五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

忘れえぬポルシェ908

2013年09月08日 | ミニカー
ミニカーを語る上でも、その元となったモータースポーツを語る上でもポルシェ908というクルマを抜きにすることはできません。
たとえル・マンで一度も勝てなかったとしても、私がモーター・スポーツにのめりこむきっかけになったクルマなのですから。
ということで、今回はポルシェ908がテーマ(実は過去に何回か取り上げていますが今回はそれも含めてのもの、重複の内容はお許しください)。


2リッタークラスのレースでは圧倒的な力を誇ってきたポルシェでしたが、総合優勝や年間チャンピオンシップの獲得はフェラーリやフォードなどの大排気量車の前に、その壁を破れないでいました。
それが1968年のレギュレーションの改定に伴い、大排気量車が締め出されたためにポルシェにもチャンスが巡ってきたのです。
狙うは3リッタークラスのプロトタイプ・カー。ポルシェ907の車体をベースに新しく開発した3リッター・エンジンを搭載したポルシェ908でした。

デビューは1968年4月のモンツァ1000km、このときは11位と19位に終わりましたが、2戦目のニュルブルクリンク1000kmと5戦目のオーストリアGPで優勝、その実力を見せつけました。

迎えた最終戦のル・マン24時間レース(9月28日、29日)、予選1位から3位までを独占したポルシェ908でしたが決勝レースではトラブルが続発、R.ストメレン/V.エルフォードがドライブする33号車がかろうじて3位に入るという結果に終わりました。
優勝はフォードGT40のP.ロドリゲス/L.ビアンキ組。ポルシェは年間チャンピオンシップを獲得することはできませんでした。



33号車のリアビュー。初期型にはなかった垂直フィンと可変フラップが取り付けられています。可変フラップはリア・サスペンションと連動して動き、高速コーナーではかなりの効果があったと聞きます。
ル・マンには4台の908が参加(31号車~34号車)しましたが、持っているのはJ.シファートのドライブした31号車とこの33号車のみです。
モデルはエブロ製、1/43スケール。


1969年、ふたたびレギュレーションの改定により5リッター・スポーツカーとしてポルシェ917の開発に着手しますが明らかに熟成不足。ポルシェチームは改良したポルシェ908でチャンピオンシップを戦うことになります。
2年目を迎えたポルシェ908は初戦のデイトナと二戦目のセブリングこそ優勝を逃しますが、三戦目のBOAC500マイルから五連勝しついに初のチャンピオンシップを獲得します。

残るはル・マンのタイトルのみ。
ポルシェチームは3台の917と4台の908をエントリーしました。
予選は1位から4位までの独占、万全の態勢で臨んだはずの決勝レースでしたが、3台の917と3台の908(908/2を含む)がリタイヤ、わずかに残った1台の908が優勝したJ.イクス/J.オリヴァー組のフォードGT40から遅れることわずか120メートルという総合2位に敗れ去ったのです。
下の写真は、2位に入ったH.ヘルマン/G.ラルース組のポルシェ908の64号車です。



勝負にタラレバはありませんが、実はレース前に917と908に装着していた可変フラップが規定違反として禁止になるという一件がありました。そのころF1で流行していたウィングによる事故が多かったことが原因とされています。
結局ポルシェ側がゴネて(あくまでも基本スペックの範囲だということなのでしょう)、結局917はOK、908はダメという裁定が下されました。
そのために908はずいぶん苦しいレースを強いられ、結果的に最後の最後でブレーキパッドが損耗してフォードの後塵をはいすることになったと言われています。


1969年といえば忘れられないのは日本グランプリ。
この年デビューしたばかりの「白い巨象」ポルシェ917が来襲し、ニッサンR382やトヨタ7と優勝を争いました。
そしてこのとき、同じタキ・レーシング・チームが購入したのがポルシェ908/02でした。

こちらの908/02はショート・ボディ、いわゆるスパイダーという呼び名で知られています。
ドライバーはル・マンで2位に入ったH.ヘルマンと田中健二郎選手(故人)でした。
大排気量マシンが多数エントリーされた中で、予選は14位、決勝はトップから4周遅れの7位でフィニッシュしました。



何台か持っている908の中でも美しさでは一、二位を争うモデルだと思います。
カラーリングと色々な場所に貼り付けられたスポンサーのステッカーがアクセントを添えています。
モデルはエブロ製、1/43スケール。


1970年、ポルシェは5リッターの917と改良型908/3でチャンピオンシップを戦い、10戦9勝という圧倒的な勝利を挙げチャンピオンシップ二連覇を成し遂げます。
また、ザルツブルグ・ポルシェからエントリーされたポルシェ917が初のル・マン制覇をした年でもありました。
908は主力の席を917に譲っていましたが、ル・マンではR.リンス/H.マルコ組のポルシェ908/02が予選22位ながら決勝では堅実に走って2台の917についで総合3位、クラス優勝を獲得しました。



この908/02はマルティーニ・レーシング・チームからのエントリー。
後年有名になるマルティーニ・ストライプではなく、スポンサーであるシェルの影響が強いカラーリングです。
そういう意味では珍しいクルマのひとつなのかもしれません。
モデルはスパーク製、1/43スケール。

ポルシェ908はこの後もプライベート・チームにより長く使い続けられますが、1968年から1971年の四年間が主として活躍した年といえるでしょうか(1971年のニュルブルクリンク1000kmで908/3が優勝しています)。

実ははるかな後年、「908」の名前を付けたポルシェがル・マンを走ることになるのですが、それはまた別の機会に別のクルマをテーマにして書きたいと思います。

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