南の方の日本橋駅のそばには「コレド日本橋」が前からあった。

両方とも上の階はオフイスフロアで下の方にレストラン、ショップ&カフェがある。
コレド室町の5階6階は日本橋三井ホールになっている。

のどかな町を散策して串揚げのお昼を食べる。早めに入ったのですいていたが
食事を終わって出てくるとどの店も満員で外に行列ができていたのにはびっくりした。


彼女と別れ次の友人には三越新館の4階、これも有名な「宮越コーヒー」に入る。


三越新館の入り口の上にある喫茶室。いつもは下から見上げていたが
今日は上から下の景色をパチリ。


本館入り口のステージではサイ・イエングアンのコンサートをしていた。

DVDレコーダー

2011-01-05 | 日記
 ブルーレイディスクレコーダーと呼ぶのか、DVDプレーヤーと呼ぶのか
呼び方がよくわからないが、息子がテレビにとりつけてくれた。

今までのVHSのプレーヤーが故障してしまったので沢山のVHSテープの整理が
出来なくなった。長年のダンス競技会、ダンスパーティのビデオが
沢山あるのだがそれをDVDに移したいとずっと思っていた。

よく電気店に「一本800円でDVDに移します」と宣伝してある。
しかし、どのテープに何が入っているか、チェックすることができない。

やっと念願がかなって息子が買ってきてくれたので
もう少し早かったらニューイヤーコンサートも録画ができたのにと思う。

早速、ニューイヤーオペラと小沢征爾氏の番組を録画した。

機械に弱いので今頃、こんな幼稚な基本的なことを言っているが、今ついていかなければ
この先、もっと分からなくなってしまうので必死である。

この機械はいろいろなことができるのだそうだ。

DVD、VHSを見ること、テレビ番組の録画、デジタルカメラで撮影された動画、
写真を見ることもできるのだ。

とにかく、パソコン、デジタルカメラ、携帯の機能に至るまでほとんど
利用していない。宝の持ち腐れと笑われてしまう。

今の課題はVHSに録画したものを調べて永久保存版か否かを見極め
いらないものは捨てようと思う。
その作業が終わってから息子に教えてもらってDVDを編集するつもりである。

みなさんはどのように文明機器についていっておられるのかと思う。

箱根駅伝

2011-01-04 | 日記
 快晴で美しい富士山が待つ箱根芦ノ湖まで選ばれた大学生たちが走った。
誰も「家にいて箱根駅伝を楽しむの・・」と言う人が多いので、細かいことは
書くつもりはない。

箱根駅伝雑感・・というところか・・。

思えば、これが箱根駅伝だよと教えてくれる大人がいなかったからか
お正月に長々とマラソンの中継をしているな~とあるとき気がついた。

それがいつだったか・・。

高校野球でも感じることだが走っている人が
「お兄さん」→「同時代の人」→「弟の年代」→「子供」と変遷し、
とうとう「孫」と同世代の若者が走っていることになった。
今後はその「孫」がずっと続くだろうか・・。

道路が整備できていない時代、踏切で待たなければならないとき・・雪の日・・と
いろいろ条件があり、今年の好天気は本当によかったと思う。

走者は死に物狂いの形相で走ったり、貧血になりふらふらになったり、
監督が肩に手を触れて無念のストップをさせたり、いろいろなドラマが思い出される。

早稲田の櫛部が花の2区でふらふらになっていたのを思い出す。奇しくも、
今回最後の悲劇・・シード権をとれなかった城西大の監督だったのだ。

最後のシード権争いで3秒差で城西大は敗れたが、そのちょっと前、国学院の
選手がコースをはずれびっくりした。日本中の人が国学院が何とかすべり
こんだのでほっとしたと思うが、選手が「あぶねぇ~」と言っていたように本当に
危なかった。
あのまま、国学院が失敗したらサッカーの「ドーハの悲劇」でなく「国学院の悲劇」と
言い伝えられたのかな~と勝手に思ってしまった。

国学院の監督は駒沢の有名な大八木監督の愛弟子だそうでこれも興味があった。

箱根小湧園前の坂をアナウンサーが
「先ほど沿道のお客がミカンを落としたらころころ転がって行きました。そんな坂です」
とその昔実況していた。今年のアナウンサーは
「昨日の熱戦の熱を冷ますかのように昨夜は雪が降りました。今はすっかり乾いて・・」と
形容していた。

