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へそのゴマをほじったら風邪を引いた


キュウリの苗が大きくなったので畑に植え出すことにした。
まず、収穫後のカキナを抜く。
背丈ほどに育ったカキナには菜の花が咲き、蜂が蜜を吸っている。
根っ子は太く、深い。
シャベルを使い、一つ一つ掘り起こす。
ここまでで2時間。

次に、雁爪鍬で耕し、鍬で畝を作る。
穴を掘ってキュウリの苗を丁寧に植え付ける。
ついでに、ナスとピーマンの苗も植えた。
ここまでで4時間。

充実感はあるが、汗をかく。腰が痛い。
家に帰って、昨夜の残り風呂に入る。
ぬるい。
熱いシャワーをかぶって早々に出る。

風呂から出て、へそのゴマをほじったら、風邪を引いた。
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タヌキと熊野三社詣をした


良い季節になった。そこで、今回はタヌキと熊野三社詣をした話。

熊野三社とは、ここ速玉大社と本宮大社、那智大社だ。
本宮の家都美御子神(けつみみこのかみ)は阿弥陀如来、那智の牟須美神(ふすみのかみ)は千手観音。
新宮の速玉神は薬師如来をまつる。神も仏も一緒なのだ。
中世以来、貴賤男女を問わず大勢の人々は山中を歩いて熊野への道を歩いた。
生きながら浄土に生まれ変わることを願って。
今回、我々はツアーのバスに揺られての熊野詣。よって功徳も内場だろう。

まず、熊野速玉大社に行く。
速玉大社のご神木は樹齢千年超の「梛(なぎ)」。
その葉は金剛童子の化身にして、参詣者は帰途の安全を願い、武士は戦場で護符としたと言う。
また、葉の丈夫さにあやかって男女の縁が切れないようにと女性が葉を鏡の裏に入れると言う。
葉の裏も表も同じように綺麗なことから、裏表のない、正直な生き方を表すとも言う。

次に向かったのは、熊野那智大社。
ここは、那智の滝を神とする自然崇拝からおこった社だ。
社殿は現在、那智の滝から離れた高台にありますが、かつては大滝の近くあったらしい。

バスで大滝に向かう途中、大門坂から熊野古道を歩く。苔むした石段と杉木立は神秘の世界だ。
息苦しくなったころ、滝の音が聞こえてくる。
熊野古道は、歩いた距離と功徳は比例すると言うから、やや功徳があったか。

土産物店が軒を連ねる参道を右折し、石段を10分ほど登っていくと、青岸渡寺の境内。
隣接して標高約500mにある那智大社がある。

再びバスに乗る。本宮は高台にあるが、もとは音無川の中洲に鎮座していた。
現在地に遷座したのは明治24年。明治22年の大水害で近くの高台に遷座したと言う。
神武天皇が熊野に到着された時、神の使者である八咫烏が奈良まで道案内をしたと言う。
以来、熊野三山に共通する「導きの神鳥」として信仰されるようになった。
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