新甲州人が探訪する山梨の魅力再発見!

東京から移住して”新甲州人”になった元観光のプロが探訪する”山梨の魅力再発見!”
旅人目線の特選記事を抜粋して発信!

北杜・小淵沢、南アルプスと武田史跡「馬場の里」!16-05

2016-05-03 | 山梨、里山の美しい四季!

北杜・小淵沢は、諏訪方面とリゾート大泉・清里への分岐だが・・・、

観光客が素通りする小淵沢・笹尾の里を歩いて見ると・・・、

そこには、往古の武田史跡「笹尾砦跡」と「馬場の里」があった!

そして、雄大で穏やかな、美しい里山風景が広がっている!

穏やかな散歩道!小淵沢・笹尾の里から望む甲斐駒ケ岳と鳳凰三山

小淵沢・笹尾の里から見る八ケ岳連峰の雄姿!

 


今号は、「小淵沢・大滝湧水と馬場の里コース」を紹介します。

※小淵沢ウオーキングは、観光客は素通りするので長閑な里山歩きができる!

①小淵沢駅(約1.5km約20分)~②大滝湧水公園(約1km約15分)

③三峯の丘(約1.5km約20分)~④大イトザクラ(約3km約45分)

⑤城山公園(笹尾塁跡)(約1km約15分)~⑥「馬場の里」

(金比羅神社・約1km約15分)~⑦諏訪神社(約3km約45分)~

⑧小淵沢駅のコースがお薦め!徒歩約12km、約3時間を見込む。

注①小淵沢駅前観光案内所で頂いた小淵沢ウオーキングマップと、JR東日本の

   ”駅から歩くウオークラリー「えきほ」”マップ参照。

   但し、歩くマップ情報は事前に確認のこと。何故なら歩く情報は現地には殆どない・・・。

   ウオーキングの標識は、要所にはあるので、問題はないが、所々不安な場所がある。

注②コース中、レストランは2箇所しかない。しかも場所は時間とミスマッチなので、

   小淵沢駅下車の際、ホームで”山のごはん”など名物駅弁を買って持参すると

   ベタ-・・・!


 JR中央本線小渕沢駅下車・・・、

小渕沢町の南側、松向、上笹尾、下笹尾には、往古を偲ぶ里山が残る!

電車からも見える「大滝神社と大滝湧水公園」

 


大滝神社と大滝湧水公園=※現地解説版参照

名水百選の一つ八ケ岳南麓広原湧水群「大滝湧水」

この公園は、大滝神社を中心として約5000㎡の広大で、懇々

と清水が湧き数百年を経た杉林が鬱蒼し冷涼・清閑の神域である。

伝承によると、里の井戸水が濁った時には大滝湧水を注ぐと清澄

の水になると伝わる。湧水は日量約22000㎥の湧出がある。

水田の灌漑用水の他、にじますの養殖に使われている。

夏冬とも12℃の水温に保たれている。

大滝神社は武淳川別命(たけぬなかわわけのみこと)が当国巡視の

折、清水湧出を賞賛し、自ら祭祀して大滝神社が起こしたと伝わる。

伝説では、紀元前崇天皇10年9月東海に派遣された四道将軍の

一人に名が記され推定紀元前88年頃の話であるが故不詳。日本書記伝。


三峯の丘、広大な平原台地に三峯を眺める絶景ポイント!

三峯の丘は・・・、大展望の里!

注)「悟空里山の看板」は目印になるが、別荘地の宣伝なので注意。

正面に甲斐駒ケ岳、鳳凰三山、富士山、八ケ岳と入笠山の先に奥穂高の遠望!

 

詳しくは白州みちくさ案内http://homepage2.nifty.com/whitesand/s-alps/kb_01.htm


里山の歴史を語る「神田の大イトザクラ」!

大イトザクラの背景に八ケ岳連峰天然記念物大イトザクラは養生中

昭和34年に指定された山梨県指定天然記念物「神田の大糸ザクラ」は、

  現在、樹勢回復のため養生中ですが、一見の価値あり・・・!

  樹齢は不詳だが、まれに見る大木で樹形は見事!

  本樹はシダレザクラだがエドヒガンの変種と云われ、花色は多少紅色が濃い。  


城山(篠尾塁=笹尾塁跡)は往古甲斐国平定の要所であった!

 小淵沢高原「城山(篠尾塁跡)」と甲斐駒山梨の米処「武川村」を見下ろす!

①城山は篠尾塁跡、又、笹尾塁跡と呼ばれ、下笹尾にあり小渕沢、小荒間、

     両道の番所へ各一里の位置。

          古甲斐国武田氏の時代、諏訪氏との対峙の要害として築かれた城山(砦)。

      里人は平安末期、建久元年(1190年)、鎌倉時代へ遷る時代であるが・・・、

         逸見清光の建塁にて、笹尾岩見守守護せりと言い伝えられている・・・。

         注)笹尾岩見守は史実では不詳。

      武田信虎・信玄の時代、甲斐国平定に重要な役割を果たした処。

             特に信濃国諏訪対峙の時代、篠尾塁は甲斐国の要害として貢献。

      ※現地解説参照。

     この地は七里岩上西端にあり、東西は深山峨々とし、南は高岩壁立して、

           下を釜無川が流れる自然地形の要塞である。

           七里岩台地は、西側に釜無川、東側に穴山地点で塩川が流れ浸食崖を形成。

       七里岩は甲斐国南東~北西30km(約7里)に及ぶので、七里岩と呼ばれる。

     注)この七里岩南東端に韮崎があり、後に武田勝頼が新府城を築城した話は有名。

   城山には、甲斐国志に載る鐘釣穴もあり、城山の南へ少し下ると洞穴があり、

    ここにて、鐘打ち鳴らすと鳥原にて太鼓を打ち相応ずと云い伝う。

    数十人を容るべし「鐘釣穴」と名づく。(甲斐国志記)

