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東京散歩~曳舟川親水公園


スカイツリーを見上げて、押上駅から京成線に乗る。
四つ木駅で下車。今回の東京散歩のねらいは、ここから亀有までの遊歩道散策だ。

駅から水戸街道に向かう途中に西光寺というお寺があった。
葛飾区の案内板に「鎌倉時代の豪族葛西三郎清重の居館跡」とある。
中までは見ずに先を急ぐ。
水戸街道の陸橋を渡ると、間もなく遊歩道と休憩所が見えてきた。
この直線道路が、かつての曳舟川の跡なのだ。

曳舟川は、江戸幕府が開発した深川方面への上水路「亀有上水」が元になっているという。
上水路は、30年間程使われた後廃止され、その後は四つ木から亀有の間の交通機関となった。
小舟に人を乗せ、土手の上から長い綱で肩に掛けて引くことから「曳舟川」と呼ばれるようになったという。

昭和39年ころまでは、小魚などの生物が生息している川であった。
高度成長期に汚染され埋め立てられた後、平成2年人工的な水の流れを作り、曳舟川親水公園となった。
延々3キロの直線の公園なのだ。
お花茶屋駅脇の踏切を渡っても、なお公園は続く。

やがて右手に「葛飾区郷土と天文の博物館」があった。
入館料100円。葛飾の歴史と風俗について充実した展示があって、面白い。
昭和の家庭が再現されたブースでは映画の撮影をやっていた。
平日とはいえ、参観者は2、3人。ガードマンや関係者の数の方が多い。
一人で来ているご婦人(推定60歳)がいた。もしかしたら、館長さんか?

公園に戻る。鷹匠の像がある。鷹狩りは将軍たちが好み、この辺りも鷹場だった。
白鳥という町名やお花茶屋などの地名は鷹狩りに由来するという。
まだまだ長い公園は続く。

疲れた頃、終点の亀有に到着した。
町中に両さんの像があり、駅前には金色の両さんが歓迎してくれている。
もちろん交番もある。
ここが漫画のモデルかどうかわからないが、写真に撮っておく。
前回の東京散歩で亀戸駅前交番を撮ってしまったリベンジなのだ。

JR亀戸駅から帰途に着く。
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タヌキと両国周辺を散歩する


江戸東京博物館で、レオナルド・ダ・ヴィンチ展をやっている。
同居人のタヌキも行くと言うので、一緒に両国周辺を散歩することになった。

JR両国駅西口で下車。両国橋方面に歩くこと数分で回向院に到着する。
かつては、ここで大相撲があった。
鼠小僧の墓があることでも有名だ。金運の霊験あらたかと言う。
さっそくタヌキが墓石を削って財布に入れた。

京葉道路に戻って東進しセブンを右折した所に吉良上野介の屋敷跡がある。
今は首洗いの井戸などの記念物がある小さな公園になっている。
駅方面に戻って国技館前を通り、安田庭園に行く。
ベンチでおじさんたちが昼寝をしていた。

公園を通過し、東京都慰霊堂へ。
関東大震災で亡くなった方々を慰霊する。
敷地内に復興記念館があり、無料なので一巡する。

おいてけ堀の跡を通り、展覧会のある江戸東京博物館へ入る。
入場料は、二人とも65歳以上だから半額だ。
前回来た時は、まだ少し若かったのに、受付の女性から「65歳以上ですか」と言われたのだった。

博物館は駆け足で巡り、本命の展覧会へ。
ダヴィンチの「糸巻きの聖母」は必見だ。柔らかく生きているような筆致に魅了される。

JR両国から錦糸町までは一駅だ。
錦糸公園を通り、オリナスタワーを右折する。
横十間川に架かる天神橋を渡ると、そこは亀戸天神(写真)だ。駅からここまで20分。
学問の神様なので孫たちの才能が開花することを祈る。
約15分ほど歩いて、亀戸駅に到着。駅前に亀の噴水があった。
交番もあり写真に撮ったが、それは亀有と勘違いしたからだった。
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ボケが入る


同居人のタヌキが「明日、ボランティア仲間とお出かけする」と言う。
どこに行くのかと尋ねると、「どこだっけかな・・・」と忘れたようだ。
60歳も半ば過ぎると、ボケが入るのだ。

親父も別のボランティア仲間と出かけることになった。
行き先は施設見学。午後に榛名神社も入っているということだ。

そしてバスは出発した。見学も昼食も予定どおりに終了した。
いよいよ榛名神社に向かうことになるのだが、幹事から車内放送あり。
「榛名神社は細い山道を歩かなくてはなりません。
 道は凍っていて、皆さんのようなご老体には危険です。
 残念ですが、神社には行かず、榛名山で冬を感じていただきます」

伊香保温泉を通ってバスは山道を登り、榛名のカルデラ湖に到着した。
土産物屋は開いていなくて、観光客も殆どいない。
それでも雪景色を鑑賞して、それなりに満足できた。

帰りのバスの中、同行した女性の一人と会話した。
この女性も退職後、東京散歩を楽しんでいるという。
「今度、どこに行くのですか」と問いかけられたから、「美術館です」と言った。
次に「どこの?」と聞かれたが、「どこだっけかな・・・」と思い出せない。
ではと、「誰の絵?」と聞かれたが、これも思い出せない。

何ということだろうか。情けないことこの上ない。
親父にも、ボケは限りなく迫っているのだ。
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