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小松菜の芽が出た


畑に行くと、小松菜の芽が出ていた。昨日のことだ。
今日は、大根、チンゲンサイ、カキナの芽も出ていた。
毎年のこととはいえ、芽が出たときはうれしいものだ。
人参はまだ芽を出していないが、それもいつものこと。

15日に5種類の種を播いた。
その後、雨が降らなかったので毎日水くれに行っていた。
種を播くときは、果たしてちゃんと育つのかと期待とともに不安がある。
だから、芽が出るときはひとまず安心するのだ。

今夜は、ほうれん草の種を水に浸しておいた。
明日、種を播く。
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タヌキの体重は・・・


タヌキが体重計に乗ったと思ったら、すぐに飛び降りた。
「どうしたんだ。」と聞くと、「すごいことになっている。」と言う。

飼い猫のシロが重くなったというので、体重を量ることになったのだ。
まず人間が乗って体重を量り、次に猫を抱いて計る。
引き算をすれば猫の体重が量れるという作戦。
そこで、タヌキが体重計に乗ったという訳だ。

タヌキの体重は、当然、教えてもらえなかった。
結局、親父が猫を抱いたまま体重計に乗り、次いで猫なしで量って計算した。
猫のシロは、4.4キログラムだ。

ヨーロッパの食事が合わなかったタヌキは、旅行後、食欲旺盛だった。
タヌキの体重は・・・?
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ヨーロッパ旅行記-その8 完


9月4日と5日のこと
晴天続きだった旅も、最終日は雨。でも、今日は観光もなく、帰国するだけだ。
8時、ホテル発。ドゴール空港へ。
チェックインの時に言わないと、近くの座席がとれないことがあると言う。
一人旅の娘を「我々の娘だ」と言ったのだったが、別の座席なってしまった。
離ればなれの席になった別のグループもある。
気の毒なのは新婚のカップル。でも、換わってもらって事なきを得たようだった。

ウィーン着12時40分。親父はタバコを吸うので、喫煙所に行く。
日本に帰るので、ニホン吸う。
この空港で出国手続き。ユーロ圏は一つの国扱いなのだ。

ウィーン発成田行きは、午後2時出発。
窓側に座った親父は外を見る。雲の切れ間からヨーロッパの大地が見える。
また来ることが出来るだろうか。
やがてジェット機は高度を上げ、ヨーロッパは厚い雲の下になった。

機内食に「うどん」があるというので、頼む。
しかし、それは「うどん」と言うより、焼きそばのようだった。

出発して4時間。欧州時刻で午後6時、外は夕焼け。少し眠る。
目を覚ますと、外は明るくなっていた。機上で10時間経過。
欧州時刻で5日の0時。日本時間では午前7時だ。隣のタヌキも通路側の人も眠っている。
起こすのも気の毒なので、周りに気付かれないように、少しずつHEをする。
こういうとき、ビジネスクラスの人はどうしているのだろうか。
日本時間午前8時、無事成田到着。11時50分自宅着。留守番の娘に感謝。
   ・・・ヨーロッパ旅行記 完。
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ヨーロッパ旅行記-その7


9月3日のこと
今日は、この旅で一番行きたかった所、モンサンミシェル修道院へ行く。
パリから360km、片道4時間半。なので、ホテルを7時20分に出発する。

ノルマンジー地方に向け、バスはゆるやかな起伏の道をひた走った。
牧場と畑と森の道。
フランスは農業の国、自給自足の国という。自立する国の基本を見た。

サービスエリアでトイレ休憩。売店のスペースは広いが、ここもトイレは狭い。
ただし珍しく無料だったから、よしとする。
女性用は、いつもながら長い行列となっている。
ここのトイレットペーパーも幅が狭い。日本の3分の2程度だ。
流した水も必要最小限度だ。節約の精神が、今のヨーロッパに根付いているのだ。
ここで念願だった親父用の帽子を買う。19.9ユーロ。
帽子に書いてある文字の中に「NORMANDY」とある。記念になる。
これは、日本に帰ってから自転車に乗るときに使う。

