さて、9月に迫ったスウェーデンの総選挙。日本の選挙戦との大きな違いは、日本では選挙の直前(告示日前後から)になって初めて各陣営が政策論争(らしきもの)を始めるが、スウェーデンでは実際の選挙の1年、いや2年も前から様々な政策分野で意見が戦わされる。
ある党が妙案と思って打ち立てた政策主張も、他の党やメディア・世論を交えた激しい論争の中で問題点が指摘されれば、修正を余儀なくされるし、淘汰されることもある。そして、その1年なり2年なり続いた論争を生き残った政策主張や、たとえ弱点はあってもその党が「これだけは譲れない」というこだわりの政策主張が最終的にまとめられて各党の「マニフェスト」となり、選挙の1ヶ月前に発表される。
つまり、選挙の1ヶ月前には各党・各陣営が掲げる政策主張は、それぞれの政策分野ごとにほぼ出揃っており、それもかなりの程度、磨きのかかったものに仕上がってる。しかもそれ以上に重要なことは、そのそれぞれが既に相当の程度、メディアを通じて議論し尽くされているということだ。だから、有権者は提示された選択肢をもとに自分の考えやイデオロギーに合うものを選んでいくことになるし、それぞれの主張の根拠を知りたいと思えば、それぞれの党がちゃんと示してくれる。別にその政党に直接訊かなくても、メディアが適宜、分かりやすく解説してくれる。各党の主張はもう既に何度もメディアを駆け巡ってきたからだ。
日本のように、告示日の前後になってから政策主張を慌てて掻き集めて「マニフェスト」を形にしてみたはいいが、「あら」を指摘されて慌てて撤回するようなことはないし、せっかく多岐にわたる詳細なマニフェストを作っても、選挙までのわずか2週間ではほとんど議論し尽くせないから、結局は分かりやすい焦点を1つに絞って、それを中心に選挙報道が展開されるということもない。
ついでだから書くけれど、先日の日本の参議院選挙はかなり酷かった。選挙期間中に日本に滞在したのは久しぶりだったが、改めてそう感じた。その問題は、政治家・政党の側にも、有権者の側にも、メディアの側にもあると思うが、その中でもメディアの責任が一番大きいのではないだろうか。
政治家が漏らした小さな発言でも、食いつきやすいからということで100倍ぐらいにして取り上げ、面白く対立構図を描けるように、政局のある特定の一面に焦点を定めて、日々の報道では主にそればかりをつつく。選挙戦の中で例えば「攻」と「防」というような二項対立を描き出し、選挙戦の流れを勝手に作ってしまう。視聴者はメディアが集中的に論じるその1点については情報を得ることができるけれど、そのほかの政策でどのような議論があるのか、知る機会があまり与えられない。
民主党政権は普天間のことで非難を浴びたが、では、他の党はその問題に対してどのような提案をしているのか? たしかに「子ども手当」のばら撒きは良くないかもしれないが、では少子化対策・子育て支援に関して他の政党の提案は何なのか? 自殺者やワーキングプアなどの社会問題に対して、各党からどういう提案があるのか? 「後期高齢者医療制度」は悪しきものだが、では他にどのような代替案があるのか? 年金を持続可能なものにするためにはどのような改革が必要なのか? そういうことこそ、選挙報道で取り上げるべきではないのか。各党がせっかく詳細なマニフェストだのアジェンダだのを作っても、それが選挙戦の中での政策議論に用いられなかったり、メディアがそれを取り上げなければ、全く意味がないのではないだろうか?