 ②写真右、釜無川の向こうに見える武川村は・・・、

            今は武川米と呼ばれるブランド米の産地で有名。

     古代は真衣郷に比定され、平安時代には甲斐国三御牧の一つ

     真衣野牧が設置されており、朝廷へ貢馬したと云う。

      注)吾妻鏡の建久5年(1194年)条に鎌倉へ貢馬した武川御牧が見られる。

      鎌倉時代末期、甲斐源氏の一条時信が子孫を配した処と伝わりる。

      武田時代には「武川衆」と呼ばれる武士団が盤踞したことで有名。

      室町時代永享5年(1433年)には、武田信長と守護代の跡部氏の戦い

    にも参戦。戦国時代には、武田信玄の弟武田信繁を寄親とした。

      徳川時代には、徳川氏に属し、徳川幕府に貢献している。

  注)徳川第五代将軍綱吉の時、大老格・側御用人に出世した柳沢吉保は

     甲斐一条氏の末裔を称し武川衆の血筋。甲斐国甲府城主、譜代大名。


金比羅神社と馬場の里は、長閑な風景と往古を偲ぶ散歩道・・・!

 馬場の里の古を偲ばせる金比羅神社   「馬場の里」の開拓碑

金比羅神社は、金比羅山(丸山)の中央にあり、七里ケ岩台地の最高峰。

   武田信玄は、金比羅大神を祀り、この里の繁栄と健康を祈願し、宇津保木

   と呼ばれていた地名を敢えて金比羅山と名付けたと云う。

   往時は石の祠が据えられ、その後建立された嘉永六年の御神灯があった。

場の里は、七里ケ岩の崖上にある笹尾塁跡を中心に、金比羅山、馬場池

   などからなり、素晴らしい展望が開ける。   

   昭和59年地域活性化を求め「むらおこし」事業を取り入れて整備事業が行われ、

   約1.3kmの遊歩道が現在も活かされている。

   写真右は、「馬場の里」整備事業を記念して建立された石碑。

   現在は売店は閉鎖し、ひっそりとした散策路である。 


諏訪神社・・・笹尾の里の氏神様!

笹尾の鎮守「諏訪神社」

 

諏訪神社は、現在も旧村社として下笹尾359番地に所在して、里人の鎮守の神。

   伝崇天皇10年、四道将軍として東海に使わされた武淳川別命(たけぬなかわ

   わけのみこと=別名建沼河別命)が諏訪明神より建御名方命を勧請して祀った。

   注)上古天皇第10代崇天皇の命により東海へ派遣された将軍。

   建御名方命は諏訪にあった頃この地を御狩場とし、当地の篠を御狩矢として献じた

   ことから、将軍は諏訪大神の分霊を石に刻して祀ったと云われる。

   康平年間、新羅三郎義光が社領を寄進して社殿を建立。

   武田氏の時代に滝一条の城主笹尾岩見守が営繕管理を行った。

   注)笹尾岩見守の実在は史実で証されていない。

   慶長8年徳川家康が黒印地1石1斗5升2合、永三六文八分を寄進。

   明治6年村社に列す

     棟札によると、初めは現在地のわずか東方にあったが、元文3年(1738年)

   現在地に社殿を建立して遷されたと云われる。この社殿建立は上笹尾・下笹尾の

   氏子が御普請で行い、代官所から御普請金が下附された。

   境内社には、稲荷社、山神社、道祖、秋葉社、疱瘡社、金比羅社他九社ある。

   ※小渕沢町誌等参照。  


笹尾の里山を歩くと奥秩父山塊の金峰山や霊峰富士山の風景!

笹尾の里山は、奥秩父山塊の金峰山から霊峰富士山まで望める穏やかで美しい里山!


笹尾の里、甲斐駒と鳳凰三山の大パノラマは山梨一の絶景ポイント!

甲斐駒と鳳凰三山を背景に広がる田園風景!畑の畔に咲く菜の花と南アルプス

 


笹尾の里歩きは里山の魅力そのままに、5月は野花の散策街道!

 里山の道端に咲くヤマツツジの群落    5月中旬だというのに、満開のサクラを堪能!

 


  優雅に、ライラックの花も咲く!       至るところに花ダイコンが彩る!

 


小渕沢町は、里の地名に・・・、往古の小字名が活きている!

 小淵沢町の地域は、あらまし、こんな形の里山を形成している。

 今回の散策地は、松向、上笹尾、下笹尾の地域です。昔の字名が地名で呼ばれている。

  


 



コメントを投稿