昼食は名物のオムレツ。おいしくなったと聞くが、親父の口には合わなかった。
卵の泡の塊だ。巡礼者用の食事なのだという。腹の足しになったのか疑問だ。

モンサンミシェル修道院は、サン・マロ湾の海の中にあった、
満ち潮の時には海に浮かび、引き潮の時には陸と繋がったという。
今は道路が出来ていて、常に繋がりっぱなしだ。それにしても、何という奇妙な光景か。
岩山の上の小さな聖堂が、増改築を重ね13世紀に今のような形になったという。
テレビで見て、あこがれの場所であったモンサンミシェル。
やはり、自分の目で見、風を感じないと、世界の歴史や広さは語れないと思った。

ホテルに午後9時着。ホテルの鯛料理より、今夜もインスタントラーメンがうまい。
明日はヨーロッパを離れる日となる。夜中まで荷造りをする。
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ヨーロッパ旅行記-その6


9月2日の午後のこと
昼食後は、三越でショッピング。日本人の店員さんが丁寧に対応してくれた。
日本の店員さんに比べ、ヨーロッパの店員さんは売る気がない。
泊まったホテルで娘のお土産を買おうとしたときには、呼んでもすぐに来ない。
包みもありふれた袋に入れるだけなのだ。
三越では、日本式のお客対応で安心だ。、
しかし、高価なものが多いので、無料のトイレを借り、品々を見るだけで外に出た。

パリの西郊外30分で、ルイ14世のヴェルサイユ宮殿に着く。思ったより広大。
中は、革命でギロチン台に消えたマリー・アントワネットの遺品が残っている。
儀式や外国の賓客を謁見するために使われた鏡の間は、今も燦然と輝く。
ヴェルサイユ宮殿には王族用以外のトイレがなかったという。
宮廷女性の開いたドレスは庭園で用を足すものだったのだ。

パリに戻って、小さなレストランで夕食。エスカルゴは、慣れない食材だが完食した。
赤ワインを飲みながら食した「子牛の何とか」は、味が思い出せない。
フランス料理などの高級なものは、田舎の親父には合わないようだ。

エッフェル塔にほど近い乗り場からセーヌ川の遊覧船に乗る。
午後8時というのに、日暮れにかかってまだ明るい。約1時間のコースだ。
岸辺を走る人、寄り添う二人など映画のシーンを思い出す。
コンコルド橋、オルセー美術館、ルーブル美術館が眺められた。
町の窓に灯りが点くと、景色が夕闇となった。
我ら二人の隣に乗り合わせたのは、一人旅の娘。
タヌキがお母さんに似ていると言っていたから、「どういうところが?」と聞いてみた。
「雰囲気が似ているのです。」と言う。
タヌキが親父に言った。「私みたいな人、ありふれているのよね。」

下船間際にトイレに行きたくなった。レストランのワインが効いたらしい。
再び戻ったエッフェル塔は、夜空にライトアップされている。
船着き場のトイレは有料だという。
小銭がなく困ったと言うと、旅慣れた娘が無料になる極秘の方法を教えてくれた。
お陰で、下船するなり無事に用を足すことが出来た。
外で、タヌキと娘が待っていてくれた。この旅で初めての雨。感謝する親父の涙雨。

午後10時過ぎてホテルに着く。長い一日だった。
日本食が恋しくなって、お湯を沸かして持参のお茶を煎れ、梅干しをしゃぶる。
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ヨーロッパ旅行記-その5


9月2日の午前中のこと
パリのホテル、我々の部屋番号は152だった。1階の52号室。ここに3連泊する。
ヨーロッパの1階は、日本で言うと2階に当たる。
1階に当たる階は、フランスでは0階。ドイツではE階またはEG階というのだ。