誤解を避けるためにより正確に言えば、新聞はそれでも頑張っていたと思う。個別の政策分野でそれぞれの党がどのような主張をしているのか、日ごとにテーマを変えて分かりやすく分析・報道しているものもあった。しかし、残念ながらしっかりと目を通す人の数は限られてくる。より多くの人が情報源とするのは、やはりテレビだ。しかし、そのテレビが日々伝えることと言えば、菅直人が何を言ったか、それに対し、別の党の誰それがどう反応したか、いや党内でも反発があって党内の重鎮がどう発言したか、というような「政局」が相変わらず選挙前の報道でもほとんどを占めていたように思う。たしかに、人間同士の確執は描くと面白いが、それではまともな選挙戦報道とはいえない。
NHKには少しは期待したが、落胆させられた。例えば、選挙日前日の夜に放送した選挙戦の総集編。私はてっきり2週間にわたる選挙戦で各党が打ち出した様々な政策主張について、分かりやすく「おさらい」してくれるかと思った。それこそ本当の意味での総集編だ。しかし、実際はどこの選挙区が注目の選挙区で、誰が善戦し、誰が苦戦し、そこにどんな重鎮が応援に駆けつけ、その重鎮がどんなに忙しい日々をこの2週間に送って、それでも私生活は大切だから庭木に水遣りもするし、旦那さんがちゃんとご飯作ってくれるし、タレント候補も選挙戦で走り回って、選挙ボランティアも手弁当で頑張って、菅直人の演説中に中座する人が続出したけど、小泉の息子のときはたくさんの人が聞きに駆けつけて・・・etc、はっきり言ってどうでもいいことばかりが19時半から20時45分まで延々と続いた。選挙戦の総集編ではなく、日々の選挙報道の総集編だった。
いや、でもNHKは毎週日曜日の朝にまじめな「日曜討論」をやっているでしょ? でも、どれくらいの人が見ているのだろうか。それから、1秒も経たないうちに条件反射的にチャンネルを変えたくなる「政見放送」。あれがいまだに存在するとは驚きだ。視聴率はどれくらいなのだろう。もっと意味のある番組はできないのだろうか?
小泉の「郵政民営化」のときもそうだったし、昨年の「政権交代」のときもそうだったと思うが、その党が具体的に何を政策に掲げているかをあまり知ることなく「流れ」に任されて人々が票を投じ、選挙結果が決まる。具体的な政策を知った上で投票したわけではないから、こんなはずじゃなかった、ということにもなるし、ひとたび「流れ」が変われば、たちまち支持が遠ざかる。そんなことばかりが選挙のたびに繰り返されていれば、そりゃ社会は良くなるどころか、かなり深刻な状況にあるのではないかと危機感を覚えずにはいられない。
スウェーデンの社会だって、解決すべき様々な問題を抱えている。「問題があるかないか」が重要なのではない。どの社会にだって常に問題はあるし、それらは実は似かよっていることも多い。問題を抱えていない社会なんて、そもそもありえない(こんな単純なことが分からない人も実はいるようだ)。重要なのは、解決策を探るべく政治家がしっかりと議論し、メディアがそれをちゃんと伝え、あらがあれば建設的なツッコミを常に入れ、政治家を切磋琢磨させ、少しでも良い選択肢を社会に提示できるように働きかけ、それを有権者が評価する。そのプロセスが重要なのだと思う。そして、そこに日本とスウェーデンの大きな違いがあるのではないだろうか。
ある党が妙案と思って打ち立てた政策主張も、他の党やメディア・世論を交えた激しい論争の中で問題点が指摘されれば、修正を余儀なくされるし、淘汰されることもある。そして、その1年なり2年なり続いた論争を生き残った政策主張や、たとえ弱点はあってもその党が「これだけは譲れない」というこだわりの政策主張が最終的にまとめられて各党の「マニフェスト」となり、選挙の1ヶ月前に発表される。
つまり、選挙の1ヶ月前には各党・各陣営が掲げる政策主張は、それぞれの政策分野ごとにほぼ出揃っており、それもかなりの程度、磨きのかかったものに仕上がってる。しかもそれ以上に重要なことは、そのそれぞれが既に相当の程度、メディアを通じて議論し尽くされているということだ。だから、有権者は提示された選択肢をもとに自分の考えやイデオロギーに合うものを選んでいくことになるし、それぞれの主張の根拠を知りたいと思えば、それぞれの党がちゃんと示してくれる。別にその政党に直接訊かなくても、メディアが適宜、分かりやすく解説してくれる。各党の主張はもう既に何度もメディアを駆け巡ってきたからだ。
日本のように、告示日の前後になってから政策主張を慌てて掻き集めて「マニフェスト」を形にしてみたはいいが、「あら」を指摘されて慌てて撤回するようなことはないし、せっかく多岐にわたる詳細なマニフェストを作っても、選挙までのわずか2週間ではほとんど議論し尽くせないから、結局は分かりやすい焦点を1つに絞って、それを中心に選挙報道が展開されるということもない。
ついでだから書くけれど、先日の日本の参議院選挙はかなり酷かった。選挙期間中に日本に滞在したのは久しぶりだったが、改めてそう感じた。その問題は、政治家・政党の側にも、有権者の側にも、メディアの側にもあると思うが、その中でもメディアの責任が一番大きいのではないだろうか。
政治家が漏らした小さな発言でも、食いつきやすいからということで100倍ぐらいにして取り上げ、面白く対立構図を描けるように、政局のある特定の一面に焦点を定めて、日々の報道では主にそればかりをつつく。選挙戦の中で例えば「攻」と「防」というような二項対立を描き出し、選挙戦の流れを勝手に作ってしまう。視聴者はメディアが集中的に論じるその1点については情報を得ることができるけれど、そのほかの政策でどのような議論があるのか、知る機会があまり与えられない。
民主党政権は普天間のことで非難を浴びたが、では、他の党はその問題に対してどのような提案をしているのか? たしかに「子ども手当」のばら撒きは良くないかもしれないが、では少子化対策・子育て支援に関して他の政党の提案は何なのか? 自殺者やワーキングプアなどの社会問題に対して、各党からどういう提案があるのか? 「後期高齢者医療制度」は悪しきものだが、では他にどのような代替案があるのか? 年金を持続可能なものにするためにはどのような改革が必要なのか? そういうことこそ、選挙報道で取り上げるべきではないのか。各党がせっかく詳細なマニフェストだのアジェンダだのを作っても、それが選挙戦の中での政策議論に用いられなかったり、メディアがそれを取り上げなければ、全く意味がないのではないだろうか?
