木曽奈良井宿を予定よりもわずかに早く出発できたので、ならばもう一ヵ所かねてより探して
いた場所が大まかな目途はついているので寄ってみる事にしましょうか!!と
楢川村贄川宿をもう少し塩尻方面に向けバイクを「初期中山道」へと走らせる
塩尻市と辰野町の境を少し過ぎたところで砂利道に入っていく・・・ う~ん徐行しかないな
それでも周りは「止山」になっている位なので車の通りはありそうです 2キロほど進むと目的地
サイロがありました 刈り取った作物を密封し、約3ヵ月乳酸菌の作用で発酵させる。
すると「牧草の漬け物」のようなものが出来る。家畜にとってのごちそうとなる
何故ここにあるかは不明
贄川小学校桑崎冬季分校。昭和42年に閉校。昭和34年の時点で児童は16名だったそうです
集落の子供たちの冬季の学舎だったのでしょうね 私より少し上の年代なのでまだご健在かと
校舎の前に小屋が有り、そこに大きな鐘が吊ってあり学校で使用していた物なのでしょうか
わりと広めの部屋がありました ここが教室だったのでしょうか? ものが散乱しています
こちらは?食器棚の食器がありますが意外なほどホコッテいません・・・
グランドピアノがありました・・・完全に床が抜け傾いています 後に娘にラインで個々の写真
を送ったら「懐かし~」と・・・(笑) そうなんです娘と女房は8年前にここに訪れています
親子して「廃墟マニア」か? その時の写真を送ってくれましたがまだ床は抜けておらずピアノは
ちゃんとしていました
調理場だったのかな? 調理器具やわずかに残された調味料が生活感を感じます
楢川村立贄川小学校 桑崎冬季分室(長野県塩尻市)が開設されたのは、1948年の12月1日
当時、標高1100メートルに位置していた桑崎集落では、当時30世帯・200人ほどが暮らしており
農業や林業のほか、養蚕業などを営んでいました。
桑崎集落に暮らしていた子どもたちが通っていた贄川小学校の桑崎冬季分室。1959年当時には16名
の児童が通っていました。同校は1967年に閉校となっていますが、翌年の1968年には桑崎集落が
全戸移転となり、村自体が廃村となっています。現在でもその校舎は残されていますが、グランド
にサイロがあるのが特徴的
多少荒れてしまっておりますが、登下校する子供達の姿は容易に想像できますね
そうですね…少子化が進み結構な都会でも
統廃合があると聞きます
ご多分に漏れずわが町の小学校も統廃合の話が
出ているようです・・・
小中学校の統廃合が進んでいますね。
統廃合こそ行われていませんが
私が住んでいる市でも
1学年1学級なんて小学校があるようです。
この先、日本の学校教育はどうなるんでしょうね。
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