午前の見学地はバスの窓から。
ホテルから市の中心部までは約1時間、凱旋門近くで二人目のガイド氏を乗せる。
市内観光の後に行くルーブル博物館は、公式案内人が要るとのことだ。
「ここが凱旋門です。」・・・テレビなどでよく見た光景が間近にある。少々感激する。
「シャンゼリゼ通りです。」「ここがコンコルド広場。」「ここが何とか寺院。」
車窓から写真を撮るのが精一杯で、どこがどこやらさっぱりわからない。
あちこちの交差点はクロスではなく、6差路や7差路のようだ。
しかも、信号がなく、交差点を左回りに回って目的の通りに入る。危険がいっぱい。

エッフェル塔など見て、いつの間にかルーブル美術館に来ていた。
とても展示品の全部は見きれない。
ガイド氏に従い、ミロのヴィーナス、ニケなどを間近に見る。
グランド・オダリスク、カナの婚宴、かの有名なモナリザなども見て、撮った。
日本と違い、通行の規制もなく撮影もOK。触れられるほどの距離。

昼食はシャンゼリゼ通り近くのレストランで中華のコース料理。
なじみの中華味に、米のご飯もあって、旅を通して最高の味だった。
タバコを吸いに外に出ると、何人もの人が歩道で吸っている。タバコ人口は多いのだろう。
そのままポイ捨てをするので、石畳の道は吸い殻だらけだ。
さすがに親父は良心がとがめ、持参の携帯吸い殻入れを活用した。
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ヨーロッパ旅行記-その4


9月1日のこと
5時20分起床。
インターラーケンのホテルのテラスに出て、タバコに火を点ける。
見上げると満天の星。ユングフラウの上にオリオン座がきらめく。
こんなにたくさんの星を見たのは、親父が子どもの頃だった。
日本の空は濁ってしまったのだ。
急いでタヌキを起こす。「こんなに近くに見えるのね。」と感動してくれた。

7時頃、タヌキが自宅に電話をする。日本時間の午後2時だ。
留守番の娘が言う。「猫が2匹になったよ。」

8時朝食、9時に展望台のあるシルトホルン山頂に出発する。
バスに乗ると、忘れ物の照会があった。「食堂にめがね入れがありました。」
隣に座っていたタヌキが、「あっ、私のです。」と手を挙げた。
忘れたのはめがね入れだけではなく、中には老眼鏡も入っていた。

インターラーケンとは「湖の間」という意味。
アイガー、メンヒ、ユングフラウなど4000m級の山に登る起点である。
30分余りでロープウェイの駅に着いた。
ここから3回乗り継いで、2971mの展望台に着く。
絶景。快晴、雲一つなし。気温8度。360度の絶景。

展望台で昼食。この旅に一人で参加していた娘さんと同席となる。
この娘さんは雰囲気が我が娘に似ていて、よその子とは思えない。
写真を撮り合う。
その後、親父は山頂のトイレで記念の大●。

12時45分、臨時のケーブルカーで下界に下り、首都ベルンへ2時間。
ベルンでは旧市街を散策する。有名な時計台は16世紀から動き続けているという。
午後4時30分ベルンを発つ。午後6時、バーゼル駅着。

列車を待つ間、トイレへ行く。駅のトイレは女性は2フラン、男は1フラン。
ここからフランスの新幹線TGVでフランスに向かう。午後7時。
夕食は車中のサンドウィッチ。固くて親父の歯槽膿漏の歯では無理だった。
タヌキも、ほとんどを残したようだ。(実はおいしくない。)
車窓は暗いし、眠るしかない。パリ東駅に着いたのは午後11時ごろか。
ドゴール空港近くのホテルに着いたのは午前0時近く。
今日は強行軍で、荷物の整理もそこそこに撃沈。
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ヨーロッパ旅行記-その3


8月31日のこと
フュッセンは海抜800m、ロマンチック街道終点の山の町。
4時半起床。ホテルの窓から外を見ると、森と湖が絵画のようだった。

街道を30分ほど戻ってヴィース教会に行く。
18世紀、ロココ建築の最高傑作と言われるが、今も牧場の中に素朴に建つ。
ところが、お堂の中は絢爛豪華で息を飲む。さすがに世界遺産。
入場料は寄付の奥ゆかしく1ユーロのみ。ただし、タヌキのトイレ代50セント。