除雪されていたそんな道でも早稲田の高野が滑ったから気の毒だった。そのまま
立ち上がり、よくつばぜり合いを続けたと思う。打撲が相当ひどかったそうだ。

往路の柏原は来年も残るし、早稲田も18年ぶり13回目の優勝を来年も続けたい
だろう。

美しく青きドナウ

2011-01-03 | 日記
 元旦の夜、裏番組は何があったか知らないがクラシック大好きの夫につられ
NHK教育テレビでウイーンフイル ニューイヤーコンサートを鑑賞する。

毎年、夫は一番楽しみにしているもので我が家のビデオが故障中なのでずいぶん前から
息子に録画を依頼していた。

今年の指揮はフランツ・ウエルザー・メスト氏(オーストリア)である。


はじまりはウイーンの森の物語の音楽が流れるがゴージャスな会場、正装をして着飾った聴衆、
豪華なシャンデリア、花いっぱいの会場。
 

スタジオでは中條誠子アナウンサーの司会で解説はソプラノ歌手、佐々木典子氏と
音楽ジャーナリスト山崎睦氏であった。

音楽に精通するファンの方がたくさんおられるだろうから音楽については何も書くことが
出来ないが、後半、それもアンコールのころのニューイヤーコンサートらしいほほえましい
光景を書いてみたい。それにあまりにもダンスがきれいだったので・・。


アンコールに入り、美しき青きドナウを演奏するとき、指揮者は手を振り上げ
今回はちらりと音がしたが・・・指揮者は手を止める。
これは毎回、恒例のお決まりなんだそうでこのあと一言指揮者がメッセージを
言うきまりがあるそうだ。けっして失敗ではないと・・。

その美しき青きドナウに合わせて別室できれいなダンスが始まる。
四人の少女が踊り始める。美しい白鳥のようだ。
 

そこに男の子たちが現れて・・・一緒に踊って・・・?と言うポーズ。


4組は一緒に踊り、曲の終りに会場に現れるのだ。
 

この少年少女は国立バレー団の若手が選ばれたそうである。将来有望株なのだろう。

一番最後はおなじみのラデッキー行進曲で指揮者が聴衆の方を向いて大きく手を振ると会場
全体が大きな拍手をする。小さくなめらかな指揮をすると拍手はち~さくなる。
優雅な雰囲気の中、楽団と聴衆が一体となって楽しいなごやかな時が流れて行った。

元旦

2011-01-02 | 日記
西日本、北陸地方は大雪と言うが、関東地方はからからの晴天で、
初詣もさぞ賑やかなのだろう


老夫、老妻、静かに日向ぼっこのお正月である。今年は喪中なので
こちらからの年賀状は出さなかった。「喪中」を父はあまり好まなかったし、
それに98歳の天寿全うした凱旋だから明るくさっぱり過ごそうと思った。

喪中はがきを出すとその年は交信が途絶えてしまう。毎年、喪中で4年ほど音沙汰が
なかったこともある。

世間では儀礼を廃止しようという声もある。昔、職場で「私は年賀状を出しませんから」と
宣言する人が2~3人いたのだが、職場で顔を合わせるので、出さないと嫌っているようで
今後の仕事を考えるとやはり出しておこうか・・・と思ったものだ。

相手からも返事が来ないと何か嫌われたような気がしたり、15日ころにやっと
届くと、面倒だったんだろうと思う。

だんだん枚数が増えるのでこの人は疎遠になったから出すのをやめようと思って
出さないでいるとその人から来る。

翌年、今年こそはと思って出すと来ない・・・と言うこともあった。

相手も、もし私が出すとあわてて返事を書く人もいるだろう。
そのタイミング、掛け合いは難しい・・。だんだん年をとっていくのだから 
お付き合いを大切にしようと思っているが今年で年賀状を終わりにしますという
宣言もいくつかきた。

今年はそんなことを考え、お年賀をいただいた方にだけ寒中見舞いを出そうと
思っている。そこで年賀状の整理ができるのではないかと思って・・。

どうやら今年は500枚のはがきで足りそうである。

もちろん、喪中を知っている親戚や友人のことは考え、来年に備えるつもりである。