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東京散歩~世田谷区豪徳寺周辺~


今回の東京散歩は世田谷区豪徳寺周辺だ。
田園都市線三軒茶屋駅で下り、世田谷線で豪徳寺に向かう予定だ。
乗り換えようとして指示板通りに歩いたが、いっこうに世田谷線の駅がない。
いつの間にか世田谷通りを西に歩いていた。こうなったら予定の反対コースをたどることにする。

歩くこと25分、環状7号線を横切って間もなく常盤塚を発見。
見つけにくいとは聞いていたが、横断歩道橋を渡ってすぐ、通りの南側の路地の奥だ。
戦国時代、世田谷城主吉良頼康の側室常盤は特に寵愛されたという。
懐妊するものの、他の側室達は不義の子だと噂を広めた。頼康は怒り常盤を自害に追い込んだ。
後に真相を知った頼康は噂を仕組んだ側室13人を殺し、常盤をここに葬ったとか。
鷺宮の霊が真相を語ったとかいう。今、サギソウは世田谷区のシンボルの花だ。
美人に生まれるといいことばかりではない、噂を流すことも信じることも罪なこと。

そんなことを思いながら世田谷通りを横切り、北上する。
世田谷線を越え、松陰神社前の駅通りを右折して間もなく松陰神社がある。
松陰神社は、明治15年に長州藩士吉田松陰の門弟らが墓地に堂を建てて創建した。
承引の墓や松下村塾の模型があり、はやりの地らしく参拝者が多い。

そこから西に歩く。国士舘大学と区役所の間を過ぎると、そこは勝国寺。
この寺は世田谷城の裏手鬼門に当たり、城主吉良氏は鬼門除けとして薬師如来を納めた。
駒沢公園通りを横切り、小学校の手前に烏山川緑道が続いている。
元は川。ほとりに実物大ほどの猫の像があった。

さらに進むと豪徳寺の塀に突き当たった。
そこで4人組のご婦人団体(推定平均年齢72歳)に遭遇。
聞けば、小田急の豪徳寺駅から歩いてきたという。寺の入口がなく迷っているらしい。
少し南下し右に曲がったところが寺の正面。ここまでご一緒させていただいた。

寛永10年(1633)、彦根藩世田谷領の時、豪徳寺は井伊家の菩提寺になった。
時の藩主井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避けることができたという。
今でも豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、招猫観音を祀る。
あるご婦人(推定65歳)は小さな300円のものを買い求めていた。
招猫殿の横には願が成就したお礼として、数多くの招福猫児が奉納されている。
井伊家代々の藩主や家族の墓所を見る。井伊直弼の墓もあった。

南下して世田谷城祉公園に行く。吉良氏は上野国飽間郷(安中市)を所領としていたという。
1366年に吉良治家が鎌倉公方足利基氏から世田谷郷を与えられたことに始まる。
世田谷線上町駅を見て二股の大通りを歩道橋で渡るとボロ市通りとなる。
ここに江戸時代の世田谷代官屋敷がある。同じ敷地内には世田谷区郷土資料館が建つ。
この辺りが江戸時代の中心地だったと思われる。
道を挟んで天祖神社がある。冬のボロ市、夏の鷺草市と盆踊りの時は混雑するという。

ここまで12000歩。6~7キロ歩いたろうか。
ファミレスで遅いランチ(500円)を食べ、上町駅から世田谷線に乗る。
電車の中で150円先払い。2両編成。チンチン電車のようだ。
山下駅で下り、小田急豪徳寺駅から帰途に着く。
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東京散歩、赤坂にある日枝神社


少し元気が出てきたので、東京散歩を再開した。今年になって最初となる。
今回の目的地は、赤坂にある日枝神社だ。
地下鉄「国会議事堂前」で下り、5番出口から北に向かう。南は首相官邸だ。
第一と第二の衆議院会館の間を左折したところが日枝神社だ。
右折すると国会議事堂に行ける。
この辺り、国家の中枢とあって、警備のお巡りさんがうろうろしている。

日枝神社は江戸時代までは山王権現と呼ばれていた。今も「山王さん」と呼ぶ人もいると言う。
「山王」というだけあって、ここは山の神様、鳥居の上にも山が乗っている。
祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)。東京十社のひとつ。江戸城の鎮護の神として祭られてきた。

階段を上って、左手に宝物殿がある。国宝級の刀剣や朱印状、錦絵などが間近に見られて無料。
撮影もOKらしいのでうれしい。
宝物殿の横に「さざれ石」がある。小石が集まってセメントで固められている感じだ。

神門をくぐると色鮮やかな社殿が目に入る。
本来、狛犬の場所に猿がいる。名前は「まさるさん」。比叡山の大山咋神の使いは猿だと言う。
魔が去るで「まさるさん」となった。お守りとして「まさる守土鈴」も売られている。
縁結びにも効力を発揮するらしく、若い娘が列をなしていた。
中には昔の娘も並んでいたが、何を願ってのことだろうか。
狛犬代わりの猿は、左右が夫婦の猿。左が女猿で、腕に赤ちゃん猿を抱いている。
夫婦円満、子孫繁栄の御利益というのはここから来ているようだ。

社殿の右の方に行くと山車庫があり、さらに奥に進むと猿田彦神社などの3つの末社がある。
伏見稲荷を連想させる赤い連なった鳥居をくぐりながら階段を下りると、そこは都会だった。
赤坂見附駅まで雑踏の中を歩いた。
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