フュッセン方面へ20分、ノイシュヴァンシュタイン城がある。
断崖に建つ白鳥の城だ。ノイシュヴァンシュタイン=New Swan Stone(英)である。
東京ディズニーランドのシンデレラ城のモデルだという。
建て主は、バイエルン国王ルードヴィッヒ2世。
ワーグナーに心酔し、城内はその楽劇に因む絵画があふれている。
昼食の後、バスは一路スイスに向かう。

国境は何事もなく進み、インターラーケンまで360キロ余り、5時間を要す。
車窓は、山と谷と湖と町。ハイジの風景が広がる。
スイスの通貨はスイスフランだ。1フラン=約90円。
ホテルの部屋からユングフラウの白い山容が見える。

夕食は町中のレストラン。陽気で筋肉ムキムキの店員さんがホルンを吹く。
お客さんたちにも吹かせてくれる。
その後、町中を散策。
これまでのホテルと同様、シャワーのみで浴槽はなく、体が温まらない。
インスタントラーメンをすすって寝る。
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ヨーロッパ旅行記ーその2


8月30日のこと
フランクフルトから大学の町ハイデルベルクへ。アウトバーンで1時間。
大学広場、シューマンの家など散策した後、アルテ橋よりハイデルベルク城を眺める。

ハイデルベルクから2時間、ロマンチック街道の見所ローテンブルクへ行く。
途中、バスが臨時停車する。うちのタヌキが尿意を催したことが原因だ。
アウトバーンのSA。有料トイレは50セント。お金を入れると入口のバーが開く仕組み。
小銭がなく、5ユーロ札で2.25ユーロ(約420円)の水を買う。
バスを15分間臨時停車させたが、有料トイレの経験が出来たのでよしとする。
ついでに親父も用を足す。

バスから眺める風景は、緑豊かな森と延々と続く牧草地。所々に発電の風車が回る。
点在する町々は中央に協会があり、黄土色の屋根に統一されている。
有名な町ではなくても、風景と見事に調和していて、どこでも絵葉書になりそうだ。
澄み切った秋の青空に、幾筋もの飛行機雲が浮かんでいた。
ゴミゴミと無秩序に家が建つ日本がいやになる。

ローテンブルグはおとぎの国。中世の町がそのまま残っている。
マルクト広場には屋台の果物屋さんが出ていた。西洋のリンゴは青くて小さい。
ブルク公園のトイレは無料だった。うれしい。

ローテンブルクからロマンチック街道を4時間走って国境の町フュッセンへ向かう。
ホテルのインターネットで日本の選挙、民主党圧勝を知る。
午後9時にホテルで食事。バス酔いのため、タヌキinBED。
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ヨーロッパ旅行記-その1


旅から帰ってきたら、猫が1匹増えていた。
留守宅を守ってくれていた娘が、飼い猫シロばかりかノラにも餌を与えていたという。
旅先の電話で聞いてはいたが、茶トラで今年生まれたばかりの子猫だ。

8月29日から9月5日まで、ドイツ、スイス、フランスに行ってきた。
旅先でのことを思い出しながら、防備録として「ヨーロッパ旅行記」を連載する。

8月29日のこと
成田からウィーンへ11時間半。ウィーンでフランクフルト行きに乗り継ぐ。
乗り継ぎの時間を活用し、空港内の売店で親父の財布とタヌキの鞄を購入する。
まだ目的地に着かないうちに、この旅最大の買い物を済ませたのだ。
後日、パリの空港で税金分を戻す手続きをした。

ヨーロッパは夏時間。時計を7時間戻す。
フランクフルトのホテル着は午後8時。日本時間では30日の午前3時だ。
ここのホテルはポットがない。
持参の湯沸かし器を活用し、持参のお茶と梅干し、カップラーメンをいただく。
ラーメンのカップはよく洗って湯冷まし用の器にする。
湯冷ましはペットボトルに入れて翌日の飲料水にする。
なにしろ、こちらの水はビールとほぼ同じ価格なのだ。2~3ユーロ。
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