誤解を避けるためにより正確に言えば、新聞はそれでも頑張っていたと思う。個別の政策分野でそれぞれの党がどのような主張をしているのか、日ごとにテーマを変えて分かりやすく分析・報道しているものもあった。しかし、残念ながらしっかりと目を通す人の数は限られてくる。より多くの人が情報源とするのは、やはりテレビだ。しかし、そのテレビが日々伝えることと言えば、菅直人が何を言ったか、それに対し、別の党の誰それがどう反応したか、いや党内でも反発があって党内の重鎮がどう発言したか、というような「政局」が相変わらず選挙前の報道でもほとんどを占めていたように思う。たしかに、人間同士の確執は描くと面白いが、それではまともな選挙戦報道とはいえない。
NHKには少しは期待したが、落胆させられた。例えば、選挙日前日の夜に放送した選挙戦の総集編。私はてっきり2週間にわたる選挙戦で各党が打ち出した様々な政策主張について、分かりやすく「おさらい」してくれるかと思った。それこそ本当の意味での総集編だ。しかし、実際はどこの選挙区が注目の選挙区で、誰が善戦し、誰が苦戦し、そこにどんな重鎮が応援に駆けつけ、その重鎮がどんなに忙しい日々をこの2週間に送って、それでも私生活は大切だから庭木に水遣りもするし、旦那さんがちゃんとご飯作ってくれるし、タレント候補も選挙戦で走り回って、選挙ボランティアも手弁当で頑張って、菅直人の演説中に中座する人が続出したけど、小泉の息子のときはたくさんの人が聞きに駆けつけて・・・etc、はっきり言ってどうでもいいことばかりが19時半から20時45分まで延々と続いた。選挙戦の総集編ではなく、日々の選挙報道の総集編だった。
いや、でもNHKは毎週日曜日の朝にまじめな「日曜討論」をやっているでしょ? でも、どれくらいの人が見ているのだろうか。それから、1秒も経たないうちに条件反射的にチャンネルを変えたくなる「政見放送」。あれがいまだに存在するとは驚きだ。視聴率はどれくらいなのだろう。もっと意味のある番組はできないのだろうか?
小泉の「郵政民営化」のときもそうだったし、昨年の「政権交代」のときもそうだったと思うが、その党が具体的に何を政策に掲げているかをあまり知ることなく「流れ」に任されて人々が票を投じ、選挙結果が決まる。具体的な政策を知った上で投票したわけではないから、こんなはずじゃなかった、ということにもなるし、ひとたび「流れ」が変われば、たちまち支持が遠ざかる。そんなことばかりが選挙のたびに繰り返されていれば、そりゃ社会は良くなるどころか、かなり深刻な状況にあるのではないかと危機感を覚えずにはいられない。
スウェーデンの社会だって、解決すべき様々な問題を抱えている。「問題があるかないか」が重要なのではない。どの社会にだって常に問題はあるし、それらは実は似かよっていることも多い。問題を抱えていない社会なんて、そもそもありえない(こんな単純なことが分からない人も実はいるようだ)。重要なのは、解決策を探るべく政治家がしっかりと議論し、メディアがそれをちゃんと伝え、あらがあれば建設的なツッコミを常に入れ、政治家を切磋琢磨させ、少しでも良い選択肢を社会に提示できるように働きかけ、それを有権者が評価する。そのプロセスが重要なのだと思う。そして、そこに日本とスウェーデンの大きな違いがあるのではないだろうか。