五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

同級生旅行の続き[鹿児島編]

2005年11月02日 | 日々のつれづれに
宮崎のクラブハウスでゴルフクラブを発送する手続きを終えると、私たちはマイクロバスに乗って次の目的地である鹿児島県指宿を目指しました。
九州道で鹿児島に入り、市内の手前で指宿スカイラインという有料道路を目指したのですが...。

九州の広大な土地をなめてはいけませんね。隣県に行くというのは山梨→東京とか、山梨→静岡などという感覚しかない私たちにとって、宮崎から鹿児島は遠い!まして指宿はさらに遠い。3年前の、札幌から函館までのバス旅行を思い出してしまいました。
3時過ぎに宮崎を発って指宿の旅館・白水館に着いたのは夕方6時過ぎのことでした。

指宿白水館は大きなホテルです。
案内された部屋(5階)からお風呂に行くのに、エレベータで1階に降り、フロントまで戻ると、その下をくぐってさらにお風呂のある建物まで歩いていきます。いい加減なお風呂の入り方をすると、部屋に戻るまでに冷めてしまうくらい。

ここでは小泉首相も入ったという名物の「砂むし風呂」に入りました。浴衣一枚になって砂の上に仰向けに寝ると背中からじわっと熱さが伝わってきます。
熊手のようなもので周りから砂をかき寄せてもらい、足のつま先まで熱い砂に覆われること15分、大量の汗と一緒に身体中の老廃物が流しだされるような気がして、サウナとはまた違う気分に浸れます(別料金)。

 → ホテル指宿白水館の公式ホームページ

翌日は、朝9時にホテルを出て、知覧の特攻平和会館に立ち寄りました。
終戦間際、連合軍の沖縄侵攻を食い止めるために、国内外から集められた多くの若者が、ここ知覧の飛行場から特攻に出かけ、その多くは戦場で空しく散っていきました。

かれらが特攻に出て行く前の短い間に、この町ですごした記録がたくさん残っています。家族・知人に宛てた手紙や遺書などを読むと、彼らが最後まで父母や妻や子どもたちのことを気にかけていたことに胸を打たれます。

「自分は今まで迷惑を掛けてばかりで何も親孝行をして上げられなかった。」
「今まで面と向かって言うことはできませんでしたが、今なら言えます。母さん 母さん 母さん。」
「(我が子に)人に迷惑を掛けぬよう、立派な人間になってください。お母さんを頼みます」

一千余名の尊い死の果てに今の日本の繁栄があるのでしょう。彼らのような特攻隊を二度とこの日本に作ってはならない、と思います。

 → 知覧の特攻平和会館のページ[鹿児島県知覧町役場]

空港のそばの「バレルバレープラハ&ゲン」という焼酎の製造直売をしている施設にちょっと立ち寄り、鹿児島空港でショッピングをして帰路に着きました。
二泊三日の同級生の旅。

次にいくのはまた3年後。再び同じ仲間と出かけることを願いつつ羽田に戻ったのでした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする